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第46話「受け取らない」

【グランゼ辺境 宿場テラ 申告台、月の十二日の朝】

手持ち …… 銀貨千二百四十七枚、銅貨十六(うち銀貨千枚は位の売却分。共有財布には入れていない)

共有財布 …… 銀貨百五枚(うち規定の重さに釣り合うもの 六十一枚)

申告件数 …… 二百四十件(うち労賃九十二件)

人口 …… およそ二百四十三人

売掛 …… 一件(ヴァルデ男爵家/銀貨二十二枚)

未払い …… 二件(アルド・ヴァルデ/銀貨十三枚と銅貨二、グレン・ヴァルデ/銀貨二十四枚)

公示 …… グランゼ辺境伯の位(名義 セリーヌ・ヴァルデ)/申告値 銀貨千枚(月の六日 名義人自筆にて再申告・改めなし)・月の流通税 銀貨十枚(当村へ納付)

公示 …… 域内証文の公示義務(布告済み)

公示 …… 証文一件(ヴァルデ男爵家宛て/申告値 銀貨百八十枚/取り立てず・利も取らない)

公示 …… 証文一件(申告者 ヨエル/貸主 不明/証文上の名 グラウの十七)

公示 …… 取り消しの届 一件(ラウル・ヴェッセ/写しの名義の否認)

公示 …… 公示台帳の写し 五通(裏書=写した者の名・日・場所)

公示 …… 証文 三十一件(申告値 零/買主 本人/買い戻し済み)

公示 …… 買値 一件(グランゼ辺境伯の位/買値 銀貨千枚/買主 レイ・ヴァルデ/月の八日 テラ申告台)

公示 …… 監査方の報告 写し 一通(イルマ・ドレーゼ/月の十日 テラ申告台/裏書つき)

保有証文 …… 一件(ヴァルデ男爵家宛て/額面 銀貨百八十枚/利は取らない)


特記───「同じ袋に、二つの値」


ゲオルクの店の板に、値が二つ書いてあった。


塩一袋、銅貨十二。その下に、塩一袋、銅貨十五。品は同じで、袋も同じだった。


十一日は、何も起きなかった一日として過ぎた。イルマが残した紙の切れ端を、ソルが何度も読み直し、控えに書き写しただけの日だ。そうして迎えた十二日の朝、市はもう先に動いていた。


「十五のほうは」ゲオルクが箒の柄を握ったまま、聞かれる前に言った。「ヴァルデ鋳で払う客だ」


板に近づくと、炭で書かれた字が朝露にわずかに滲んでいる。指先で触れると、板の木肌はまだ冷たく湿っていた。塩袋の麻は粗く、朝の光を吸って白く見える。開いた口から覗く白い粒が、風にわずかに揺れていた。


「朔日から使えん銭を、今日受け取って、どうする」


ゲオルクの声に迷いはなかった。悪びれた響きもない。ただ、店の勘定を守る者の口調だった。


「いつから、こうしてる」俺は聞いた。


「昨日の夕方からだ」ゲオルクは箒を壁に立てかけた。「西の客が触れ回ってから、うちだけじゃない。隣のパン屋も、今朝から値を割ったらしい」


戸口の脇で、荷を下ろす男がいた。見覚えのない顔だ。西から来た行商らしく、革帯には見慣れない留め金がついている。荷袋の口紐を解く手つきに、この土地に慣れていない硬さがあった。


「詰所で聞いた」男は荷縄を解きながら言った。「来月から、ヴァルデ鋳は窓口で突き返されるとよ」


「ほんとかどうかは、知らん」行商は荷の上に腰を下ろした。「だが、突き返されてからじゃ遅い」


「あんたは」俺は聞いた。「その話を、どこで聞いた」


「詰所に、荷を納めに行った帰りだ」行商は荷袋の紐を結び直した。「壁に、まだ貼ってはいない。中の役人が、外の商人に耳打ちしていただけだ」


正式な布告ではない。噂ですらない、内輪の呟きが西から流れてきただけだ。それだけで、村一つ隔てた場所の値が、もう二つに割れている。


布告の写しは、まだ村に来ていない。にもかかわらず、値はもう二つに割れている。板の前に立ったまま、指先が炭の字をなぞる位置で止まった。噂だけで、市はもう先回りしていた。


使えなくなると言われた瞬間から、誰も受け取らなくなる。受け取らないから、本当に使えなくなる。銭は、信じる者がいる間だけ銭だった。


隣のパン屋を覗くと、そこにも同じ形の板があった。パンひと塊、銅貨八。その下に、銅貨十。書いた値の並びまで、ゲオルクの店とよく似ていた。示し合わせたわけではないだろう。同じ理屈が、同じ形の答えを二軒に生ませただけだ。


パン屋の女将は、俺に気づくと手を止めた。


「あんたのところの台帳には」女将は粉のついた手を前掛けで拭った。「銭は一種類しかないんだろう」


「今のところは」俺は答えた。「そうだ」


「羨ましいねえ」女将はそれだけ言って、また粉をこねる手を動かし始めた。羨ましいという言葉に、皮肉も嫌味も混じっていなかった。ただ、単純な事実として口にしただけだった。


板の前を、隊商の荷馬が一頭、通り過ぎていった。荷の上に積まれた麻袋が、朝の風に揺れて乾いた匂いを振りまく。値が二つに割れた店の前で、荷馬だけがいつもと変わらない足取りで歩いていった。


板の脇で、老爺が煙管を咥えたまま二つの値を見比べていた。


「――同じ袋に、二つの値か」老爺は煙を一つ吐いた。「妙なもんを、見るようになった」


「妙ですか」俺は聞いた。


「妙じゃない」老爺は煙管の先を板に向けた。「妙に見えるだけで、値はいつも二つあったんじゃろう。書いてこなかっただけで」


それだけ言うと、老爺は煙管の灰を落とし、丘のほうへ歩き去った。書かれていなかっただけで、値はいつも二つあった。老爺の言葉が、板の上の二つの数字より、ずっと重く胸に残った。


「銭が二つになったら」ミラが荷台の縁から踵を鳴らして言った。「運び賃も二つ書けってのかい」


答えを待つ声ではなかった。荷台の縁に腰かけたまま、遠くの塩袋を眺めている。踵の音が、板の上の空気を一つ緩めた。


「二つは、面倒だ」ゲオルクが箒を握り直した。「一つに戻ってくれりゃ、こっちも楽だ」


「戻るのか」


「戻らんだろうな」ゲオルクは肩をすくめた。「だから、今のうちに二つで書いた」


板の前を、水を汲みに行く途中の女が通りかかった。二つの値を見比べ、財布の中の銭を検めてから、迷わず十二のほうを選んだ。持っている銭が、規定の重さの銀だったのだろう。宿の戸口に立つ主も、遠目にその様子を見ていた。腰の鍵束を鳴らしながら、何も言わずに戸口へ引っ込んでいく。選ぶ者と、選べない者が、朝のうちにもう分かれ始めていた。


店だけの話ではない。荷を運ぶ手も、働いた分の日当も、同じ形で割れていく。市の板に書かれた二つの値は、始まりにすぎなかった。


「申告台のほうが」フィーネが帳面を抱えて走ってきた。息を切らしながら、板の前で足を止める。「まずいわ」


【グランゼ辺境 宿場テラ 申告台、同日の昼】


特記───「選ばれる銭」


申告台に着くと、昼の熱がすでに板を焼いていた。フィーネが革袋の口を開け、銀貨を一枚ずつ皿に出していく。指先が刻印を確かめるたび、爪の先が小さく止まった。皿に触れる銀貨の音が、いつもより硬く響いた。


「共有財布、百五」フィーネは帳面に数を書きつけた。「うち釣り合うもの、六十一」


数は昨日と変わらない。だが中身は、昨日とは違う顔をしていた。


「昨日今日で日当に出した分」フィーネは皿を睨んだまま言った。「ほとんどヴァルデ鋳だった」


重い銭は財布の底に残り、軽い銭から先に出ていく。誰かが選んだわけではなく、支払う者の手が、自然とそうなっていた。財布の中身は、放っておくだけで少しずつ痩せていく。


板の前に、ダンの母が立っていた。受け取った日当を握ったまま、動かない。返しに来たのでも、文句を言いに来たのでもなさそうだった。日に焼けた手の甲に、握った銀貨の跡がうっすらと残っていた。


「母ちゃんは」ダンが母の後ろから声をかけた。「そういうのを黙って持って帰るんだ。だから、俺が聞きに来た」


母は何も言わなかった。握った手を一度、胸の前で握り直す。それだけの仕草が、答えの代わりだった。


「どっちの銭かって」ダンが続けた。「確かめときたいだけだ」


ソルが控えを開き、木の棒の先で余白を示した。


「日当は、どちらの銭で出したかを台帳に書く」ソルは棒を止めた。「これから先、全部だ」


まだ解決ではない。記録を始めた、それだけのことだった。それでも、母の握った手から、わずかに力が抜けていく。誰も損を押しつけ合わない村のやり方は、この一行でも変わっていなかった。


母は帳面の脇に立ったまま、フィーネが日付と名前を書き入れるのを見ていた。筆先が動くたび、握った手の甲がほんの少しだけ緩んでいく。書かれた文字を確かめるように、母は一度だけ帳面のほうへ身を寄せた。字は読めないのかもしれない。それでも、そこに何かが残るということだけは、体で分かっているようだった。


書き終えると、小さく頭を下げて、荷運びの列のほうへ戻っていった。歩き出す足取りは、来たときより軽い。ダンがその背を追いながら、もう一度こちらを振り返った。何も言わなかったが、目の光だけが、さっきより落ち着いていた。


鍛冶場のほうから、槌の音が二つ続いて止んだ。鍛冶の夫が板の前に来て、腕を組んだ。日に焼けた腕に、火傷の跡がいくつも残っている。


「うちは」夫は低く言った。「鉄を買う先が西だ。西で断られたら、鉄が来ん」


「先方は、もう断ると言ったのか」俺は聞いた。


「まだだ」夫は腕をほどいた。「まだだが、聞かれた。この村の払いは、どちらの銭か、と」


村の中で回っているうちは、まだいい。だが外へ出ていく銭がある限り、割れた値は村の外までついて回る。夫はそれだけ言うと、鍛冶場へ戻っていった。妻がその後ろについていく。二人分の足音が、板の脇から遠ざかった。


「西の仕入れ先は」フィーネが帳面を繰りながら聞いた。「鉄だけ」


「炭も、砥石も」ソルが控えを見ながら答えた。「この村で作れないものは、大方が西から入る」


数え上げてみると、思ったより多い。塩は東からでも回せるが、鉄と炭は西に頼っている。西で断られる品目が、頭の中で少しずつ増えていった。村の外へ出ていく銭より先に、村の外から入ってこなくなるものがある。板の縁に置いた手のひらが、木肌の冷たさを拾ったまま、しばらく動かなかった。


ガンツが屋根の普請から降りてきて、木箱の縁に石粉のついた手を払った。


「石は」ガンツは短く言った。「重さで売っとる。文句を言われたことがない」


「銭は石じゃないでしょ」フィーネが眉を寄せた。


「石より軽いもんを」ガンツは袋の縁をもう一度払った。「よく数えられるな」


それだけ言うと、屋根のほうへ引き返していった。誰も、その一言に返さなかった。俺も、何も言わなかった。石粉の匂いだけが、しばらく板の脇に残っていた。ガンツの言葉には、答えを急ぐ響きがなかった。ただ、石を扱う者の手癖として置かれた一言だった。


アーヴィンが膝の上で指を組み替え、小さく声を出した。


「……流通税を」アーヴィンは指を止めた。「どちらの銭で納めていただくか、決めておりませんでした」


誰も、すぐには答えられなかった。決めていなかったことが、今日、形になって現れた。フィーネが帳面の余白に、決めていない、とだけ書き添えた。埋めるべき欄が、また一つ増えていた。


荷運びの男たちが、少し離れた場所で立ち話をしていた。今日渡された日当の銭を見せ合い、互いの財布の中身を比べているらしい。声までは届かなかったが、笑い声は起きなかった。


ヴォルクが槍を担ぎ直し、板の前まで来た。


「日当が、どっちの銭で出るかで」ヴォルクは眉を寄せた。「働く気が変わるのか」


「変わる者もいる」ソルは控えを閉じずに答えた。「変わらない者もいる。今日はまだ、両方いる」


「両方が、いつまで両方でいられる」


その問いに、誰も答えを持たなかった。ヴォルクは腕を組み直し、それ以上は聞かずに柱のほうへ戻っていった。


共有財布の口が閉じられ、フィーネが革袋を木箱の中へ戻した。数え終えた銀貨の重みが、袋の底で一度、静かに沈む音を立てた。昼の熱が、板の上にまだ残っていた。


フィーネは帳面を閉じたあとも、しばらくその表紙から手を離さなかった。数字を書き続けてきた指が、今日ばかりは、次の行に進む前に一拍止まっている。誰かに損をさせるかもしれない一行を、初めて自分の手で書いたという顔をしていた。


「数は、合ってるのに」フィーネはぽつりと言った。「なんで、こんなに落ち着かないのかしら」


「合っていても」ソルが答えた。「誰かの取り分が減る数字は、いつまでも落ち着かない」


フィーネはそれだけで、また帳面を開いた。落ち着かないまま、次の行へ筆を進めていく。落ち着かなさを消す答えを、この場の誰も持っていなかった。


ダンが荷運びの列から離れ、もう一度板の前まで戻ってきた。


「日当は」ダンは板の新しい欄を見つめた。「これからも、記録されるのか」


「される」ソルは控えを指した。「お前の分も、母の分も」


「じゃあ、いい」ダンはそれだけ言うと、荷運びの列へ駆け戻っていった。記録される、という一言だけで足りたらしい。


俺は板の脇に立ったまま、昼から夕方までの間に増えていく数字を眺めていた。日当の欄に、どちらの銭かという一文字が加わるたび、村の勘定は少しずつ細かくなっていく。細かくなることが、割れることの防波堤になるのかどうかは、まだ分からなかった。


【グランゼ辺境 宿場テラ 申告台、同日の夕】


特記───「外へ出る銭」


夕方、板の上に折り目のついた羊皮紙が広げられた。ソルが十一日のうちに人をやっていたという。西部詰所の壁に貼り出された布告を、写してきたのだ。写しの裏には、写した者の名と、日と、場所が記されている。村の型を、村の使いが自分で守っていた。


「詰所まで、片道半日」ソルが控えを開きながら言った。「昨日の朝に出して、今朝戻った」


封蝋の欠けた跡が、紙の端に残っている。灯りを入れる前の薄暗さの中で、フィーネが羊皮紙を両手で持ち、読み上げた。


「一、来月朔日より、西部詰所は、ヴァルデ鋳の銀貨を受け取らない」


板の脇に立つ誰もが、口を挟まなかった。乾いた風が一度、羊皮紙の端をめくりかけて、フィーネの指がそれを押さえた。


「二、詰所における支払い・納付は、規定の重さの銀に限る」


フィーネの筆が、控えの上で止まったまま動かない。


「三、ヴァルデ鋳をもって支払われた債は、弁済とみなさない」


そこで、フィーネの筆が完全に止まった。


「三つ目は」ヴォルクが柱から離れて言った。「何の話だ」


「借りを」ソルが答えた。「返せなくする条文だ」


誰の借りかは、まだ分からない。村の売掛と未払いの証文が、まず頭に浮かんだ。ヴァルデ男爵家への証文、アルドとグレンへの未払い。それ以上のことは、今日はまだ見えなかった。


「三つ目に」ヴォルクがなおも聞いた。「うちの証文は、かかるのか」


「まだ分からん」ソルは首を振った。「今日は、条文が来ただけだ」


「条文が来ただけで」ヴォルクは低く唸った。「もう店の値が二つになってる」


「来る前に、店は動いた」ソルは羊皮紙の端に目を落としたまま言った。「布告が効く日を待つ理由が、あの連中にはない」


ヴォルクはそれ以上は言わず、槍の柄を握り直した。柱に寄りかかる肩の角度が、朝より硬く見えた。


銭は、値を運ぶ器だ。器が割れたところで、値そのものが消えるわけではない。だが誰も器を信じなくなれば、値は運ばれなくなる。板一つ隔てた店先で、俺はそれを今日、目の当たりにした。


通りかかった旅の女が、財布の口を開け、銀貨を一枚ずつ日にかざして確かめていた。刻印を透かして見る仕草に、迷いがにじんでいる。支払う前に検める者の数は、昨日より確実に増えていた。疑いは、布告の施行日を待たない。


「三条とも」フィーネが羊皮紙を控えの間に挟み込みながら言った。「読み終えたわ。これで全部」


写しを取ってきた使いの男が、板の脇に立ったまま、まだ息を整えていた。半日をかけて詰所まで歩き、写した文字を落とさないよう抱えて戻ってきた男の背は、いつもより丸まって見えた。


「壁の前で」男はぽつりと言った。「他の村の使いも、二人ほど見た」


この布告を写しに来たのは、村一つだけではないらしい。西部詰所を宛先にする村が、他にもいくつかあるということだ。写された三条が、今夜のうちに、どれだけの数の板の前で読み上げられているのか、俺には見当もつかなかった。


「全部だ」ソルは頷いた。「あとは、十八日の使い方だ」


「使い方って」フィーネは筆を置いた。「もう決まってるの」


「決まっていない」ソルは短く答えた。「決まっていないから、今日を数えて書いた」


決めていないという言葉を、ソルは恥じる様子もなく口にした。手がないことを隠さず、隠さないまま板の前に立つ。それが今日、この村ができる精一杯の答えだった。


灯りを入れる前の薄闇の中で、ヴォルクがもう一度板の前に戻ってきた。


「十八日」ヴォルクは板の余白を見つめた。「短いな」


「短い」ソルは頷いた。「だが、ないよりはいい」


「昨日までは、この村に敵はいなかった」ヴォルクは低く言った。「今日から、敵は銭そのものか」


俺はすぐには答えなかった。銭そのものが敵になったわけではない。銭は器で、値は中身だ。器が疑われているだけで、中身がなくなったわけではない。だが、それを言葉にしたところで、板の前の二つの値は消えない。


「分からん」俺は言った。「今日、分かったのは、値が二つになったということだけだ」


ヴォルクはそれ以上聞かず、柱にもたれた。手がないことを、俺自身も隠さなかった。


ソルが控えの余白に、日を書き入れた。木の棒の先が、書いたばかりの数字を一度なぞる。


「十八日ある」ソルは棒を止めた。


「十八日で」ヴォルクが腕を組んだ。「何が変わる」


「変わらなければ」ソルは棒を控えに戻した。「この村の銭の半分が、ただの金物になる」


風が板の上を渡り、乾いた墨の匂いをかすかに揺らした。誰も、それ以上は続けなかった。


フィーネが羊皮紙を丁寧に畳み、控えの間に挟み込んだ。畳み目に沿って指を這わせる手つきに、迷いはなかった。挟み終えると、控えの表紙を一度、両手で押さえた。


「明日は」フィーネが顔を上げた。「もっと店が割れるでしょうね」


「割れる」ソルは短く答えた。「割れないほうが、おかしい」


「割れきったら」フィーネは控えを胸に抱えた。「もう、戻らないんでしょう」


「戻らない」ソルは木の棒を膝の上に立てた。「割れる前の値に、戻る理由がない」


その言い方に、誰も付け足さなかった。板の脇に立つ者の誰もが、今日一日で、戻らない側の風景に片足を踏み入れたことを、うすうす感じ取っていた。


夕日が沈みきる前の、いちばん赤い光が板を照らしていた。今日一日で割れた二つの値と、板に貼られなかった布告の全文と、その隙間にある十八日という数字。三つが重なって、板の脇の空気を薄く冷たくしていた。


【グランゼ辺境 宿場テラ 申告台、月の十二日の夕】

手持ち …… 銀貨千二百四十七枚、銅貨十六(うち銀貨千枚は位の売却分。共有財布には入れていない)

共有財布 …… 銀貨百五枚(うち規定の重さに釣り合うもの 六十一枚)

申告件数 …… 二百四十四件(うち労賃九十三件)

人口 …… およそ二百四十三人

売掛 …… 一件(ヴァルデ男爵家/銀貨二十二枚)

未払い …… 二件(アルド・ヴァルデ/銀貨十三枚と銅貨二、グレン・ヴァルデ/銀貨二十四枚)

公示 …… グランゼ辺境伯の位(名義 セリーヌ・ヴァルデ)/申告値 銀貨千枚(月の六日 名義人自筆にて再申告・改めなし)・月の流通税 銀貨十枚(当村へ納付)

公示 …… 域内証文の公示義務(布告済み)

公示 …… 証文一件(ヴァルデ男爵家宛て/申告値 銀貨百八十枚/取り立てず・利も取らない)

公示 …… 証文一件(申告者 ヨエル/貸主 不明/証文上の名 グラウの十七)

公示 …… 取り消しの届 一件(ラウル・ヴェッセ/写しの名義の否認)

公示 …… 公示台帳の写し 五通(裏書=写した者の名・日・場所)

公示 …… 証文 三十一件(申告値 零/買主 本人/買い戻し済み)

公示 …… 買値 一件(グランゼ辺境伯の位/買値 銀貨千枚/買主 レイ・ヴァルデ/月の八日 テラ申告台)

公示 …… 監査方の報告 写し 一通(イルマ・ドレーゼ/月の十日 テラ申告台/裏書つき)

公示 …… 西部詰所の布告 写し 一通(来月朔日施行/三条)

保有証文 …… 一件(ヴァルデ男爵家宛て/額面 銀貨百八十枚/利は取らない)


特記───「十八日」

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