↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/60

第22話「爵位という首輪」

【グランゼ辺境 宿場テラ 板間、夜】

手持ち …… 銀貨三百四十二枚、銅貨十六

共有財布 …… 銀貨九十四枚

申告件数 …… 百四十七件(うち労賃六十件)

人口 …… およそ二百十人

売掛 …… 一件(ヴァルデ男爵家/銀貨二十二枚)

未払い …… 一件(アルド・ヴァルデ/銀貨十三枚と銅貨二)


特記───「二十日後、王が値を寄越す」


二十日後、俺はグランゼ辺境伯になった。


首輪をはめられた、と王都は思っただろう。


実際、そのとおりだった。値段が書いていなければ、の話だが。


査察の使者が峠を下りていく後ろ姿を見送りながら、俺は台帳に刻まれたばかりの一行を眺めていた。答えの出ない夜から、ここまで二十日。長いようで、短かった。


板間には、夜明けの気配がまだ遠い。隙間風が魔灯石の青白い光をわずかに揺らし、テーブルに広げた書状の端を震わせていた。封蝋の蜜蝋が、夜気の中でかすかに甘い匂いを放っている。王家の紋章は、この村の誰も間近で見たことのない意匠だった。


木の器に注いだ湯が、卓の隅で湯気を細く上げていた。誰も口をつけないまま、冷めていく。四人の目が、代わる代わる書状の一点に吸い寄せられていた。


「二十日後、査察の使者が来る」俺は書状を指で押さえた。「陞爵の可否を諮る、とある」


「辺境伯、ってやつか」ヴォルクが腕を組んだまま、羊皮紙を覗き込んだ。「受けろ。位があれば、兄貴も王都も文句が言えなくなる」


分かりやすい理屈だった。この男らしい。力には力で応じ、格には格で応じる。それで大抵のことは片づいてきた男の結論だった。


「受けるべきです」アーヴィンが低く言った。「村が、王国に守られる」


守られる、という言葉の重さを、この男は誰よりも知っているはずだった。代官の顔色を窺い続けた年月の記憶が、まだ体のどこかに残っている。だからこそ、王国という看板の下に入ることを、心のどこかで安堵として受け取っているのが分かった。


「守られる、ねえ」ヴォルクが片眉を上げた。「代官の下にいた頃も、守られてたつもりだったのか」


アーヴィンの喉が、一度動いた。答えは返らなかった。指先が、羊皮紙の端を無意識に撫でている。


「受けたら終わりよ」フィーネが即座に切り返した。「免状をやる、って言い方で、うちの実家がどうなったか、もう忘れたの」


「大袈裟だろう」ヴォルクが眉を寄せた。「爵位と、免状は違う」


「同じよ」フィーネの声が尖った。「持たせておいて、後から取り上げる。仕組みは全部同じ」


ヴォルクは黙り込んだ。反論の材料が、すぐには浮かばない顔だった。


ダンケルト商会が締め出されたのは、規約という名の免状のせいだった。免状は与えられた瞬間から、取り上げられる可能性を孕む。フィーネにとって、それは知識ではなく傷だった。


「文言を、読んだほうがいい」ソルが書状を手に取った。指先が、羊皮紙の一節をなぞる。「『陞爵の可否を諮る』――与える、とは書いていない」


板間が、一瞬静まった。


「断らせる前提の、文だ」ソルは淡々と続けた。「断れば、断ったという記録が残る。王命を拒んだ辺境として」


受けても、拒んでも、記録は残る。どちらに転んでも、こちらの手に何かが刻まれる仕組みだった。


「――どっちにしろ、詰みってことか」ヴォルクが唸った。


「まだ、決めない」俺は言った。「明日、書状の現物と、使者の顔を見てからだ」


四人とも、納得はしていない顔だった。それでいい。今夜は、答えを出す夜ではなかった。


ソルが書状を丸め、蜜蝋の欠片を指先で摘まみ上げた。灯りにかざすと、紋章の輪郭が薄く透けて見える。


「王家の封蝋を、間近で見るのは初めてだ」ソルはそれだけ言って、書状を棚へしまった。感想でも感心でもない、ただの事実として。


窓の隙間から差す夜気が、魔灯石の光をもう一度揺らして去っていった。


翌朝、峠の稜線に、旗を立てた一団が現れた。先頭を行くのは馬車ではなく、白い手袋をはめた一人の男だった。


「――ようこそ、グランゼへ」俺は広場で出迎えた。


「いやいや、これは」男は目を細めて破顔した。「噂に違わぬ、いい村だ。実にいい」


王室財務府書記官長、ベルトラン。伯爵家の三男だと、供回りの一人が耳打ちしてきた。年の頃は三十過ぎ、身なりの隅々まで整っているのに、どこか着崩れて見える愛嬌があった。


「あの列を、ご覧なさい」ベルトランは申告台へ視線を送った。「これほど整然と人が並ぶ光景を、私は王都でも見たことがない。実に見事だ」


台帳の前で墨を握っていたゲオルクが、褒められた本人でもないのに背筋を伸ばした。


「字も、達者だ」ベルトランはゲオルクの申告書を覗き込み、目を丸くした。「これほど迷いのない字を書く商人が、辺境にいるとはね」


「い、いえ、私は、その」ゲオルクは木の棒を取り落としかけた。震える手で拾い直す仕草に、以前ほどの怯えはなかった。褒められることに慣れていないだけだった。


「儂の申告も見てくれんかのう」老爺が煙管を吹かしながら割り込んだ。「銅貨二の、物干し竿での」


「――物干し竿を、正式に申告する。素晴らしい心がけだ」ベルトランは大真面目に頷いた。「陛下も、きっとお喜びになる」


老爺は満更でもない顔で胸を張った。フィーネが横から老爺の肘を小突く。


「調子に乗らないの」


「褒められて、何が悪い」老爺は煙管の先をフィーネに突きつけた。「お前さんも、あの男に何か言われて、まんざらでもなさそうな顔をしとったろうが」


「し、してない」フィーネの声が、いつもより一段高かった。頬がわずかに赤らんでいるのを、隠し切れていなかった。


「褒めても石は安うならん」ガンツが低く言った。石垣に積んだ石の目地を、太い指で確かめながら。褒め言葉には一切反応せず、仕事の話が来るまでは無言を貫くつもりらしかった。


広場に、小さな笑いが起きた。ベルトランはその一つひとつに目を留め、微笑みを絶やさなかった。何を見ても、悪しざまに言う気配がない。だが要求らしい要求も、まだ一つも口にしていなかった。


「そちらの井戸は」ベルトランが、広場の隅を指して尋ねた。「随分と手入れが行き届いていますね。石組みが新しい」


「俺が、直した」ガンツが石垣から顔を上げずに答えた。それだけだった。


「――お一人で?」ベルトランが目を丸くする。


「弟子と」ガンツは短く言うと、また石の目地に視線を戻した。仕事の話に踏み込まれても、饒舌になるのはもう少し先らしかった。


ベルトランはその素っ気なさすら面白がるように、口元を緩めた。


「見事な台帳ですね」彼は台帳の綴りに指を這わせた。指の動きは、遊びではなかった。数字を一件ずつ、正確に追っている目だった。


ある一行で、指が止まった。ゲオルクの店の申告――銅貨二十――だった。二度、同じ数字を目でなぞっている。


「これは、開店から一度も、書き直していない?」


「は、はい」ゲオルクの声が、また震えを取り戻した。「あの日から、ずっと」


「変えない、というのも、勇気ですね」ベルトランは呟くと、また次の行へ指を滑らせていった。褒め言葉の下で、この男は誰よりも冷静に数字を読んでいる。


宿場の一室に移ると、ベルトランは供の者に書類を出させた。手袋は、まだ白いままだった。この宿場の泥のどこにも触れていない手だった。


「陞爵にあたり、確認すべき条件が、四つございます」ベルトランは微笑みを絶やさず言った。「一つ。辺境伯の位と、グランゼ一帯の統治権を、正式にお認めします」


一つ目は、こちらの得だった。だが続きがあった。


「二つ。公示台帳は王国の記録として、写しを王都へ納めていただきます」


「三つ。流通税の三分の一を、王国へ」


「そして四つ」ベルトランはここで、初めて言葉を切った。指先が、書類の縁を一度撫でる。「自由市は――『王命の特許』として、運用していただきます」


その一語で、部屋の空気が変わった。壁際に控えていた供の一人が、羽根ペンを紙に走らせる音だけが、やけに大きく響いた。


「特許、ということは」ソルがすぐに口を開いた。「与えたものは、取り上げられる、ということだ」


ベルトランは否定しなかった。ただ微笑んだまま、「規定上は、そうなりますね」とだけ答えた。悪びれる様子は、微塵もなかった。


馬車から一頭の子馬が引き出され、宿場の子供たちが柵越しに覗き込んでいた。供回りの一人が、鋭い声で子供たちを追い払う。ベルトランはそれを見て、供の者を軽く手で制した。子供たちがまた戻ってくる。この男には、そういう余裕もあった。だからこそ、四つ目の条件の重さが、余計に沁みた。


「お考えの間」ベルトランは供の者に目配せをした。「私どもは、この宿場を見学させていただいても?」


断る理由はなかった。ベルトランは台帳の列を一件ずつ覗き込み、時折り申告者に「これは、なんの値ですか」と気さくに尋ねて回った。答えるたびに、彼は感心したような声を上げた。だが控えの紙には、何かを書き込む様子もなかった。ただ、目だけが数字を拾い続けていた。


宿場の外れまで足を伸ばすと、ガンツが二日で建てたという見張り台の前で立ち止まった。組まれた丸太の継ぎ目を、しばらく無言で見上げている。


「頑丈ですね」ベルトランはようやく言った。「――誰の指図で、こんなものを?」


「誰の指図でも」ガンツが横から答えた。「要ると思ったから、建てた」


ベルトランは何も言わず、ただ丸太の継ぎ目にもう一度目をやった。その沈黙が、それまでの饒舌よりも長く続いた。


その日は、答えを持ち越した。


夜、宿場の一室で、俺は書状を灯りの下に広げていた。魔灯石の光が、羊皮紙の繊維を透かして見せている。峠から下りてくる冷たい風が、戸口の隙間から忍び込んでくる。インクの乾く匂いが、部屋にわずかに残っていた。


板壁の向こうから、見張りの交代を告げる短い声が一度だけ響いて、また静かになった。この村の夜は、いつからか、こういう規則正しさを持つようになっていた。


戸口の隙間から入る風が、灯りの芯を一度だけ揺らした。影が壁で伸び縮みする。税は、痛くない。三分の一を差し出しても、この村はまだ立っていられる。痛いのは、そこではなかった。


――許しで動く市になる。


それが本当の首輪だった。自分たちで値を決め、自分たちで裁いてきたこの一年が、王命という一枚の紙の下で、いつでも取り消せるものに変わる。税より重いのは、その一点だった。


視界の端が、ふっと滲んだ。


『辺境伯任命の辞令/真価:返す額の書いていない、貸し/世評:王家の格別の思し召し、一代の栄達』


息を、一つ吐いた。


以前、実家の書状を視たときも、似た数字が並んでいた。あちらは『払う当てのない借財の、丁寧な言い換え』だった。今度は逆だ。借りているのは、こちらではない。向こうが、返す額を書かずに寄越してきた。


借りたものには、返す額が要る。だが、この辞令には書いていない。


書いていないものは――後から、いくらでも書き足せる。


前世でも、似た手口を見たことがあった。無料の与信枠、無償の資格、条件なしの提携。差し出す側が「今は何も求めない」と言うときほど、後になって桁の大きな請求書が届く。受け取った側が気づいたときには、もう利息がついている。仕組みそのものが、後払いを前提に設計されているからだ。あの頃、それを見抜けずに飲み込まれていった同業者を、何人も見送った。飲み込まれた側は、たいてい最後まで、自分が借金を背負ったことにすら気づかない。


向こうがそのつもりなら、こちらが先に書けばいい。書き足す隙を、残さなければいい。


答えは、思いのほか単純な形をしていた。


翌朝、広場に霜が降りていた。ベルトランと供の者たちが、旅支度を整えて並んでいる。台帳を囲むように、村の人間もいつの間にか集まっていた。


「頂きます」俺は言った。「四つとも、断りません」


ベルトランの目に、わずかな喜色が浮かんだ。だが俺は言葉を継いだ。


「ただし――辺境伯の位を、この村の台帳に載せます。申告値、銀貨千枚」


ベルトランの笑顔が、そこで初めて止まった。


「……位に、値を?」


「位も資産です」俺は答えた。「抱えていれば腐る。腐らせないために、値をつけて、流通税を払う。他の申告と、同じ扱いです」


ソルが即座に木の棒を走らせた。「申告値の百分の一。月、銀貨十枚」


数字が出た瞬間、フィーネが声を上げた。


「月十枚? うちの共有財布の、三分の一よ」フィーネは俺を睨んだ。「何のために払うの」


「首輪の代わりに」俺は言った。「月銀貨十枚。安い」


「村の財布からは出さない」俺は続けた。「俺の取り分から払う。位を抱えているのは、村じゃない。俺だ」


フィーネが口を開きかけ、そのまま閉じた。共有財布の数字が減らないと分かった途端、睨んでいた目から力が抜けている。


広場が、一拍だけ静まった。


「安く、ございますな」ベルトランがようやく口を開いた。声から、いつもの明るさが半分抜けていた。「では……その位は、銀貨千枚を積んだ者に、渡ると」


「渡ります」俺は頷いた。「そのとき、この一帯を最も上手く治められる者が、治めればいい。今のところ、俺より高く申告する者はいませんが」


千枚を積める者は、そういない。積めたところで、その頃にはこの村はもう、それより高い値になっている。高く申告するというのは、そういう堀の掘り方だった。


「――そんな」アーヴィンの顔から、血の気が引いた。「村が、他人の手に渡るということですか」


「安くしておけば、買われて終わる」フィーネがアーヴィンのほうへ向き直った。「バルドの倉と、同じ理屈よ。あんたも見たでしょ」


「見た。見たが」アーヴィンの拳が、膝の上で固く閉じた。「今度は、村そのものだ」


「その日が来たら」俺は言った。「村は、その値を見て決めればいい」


否定はしなかった。否定できる話でもなかった。アーヴィンは口を噤んだまま、それ以上言葉を継げずにいた。指先だけが、まだ細かく震えていた。


「村長」ソルが静かに口を挟んだ。「今の申告値で、買える者は、この場にいない」


「今は、な」アーヴィンは絞り出すように言った。「先の話を、しているんだ」


「先のことまで、今日決めてどうする」ヴォルクが横から低く言った。「その日が来たら、その日に考えりゃいい」


アーヴィンは何も答えなかった。ただ、拳の力だけが、少しずつ緩んでいった。


「条件二も、飲みます」俺は続けた。「写しを王都へ。隠すことは、何もありません」


ベルトランの手袋の指先が、控えの書類をなぞった。数字を、また一件ずつ確かめている目だった。


「隠すことがない、と」ベルトランは呟いた。「昨日、宿場を見て回ったときも、そう感じました。この村は、見せたがっている」


「見せて困る値なら」俺は言った。「そもそも、台帳には載せません」


家令のハーグに向けて言ったのと、ほとんど同じ理屈だった。相手が変わっても、答えは変わらなかった。


「条件四――王命の特許として、運用します」俺は言った。「ただし、その特許自体が、台帳に載っている。取り上げるには、買い戻すしかない」


ベルトランはしばらく黙っていた。台帳の一行と、俺の顔とを、交互に見ていた。


「――与えたものが、取り上げられなくなる、という、ことですね」ベルトランは静かに言った。「規定の、逆手に」


「まったく同じ規定です」俺は言った。「あなた方が使う理屈と、同じものを使っているだけです」


しばらくの沈黙のあと、ベルトランは声を上げて笑い出した。


「――面白い」彼は目尻に浮かんだ涙を拭った。「実に、面白い」


広場の村人たちは、その笑い声にどう反応していいか分からず、互いに顔を見合わせていた。老爺だけが、煙管を吹かしたまま、面白がるように目を細めている。


怒る気配は、どこにもなかった。それが、かえって不気味だった。この男が必要としているのは、王都へ持ち帰る一行だけなのだと分かった。辺境伯を戴いた、それで十分な報告になる。中身がどれほど食い破られていようと、王都の紙の上では、綺麗な文字が並ぶだけだ。


「では、これにて」ベルトランは書類を供の者へ渡した。「王室財務府に代わり、正式に――グランゼ辺境伯任命を、布告いたします」


ソルが台帳へ木の棒を走らせる音が、朝の広場に響いた。霜を踏んだ足音一つ、動かない。羊皮紙に、新しい一行が刻まれていく。位に値がついた瞬間だった。


供回りが馬車を整え始める中、ベルトランだけがその場に留まり、俺のほうを見た。手袋の指先が、いつの間にか泥で汚れていた。


「私も、三男でしてね」ベルトランは静かに言った。「……あなたのようには、なれませんでしたが」


俺は答えなかった。何を答えても、この男には安っぽく響く気がした。


ベルトランは一礼し、馬車へ向かって歩き出した。白い手袋の汚れが、朝日にわずかに光っていた。


【グランゼ辺境 宿場テラ 広場、朝】

手持ち …… 銀貨三百三十二枚、銅貨十六

共有財布 …… 銀貨九十四枚

申告件数 …… 百五十四件(うち労賃六十二件)

人口 …… およそ二百十五人

売掛 …… 一件(ヴァルデ男爵家/銀貨二十二枚)

未払い …… 一件(アルド・ヴァルデ/銀貨十三枚と銅貨二)


公示───グランゼ辺境伯の位/申告値 銀貨千枚/月の流通税 銀貨十枚

特記───「首輪に、値札をつけた」


一行の馬車が峠を上っていくのを、俺たちは広場から見送った。旗の色が、朝霧の中でだんだんと薄れていく。


「あれで、いいのか」ヴォルクが低く聞いた。「税まで、自分から払うなんてよ」


「あんたが払ったのは、税じゃない」フィーネが横から言った。「回廊のときと、逆でしょ」


「安く申告すれば、買われる」ソルが台帳を閉じながら言った。「高く申告すれば、税で潰れる。回廊は、前者を使った。今回は、後者を自分で選んで、自分で払った。それだけの違いだ」


ヴォルクは唸っただけで、それ以上は聞かなかった。


馬車の列が峠の稜線に消えていく頃、ソルが荷改めの控えを繰る手を、ふと止めた。


「――待て」


「どうした」


ソルは控えの一枚を、朝日にかざした。従者の一人が積み荷に押していた荷札の印章。渦を巻く紋様に、見覚えがあった。


「これは」ソルは低く言った。「王室財務府の紋ではない」


倉の出荷記録で見た、あの上位認可の印章と、同じ渦だった。誰の手の者かは、名乗らないまま去っていった。


王命の一行の後ろに、名乗らない紋章が一つ、混ざっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。