その5
「……だから?」
「この勇敢な王子はここに置いて行きなさい。それが彼の幸せ」
「薬でわけが判らなくなったまま殺されて、皮を剥がされ、君のお人形になることが幸せ?」
「口の悪いこと」
ふんと鼻を鳴らすと彼女は続けた。
「幸せなんて、人それぞれでしょう? 少なくともこの王子は恋人の傍にいたいらしいわよ」
「恋人、か」
ラジェットが仰向けに寝転んだまま、呆けた顔でみつめているのは、紅茶色の瞳をした美しい青年の剥製だった。まるで今にも動き出しそうなその姿には、光の勇者も思わず感嘆の息をもらす。
「なるほど。見事な仕上がりだ。まるで生きているようだね」
「でしょう?」
「だけど、邪悪な行いには違いない」
「あら、どうして? ここにいる人間たちは、生きていることに絶望して私の元に来たのよ。そしてその命と引き換えに、若く美しい姿のままの永遠を要求した。だから私はそれを与えた。そうすることによって、彼らは永遠だけではなく、生きる苦悩からも解き放たれ、安らぎを得ることも出来たのよ。私はいいことをしていると思うのだけど? それをあなたに邪悪呼ばわりされる筋合いはないわ」
「永遠? 安らぎ?」
僅かに顔をしかめて、光の勇者はその剥製の群れを見渡した。
確かに美しい。
誰もがその顔に微笑を浮かべ、苦悩などどこにも見当たらない。
「確かにさ、生きることは苦悩の連続で、みっともないことも多いさ」
ぐっと、聖剣を両手に握り直して勇者は続けた。
「それでも、自分のために、誰かのために、傷つきながら、嘆きながら、じたばたと生きることを僕は美しいと思う」
「は。美しい?」
アレルギアは可笑しくてたまらないというようにその形の良い唇を歪めた。
「人間など、弱く不完全な生き物ではないか」
「だからこそ、愛される」
「……馬鹿なことを。愛されるのは私が作ったこの子たちよ。ご覧なさい、この美しさ。完璧ではないか」
「完璧などつまらない」
一言、彼が呟くと、不意に聖剣から光が溢れだし、それは一気に空間を満たした。何が起こったのか判らず、唖然としているアレルギアをその光は包み込み、そのまま遥か後方へと弾き飛ばした。
彼女の持っていた剣が冷たい音を立てて床に落ちると、その振動に、ラジェット王子がはっと顔を上げた。
訳が判らないという顔で辺りを見回す彼に、光の勇者は静かに言った。
「勇敢な王子、お迎えにあがりましたよ」
「……勇者どの」
「はい、何ですか」
光の勇者は魔女の城を出て、王子の腕をやや強引に引きながら帰途を急いでいた。
魔女は聖なる光で弾き飛ばしたが、一時的に動けなくしただけで死んではいない。追っ手を心配するのと、ふもとの村で待機している王子を迎えに来た兵士たちの存在も気になっていた。あまり帰りが遅いとしびれを切らした彼らが魔女の城に奇襲を掛けるかもしれない。そうなれば戦争だ。
近くの村々が甚大な被害を受けることが予想される。それを避けるためにも、早くこの迷惑な勇敢な王子を迎えに来ている兵士たちの元に送り届けなくてはならなかった。
「急いでください、王子さま」
呼びかけておきながら、何も言わないラジェットに少しの苛立ちを滲ませて、光の勇者は言った。
「ふもとの村まで後少しですから」
「……俺は、レイエのことが判らない」
レイエというのは、あの紅茶色の瞳の青年のことだろうとあたりを付けて、光の勇者は頷いた。
「他人の心は判らないものですよ」
「そうじゃない。あの時、レイエは……最後の夜に、何か言いかけた。何を言おうとしたのか、何度考えても判らないんだ。あんなにも長い時間を一緒に過ごしたのに……判らないんだ」
「……それが悲しい、と?」
「レイエは俺に呪詛の言葉を投げつけたかったのかもしれない。いや、もしかしたら、俺にも魔女の城に来て欲しいと言いたかったのかも。そうすれば、永遠に一緒にいられる……」
「王子」
小さく息をついて光の勇者は言った。
「死んでしまった彼の、あなたに届かなかった言葉を探ってみても、それはもう意味のないことだと思いますよ」
「そんな! 俺は心からレイエを想っているのに!」
「死んだ彼の言葉は、生きているあなたにはもう届かない」
「どうしてそんなひどいことを……」
「彼は死んで、あなたは生きている。それが現実だから」
「そんなこと、判っている! だけど、俺は!」
「あなたに届いた言葉はないの?」
「え?」
思わず、ラジェットは足を止めた。
『どうか、良い王さまにおなりください』
耳元で風が鳴った。
ラジェットは、はっとして光の勇者をみつめた。
「勇者どの……今……」
「レイエがあなたにちゃんと届けた言葉があるのなら、その言葉こそ、大切にするべきだと僕は思うよ」
最後の夜の、レイエの真意がどこにあるのかは判らないけれど……。
俯いてしまった彼の手を強く引いて、光の勇者は歩き出した。
「帰りましょう。あなたを必要としている人はたくさんいるのだから」
「……はい」
僅かだが、確かに力が戻った王子の声に、光の勇者はそっと安堵の息をつき、そして悲しげに微笑んだ。




