第8話 おかしな距離感
「リアナ嬢、こちらへ」
ガセボに入ったアーノルト殿下が長椅子にハンカチを敷いた。リアナ様に向かって座るように促すと、リアナ様は軽く会釈をしてハンカチの上に座った。そしてアーノルト殿下は間髪入れずにその隣に腰かける。
(そこはスピード感要らないですよ、殿下……)
アーノルト殿下の恋愛に対するペースは、どこか独特だ。まあ、兜を被っている時点で相当独特なので仕方ないのだが。
リアナ様のドレスをお尻で踏んでしまうのではないかという程に二人の距離が近すぎて、リアナ様は殿下の方を見て顔を赤らめた。
「あの、殿下……」
「どうしました、リアナ嬢」
「少し近過ぎませんでしょうか」
「そうでしょうか。剣術の訓練では、いかに相手との間合いを詰めるかというのは非常に重要な要素です。しかもスピードも必要だ。相手がこちらを認識する前に、敵の間合いに入るのです。ポイントは……」
おかしな説明を始めた殿下に、ガイゼル様は「その話はやめましょう!」とイライラした様子で突っ込みを入れた。
そのまま殿下の向かい側にドスンと座ったガイゼル様につられて、私もその横に腰かける。すると、「お前がおかしなことを教えるからだ」と言わんばかりにガイゼル様は私の腕を密かにつねった。
「痛ぁっ……!」
つねられた痛みで飛び上がった私に、リアナ様のブリザードのような冷たい視線が注がれた。
「どうした? ディア」
「ああっと……申し訳ありません、殿下。ちょっと小さな虫がいたものですから。刺されちゃったのかなあ、痛いです。ね、ガイゼル様」
私はガイゼル様を軽く睨みつけると、もう一度長椅子に座った。
「そうか、虫か。リアナ嬢も虫には気を付けて。何かあったら私に言ってください」
リアナ様が後ろに仰け反る程に顔を近付けた殿下は、そのままリアナ様の手を取った。
(あっ……)
いつの間にか殿下は、リアナ様としっかり恋人つなぎをしている。
頭から湯気が出そうなほど赤くなって縮こまったリアナ様の横で、まるで鬼の首を取ったような得意気な表情のアーノルト殿下。彼はそのまま私の方に視線を移し、軽くウィンクをした。
(いや、そんな「どや!」みたいなウィンクいりませんよ……)
何はともあれ、まずは第一関門である恋人つなぎができたのだから良し……としておこう。
それにしても、突然至近距離に座ったり、二人きりの時にはエスコートすらしないくせに、突然恋人つなぎで迫ったり。
殿下はやっぱり女性関係には疎いようだ。リアナ様がまんざらでもなさそうな反応をしていることが唯一の救いである。
「殿下、申し訳ありません。少し痛いのですが」
恋人つなぎに照れて耐え切れなくなった様子のリアナ様は、喉の奥から小さく声を絞り出す。
「あ、すまなかった。少し力を緩めよう」
「いえ、申し訳ありません」
リアナ様は目を潤ませて下を向いている。
この反応を見ていると、大分脈ありのように見える。
初恋同士カップルの、甘酸っぱい手つなぎシーン。
贅沢を言えば、私たちの見ていない場所でやって欲しかった。
今日の目標を達成して得意気なアーノルト殿下に、リアナ様は恐る恐る尋ねた。
「アーノルト殿下。一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんでも聞いてくれ」
「……先ほどから聞きそびれていたのですが、なぜ兜を被っていらっしゃるのですか?」
四人の間に、しばしの沈黙が流れる。
「リアナ嬢……怖がらせてしまい申し訳なかった。少し事情があってね」
「そうですか。詳しく教えて下さいと無理は申しませんが、雨に濡れていらっしゃいますので、兜が」
「……そうか。今兜を脱ぐよ。少し失礼」
殿下はリアナ様と繋いでいた手を放すと、両手を兜に当ててぐっと持ち上げる。
持ち上げた兜の中から現れたのは、細くてサラサラした美しいブロンドヘア。乱れた髪を整えるように首を少し左右に振ったあと、殿下は兜をテーブルに置いて顔を上げた。
(綺麗……)
これまでは兜に隠されていたので、殿下の顔の中心あたりしか見たことがなかった。兜を脱いで髪の毛や顔全体を見るのは、これが初めてだ。
「……ディア? どうした?」
ボーっと口を開けたまま固まっていた私に、殿下が心配そうに声をかける。
「何でも……ありません……」
「ああ、ディアは私が兜を取ったところを初めて見たんだったね。こんな顔の男だ。これからもよろしく」
「あっ……はい」
いつの間にか雨は上がっていた。
雲の間から差した夕日を反射して、殿下の金の髪がキラキラと輝いた。