作戦
通常、ルービスの朝は早かった。夜明けとともに起き出すのが日課ではあったが、今朝は違った。目が覚めた時にはすでに日は昇っていた。それはこの雲の中にいるような寝心地のベッドのために他ならなかった。満ち足りた気分で体を起こしたルービスは、目まぐるしかった一日の出来事を思い起こしていた。パズバでの役人とのもみあい、タオスとの対戦・・・。ふとディーブのことを思い出し、唇を押さえた。全力疾走をしたあとのように息苦しく、体が熱くなるようだ。
(だめだ・・・。私は国を出るんだ。自分をしっかり持たないと! こんな浮ついた気持ちになるなんて。…男の人と触れ合う事なんてなかったから、初めて私を認めてくれた男性だから、だから錯覚しているんだ。これは恋ではない! 断じて恋ではない!)
息苦しさを振り払うようにベッドから飛び出し、窓を開け放った。爽やかな風が部屋へ流れ込んでくる。
「失礼いたします、ルービス様・・・。お目覚めでしょうか」
ドアの向こうから付き人の声がする。
「朝食の用意をいたします」
ルービスが返事をすると、ワゴンに食事をのせて付き人が入ってきた。ルービスも手伝おうとすると、無言のまま手で制してきた。どうやら手伝いはご法度らしい。なにもすることがなく、並べられる食卓を見ていると、どうも2人分あることに気づく。
「これは・・・誰の分?」
まさかディーブが来るのではとまた胸が苦しくなる。しかし、嬉しいような、残念なような・・・答えは違った。
「作法の教師が参ります」
「作法?」
「ルービス様は、これから王族としてふさわしい女性となるために礼儀作法を学ばねばなりません。残念ながら、その後に結婚が認められるのです」
結婚、と聞いてルービスの顔色は変わった。
(結婚・・・やはり結婚するのか・・・。結婚してから国外へ出られるんだろうか・・・。やはりどうにかして逃げ出すべきなのか・・・)
顔色が変わったことを、結婚がすぐにはできないことへの落胆と捉えたのか、付き人は優しい口調で続けた。
「問題はありませんよ、今回の事は大変異例です。・・・つまり、すでに異例なのです。このような経過をたどって王宮に入ることは本来はありません。ディーブ殿下がルービス様をどうしても必要だと、王にそれはそれは強く嘆願なされ、王もお認めになったのです。つまり、この結婚がなくなることはありません」
ルービスは口をあんぐりと開けて聞くしかなかった。
頭の整理がつかず、混乱する。自分にとって今の状況が危機的状況なのか、そうでないのか判断がつかない。
しかし、ルービスの混乱が解決する前に作法の教師が現れ、言われるままにルービスは食事作法、ドレスを着た状態での歩行、所作・・・休む間もなく指導されていった。だが、もともと母親に厳しく指導されてきたうえ、器用であるルービスは作法の教師が驚くほどの成果を出していた。
「やっているな、しごかれているか」
正午にさしかかった時、ディーブが現れた。ちょうどダンスの指導を受けていた時だった。
みな一様に頭を下げ、ディーブを迎える。ルービスもみなを真似てぎこちなく頭を下げた。
それを見てディーブがふっと笑った。
「少し、休めるかな?」
「はい、もちろんでございます。ルービス様は大変のみこみが早いので、時間はあまり必要ないかと思われます」
作法の教師が得意げに述べると、ディーブは少し顔を曇らせた。
「そうですか、あなたの指導が良いのでしょう」
「ありがたきお言葉」
「では本日の指導はこれにて終了といたそう」
ディーブの後ろから、トーマンが話し出すと、作法の教師は驚いて顔を上げた。
「今後も午後は殿下に時間を譲っていただこう。結婚前ではあるが、殿下も夜だけでは足りないだろうから」
「し、しかし、なるべく早く正式な結婚とするためには・・・」
「いや、そうしてもらおう。私も国を離れる前に時間を取りたい」
ディーブの一言で、教師は平伏して了承した。トーマンの得意げな顔に、感謝のうなずきをしてディーブはルービスを呼んだ。
「では食事でも取ろう」
部屋に戻るとディーブは人払いをした。トーマンは出ていく際、ディーブと目配せしているように見えた。ルービスがその様子を見ていると、トーマンはルービスにはウインクをしてドアを閉めた。堅苦しい宮殿の中で、トーマンだけは愛嬌がある。
「さて、これから忙しくなるぞ」
ディーブは緊張した表情でルービスを見た。ルービスにも緊張が伝わる。
「・・・17日後に私は『新兵の行進』に同行するため国を出立する。その時に君をまぎれこませ、出国させる」
ルービスは驚いて息をのんだ。「出国」という言葉が頭を巡る。
「もともと『新兵の行進』で脱出するつもりだったんだろう? おもしろいものだな、その通りになる」
『新兵の行進』とは、今年成人と認められたものが足腰を鍛錬に加え島の事を知るという目的のために、島中を練り歩いてくることだ。例年半年ほどかけて一周してくる。
ルービスが知る限り、それに同行するのも役人の仕事であったはずだ。ディーブの行動はどうも王子らしくない。それとも、これは自分のためにわざわざ行っていることなのか、ルービスはディーブの真意を知りたいと思った。
しかしディーブはルービスが間を割る余裕も与えず続けた。
「王は出国前に式を挙げてしまいたいとの考えだが、君が一般市民であったことから、なんとか準備期間を申し出た。…結婚をしてしまえば君は正式に王族となる。王族となってはより一層自由がきかなくなるうえ、監視も厳しくなるからとても脱出などできまい」
「でも、私が消えてしまって大丈夫なの?」
「君は失踪する。もともと強要された結婚だ。君が失踪する理由はありすぎる」
嘆願までして許しをもらった結婚が相手の失踪で中止になってしまう、そんなことが起こって大丈夫なのだろうか、とルービスは不安を覚えた。ディーブにとってそれは大きなマイナス、いや、それこそ王族がまんまと女に逃げられたなんてマイナスどころではすまないのではないか?
顔を曇らせたルービスを見て、ディーブはルービスの髪をやさしくなでる。
「心配するな、うまくいく」
ディーブの優しい微笑みにルービスは何も言えなくなり視線を落とした。




