覚悟
ルービスは我に返って慌ててしゃがんだ。自分が自問自答している間、ディーブをそのまま待たせてしまっていた。ディーブは変わらない姿勢を保っている。
「ごめんなさい。なにも悪くないのに、顔を上げて」
両手両足をついてディーブの顔を覗き込んだ。ディーブは目を閉じたまま微動もしない。
「殿下…?」
「Dだ。Dと呼んでくれ」
ディーブは体は動かさないまま、穏やかな声で言った。間近でディーブの無防備な顔を見て、穏やかな声を聞くだけで、ルービスは心臓を大きな手でつかまれ、揺さぶられるように感じ、再び息苦しさを感じた。膝をついたまま、ゆっくりとディーブの手に自分の手を重ねる。少し冷たい指先がルービスの手を握ってきた。
ディーブがゆっくりと顔を上げ、二人は見つめ合う格好となった。微笑んでいた口元がルービスと見つめ合ううちに真剣な表情へと変わっていく。間近でみるルービスの美しさに魅入られてしまったのだ。さきほど部屋に入った時もそうだった。ドアを開けた先にいた、ノックの音も気づかず物思いにふけるルービスの後ろ姿に、ディーブは魂を奪われたように釘付けになってしまったのだ。吸い寄せられるようにルービスに顔を近づけていった。
再びキスをされると感じ、ルービスは息苦しさに加え、自分の顔がこれ以上はないくらいに火照っていくのを感じた。
ふいにディーブが視線を外し、立ち上がった。握った右手はそのままに、左手でルービスが立ち上がるのを支える。
「右手はどう? もうだいぶいいの?」
ルービスはこくりとうなずき右手をプラプラと振って見せた。まだ心臓の高鳴りが治まらない。キスをされなかった失望と安堵が入り混じる。
「それは良かった」
ディーブはそんなルービスの心情に全く気付かない様子で微笑み、テーブルの方へ歩いて行ってしまった。ディーブとの距離が開くと幾分動悸が治まってくる。
しかしすぐにリストバンドのようなものを持って戻ってきた。ルービスに手渡す。それは手の中でどっしりと存在感を主張した。非常に重いのだ。
「これは?」
「手足につけるものだよ。腕・手首・足首につける。これをして過ごせば、すべてが筋力アップにつながるだろう」
「これが、昨日言っていた『いいもの』?」
「その通り」
ディーブは満足そうにうなずいた。
「これではまともに動けそうにない」
ルービスは一つを左腕に着けて顔をしかめた。
「弱気なことを言うな。これを一日中つけて訓練もして、そのうちに着けたままで剣を今の速さまで操れるようになるんだ」
あまり乗り気ではないルービスを無視してディーブは足元にも着けはじめた。
「これはトーマンに教えられた」
「トーマン? Dもトーマンに習ったことがあるの? 彼は変わっているね」
ディーブが見上げると、ルービスは同意を求めるように小さくうなずいて見せた。
「変わってる? 何か過激なことでも?」
「過激?」
「いやいや」
ディーブは椅子に腰を下ろした。隣をルービスに勧めてくる。過激とはなんのことだろうかとルービスは柔和なトーマンの新たなギャップについて興味を抱いた。
「私にGOOD LUCKって。男の人に励まされたのは初めてだった。あのパズバでの時よ」
「・・・アイツめ、そんなことを」
ディーブは頬杖をついてため息をついた。
「トーマンはもともとこの国の人間ではないんだ。私の世話役になってから口癖のようにこう言っていた。『なんて国風だ! 褒められたものではありませんな、女性の中にも能力のある人はいるはずなのに。それを潰してしまいます』」
ディーブの口調がトーマンにそっくりだったので、ルービスは手を打ってはじけるように笑った。ディーブもつられて破顔する。
「だからきっと嬉しかったんだろうな、君のような女性が出てきて」
「・・・Dも彼の影響を受けたの?」
「それもあるかもしれない。もしトーマンに出会っていなかったら、眉間にしわを寄せて君を追い払っていたかもしれないね」
「・・・あの・・・。…パズバの審査に来たのは・・・、その、あれは役人級の仕事だと聞いたわ。・・・もしかして私の・・・ために?」
ルービスは躊躇した後、おずおずと質問した。自分の事が好きなのかと聞いているようには思われないかとドキドキしながら。それに対してディーブの答えは素早く明快だった。
「そうだよ」
頬杖をついたまままっすぐに見るディーブに耐えきれず、ルービスは顔をそらした。
「もしかして新兵の行進も?」
ディーブは今度はゆっくりと首を横に振った。
ルービスは少し残念に思った。
「いや、それは違う。新兵の行進はここ数年私が同行している。確かに役人が連れていた時期もあったようだが、王族が同行することの方が多いんだ。行進は島の国々を回るから、王族としての視察や挨拶も兼ねている。まあもちろん、役人でも十分なんだけど・・・ね」
ディーブは自嘲気味に笑った。
「・・・私は三人目でね。上に二人の兄がいる。この二人がまた素晴らしい人物で私の出る幕はないんだ。政治関係は二人が行っている。…私はその他の仕事を引き受けている」
「そんな・・・そんなことはない」
「加えて政治関係は私には向かない。王や兄たちは領土を広げようと模索しているが、私には騙し取るようで気が進まない」
「だまし取るって?」
「戦争だよ。どうしても私の性には合わないんだ」
「・・・」
ルービスは黙ってうつむいた。兵を作っているのだから国王が戦争を視野にいれていることも当たり前のはずなのに、平穏なこの国にあって、そんな可能性があるとは夢にも思っていなかった。
「この話はよそう。つまらない事を言ってまた君の顔を曇らせてしまった。・・・それよりも今後の事を説明しておこう」
ディーブは佇まいを直し、ルービスに向き直った。ルービスの顔も引き締まる。
「今はトーマンに人払いをしてさせている。だが人払いをするのは今日までだ。脱出が成功するのもこれからの行動にかかってくる」
人払いをしていると言いながらも、ディーブは声をひそめた。普段ドアの外は、ルービスがいる時には一人以上の付き人が、ディーブが加わると10数名に膨れ上がる。それでも廊下では音もなく静かに待機しているが、今はトーマン一人がドアの前に控えているのだろう。ひっそりと静まり返った廊下に、一人で立つトーマンの姿が見えるようでルービスは緊張した。
「前にも話したが、我々は『新兵の行進』で脱出する。だが本当に困難なのは、脱出することではなく『女』である君が気づかれることなく消えることだ」
もっともなことだ。ルービスは深くうなずいた。この国は女の移動に関しては厳しく管理がされる。ましてやこの国の中枢である王宮で一人の女が消えることなど考えにくい。
「トーマンの機転で我々には今後午後の時間が自由に使える。そこを利用していく。そんな難しいことをするわけではない。毎日規則正しい日課を周りに刷り込むんだ」
ルービスはディーブの作戦を聞き漏らさないよう、必死に耳を傾けた。ディーブの言うとおり、それ自体は特別大変なことではなかった。ただ、時間と行動に細心の注意を払うだけだ。
「わかっているとは思うが、脱出した後、もう君は二度とこの国には戻れない。それは大丈夫なんだね?」
「すべてを捨てる覚悟はできている」
ルービスは世話になった人々の顔を思い出した。誰にも何も言い残すことができなかったことが心残りだ。準備をすることもかなわず故郷を後にしてしまった。だがこの機を逃せば、国外への道は絶たれる。
ルービスの意志を必死に読み取ろうと顔を覗き込むディーブに気づき、ルービスは力強く笑った。そこに不安や後悔の色はなかった。




