第1話
土の匂いがした。
湿った空気、そして遠くで鳴く鳥の声。
「うっ……」
土方歳三は、ゆっくりと目を開けた。
目を開くと青い空、あまりにも澄みすぎており、最後の戦いの地であった箱館一本木関門(戊辰戦争ではこの表記)の空とは何となく違う気配を感じ取っていた。
「ここは……五稜郭は……」
歳三は身体を起こすが、自分の身体に違和感を感じ自分の腹を見る。
「傷が無い?これはいったい……」
歳三は自分の腹に新政府軍の兵士の銃弾を受けたことを覚えている。
なのに自分の身体にその傷も無く、そして自分の身体を全て確認するとあらゆる傷が無くなっていることに気付く。
そして自分の身体を調べているうちに歳三は自分が着装している服にようやく気付く。
最後の戦いに着装していた西洋の軍服では無く、壬生浪士組として上京した時に服装に酷似していることにそして腰には愛刀である「和泉守兼定」があることに気付いた、ただ頭髪についてはザンギリ頭のままであったが。
そして自分の姿が気になり、近くに川が無いかと確かめる。
たまたま小川を見つけ、水面を覗き込むと
「……若い?……まるで多摩のバラガキ時代に戻った見てぇだぜ」
「でも……夢じゃねぇよな」
歳三は呟きながら立ち上がる。
ここは見知らぬ土地。この場に居ても情報が入ってくる訳では無い。
取り敢えず歩くしかない。
だがその心中は高揚していた。
(ここは何処か分からねぇ、だがこの気持ち悪くねぇ)
しばらく進むと、小さな村が見えた。
人の気配、そして煙の匂い。
「……ここで聞くか」
村へ入る。
村人たちの警戒の視線。
だが歳三は構わず男に声をかける。
「ここはどこだ」
ぶっきらぼうな問いであるが、歳三の言葉に男が少々怯え戸惑いながら答える。
「多摩の上石原村だが……」
(おいおい、近藤さんの生まれ育った村かよ)
歳三は驚きを表に出さず。
「年は?」
「な、何言ってんだ……天文の頃だ」
男の回答に土方の思考が止まる。
(戦国……だと?)
その時――
乾いた音が響いた。
木と木が打ち合う音。
土方の視線が向く。
土方と村人が話す家の隣家
若い男が、木刀を振っている。
その構えを見た瞬間――歳三の目が止まる。
「……は?」
踏み込み、振り下ろし、間合い。その全てが、見覚えのあるもの。
「天然理心流……」
あり得ない。この時代に存在するはずがない。
土方は木刀を振っている男に歩み寄る。
「その型、誰に習った」
男は驚いた顔をするが、歳三の殺気に近い気迫に恐れ口を開いた。
「……前に、盗賊に襲われてな。その時二人の男に助けられ、その人たちが、俺たちの稽古をつけてくれてる」
土方の目が細くなる。
「その二人……どこにいる」
「村の外れに道場を開いてる」
男からそれだけ聞くと、土方は歩き出した。
道場は、すぐに見つかった。
粗末な建物。
だが――掲げられた看板を見た瞬間、歳三の足が止まる。
――天然理心流 近藤勇——
「……ふざけやがって」
低く呟く。
その時、道場の使用人らしき人物から声がかかった。
「見学ですか?」
「いや…近藤はいるか」
「旦那は夕方まで戻りませんが……」
「なら代わりの者を出せ」
歳三のただならぬ気配に、使用人は姿勢を正す。
「……では、師範代を」
道場の奥へと消えていく。
静寂。風の音だけが耳に残る。
土方の視線は看板から動かない。
(近藤さんが……生きている?)
否。それだけではない。
(天然理心流が……ここにある)
やがて足音が止まりゆっくりと、道場の戸が開く。
「お待たせしました――」
何処かで聞いた軽い声、その瞬間。
歳三の思考が止まった。
現れた男は細身で、どこか飄々とした空気を纏っている。
だがその目、その立ち方、そして――笑い方。
「……あれ?」
出てきた男が首を傾げる。
「どこかで会いましたっけ?」
沈黙——数秒。
土方の口が、わずかに開く。
「……総司」
ぽつりと零れる。
男の表情が、止まった。
「……え?」
風が止む。時間が、凍りつく。
「沖田……総司」
その名を、はっきりと告げる。
次の瞬間――沖田の目が見開かれた。
「沖田……総司」
名を呼ばれた瞬間、男の動きが止まった。
わずかに開いたままの口、そして揺れる瞳。
「……なんで」
かすれた声が漏れる。目の前の男を、まじまじと見つめる。
若い。あまりにも若い。
だが――その目、その声音。
そして、立っているだけで漂う気配。
「嘘でしょう……」
総司と呼ばれた男は歳三に一歩近づく。
「歳……さん?」
震える声。確かめるように、もう一度。
「……歳さん、なの?」
沈黙。土方は答えない。
ただ、じっと沖田を見ている。
その視線に――沖田の中で、何かが決定的に繋がった。
「……っ」
息を呑む。次の瞬間に沖田は駆け出していた。
「歳さん!!」
距離を詰めるが触れる直前で止まる。
「……生きてる」
ぽつりと呟く。
「本当に……生きてる……」
その声は震えていたが、笑っているのか泣いているのか分からない顔で。
「なんで……なんでここに……」
言葉にならない。歳三はゆっくりと息を吐いた。
「……総司」
それだけ言う、たったそれだけ。
だが――沖田の目から、涙が零れた。
「……会えた」
肩が震える。
「もう、会えないと思ってた」
歳三は何も言わない。
ただ一歩、近づき――軽く、沖田の肩を叩いた。
「泣くな」
ぶっきらぼうに言う。
だがその声は、わずかに掠れていた。
「……みっともねぇ」
「歳さんだって……」
沖田が笑う。涙を拭いながら。
「少し声……変ですよ」
一瞬の沈黙。
土方は、ほんのわずかに口元を歪めた。
「……うるせぇ」
そのやり取りに、ようやく現実が戻ってくる。
風が吹く、道場の軋む音、遠くで誰かの笑い声。
それでも――二人の間だけは違う時間が流れていた。
「……近藤さんは?」
歳三が問う。
沖田は、まだ涙の残る目で頷いた。
「いますよ」
はっきりと。
「ちゃんと、生きてます」
その言葉に――歳三の目が、わずかに揺れた。
ほんの一瞬だけ。だが、それは確かに。
「……そうか」
短く呟く。
それだけで充分だった




