第2話 初仕事は「街道整備」
「答えろ! 貴様、何者だ!」
怒号が鼓膜を震わせた。
目の前に立ちはだかるのは、黒い軍服に熊の毛皮をまとった巨漢――ヴァルシュタイン辺境伯、ジルベール様だ。
噂通りの強面だ。
鋭い眼光は氷のように冷たく、右頬の古傷が威圧感を倍増させている。
私の周りには、抜剣した騎士たちがずらりと円陣を組んでいた。切っ先がこちらを向いている。
完全に包囲されていた。
けれど、私の心臓が高鳴っている理由は恐怖ではなかった。
(すごい……! なんて素晴らしい骨格かしら!)
私はジルベール様の肉体をまじまじと観察した。
広い肩幅、分厚い胸板、そして何より、大地に根を張る大木のように安定した下半身。
構造力学的に見て、これほど完璧な「耐震構造」をした人間を見たことがない。彼なら震度七の地震が来ても倒れないだろう。
「……おい。聞いているのか」
無視されたと思ったのか、ジルベール様の眉間のシワが深くなる。
おっと、いけない。挨拶が遅れた。
「申し訳ありません、辺境伯様。あまりに立派な……ええと、体幹でしたので見とれておりました。私はアメリア・ローズバーグ。王命により、本日よりこちらの領地でお世話になる者です」
カーテシーをしようとして、スカートが泥で汚れていることに気づいたが、そのまま優雅に礼をした。
ジルベール様は私の名を反芻し、怪訝そうに目を細める。
「ローズバーグ……? 王都から追放されたという公爵令嬢か? か弱い女が一人で来ると聞いていたが」
彼は私の背後に続く、地平線まで伸びる「灰色の道」を指差した。
「あれは何だ。俺の斥候の報告では、今朝まであの道は腰まで埋まる泥沼だったはずだ。それが、たった数刻で、王都の目抜き通り以上の石畳に変わっている。……貴様の仕業か?」
「はい! 道中の揺れが酷かったものですから、つい」
私は胸を張った。
いい仕事をした自覚がある。褒めてもらえるかもしれない。
しかし、ジルベール様の反応は予想外だった。
「馬鹿げている! 北からは帝国がいつ攻めてくるかわからんのだぞ! こんな平坦で進軍しやすい『滑走路』を作ってどうする! 敵の騎馬隊を歓迎するつもりか!?」
騎士たちの殺気が膨れ上がる。
なるほど、軍事的な観点か。
(言われてみれば、確かに)
私は首を傾げた。
土木屋としての「利便性」しか考えていなかった。
「ですが閣下。道が悪ければ、こちらの補給物資も届きません。物流の遅延は経済死を招きますよ? それに、あの道はただ平らなだけではありません」
「何?」
「敵が来たら、路面を液状化させて足止めできます。スイッチひとつ(私の魔力)で、底なし沼に戻せる仕様にしてありますから」
私がサラリと言うと、ジルベール様は絶句した。
周囲の騎士たちも顔を見合わせている。
「……道を、沼に戻せるだと? そんな魔法、聞いたことがない」
「土魔法の基本ですよ? 構造を変えるだけです」
信じていない様子だ。
まあいい。言葉で説明するより、現物を見せたほうが早い。
「それよりも閣下。あちらの方が緊急性が高いのではありませんか?」
私は視線を背後の「城門」に向けた。
黒い岩で作られた重厚な城壁。一見頑丈そうに見えるが、プロの私の目は誤魔化せない。
「あの主塔の基礎、不同沈下を起こしていますよ」
「……なんだと?」
「右側の地盤が緩んでいて、塔全体がわずかに傾いています。その歪みがアーチ部分にかかって、キーストーン(要石)にクラック(ひび)が入っていますね。……あと震度三くらいの地震が来れば、崩落して跳ね橋を直撃します」
私が指差した先。
城門のアーチの頂点にある石に、髪の毛ほどの細い亀裂が入っていた。
素人目には風化に見えるだろうが、あれは致命的な構造欠陥だ。
「馬鹿な。あの城壁は百年以上、魔物の攻撃に耐えてきた鉄壁だ。傾いているなど……」
ジルベール様が否定しようとした、その時だった。
ズズン……。
微かな地鳴り。
遠くの山で雪崩でも起きたのか、地面がわずかに揺れた。
メリメリッ、パキン!
乾いた音が響く。
私の予言通り、城門の要石から亀裂が一気に走り、拳大の破片がパラパラと落ちてきた。
「危ないっ!」
騎士の一人が叫ぶ。
巨大な石材がバランスを失い、真下にいた門番の頭上へ落ちようとしていた。
間に合わない。
誰もがそう思った瞬間、私は無意識に動いていた。
(間に合わせる!)
右手を突き出す。
魔力を練る時間はない。イメージだけで物理法則をねじ伏せる。
「――『緊急充填』!」
ドォン!!
空気が破裂するような音と共に、地面から太い「土の柱」が槍のように隆起した。
それは落下しかけた巨大な石材を下からガシッと受け止め、支えとなる。
さらに、私は左手を握り込む。
「『結合』!」
崩れかけたアーチの隙間に、周囲の土砂が生き物のように吸い込まれていく。
土砂は瞬時に石化し、強力な接着剤となって亀裂を埋め尽くした。
ものの三秒。
傾いていた主塔は、隆起した新たな柱によって垂直に補正され、ひび割れ一つない新品同様の強固な姿へと変貌していた。
「…………」
沈黙。
風の音だけがヒューヒューと吹き抜ける。
門番は腰を抜かして座り込み、騎士たちは剣を取り落としていた。
ジルベール様に至っては、彫像のように固まって、補修された城門を口を開けて見上げている。
「ふぅ。とりあえず応急処置は完了です」
私はパンパンと手を払った。
やはり現場仕事はいい。机上の空論よりも、コンクリートが固まる手触りの方が生を実感できる。
「あ、勝手にいじって申し訳ありません。請求書は出しませんのでご安心を。……ただ、材料としてその辺の土を少し使わせてもらいました」
恐る恐る振り返ると、ジルベール様がゆっくりとこちらに向き直った。
そのアイスブルーの瞳から、殺気は消えていた。
代わりに浮かんでいるのは、底知れぬ驚愕と、得体の知れない生物を見るような目。
「……貴様、何者だ」
「ですから、アメリアです。趣味は土地開発の元公爵令嬢です」
「これが……土魔法だと? 俺の知っている泥遊びとは次元が違うぞ」
「王都では嫌われていましたけどね。地味で汚いって」
私が自虐的に笑うと、ジルベール様は眉をひそめ、補修されたばかりの完璧な継ぎ目を指先で撫でた。
「……地味? これをか?」
彼は何かを噛み殺すように唸り、それから騎士たちに向かって低い声で命じた。
「剣を収めろ。……彼女は敵ではない」
そして、私に向き直ると、不器用そうに一つ咳払いをした。
「……礼を言う。部下の命と、城門が救われた。アメリア嬢、貴様の入城を許可する」
「ありがとうございます!」
よかった、追い返されなくて。
私はホッと胸を撫で下ろす。
「ただし」
ジルベール様が一歩、私に近づく。
巨大な影が私を覆う。近い。軍服から微かに鉄と革の匂いがした。
「貴様のその力……詳しく話を聞かせてもらう。俺の執務室に来い。……逃げられると思うなよ」
低く囁かれた言葉に、私はコクコクと頷いた。
逃げる? まさか。
城門をくぐる時、ちらりと見えた城下町の惨状――穴だらけの屋根、泥水の流れる側溝、傾いた井戸――を見て、私の土木魂はすでに最高潮に達していたのだから。
(逃げるわけないじゃないですか。こんなに『直しがいのある』現場、前世を含めても初めてですもの!)
私はニマニマする口元を必死に抑えながら、強面の辺境伯様の後について、堂々と凱旋入城を果たしたのだった。




