10. だが、私は諦めない
季節は巡り、雪解けを経て城の庭に色とりどりの花が咲き始めた頃だった。
「今度、建国のパーティーがあるだろう?」
シャルル様はニコラスが毒味をするのを見ながら、そう切り出した。
ひと月後に開かれるアルバニル建国のパーティー。
わたくしも出席するけれど特にすることはない。ドレスはシャルル様が用意してくださるという話だから。というか、用意させてくれ、と懇願された。
自分が贈ったなど絶対に言わないからどうか用意させて欲しい、と。
そのパーティーがどうしたというのだろう。
「ええ、どうかされましたか? もしやドレスが間に合いませんか? 適当でよろしいですよ。それとも準備が間に合いませんか? わたくしにお手伝いできることでしたらしますが……」
「いや、そうではない。ドレスももう仕上がっている。の、だが……」
シャルル様は言いにくそうに視線を彷徨わせる。ニコラスが呆れたようにため息をついた。
「シャルル様、早く言ってしまいなさい。そう心配なさらなくともリズ様はお怒りになりませんよ」
「う……そう、かもしれないが……」
胃の辺りを押さえるシャルル様は、絞り出したような声でニコラスに答えた。
ニコラスの毒味が終わった頃、ようやくシャルル様は顔を上げてわたくしを見た。
「あなたに謝らなければならないことがあるのだ」
「何でしょう?」
「……あなたのご家族がパーティーに出席される」
息を呑んだ。まさかそのようなことになっているとは。シャルル様はわたくしの顔を見て、そっと視線を落とした。
自分がどんな顔をしているのか。多分ものすごく驚いている。
「ちょっとした手違いがあったんだ。あなたを慕う文官が事情を知らずによかれと思ってやったことで、招待状を出す前に気が付けば良かったのだが……すまない」
「いえ、少し驚きましたが問題ありません。謝らないでください」
あまり会いたくはないけれど顔を合わせたからと言って問題はない。わたくしは悪いことは何もしていない。そもそもはじめに出て行けと言ったのはお父様だもの。
しかしシャルル様はまだ顔を上げなかった。
「……あなたの元婚約者も来る。こっちは父親である公爵に代わって出席するという返事があった」
あなたに会おうとしているとしか思えない、とシャルル様は少し不満そうに言った。
前に一度書状が届いたセドリック様。シャルル様のおっしゃる通り返事を出さなかったのでもしかしたら怒っているかもしれない。
それから、とシャルル様は続けた。
「まだあるのですか?」
「……まだある。しかも一番謝らなければならないのが。怒らないで聞いてもらえると嬉しいが、怒ってもらっても構わない。私は自分が最低なことをしたという自覚があるからな」
「怒るつもりはありませんが……」
わたくしの雇い主はシャルル様。生活の全てを助けてもらっているこの状況で、わたくしは何をされても文句の一つも言う権利はない。
「実は、あなたの父上や元婚約者から何度か書状が来ていたのだ」
視線を下げたまま、申し訳なさそうにシャルル様は言った。
「元婚約者の書状の内容は以前のものと大差ない。父上の書状も似たようなもので、あなたの妹が財を食い潰すのでいくらか助けて欲しい、というものだった」
早口で言うシャルル様。はぁ、とため息に似た声がわたくしの口から漏れた。
「あなたの目に入る前に私が読み、焼いた。一度や二度ではない。本当にすまない」
座ったまま、神妙な面持ちで深々と頭を下げられてハッとした。
「大丈夫ですので頭を上げてください。いつまで経っても書状が来ないことが不思議ではありましたが……そうですか、やはり来ていたのですね」
「驚かないのか?」
「ええ、以前も申したでしょう? こうなることは分かっておりました」
家を出たあの日から。
その時、コホン、と咳払いが聞こえた。
「毒は入っておりません。安心してお召し上がりください」
ニコラスだった。
「あ、ああ、すまない。食べながら話そう」
シャルル様がハッとした様子で食事を勧めてくれる。侍女はわたくしの皿に料理を取り分け、部屋を出て行った。
「わたくしが家にいる時は、わたくしが家財の管理をしておりました」
そう切り出すとシャルル様は眉をひそめて私を見た。
「家財の管理は侯爵がするのではないのか?」
「一般的にはそうですが、お父様はその方面のことが苦手なようで。わたくしの前にはお母様がされておりました」
そうか、とシャルル様はまだ納得のいかない顔で頷いた。
硬いパンを噛み締める。この顔に火傷を負ったあの日からもうそろそろ季節が一巡りする。この国へ来た時よりも痛みは減り、違和感にも慣れた。あの時と比べると食べるのも速くなった。
飲み込んで再び口を開く。
「わたくしが厳しく管理していたことがキャシーは気に入らない様子でしたので、わたくしがいなくなったことでこれ幸いとばかりに湯水の如く使ったのでしょう。あの子はお金が無限に湧いて出るものだと思っているのです」
シャルル様は何か言おうと口を開いたが、言葉が何も出ないようで視線を少し彷徨わせた後、何も言わないまま閉じた。
笑いがこぼれそうになり、緩みかけた表情を引き締める。
「恐らく今頃は家人は減り、親交のあった他の貴族からも愛想を尽かされた頃でしょう。お父様には身分しかありませんから。もう少し人望があったらよかったのですが……」
「……そこまで言うということは、あなたはよほど父上に対して怒っているのだな」
シャルル様は苦々しい表情で硬いパンを噛みちぎる。テーブルマナーに一切気を使わないその様は、上手く食事ができないわたくしにとってはすごくありがたかった。
とは言っても、初めて一緒に食事をした時はとても洗練された所作だったので、わたくしの為に敢えてやってくれていることだと分かる。
「いいえ、怒ってなどいません。事実を客観的に見たまでです」
娘であること、父であること。それを廃して見ただけ。お父様を知る人は誰だって同じように思うだろう。
「我が家……オースティン侯爵家はお母様とわたくしが支えていたと言っても過言ではありません。だと言うのに……」
そう口にしてハッとした。今の言葉は傲慢だった。慌てて口を噤み、スープを飲む。シャルル様は、そのようだな、と笑い混じりの声で言った。
「聞いたことがなかったが、あなたの母上はどのような方なのだ? あの時あの場にいなかったな」
「お母様は……厳しい方でした。礼儀作法も勉学も手を抜くことを許してくださらず、自らわたくしの教育を行うような方で……」
幼いわたくしはお母様が怖かった。厳しい目も声も言葉も。そしてその厳しさがわたくしだけに向いていることが何よりも怖かった。
わたくしが机についている時、窓の外から聞こえるキャシーの楽しそうな笑い声に涙が出たこともあった。
だけど、
「すごく不器用な方なんです。笑顔や言葉で愛を表現することのできない、不器用な方。お母様だけがわたくしを愛してくれていました」
あの厳しさは全てわたくしの為。わたくしが貴族の社会で生きていけるように。セドリック様へ、公爵家へ嫁ぐわたくしが恥をかかないように。
「ならば何故家を出るあなたを止めなかった? 普通なら神殿へ入る娘を放っておくなどしないだろう」
「お母様は侯爵夫人ですから。侯爵であるお父様に否を唱えることはありません」
シャルル様は苦虫を噛み潰したような顔でわたくしを見る。
「……あなたのお母上だな」
「ええ。わたくしのお母様です。恐らく今はすごくお怒りです。そうでなければオースティン侯爵家が財を失うなどあり得ません」
全てを見越していた。わたくしも、お母様も。オースティン侯爵家がこのまま破滅しようと一向に構わない。きっとお母様はその先のこともちゃんと考えているだろうから。
「……あなたのお母上も有能なのだろうな。オースティン侯爵家が没落した暁には、お母上をぜひ我が国へ迎え入れたい」
その言い方ではシャルル様はうちの没落を心待ちにしているようだ。
思わず笑ってしまい、口元を手で隠した。シャルル様はそんなわたくしを見て、柔らかな笑みを浮かべる。
「あなたがこの国へ来てもう随分と経つ。まだ心は変わらないか?」
ーー私は私の力であなたの心を変えてみせる。私から離れたくないと思わせてみせる。覚悟しておけよ。
あの宣言の後から、シャルル様は仕事や食事の時以外にもわたくしと一緒にいることが増えた。
国の観光地へ連れて行ってくれたり、変わった食事を食べに行ったり、様々なものを贈ってくれたり。ニコラスがほどほどに、と苦笑するほどわたくしと同じ時間を過ごしてくれる。
ーー心など、変わるどころか深まっていくばかり。
水で口の中を湿らせる。
「わたくしはシャルル様の臣下です」
口元に笑みを作った。歪んだ笑みだとしても、心が映るよりはまし。
そうか、とシャルル様は少し眉を下げて笑んだ。
「だが、私は諦めない」
強い声。
「諦めてください」
そう笑うと、シャルル様も、私は頑固なのだ、と笑った。
「それからな、リズ。あなたはもっと笑ったほうがいい。引き攣る頬など気にするな」
からりとした声音で言われたそれに、ズキリと胸が痛んだ。視線が自然と下へ向く。
気にするなと言われて気にせずにいられるならわたくしも苦労はしていない。
「美人すぎて近寄りがたい、と方々で噂になっている。私が言ってはいけないことは重々承知だが言わせてもらうと、私はその火傷の痕に感謝している」
続いた言葉に顔を上げた。シャルル様の明るい笑顔が見えた。
「そうでなければあなたは美しすぎて声をかけることもできなかっただろう。事実、あなたがいつもその痕を隠しているせいであなたに惚れる者たちが続出している。あなたはもっとそれを見せびらかして欲しい。そうでなければライバルが増えるばかりだ」
最近男性によく話しかけられるな、とは思っていた。だけど、まさかそんな理由だったなんて。
ポカンとしていると、シャルル様の後ろでニコラスが、コホン、と咳払いをした。
「シャルル様、今のは少々デリカシーに欠けるかと。そのようにまわりくどく言わずとも、リズ様の笑顔が見られなくて辛いのだ、とはっきりおっしゃったらどうですか? 毎日毎日部屋で落ち込んでられるのですから」
「お、おい、ニコラス……! 主人の恥を勝手に晒すな」
慌てた様子のシャルル様に、ニコラスは涼しげな顔で答える。
「失礼しました。主人が誤解されるよりはよろしいかと思いまして」
そんな二人のやり取りに思わず、ふふ、と笑みがこぼれた。




