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第34話

里見軍の陣に、北条軍から知らせが届いた。


「北条家より、使者が参っております」


その言葉に、陣内の空気が一変した。


「北条だと……?」


「奴らが何をしに来た!」


「話を聞く必要などない!」


幾人かの家臣が立ち上がり、刀の柄へ手を伸ばした。


正木時茂を討った北条軍が、今になって里見の陣へやって来る。


陣幕内は殺気が一気に膨れ上がった。


「黙れ!」


正木時忠が諸将を一喝し、里見義堯が家臣に確認する。


「北条の使者が、何の用じゃ」


「ハッ!正木時茂様のご遺体を返還に来たと!」


「何だと!時茂様のご遺体を返還に来ただと!」


「今更何のつもりだ!」


「北条の使者を斬って、時茂様のご遺体の前に供えましょうぞ!」


諸将から轟くような声が響いた。


「黙れ!!」


だが、そんな諸将を再び一喝したのは正木時忠だった。


時忠は一人一人を睨みつける。


「北条は、兄上の遺体を返しに来たのだぞ!」


「だが――」


「何だ!」


時忠の声が飛ぶ。


「兄上は戦場で死んだ!そして敵に討たれた!」


「ならば、その遺体を返しに来た者に刃を向けることが、兄上への礼なのか!」


誰も答えられなかった。


時忠はさらに言った。


「兄上は、最後まで槍を握って戦った!」


「その兄上が、敵に討たれたからといって、遺体まで辱められることを望むと思うか!」


時忠の言葉に陣幕内は静まり返る。


時忠は腰を下ろした。里見義堯は家臣に


「通せ。敵であろうと、今は客だ」


やがて陣幕が開くと、入ってきたのは二人。


土方歳三、そして沖田総司。


その後ろには、白布を掛けられた遺体を運ぶ兵たちが続いている。


土方と沖田は陣の中央まで進むと、静かに頭を下げた。


「北条家の使者、土方歳三」


「同じく、沖田総司」


里見義堯は立ち上がった。


そして二人に向かって、深々と礼をした。


「里見義堯だ」


「正木時茂の遺体を、丁重に返してくれたこと、礼を申す」


土方が頭を下げる。


「戦場で討ち取った敵であろうとも、武人として扱うべきだと、北条綱成様がお決めになりました」


「そうか」


里見義堯は白布へ視線を向ける。


その隣で、正木時忠がじっと沖田を見ていた。


やがて口を開く。


「沖田総司」


「はい」


「兄上を討ったのは、お前だな」


「はい」


沖田は正直に答えた。


時忠の目に、一瞬だけ鋭い光が走る。


だが、刀には手をかけない。


「貴殿に聞きたい。兄上は……最後、どう戦った?」


沖田は少しだけ黙った。


そして、静かに答える。


「強い方でした」


時忠は黙っている。


「僕が近づいた時も、正木様はまったく怯みませんでした」


「僕は刀でしたが、正木様は槍」


沖田は自分の腰の刀へ目を落とした。


「槍の方が間合いでは有利です」


「一歩でも間違えれば、僕の方が先に突かれていました」


「それでも――」


沖田の目が、わずかに細くなる。


「正木様は、最後まで攻めてきました」


「何度も槍が来ました」


「僕も避けて、斬り込んで……」


「何度も互いに間合いを取り直しました」


時忠が尋ねる。


「怖くなかったか」


沖田は少し考えた。


「怖かったですよ」


その答えに、時忠がわずかに目を見開く。


「でも、僕も負けるつもりはありませんでした」


沖田は続ける。


「昔、槍を使う仲間がいました」


「原田左之助という男です」


「槍の扱いが上手くて……」


「僕は、あの人と何度も稽古をしました」


沖田の口元に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。


「だから、正木様の槍にも、なんとか対応できました」


そして、その笑みが消える。


「最後は、僕の刀が届きました」


時忠は黙って沖田を見つめた。


「兄上は……何か言ったか?」


「いえ」


沖田は首を横に振る。


「最後まで、戦う目をしていました」


「僕を睨んでいたというより――」


少し考えてから、沖田は言った。


「最後まで、戦場を見ていたように思います」


時忠は目を閉じた。


長い沈黙。やがて、低い声が漏れる。


「……兄上らしい」


義堯も目を伏せた。


そして、義堯は二人を見る。


「土方」


「はい」


「お前は二百の兵を率い、時茂を孤立させる策を成功させた」


土方は答えない。


「そして沖田」


義堯は沖田を見る。


「お前は、時茂を正面から討った」


「見事だった」


土方が頭を下げる。


「恐縮です」


義堯は首を横に振った。


「敵を褒めるのは、好きではない」


「だが、武勇のある者を武勇があると言うことまで、惜しむつもりはない」


「お前たちは強い」


「そのことは認めよう」


その言葉に、時忠も静かに頷いた。


しかし義堯は、しばらく時茂の遺体を見つめたあと、低い声で言った。


「だが、いつの日か」


義堯の目が土方と沖田を捉える。


「正木時茂の仇は、必ず取る」


陣内の空気が張り詰めた。


沖田は黙って義堯を見る。


土方はというと、なぜか少しだけ口元を緩めた。


「それは困りましたな」


義堯が眉を上げる。


「何?」


土方は時茂の遺体へ目を向ける。


「せっかく、こちらから丁寧にお返ししたのです」


「それをまた取り返されるとなると……」


一拍置いて。


「次は何を返せばいいのか、こちらも考えておかなければなりませんな」


一瞬、陣内が凍りついた。


沖田が隣で俯ながら、肩が震えている。


時忠も呆気に取られた。


義堯は土方をじっと見つめ、やがてふっと笑った。


「……なるほど」


「貴様、口も達者な男だ」


土方は肩をすくめる。


「戦場では、口くらい達者でないと生き残れませんから」


沖田がとうとう小さく吹き出した。


「土方さん……」


「何だ」


「今のは、少し面白かったです」


「お前は黙ってろ」


義堯は二人を見ながら笑っていた。


だが、その笑みの奥には、武人としての鋭い眼差しが残っている。


「覚えておこう」


「土方歳三」


「沖田総司」


「そして――」


義堯は静かに時茂の遺体へ視線を戻した。


「正木時茂を討った者たちの名を」


土方は頭を下げると沖田も続く。


敵と味方、戦場では刃を交えた者同士。


それでもこの日だけは――


一人の武将の最期を挟み、互いの武勇を認め合った。


そして正木時茂は、最後まで戦った姿のまま、里見家へと帰っていった。

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