第1話 泥まみれの追放令嬢
「アメリア・ローズバーグ! 貴様との婚約を、この場で破棄する!」
シャンデリアの光が降り注ぐ王宮の舞踏会場。
王太子ジェラルド殿下のよく通る声が、音楽を止め、静寂を引き裂いた。
周囲を取り囲む貴族たちから、驚きとあざけりの混じったざわめきが広がる。
殿下の隣には、ピンク色のふわふわとした髪をした少女――聖女リリィ様が、怯えたように殿下の腕にしがみついていた。
「君のような、薄汚い『土魔法』しか使えない女が、次期王妃にふさわしいはずがない! リリィへの陰湿な嫌がらせも、すべて調べはついているんだぞ!」
殿下は顔を真っ赤にして叫んでいる。
私は扇で口元を隠し、静かに小さく溜息をついた。
(……殿下、声を張り上げすぎです。このホールの音響設計は残響時間が長めに取られているので、大声を出すと反響して聞き取りづらくなるんですよ)
それに、床だ。
殿下が足を踏み鳴らすたびに、寄木細工の床板がかすかに悲鳴を上げている。
築百二十年。そろそろ大引と根太の腐食が進んでいる頃だ。シロアリのチェックもした方がいい。先月、私がこっそり地下の基礎部分を補強しておかなければ、今の足踏みで床が抜けていたかもしれないのに。
「……聞いているのか、アメリア!」
「はい、殿下。謹んで承ります」
私はカーテシーのために膝を折った。
ついでに、床板の目地をこっそり観察する。うん、やはり水平が二ミリほど狂っている。気持ち悪い。直したい。今すぐ床を剥がして、コンクリートで固め直したい。
「ふん、殊勝な態度だな。だが、許すつもりはないぞ」
殿下は私の視線が床に向いていることに気づかず、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「貴様には、王都からの追放を命じる! 行き先は北の辺境――ヴァルシュタイン辺境伯領だ。あのような蛮族と魔物が住まう荒れ地で、泥にまみれて一生を終えるがいい!」
その瞬間。
私の琥珀色の瞳が、カッと見開かれた。
(辺境……!)
ヴァルシュタイン領。
北の山脈に面し、帝国と魔物の脅威に晒される最前線。
一年中寒風が吹き荒れ、草木も生えぬ不毛の大地。
文明の恩恵など皆無の、岩と泥の世界。
つまり。
(未開発地帯……!!)
更地だ。
開発し放題の、広大なフィールドだ。
王都では「景観条例」だの「歴史的建造物保護」だのと邪魔が入り、私の愛する土魔法は「農奴の真似事」と蔑まれ、満足に行使できなかった。
だが、辺境なら?
誰も文句は言わない。
道を作り、橋を架け、上下水道を完備し、断熱・気密性に優れた最強の要塞都市を、私にしかできない工法で作り上げることができる。
「……ご温情、感謝いたします」
震える声が出た。
笑いを堪えるのに必死だったからだ。
しかし周囲には、絶望で打ちひしがれているように見えたらしい。
聖女リリィ様が「かわいそうに……」と嘲笑を含んだ声を漏らし、殿下が満足げに頷く。
「明朝すぐに出発だ。荷物は最小限にしろ。公爵家からも絶縁の書状が届いている。二度とこの美しい王都の地を踏めると思うな」
「はい。この『美しい』王都のことは、決して忘れません」
私は扇の向こうでニヤリと笑った。
(ええ、忘れませんとも。下水処理能力が限界を超え、排水管が詰まりかけ、地盤沈下が進行しているこの王都が、私というメンテナンス係を失ってどうなるか……遠い空の下から楽しみにしていますわ)
さようなら、施工不良だらけの王城。
こんにちは、私の新しい現場!
◆
翌朝。
私は粗末な馬車に揺られていた。
護衛の騎士はいない。御者が一人ついているだけだ。
公爵家の紋章が塗りつぶされた馬車は、まるで罪人を運ぶ檻のよう。ドレスも飾り気のない平民のようなものに着替えさせられた。
けれど、私の心は晴れやかだった。
膝の上には、唯一持ち出しを許された愛読書『王国立地計画全集(絶版)』と、メモ帳、そしてペン。
頭の中にはすでに、辺境開拓の設計図(青写真)が描かれつつある。
「……それにしても、揺れますね」
ガタン、ゴトン。
お尻が痛い。サスペンションのない木製の車輪が、路面の凹凸をダイレクトに伝えてくる。
王都を離れて三日。
景色は徐々に荒涼とし、道はもはや道とは呼べない獣道になっていた。
「お嬢様、この先はもっと酷くなりますぜ」
御者の男が、申し訳なさそうに声をかけてくる。
彼は雇われの平民だが、理不尽に追放された私に同情してくれているらしい。
「昨日の雨で、この辺りは底なしの泥沼みたいになってる場所が多いんで……ああっ!」
言ったそばからだった。
ズプンッ! という鈍い音と共に、車体が大きく傾いた。
「くそっ、車輪が取られた!」
馬がいななき、進むのを拒絶する。
右の後輪が、深い泥の中に半分以上沈み込んでいた。
御者が飛び降りて確認し、青ざめた顔で戻ってくる。
「だめだ……泥が深すぎる。馬の力じゃ抜け出せねぇ。救援を呼ぼうにも、次の町まで半日はかかるぞ……」
「そうですか」
「俺が歩いて誰か呼んできます。お嬢様は中で待っててくだせぇ。夜になると狼が出るかもしれねぇが……」
御者が絶望的な顔で空を見上げる。
空は曇天。また雨が降り出しそうだ。
泥まみれの道。傾いた馬車。迫る夜と魔物の影。
普通の令嬢なら、ここで泣き崩れるだろう。
あるいは、運命を呪うかもしれない。
けれど、私は違った。
「――泥。最高です」
私はメモ帳を閉じ、スカートの裾をまくり上げて馬車から飛び降りた。
「お、お嬢様!? 汚れますぜ!」
「いいえ、汚れているのは私の靴ではありません。この『道』の在り方です」
私はぬかるんだ地面を見下ろした。
水分を含みすぎた軟弱地盤。路盤材も入っていないただの土。これでは馬車が通るたびに轍ができ、雨が降ればプールになるのは当然だ。
非効率。
脆弱。
美しくない。
「下がっていてください」
「は? しかし……」
「下がって」
私は右手を地面にかざした。
前世の記憶。
日本の現場で叩き込まれた、土質力学の基礎知識。
イメージするのは魔法ではない。「物理的解決」だ。
(対象範囲、前方三キロメートル。深度、一・五メートル)
(まずは水分除去。分離、排水)
私の掌から魔力が波紋のように広がる。
ドロドロだった地面から、一瞬にして水が蒸発し、乾いた土へと変化する。
「なっ……!?」
御者が目を見開く。
だが、まだ終わらない。乾いただけでは脆い。
(路床転圧。締め固め密度、最大! 砕石置換、路盤形成!)
ズズズズズ……!
地鳴りと共に、土がぎゅっと圧縮される。
本来なら重機で何度も踏み固めなければならない工程を、土魔法による超重力プレスで一秒で完了させる。
そして仕上げだ。
(表層舗装。石材生成、結合、硬化!)
私の指先が指揮者のように空を舞う。
土中の成分が抽出され、即席の石畳――いや、隙間のない一枚岩のコンクリートのような「舗装路」が、猛烈な勢いで地平線の彼方まで伸びていった。
灰色で平滑。
水勾配も完璧。
雑草一本生えていない、美しい人工の道。
「ふぅ……。とりあえず、こんなものでしょうか」
私は額の汗を拭った。
時間にしてわずか数十秒。
泥の海だった獣道は、王都の目抜き通りよりも立派な「高速道路」へと生まれ変わっていた。
「さあ、行きましょう。これなら揺れませんし、馬の負担も減りますよ」
振り返ると、御者が口をあんぐりと開けて固まっていた。
あまりの快適さに感動しているのだろうか。
「……あ、あの、お嬢様……? 今の、土魔法……ですかい?」
「ええ。土木工事専用にアレンジしていますが、基本は土魔法ですよ。王都では『泥遊び』と笑われましたけれど」
私はパンパンと手の埃を払い、満足げに笑った。
「辺境までの道中、ヒマ潰しにすべての道を舗装していきましょうか。その方が到着も早くなりますし」
御者は震える手で十字を切った。
彼が恐怖していることになど気づかず、私は平らになった地面を愛おしげに靴底で踏みしめる。
ああ、硬い地面って素晴らしい。
こうして。
追放された悪役令嬢(自称・土木オタク)による、国一番の豊かな領地作りは、幕を開けたのである。




