第3話 辺境伯との契約結婚
「……寒い」
思わず本音が漏れた。
通された辺境伯城の執務室は、外気と変わらないほど冷え切っていた。
石造りの壁は熱を奪い、窓枠の隙間からはヒューヒューと寒風が侵入している。暖炉には申し訳程度の薪がくべられているが、煙突の吸気効率が悪く、熱がほとんど室内に回っていない。
「すまない。薪の備蓄もギリギリでな」
ジルベール様は眉間のシワを深くし、インクが凍りかけたペンを握りしめていた。
彼の指先は赤くかじかんでいる。
恐ろしい光景だ。この国の北の守護神が、室内で凍死しかけているなんて。
「単刀直入に聞こう。アメリア・ローズバーグ」
彼は書類から顔を上げ、あのアイスブルーの瞳で私を射抜いた。
「貴様のその力……あれだけの規模の土木魔法、代償は何だ? 魔力を吸う魔道具か? それとも寿命を削っているのか?」
「へ?」
私はきょとんとした。
「いえ、素手ですけど。強いて言えば『前世の知識』と『土への愛』でしょうか」
「……愛?」
「はい。構造的に美しいものは、魔法効率もいいんです」
私が即答すると、ジルベール様は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
理解不能、という顔だ。無理もない。王都の魔導師たちは「詠唱」と「杖」がないと魔法を使えないから。
「はぁ……まあいい。貴様が規格外なのは理解した」
彼は重々しく口を開いた。
「だが、貴様をここで雇うことはできん」
「えっ!? なぜですか! 城門を直したじゃありませんか!」
私は食い下がった。
ここを追い出されたら、工事(楽しみ)がなくなってしまう!
「金だ」
ジルベール様は短く言い捨て、机の上の帳簿を指差した。
「見ての通り、ウチの財政は火の車だ。防衛費で手一杯で、新たな人員を雇う余裕はない。貴様のような高位の魔法使いに払える給金など、金貨一枚たりともないのだ」
彼の表情には、悔しさと無力感が滲んでいた。
ああ、なるほど。
この人は、領民や部下にはちゃんとお金を払いたい、ホワイトな雇用主なのだ。搾取することしか頭にない王都の貴族とは大違いだ。
(……ますます気に入りました)
私はニヤリと笑った。
「閣下。私、お金なんて一言も欲しいと言っていませんよ?」
「何?」
「王都を追放された身です。今さら贅沢をするつもりはありません。私が欲しいのは――」
私は一歩前に出て、彼の机に両手をついた。
ドン! と身を乗り出す。
「『衣食住』と『工事の全権限』。それだけで結構です」
ジルベール様が目を丸くする。
「……正気か? タダ働きをするというのか?」
「タダじゃありません。『私の好きなように領地を改造させてくれる権利』をください。それが私にとっての最高の報酬です」
「改造……?」
「はい。この寒くて不便な城も、泥だらけの街も、すべて私が快適な楽園に変えてみせます。もちろん、材料費も私が現地調達(土魔法)しますからゼロです」
怪しい勧誘のように聞こえるかもしれない。
でも、本心だ。私はただ、思う存分地面を固めたいだけなのだ。
ジルベール様は長い沈黙の後、じっと私を見つめた。
私の瞳に嘘がないか、値踏みするように。
やがて、彼はふっと息を吐き、自嘲気味に笑った。
「変な女だ。……だが、その申し出、断るには俺たちは追い詰められすぎている」
彼は立ち上がり、私の前に立った。
見上げるほどの巨躯。威圧感があるはずなのに、不思議と怖くない。
「わかった。アメリア、貴様の力を借りよう。……だが、一つ問題がある」
「何でしょう?」
「貴様は『王族への不敬』で追放された身だ。公式に雇用すれば、王都の連中が『罪人を匿った』と難癖をつけてくる可能性がある」
あ、確かに。
忘れていた。私はお尋ね者一歩手前だった。
「どうすれば……?」
「抜け道はある」
ジルベール様は真剣な顔で、とんでもないことを言った。
「俺の『婚約者』になれ」
「――はい?」
「ヴァルシュタイン家の家訓には『当主の伴侶となる者は、過去の一切を不問とする』という条文がある。貴様が俺の婚約者という立場になれば、王家といえども容易には手を出せん」
「な、なるほど……?」
法的ガードのための偽装婚約。
合理的だ。実に合理的だ。
「もちろん、形式上のものだ。貴様の貞操を奪うつもりはないし、時期が来れば解消しても構わん。……どうだ?」
彼は少し不安そうに私を見た。
「こんな強面と婚約なんて嫌だろうが」という自虐が見え隠れする。
私は即答した。
「喜んで! 契約成立ですね、旦那様!」
「だ、旦那様はやめろ……」
ジルベール様がわずかに頬を染めて顔を背ける。
可愛いところがあるじゃないか。
「では、契約ついでに早速仕事を始めますね。手始めに……」
私は寒さに震える彼の足元を指差した。
「この冷凍庫みたいな部屋を、人間が住める環境にします」
私は跪き、床に両手を当てた。
(対象、執務室床全面)
(構造解析……石板の下は土。よし、いける)
イメージするのは、前世の韓国出張で体験した「オンドル」と、最新の床暖房システム。
床下に空洞を作り、そこに熱伝導率の高い密度の土パイプを張り巡らせる。
「『床下配管生成』!」
ゴゴゴ……と床下で土が動く音がする。
ジルベール様が「またか」という顔で警戒するが、今度は破壊音ではない。
「そして熱源は……これですね」
私はポケットから、先ほど城門の瓦礫から拾っておいた小さな「魔石」の欠片を取り出した。
微弱な火属性の魔石だ。これを魔法陣で増幅させ、パイプ内の空気を循環させる。
「『熱循環』、起動!」
カッ、と床下が微かに光り、すぐに消えた。
「……? 何をしたんだ?」
ジルベール様が怪訝そうに聞いた直後だった。
「……む?」
彼は足元を見た。
軍用ブーツの底から、じわじわと温かいものが伝わってきたのだ。
冷え切っていた石の床が、まるで陽だまりのようにポカポカとし始めている。
「足元が……温かい? 火を使っていないのに?」
「床の下に温風を流しています。頭寒足熱。作業効率も上がりますよ」
効果は劇的だった。
底冷えしていた部屋の空気が、下からふわりと暖められていく。
かじかんでいたジルベール様の指先に、血色が戻ってくる。
「これが……貴様の魔法か」
彼はブーツを脱ぐのも忘れ、その場に立ち尽くしていた。
そして、ゆっくりと椅子に座り直し、床に足をつけ――
「…………ああ」
深い、深い溜息を漏らした。
それは今まで張り詰めていた緊張が、熱と共に溶け出すような音だった。
いつも強張っていた眉間のシワが消え、凶悪に見えた目つきが、とろんと和らいでいく。
「温かい……。冬に、室内で凍えなくて済むなど……いつぶりだ……」
彼は机に突っ伏しそうなほどリラックスしている。
まるでコタツに入った猫だ。
(か、可愛い……!)
北の守護神、床暖房に陥落。
私はガッツポーズをした。
「気に入っていただけましたか?」
「……ああ。最高だ」
ジルベール様は、夢見心地のまま私を見上げた。
「アメリア。貴様は……いや、君は、俺にとっての女神かもしれん」
「ただの土木屋です」
「いや、女神だ。……頼む、この床から離れないでくれ」
「離れませんよ。まだ断熱リフォームが終わっていませんから」
私は微笑んだ。
契約成立。
これで私は、堂々とこの領地をいじり回せる。
彼が私の技術に依存し始めたように、私もまた、彼に依存してもらう計画が、順調に滑り出したのだった。




