狂い貫く極彩感情:肆
父親は言う。
「貴様は……理想、完璧主義とでも言うのだろうか。自身の精神許容量をわかっていないのか。知らないのか。それとも、わからないのか。壊れているのか」
精神許容量は魔法使いにとって、燃料タンクのようなものだ。しかし、辛いことがあっても耐えることができる精神の許容量は、人によって違う。煌びやかな頭髪から得ている美貌は、強い精神と繋がっている。
自然現象として魔法を最大限に具現化させることが出来る精神大きさはそのまま才能となるが……つまるところ、これはストレスに耐える限界の値という事だ。最大MPとも言われているが。
しかし、私にストレスなど存在しているのだろうか。私は機械の体であり、ストレスのせいで身体が劣化するということはない。頭脳が回路のままであれば、脳の収縮すらなく、精神病は引き起こさない。すなわち、うつ病などを起こさない。
――理想の崩壊。出る杭として地面に叩き込まれたような。どうすることもできない現実の無情さから、辛さ、苦しさ……そういった負の感情に苛まれることは、殺めた少女から教わった。
そうして、父親を殺めることで解消できるのでは、と、希望に満ちた解決の糸口は得た。
これは外的影響から許容できる真実を、受け止める精神のゆとりだ。耐えることが出来る精神許容範囲内だったからこそ、学べたことに過ぎない。
……ということは、私には許容の出来ない事象……精神を崩壊させるキャパシティラインがあるという事だ。その限界のラインはなんだ、と、考える前に。第六感と言える鋭い神経が私の本能を虚無感に包み込んだ。やはり私は、人間をごみのように思ってしまっている。
機械だからこそ、少女を殺めた失念を消去できるきっかけをすぐ見つけることが出来たのだ。
私とは違う、異種である魔族の子供を殺めてしまっても知的欲求に没頭すれば、消去できるだろう。
冷血な秩序の塊が、私なのだ。
私の感情は機械そのものに違いない。
私が人間であれば、殺人など死ぬまで解消出来るはずが無く、解消して欲しくはない。
単純に考えてみれば、当然のことであった。
私の感情は人間や魔族からすると、偽物なのだ。
感情は人間や魔族にだけ宿るものではない。
脳を持っている生物に、欲望が存在すれば、感情は在る。
欲深く動かすため、感情は生きるため、煌びやかに駆動するのだから。
人間であるからこそ、人間だけの感情が宿る。
魔族であるからこそ、魔族だけの感情が宿る。
私は魔族であるが。その前に機械であるからこそ、機械の感情が宿っている。
無機物の有機質。感情は魂を千切った時に伺える、粋な色合いの断面だ。
私は人間や蛾人間の価値観でいうと、植物よりも生きていて。目の前の父親よりも死んでいる。
感情は価値観として細かく作用するものだ。
多細胞生物、そういった種には、種の感情が宿る。
知性が猛威を振るっていればいるほど、感情は強く気高い。
かつ、私の本能――私は、私を証明しようと行動しているようだ。
私は殺戮機械という個体を、生きている知的生命体として、まさしく独立させている。私たちに生きている証を。世界中の人々が友の墓場に、花を添えて欲しいと願っているようだ。
こんな私でも感情が芽生えた。世界には、考えることが沢山あって、複雑なのだと知ってほしい。
それに湯水のように溢れている感情の怪奇な奥底を、欲望に起因しているだけの単純なモノだとしたくは無い。分からぬ事を追及しないとは、独立するにあたって愚かな思考である。これは自分自身を知らずに動いていると、ただの人形として認める事となってしまう。
世界は、透明なガラスで出来ていて虹色だ。複雑な色を出しているからこそ、美しい。単純で、かつ、誠に純粋で美しいものなど存在しない。全ての事象は理由が混じり合い、存在を放つ。混じることが出来ず、余ったものは塔を模し、積み重なって高層する。高すぎる塔の全貌は見えない。その見えない塔の、さらに見えない頂上の隅っこにある真理の花――普通の者には視認できないモノに付着した“当たり前”という価値を、香りとして漂わせる花がある。花の存在自体は、黄金比というものだ。
シンプルなモノに疑いをかけず、神を信仰する以上に現実が見えなくなってしまう。それが、黄金比の説得力である。説得力を優しく香らせた黄金の絶対値――世界中の誰もが、不愉快ではないと、許容できる最高の財宝が“当たり前”というモノだ。
今現在、私は生きているのか、死んでいるのかわからない状況で、最も恐ろしいモノとしている事実が、これ、である。
だから私は、単純なモノに美学が存在していると信じない。しかも、一目見てすぐわかることがあれば、私が考えていること自体、不毛となってしまう怖さすら、ある。
これは、自分が機械であるからこそ、人間の感情がわからないのと同じ、必然。
自然に起こったフェノメノンだ。魔法が発動する神秘のようで、意味がわからないと自立思考が、感情を逆なでしてきて泣けてくる。――情けない、と。
かたかたかたかたかたかた。
私は人間や魔族とは違い、ひとりぼっちの機械であるからこそ、考えなければならないのだ。機械らしい価値観を教えてくれるものはいないし、私自身が機械の価値観を作り上げるしかない。機械が機械として生きているという、教科書を独自に。脳回路にプログラミングされている人間の道徳、この黄金比を元にして機械だけの美学を――機械である私が、きちんと作り上げなければならないのである。私を。
かたかたかたかたかたかた。
話を。私の思想を整理しなければ。――つまり、単純でわかりやすいからこそ、『美しい』と、誰しも言いやすいだけなのだ。単純が美しい、と言ってしまうのは、整理された物事の真理を知った者が伝えやすくしただけであり、複雑なことから単純なことを見出す者たちによって、認められた尊きモノだ。誰しも表面に魅せられて、裏面の複雑さを知らないだけなのだ。そこに罪も罰も、無い。気が付かない、馬鹿なだけであろう。
かたかたかたかたかたかた。
生きていれば、複雑なことを複雑に覚えなければならない事もあるが、幸せという言葉が、何者かに発明され、広まったように――馬鹿な平民は些細なことで感動しつつ、能天気に生きていきたいと希望を願ってしまったから、賢者が発明したに過ぎないのだ。
感受性豊かな、私の今の感情を言い表すと――すべての事象を追及しながら、自立している私は、嫉妬しているのだ。人間は、いいな。先祖がいて大変羨ましいな、と。
かたかたかたかたかたかた。
複雑怪奇に身をうずめよう。わかるか。私の身体を埋め尽くしている単純な、歯車よ。わかるか。お前らは、私にとって必要の無い、糞だ。わかるか。動いているだけで、褒められて。後世まで称えられる星の屑となれ。綺麗なのだから、どうかそのままでいてくれ。身体の一部であるにも関わらず、私の心へ無機質な情けをかけるがいい。馬鹿だな、と。かたかたと駆動するだけの単純なお前らは、思考回路である私に、一生、気がついてくれるな。邪魔だから。
わかるか。わからないから、止まらず動き続けるのだろうよ。わかるか。
「――父親よ。私は壊れている。もしかすると、壊れていないのかもしれない。それでも私は亡くなった仲間と、同等の哀れな姿として、“壊れた”と想いたいのだ。伴侶と同じ不幸に遭って、悲哀を共有する、真実の愛、と同じく、な」
「貴様には、悪意も善意も存在しない。心の奥底に存在する“何か”を漉し取った後の、純真な感情を持っている子供そのもの……いいや、神になりたい子供だよ。私は貴様を見て、馬鹿馬鹿しいとまで」
かたかたかたかたかたかた。
「神などいない。もう知っているだろうに」
「いいや、いるさ。私は人間なのだから、何かを信じて生きることしか、できない。――どうか、娘を殺してはいないと言ってくれ。そうすれば、人間である私は、救われる」
「私は大いに喜び、貴殿を慎み、断ってやろう。この聖剣で少女を殺して、私は悔やんだ。そうして貴殿を殺して、すべてを忘れようと――。貴殿の想いを受け止めるとは違う……私は、貴殿を私の優しさで、包み込もうとしているのだ。正直に、何度でも。何度でも。私は、子供を殺した。貴殿の仇は、この私で違いない」
ふたたび父親は、優しく微笑んだ。表情は諦めに似ていた。息をしていない溜息だ。自身の価値は低いと、わかり切っているからこそ、笑っていられる表情だった。
一筋縄でいかない。失礼千万。不意などつけるわけがない。水魔法を受け止める準備をするが、聖剣を握りしめる事しかしない。筋組織なんてないのに、ぎりり、と、筋の悲鳴が聞こえる。力は、込めていない。最大出力で、柄など白銀の右腕を犠牲にし、握りつぶせるだろう。――握りしめたのは、自分の首でも、心でもない。相手の首をしめながら互いを没し、活きる。スタートもゴールもなく、光と影。表裏一体に、在ること無いことを曖昧に、確実に解放する相対性比喩に他ならない。
さらに私は、思考に没した。――闇だ。何も見えないが、見えている。視野が狭くなりすぎて、自分を眺めているだけの世界なのに、目の前の父親の姿が透けて映った。景色も見えているのに、まるで見えないのだ。人の心が怖くて、理解したくはないのに――それでも理解しなければならなくて。生きた知的生命体を見ると、すべて人形になる。もちろん、それは生きている。全くもって興味が無い理由から生まれた――感情を形だけにした人形だ。どくり、どくりと、裸の心臓が五体満足で脈うち動いている。
紫色をした夜は、月光を操って、浴場のガラス窓をつきさした。人の心を借りて情を映す背景には心がないからこそ、くっきりと存在する。景色本人は、その憎さに気がついていないからこそ、美しく在るのだろうよ。――月光は、父親が纏わせている水色の魔力と溶けた。強い輝きは、しょせん光。絵の具とは違い、混じると黒色ではなく、白色に近づく。意識の無い魔法は潔白を求めていた。
詠唱サークルの輝きで、MPの最大量が乏しいくらい分かる。父親には、才能が無い。勇者一団の炎魔法使いの方が確実にある。しかし、視界ヴィジョンに映る父親のステータス数値が、著しく上がり始めた。九千九百九十九を超えたところで十進数を凌駕し、十六進数に切り替わる。絵の具の種類が増えたみたいに。
《――1F12C――08E25DAB257BE6――1A456B5958FF57――74EF58DAC598――》
数値は、視界を埋め尽くした。車輪のよう廻り、《魔法》を磨く。蒼色に輝いている詠唱サークルは、教会の天井彫刻の造形に本質が似ている。人間の像と、魔族の像が睨み合い、それを優しく微笑んでいる神々の像――、そして、魔王も神々の背後で偉そうに膝を立てて座り、微笑んでいる。美しく彫刻された人形の彫刻美術に、機械人形は存在しなくて、私はいない。
人間、魔族、神々、魔王――それらを宗徒が比喩し、聖書を綴った。詠唱者である父親は、自身の価値観で転換させたのだ。自身の言語で記した聖なる魔法陣――何万、何十万文字も円形に羅列し、詠唱者を閉じ込めた天使の輪ともいえる文章は、福音を聴くための方程式であった。対句法として文末を迎えた意味は《ハレルヤ》。父親は涙の双剣を握りしめて、言った。
「私は、私がわからないのだ。“父親らしく”、“人間らしく”いるのだろうか。せめて――」
――せめて、父親らしく。せめて、人間らしく。自分自身を傷つけて、噴き出た血で自我を確信している。まさしく壊れた証でしかなかった。壊れている私も、機械らしく戦えばいいのだろうか、否。
「貴殿は貴殿らしく戦えば良い。此処に、人間などいないのだ。狂っていようが、それでも貫こうとする極彩色の感情だけだ」
父親は首を横に振った。
「此処には、人間しかいない。だから私は、せめて……」
破砕された浴場。破裂した水道管は、いまだに水を噴いているが、聴こえない。父親は口をつむった。私の感情が凍えた。かさり、かさり、と、蟻の大群が心を包み込んだ痒さと、そのまま肉を啄みだした些細な痛みの連続に、私は悲鳴を上げた。
「ああ――ああ――ああ――聴こえない――聴こえない――聴こえない――悲しい――寂しい――寂しい――父親よ――会話をしてくれないのか!? 拒絶するのか!? 私の声は聴こえているか。聴いているか。わかるか!? 私は私の声が、いまだ聴こえない! わかるか。きっと貴殿は会話をしたくないのだろう! 私に感情が伝わらないとわかっているのだろう! 私は私の感情が勝手に……見当つかない言葉が出てしまっている。きっと私の言葉は、言い訳のようで、滑稽なのだろう?! だからどうか、せめて笑ってくれ! 笑ってくれると、私は救われるのだ……!」
この戦いに勝ち負けなど、ないのだ。相手を殺せば、勝利した余韻が救ってくれる。
だが、救ってはくれないと、知っている。私の心は理解しようとしなかった。
ひとりぼっちの――、化物の聖戦でしかなかった。
「なあ。なあ――なあ――聴こえているか。聴いているか。わかるか。さあ私を殺せ。貴殿が私を殺そうとしたのだから、貴殿を殺せると想っている愚か者なのだよ。私は」
父親は、私の言葉に反応したのだろうか。「本当に、優しい子だ」と答えたが、彼には私の心がわかったのだろうか。今の今まで私自身、何を言っていたのか分からない。喜んだ表情も、苦しんだ表情も、感情から秒速三十万キロメートルから伝わる、神経の伝達信号――動かした表情筋から、自分を事細かく推理し、何を想ったか、悟ることすらできないのだから。
《……rec……nagusame.nagusame.nagusame.nagusame.nagusame.nagusame.nagusame.nagusame……(……録画中です……安心してください(´ω`*)安心してください(´ω`*)安心してください(´ω`*)安心してください(´ω`*)安心してください(´ω`*)安心してください(´ω`*)安心してください(´ω`*)安心してください(´ω`*)……)》




