ザルガラを倒す魔法
来た。
ヤツが来てしまった。隣の席に、ヤツが来てしまった。
ヤツが来てしまったせいで、ステファンの行動監視がどうのって状態ではなくなってしまった。
ステファンを監視するため、すっかり身近な危険人物を忘れていた。
それなのに当のステファンは今日は休みだ。なんのために監視用の魔法陣を用意したのかわからないぞ。
つまらないはずの授業に、なぜか緊迫感がある。
危険物のヨーファイネ・カタランが復学し、オレの隣りの席にいる。
あの危ない発言が飛び出したら、オレを巻き添えにしてくる可能性がある。
オレのイメージが崩壊しかねない。
ヨーヨーは今のところ大人しい。だが、いつあの危険な妄想を始めるか、分かったもんじゃない。
視線を向けると、どんな反応されるか分からないので、オレは黒板を睨まざるを得ない。
「なな、なんですか? せ、先生、ザルガラ君に何か、その、しし、しましたか? しちゃいましたか?」
緊張しっぱなしのオレが前を睨み続けてるせいで、黒板前のマトロ女史が必要以上にビビっている。
いや、オレもビビっているんだが。
「気になさらず、授業を……続けてください」
余計な事は言えない。隣りの女に刺激を与えては爆発する。
オレの要求を聞いて、マトロ女史は眼鏡がズレるのも構わず、何度も頷いて見せた。
「ひい! は、はい。はい、分かりました! え、えー、ここここのように素体で投影された点と線……0、1次元までの魔法陣でも、一定の防御の効果がありー、そのー、無駄ではないんですよー。もっとも簡単で基本の2次元魔法陣、正3角形の魔法陣を頭上に投影できれば、か、傘になりますねー。雨の日に便利ですねー。あははー、なんちゃってー。ははは……」
マトロ女史は黒板に向き直り、チョークで震えながら歪な3角形を傘とする棒人形を書き始めた。
もうちょっと真面目に授業をして欲しい。
そんな緊張しつづけのまま授業が進み、やっと昼休みのチャイムがなった。
「ね、念願のチャイムですね。きりーつ、れい! あ、先生が号令しちゃった。はい、ランチ楽しみだわぁー」
マトロ女史が生徒を見捨て逃げるように、チャイムが鳴り続ける中、教室から飛び出していった。
起立、礼のタイミングを失った生徒たちも、みな動きを止めたまま黒板を見つめ続けている。誰も昼食を取ろうとしない。
なんだ、今日のこいつらなんか熱心だな。よく見ると、今日はマトロ女史が魔法陣をたくさん書いている。それらを憶えようと、真剣なんだろう。
マトロ女史も、今日はほとんど振り返らなかったもんなぁ。
それはともかく。
オレはヨーヨーの圧力から逃げるため、一切そちらに視線を向けず、食堂へ向かうことにした。廊下に出て戸を閉めると、教室内から一斉にがたがたと音が聞こえてきた。
ヨーヨーが追ってくるかと思い、オレは早々とその場を立ち去る。
混雑する食堂の中なら、ヨーヨーが無理に接近することもないだろう。
ぱたたたっ!
っ! 来たかっ!
ヨーヨーが追ってきたのかと思い、オレは振り返って身構える。
「なんだ、ペランドーか」
オレを追ってきたのは、走るのがへたくそなペランドーだった。
「ふう、あいつも学園じゃ大人しいみたいだな。安心したぜ」
「どうしたの? ザルガラくん。今日、ちょっとおかしいよ」
冷や汗を拭うオレのもとまで駆けてきたペランドーが、心配そうに声をかけてきた。
「いやぁ、なんでもないんだよ」
考えて見たら、ヨーヨーは今までオレと接触がなかった。これからも大人しく、オレの隣りで一人静かにしてくれているだろう。
スイッチを入れない限り。
一先ず昼食だな。
「ペランドー。オマエも、今日は学食か?」
「いや弁当を持ってきてるよ」
「そうか」
いくら魔法の才能があろうと、ペランドーは一市民である。学園の食堂が比較的安いとはいえ、それは貴族など富裕層から見ての話だ。
オレは弁当持参のペランドーと共に、学食で食事を済ませた。
その教室への帰り道。
北校舎から南へ伸びる渡り廊下の出口で、鎖が落ちているのを見つけた。
「ん? なんだこりゃ?」
オレは不用意に鎖を拾ってしまった。
「はぁん、捕まってしまいましたぁん」
北校舎の外、渡り廊下に潜んでヨーヨーがいた。鎖はヨーヨーの緩い首輪に繋がっている。
「おぃ、こら。なんだそりゃ」
罠にかかったわけだが、オレはそれを誤魔化すため強気で鎖を引っ張った。
「ああ、奴隷にされた途端、犬になれとご命令ですか?」
「じゃねーよ、なんのつもりだ? 言え」
「ああ、鈴を転がすようなわたしの声で、ワンと鳴けとご命令ですか?」
「うるせぇな。てめーの声は錫を打つ声だろ。黙ってろ!」
「ザルガラくん……それ、言っていいのか、黙るべきか、どっちかわからないよ」
ペランドーに突っ込まれた。
オレがショックを受けていると――。
「ザルガラ先輩……?」
鈴を転がすような声が、オレの名を紡ぐ。それは背後から聞こえた。
オレの胸が早鐘を打つ。心臓がうるさい。なのに、鈴のような声を打ち消せない。
「……どういう事ですか?」
振り返るとアザナがいた。
戸惑いとも、軽蔑ともいえない目で、オレから鎖、そしてくねくねしてるヨーヨーを見る。
あ、やべ、鎖持ったままだった。
「え? ちょ、まって。違うんだ、待ってくれ!」
鎖は産廃に繋がってる。これ、勘違いされるよな?
ここは強くはっきり否定しないと。
「あ、いや、そのこれはその、あのな。この女は産廃なんだよ」
「女の子を、産廃なんて! ひどいですよ、ザルガラ先輩!」
ズキッ!
胸がなぜかいたい。
「ザルガラ様ぁああ、こんな可愛らしい子に、奴隷姿を見られてしまいましたぁ」
「ちょ、ヨーヨー! 少し黙ってろ!」
「ああん!」
鎖を引っ張ると、ヨーヨーが大げさに四つん這いになる。
「見損ないました。ザルガラ先輩」
アザナが半歩下がる。
「あ、いや……」
「奴隷だなんて……。サイテーです」
アザナの口が尖って、オレを責める。
いやいや、待てよ。
謂われのない事態だが、アザナはオレを悪辣なヤツだと思ってくれるわけだ。
だいたい、慕われてたのがおかしいんだよ。うん、そうだ。
オレは開き直ることにした。
「お、おう! そうだ! オレはこういう悪いヤツなんだよ。わかったか?」
「……わかりました」
うつむくアザナを見ていると、なぜか胸が痛い……。
いや、これは戦いを前に、心が高ぶっているだけに違いない。
「そうか、わかったか! じゃあ、この奴隷を解放するために、オマエがオレを倒――」
「みんなに言いつけてやるーーーーっ!!」
「え、ちょ……」
アザナが泣きながら踵を返し、走りだした。
そこはヨーヨーを助けるとかしてくれよ!
なんで、言い付けるなんだよ! 誰に?
「ザルガラ先輩のばかーーーーっ!」
「おぐぅっ!」
アザナの捨て台詞が、胸に突き刺さる。
すげぇ胸が痛い。オレは膝をつき、アザナを追いかけられなかった。
「な、なんだったんだ? ……今のは!? 新手の魔法か?」
アザナが完全に見えなくなってからも、オレは立ち上がれない。すごい威力だ、この魔法。
「だ、大丈夫?」
ペランドーがオレを気にして、手を貸してくれた。オマエ、けっこういい奴だな。1周目は裏切ったけど。
「大丈夫さ。オレを誰だと思ってる。ふ、嫌われて良かったくらいだ。オレはアザナの敵だからな、ははは。そうだよ、よかったんだよ、これで……。うん、そうさ。ははは……」
残されたオレの前を、ユールテルが通り過ぎていく。すべてを無視するように――。視線すら向けてくれない。
ああ、ユールテルにも見放されたな、オレ……。
「ああ、ザルガラ様が放置プレイされてます!」
「うるせぇ! てめぇのせいだぞ! 『見当違いな聖者の苦行!』」
一人幸せそうなヨーヨーが許せない。オレは鎖に魔法をかけて、ヨーヨーを渡り廊下の柱に縛り付けた。
「おい! ペランドー! 今日は早退だ! アジトへいくぞ!」
「え、ああ、うん」
オレはアザナが走りさった廊下に背を向け、学園を後にした。
ああ、胸が痛ぇ……。
今度の休みに、医者へ行こうかなぁ。
こうかは ばつぐんだ!




