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第一話 「最初の言葉」

お試し1話


扉が叩かれた。


こん、こん。


いつもと同じ音だった。


「お食事です」


扉の向こうから、従者の声が聞こえる。


エリーゼは椅子に座ったまま、静かに返事をした。


「どうぞ」


扉が開く。


運ばれてきたのは、いつもと同じ食事だった。


硬いパン。


冷めたスープ。


それから、切れ端の肉が少し。


次女の食卓から下げられた後の余り物。


皿は欠けていて、銀の盆にも小さな傷がある。


何も変わらない。


昨日も。

一昨日も。

その前も。


この部屋も。

この食事も。

この世界も。


何も変わらない。


けれど。


今のエリーゼには、一つだけ違うものがあった。


机の引き出しの奥に隠した、一冊の本。


表紙の文字は読めない。


この国の文字ではなかった。


けれど不思議なことに、

その本を開くと、内容だけはすっと頭の中へ入ってくる。


マンデラ効果。


ピグマリオン効果。


アンダーマイニング効果。


知らない言葉。


聞いたこともない概念。


けれど意味だけは分かる。


まるで、言葉のほうからエリーゼの中へ入り込んでくるみたいに。


従者は無言で皿を置くと、

いつものようにすぐ部屋を出ようとした。


その背中を見て、

エリーゼは小さく息を吸う。


半信半疑だった。


本当にこんなもので何かが変わるのか。


分からない。


でも。


変わらないままよりは、ずっとましだった。


「ありがとう」


従者の足が止まった。


ゆっくりと振り返る。


「……はい?」


エリーゼは自分の声が震えていないことを確認してから、

もう一度言った。


「いつも、食事を運んでくれてありがとう」


従者は困惑した顔をした。


当然だ。


今までエリーゼは、

食事を運んでくる者に礼など言ったことがなかった。


言えなかった、のほうが正しい。


彼女達はエリーゼを見ない。


見るとしても、

“そこに置かれた厄介なもの”を見るような目をする。


妾の子。


王の過ち。


外へ出してはいけない姫。


それが、この部屋にいるエリーゼの名前だった。


でも。


本にはこう書かれていた。


人は期待された姿へ、少しずつ近付こうとすることがある。


エリーゼは、

従者の顔を真っ直ぐ見た。


「あなたは、いつも丁寧に置いてくれるのね」


従者の眉がわずかに動く。


「……いえ。仕事ですので」


「それでも、雑に置かれたことはないわ」


本当は、

何度か乱暴に置かれたこともある。


けれど今は、それを言わない。


エリーゼは、

自分が欲しい未来のほうを言葉にした。


「あなたは、きっと丁寧な人なのね」


従者は何か言い返そうとして、

口を閉じた。


それから視線を少し逸らす。


「……失礼いたします」


声はいつもより小さかった。


従者は部屋を出ていく。


扉が閉まる。


静寂が戻った。


エリーゼはしばらく、

閉じた扉を見つめていた。


何も変わっていない。


部屋も。


食事も。


自分の立場も。


けれど。


皿の位置が、いつもより少しだけ真っ直ぐだった気がした。


エリーゼは机の引き出しへ手を伸ばす。


そこには、

あの不思議な本が隠されている。


まだ分からない。


これが本当に武器になるのか。


けれど。


たった一言で、

従者の足は止まった。


たった一言で、

視線がこちらを向いた。


ならば。


言葉は、

少しだけ世界を動かせるのかもしれない。


エリーゼは冷めたスープを口へ運ぶ。


味は、いつもと同じだった。


けれど今日は、

ほんの少しだけ温かい気がした。

今回エリーゼが使ったのは、

「ピグマリオン効果」に近い考え方です。


人は、

「あなたはこういう人ですね」

と期待されると、

少しずつそのイメージへ寄っていくことがあります。


もちろん現実では、

これだけで全てうまくいくわけではありません。


でも、

言葉や期待が人へ与える影響は、

意外と大きかったりします。

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