別章 これは所詮前哨戦
明道と魔王の間に下り立ったインジャオ。
明道が気絶した事を見届けるが、骸骨であるインジャオに表情があれば、笑みを浮かべていただろう。
いや、心の中では笑みを浮かべている。
――よく耐えた、と。
明道を主に鍛えているのはインジャオである。
インジャオが師匠で、明道が弟子のようなモノ。
その弟子の成長を感じて、喜んだのだ。
そこに、軍事国ネス軍の騎士と兵士たちが現れる。
明道と魔王の戦闘を見かけて、偵察のために来たのだ。
インジャオは丁度良いと思った。
「アキミチは無事だが気を失っている。アキミチを連れて離れろ。そして、必ず守れ。アキミチはこの世界の希望だ」
本来なら、インジャオの言葉に疑いを持っていてもおかしくはない。
だが、ここに来た騎士と兵士たちは、アキミチと共に裏ギルド退治を行った者たちであったため、疑う事なくインジャオの言葉に頷きを返して、明道を連れて離れていく。
そして、インジャオの心の中の笑みは直ぐに消えた。
空中で投げて地面に突き刺さっている大剣を抜き、その切っ先と視線を魔王に向ける。
「まさか見逃してもらえるとは思っていませんでしたよ」
「見逃した訳じゃないさ。ここに居る全員を皆殺しにすれば同じでしょ」
「それが出来るとでも?」
インジャオは、大剣を持つ手に力を込める。
「出来るに決まっているでしょ。僕をなんだと思っているの?」
「魔王」
「……へぇ~、僕が魔王だって知っているんだ」
「えぇ、漸く会えたのですから、見間違う訳ありません」
「ふ~ん……漸くって事は、どこかで会ったんだ?」
「えぇ。会った時とは、自分は見た目が随分と変わってしまいましたが」
インジャオの言葉を受けて、魔王は思い出そうと試みる。
「……う~ん。大抵直ぐプチッとしてしまうから、わからないな。それよりも、僕はあっちの方が気になるな」
魔王が指し示すのは、明道ではなく、空を舞っているモノの方だった。
それは、黒い竜。
まるで、ここだと場所を示すように、空を旋回している。
「神の解放だけじゃなく、竜まで味方に付けたかい? その辺りにもさっきの彼が関わっていそうだけど、どうなの? 詳しく知りたいな」
魔王が言う彼が、明道の事を指しているのは、インジャオも直ぐにわかった。
何かを言う前に、魔王の雰囲気が一気に変わる。
明道と相対していた時は、ただじゃれついていた程度。
だが、今は違う。
明らかに、本気になり始めていて、発せられる雰囲気が先ほどまでとは違う。
ただ見ているだけで、殺意を感じさせるほどだ。
けれど、インジャオは臆さない。
何故なら、今、この瞬間を待ち望んでいたのだから。
大剣を構えたインジャオに向けて、魔王が手のひらをかざす。
インジャオは、魔王が何をするのかわかっていた。
「『体を燃やし尽くす 心を燃やし尽くす 魂を燃やし尽くす 噴炎』」
インジャオの足元に魔法陣が出現し、空にまで届くような火柱が立ち昇って内部を燃やす。
残ったのは、大剣を構えたままの無傷のインジャオ。
「自分にその魔法はもう効かない」
魔王は少しだけ驚き、直ぐに笑みを浮かべる。
「へぇ。無事なのは驚きだけど、僕としては、まるでこの魔法が発動するとわかっていたかのように動かなかった事が気になる。おかしいな。この魔法を食らわしたヤツは、皆死んだはずだけど……いや、待てよ」
そこで魔王は、何かを思い出す。
「そういえば、だいぶ前に燃やしたけど、炭化しても生きていたヤツが居たな。てっきり死んだかと思っていたけど……」
「えぇ、生き残ったのです。あなたを屠り、もう一人の魔王も倒し、ロザミリアナ様を救い出すまでは、死ぬ訳にはいきません」
インジャオの言葉に、魔王は耐え切れないとでもいうように笑い出す。
「は、ははは! そうかそうか。生き残ったのか。いや、凄いね。素直に称賛してあげる。それで、僕たちを倒すために強くなった訳か。なるほど。あいつが言っていたのは、こういう事か。確かに面白いかもしれない」
愉快そうにしながらも、魔王は再び手のひらをインジャオに向ける。
「尋常ではない執着を見せる相手を殺すというのも」
魔王が言葉と同時に魔力を手に集中させていく。
「『焼き刺し 焼き突き 焼き尽くす 炎槍』」
魔王が魔法で形作られた、炎の槍を持つ。
ブンブンと具合を確かめるように何度か振り、構える。
「プチッと燃やし殺してあげる」
「もうあなたの炎で、自分を燃やす事は出来ません」
両者共に前へ。
武器のリーチの差で、先に攻撃したのは魔王。炎槍の刺突を繰り出す。
インジャオは大剣の剣身部分で受け流すように回避。
そのまま炎槍の側面に大剣を滑らせながら前に進み、魔王に接近すれば大剣を薙ぎ払う。
だが、魔王はその動きを見切っていたかのようにその場で飛んで回避。
空中で横に一回転して体勢を元に戻すと、お返しとばかりに炎槍を薙ぎ払うように振るう。
インジャオは大剣を振り切った体勢であったために状況は悪い。
しかし、背面飛びのように跳躍して回避する。
そのあと、両者共に攻撃するが回避される、という状況が続いたかと思えば、互いに回避をやめて大剣と炎槍をバチバチぶつけ合い始めた。
どちらも退く気はないのが見てわかる。
けれど、次第に差がつき出す。
天秤が傾いたのは、インジャオの方。
インジャオの振るう大剣の速度が上がっていき、威力も増していく。
段々と、魔王は防戦一方になっていった。
「……分が悪いかな」
このまま足をとめてやり合うように見えた攻防は、そんな事は知らないとばかりに、魔王が後方に跳んで終わる。
だが、魔王に焦った様子は一切見られない。
そこに、一気に距離を詰めたインジャオの武技が追随する。
「『星が降り注ぎ 夜空に描かれるが如く その軌跡は遺る 武技・流星斬り』」
魔王に向かって振り下ろされる大剣。
大地をも斬り裂く武技であったが、魔王は魔力を集中させた片手で受け止める。
「そう焦らないでよ」
魔王が受け止めた大剣ごとインジャオを放り投げる。
インジャオは空中で一回転してから着地。
そこに、魔王からの追撃はなかった。
魔王は不敵に笑みを浮かべるだけ。
「なるほど。武器の扱いに関してだけは、そっちの方が上かもね。でも、それは仕方ないと思わない? だって僕は、どちらかといえば魔法の方が得意なんだからさ」
そう言って、魔王は炎槍を消す。
インジャオは魔法を放ってくると警戒を強めるが、魔王は何もしてこない。
「でも、やめやめ。侵攻は失敗したけど、まぁ、それも良いや。もっと面白い事がわかったし」
魔王の視線が自分に向けられていない事に気付くインジャオ。
ちらりと後方を確認すれば、既に平原での戦いは終息に向かっていた。
軍事国ネス軍側に現れた援軍によって、勝敗は決しようとしている。
魔王が言ったように、大魔王軍の敗北という形で。
「あいつの考えを賛同するみたいで嫌だけど、確かに待っていた方が、もっと強くなってから殺した方が面白くなりそうだ。どうせ、僕たちの下に来るんだろう?」
「えぇ、必ず向かいます」
「だったら、それを待ってみようかな」
魔王は笑みを浮かべ、後方にある森に向けて下がっていく。
インジャオは追わない。
先ほどまでのやり取りで、このままやり合ったとしても勝てる確率はそう高くないと判断したからだ。
なんらかの隠し玉や切り札を持っているかもしれない。
その一つが、現状、大魔王と魔王だけが張れる、この世界の者では手出し出来ない結界だろう。
結界を張られた時に手出し出来る手段を得ない限り、勝利を得る事は出来ないのだから。
それに、たとえ結界を使われなかったとしても、このまま戦い続けた場合の周囲の被害がどうなるかわからない。
魔王の方は周囲に及ぼす影響など考えないだろう。
それに、アキミチはアドルたちにとって、世界にとっても大きなウェイトを占め始めている。
今はアキミチが無事な事を優先するべきだと判断したのだ。
――この魔王とは再びやり合う機会が訪れる。
その確信を持って。
それは魔王も持っているのかもしれない。
インジャオに向けて、不意に魔王が尋ねる。
「キミ、名は?」
「……は?」
「あぁ、こういうのは自分から名乗るモノなんだっけ? 『ヘルアト・ディダーク』。僕はそう名乗っている」
「……インジャオ」
「そう。インジャオね。うん。覚えた。出来れば、気を失った方の名も知りたいけど」
「教えるとでも?」
「まっ、当然か。でも、どうせ僕たちの下に来るだろうし、その時で良いか」
魔王は一人納得する。
「それじゃあ、インジャオ。待っているよ。僕に殺されにおいで」
そう言って、魔王――ヘルアトは、森の中に消えていった。
インジャオは、大剣を大地に突き立て、大きく息を吐くような仕草を見せた。




