プロローグ
魔物とは人の敵対者である。
人は魔物の敵対者である。
龍は全ての敵対者である。
魔物は本能で人を憎しみ、赴く感情のままに殺す。
人は害なす魔物を忌み嫌い、力を手に入れ打ち払う。
龍は全てを見下し、己が以外の全てを忌避する。
三者の均衡は常に保たれ、誰かが滅びる事は無かった。
どんなイレギュラーがあろうと、災厄があろうと、世界の法則なのか、それが崩れる事はない。
時間が流れるように、太陽が明るいように、定められたものだ。
だが、その均衡を崩した者がいた。
永遠に続いた世界の運命を捻じ曲げ、他の種族を滅ぼした王。
彼女はカップを持ち上げると目を瞑り紅茶を一口、二口と口に含むと、ソーサーの上に静かに置いた。
「他愛もないな、二百年かけて準備したというのに、これでは戦いでも蹂躙でも無く、虐殺ではないか」
そう言う彼女の名前はリスティ、魔物の更に上の存在である魔族の王、魔王だ。
彼女の軍勢、魔王軍は今全ての人類を文字通り滅ぼした。捕虜や奴隷すら許さない、完全なる根絶だ。
徹底した虐殺は、反撃の芽すら摘み取りこの世界を魔に染め上げた。
龍は既に人との戦いで滅んでいる。
もはやここに魔物の敵対者など存在しない。
魔王はこの永きに渡る戦いの歴史に終止符を打った存在だ。
魔王が満足そうに越に浸っていると、突然光が輝いた。
眩しさに目を細めるリスティの前に現れたのは、白い衣を纏った美しい女だった。
すぐに立ち上がり魔法を放つリスティだが、女は焦る様子一つ見せる事無く、彼女の魔法を受けた。
確かに体に当たった魔法は、まるで水面に垂れた水滴の様に波紋を一瞬見せたかと思えば、すぐに掻き消えた。
リスティの周りから鎖が現れ、彼女の四肢を拘束し、女は魔王を優しい笑みで見下ろした。
「魔王リスティ、貴女は禁忌を犯しました。ええ、それはそれは最悪のです」
「お前、神か!」
「流石ですね、正体を見破るとは。それに、その力も確かに私に届きました。まさか残機が五つも削られるとは、地上の者も侮れませんね」
神、それは上古の時代より遥か昔、この地と生きる者を創った存在。
人、魔族、龍、大地、天、海、六柱の神が世界を創ったとされるが、魔王は自分の眼の前にいる神が何の神なのか観察していた。
鎖に縛られ魔力も上手く扱えず、力も入らない。
ただリスティが手足を動かそうとするのが、鎖の小さな揺れとなっていくだけだった。
それでも魔王は足掻くのをやめなかった。
全てを揃えた神などいないのだ。
であるならば、どこか弱点が存在する筈、そう信じリスティは魔法を発動させる。
鎖に繋がれた彼女の体から魔力の反応がすると、女神は初めて眉を顰めてその場から離れよう後ろ地面を蹴るが、彼女の方が速い。
魔力が土へと変質し、槍へと姿を変えて女神に襲いかかった。
避ける女神の腕を傷つけ、血がポタポタと垂れる。
初めて傷を負ったのか、女神は一瞬何が起こったのか訳のわからないと言った表情をしていた。
女神は一瞬不機嫌そうに顔を歪めるが、すぐに優しい笑みを浮かべて、傷ついた腕を庇いながら歩み寄ってくる。
結局鎖に繋がれたままの魔王は、諦めたように目を瞑り、清々しい顔をして女神を見ていた。
「神が地上に関与するとはね、随分と暇だったのかな?」
「ええ、確かに暇ではあったわね、貴女のせいで忙しくなったけど」
「その割に動くのが遅いけどね」
暗にこの状況を作ったのはお前だと示す魔王に、女神の動きが固まるが、流石は神といったところなのか表情は一切変化させない。
これからどう消されるのか、魔王が諦めていると女神の声の雰囲気が変わった。
「アンタね、やって良い事と悪い事があるのよ!」
「え、あ、はい」
思わず気圧された魔王は、困惑した様子で返事をする。
「良い?勇者が死ぬまで魔族、魔物全体で滅んだフリをするだの、龍族と人族をけしかけて龍を滅ぼすだの、隠れ潜む間に魔物と魔族を全て強化するだの、アンタがやってることは卑怯なの!」
「え、それ、今、言う?」
今更何を言うのか、そういう驚きの声が魔王から漏れ出していた。
神の言う通り、この魔王リスティはかなり悪質な方法で魔物を勝利に導いた。
魔王と対等な力を持つ勇者が生まれると同時に幹部総動員で攻めたかと思えば、運命に邪魔されるとすぐに勇者の調査に奔った。
勇者が永い寿命を持たない事を確認すると、全ての魔物と魔族を引き連れて人と龍の活動領域外である大陸極東に身を潜めた。
さらに悪質なのは、去る前に龍族と人族が敵対するように仕向け、争いを勃発させた。
そして勇者が死ぬまでの期間百年程と、保険でもう百年引き籠もる間、魔物全体の強化の為に訓練を実施し、最弱の魔物でも人間の中堅以上、ワイバーンと同等レベルにまで引き上げた。
そして余計な思考を排除するために徹底した教育を重ね、他種族の隷属化や捕虜も何もかもを禁止し、殺す事を義務とした。
その結果がこの惨状である。
魔王自身も鍛錬を怠らなかった結果神にさえ届く力を手に入れ、魔物が世界を統一してしまったのだ。
それを神は許さなかった。
「貴女にはもう一度、二百年前からやり直してもらいます。本当なら貴女は勇者と共に世界を脅かす第三勢力と戦うのに、第三勢力すら時間の流れで無視して、全てを無茶苦茶にしたのよ!」
「お前は何を言っているんだ……?」
この女神、もとい神はどうやら横暴であると魔王は悟り、頬の引きつりが元に戻らなかった。
しかもかなり重要な事ベラベラと喋っているのだが、こいつは一体何なのだろうかと魔王は僅かな怒りを覚えながら呆れていた。
「という事で、いけない事した貴女が悪いんだからね!」
神の言葉と共に、魔王の視界は目を開けていられない程の光に包まれて、真っ白になっていった。
どうやらここまでやったのに、神とやらの都合でやり直しを強いられるらしい。
魔王は虚無感を感じつつ、光の中に体を委ねて力を抜くのだった。
■ ■ ■
体全体を覆ってもあまりある大きさで、肌を優しく包み込む柔らかい布団の中で魔王リスティは目を覚ました。
目をこすりながら、窓の外を見れば少し前まで見ていた光景とは違う、懐かしい景色が広がっていた。
これはリスティが魔王となった時期の景色だ。
どうやら本当に過去に戻されたらしいと、リスティは何よりの証明として外の光景を眺めると疲れを見せるようにため息を吐く。
どうしたものかと考えていると、扉がコンコンとノックされた。
「魔王様、朝のお出迎えに参りました」
「あーえっと、ユーノ。既に幹部は会議室に?」
「勿論であります、さぁこちらに」
ユーノと呼ばれた青年は、紫色の髪をした温和の顔をした貴公子といった顔立ちで、少し長い髪を下ろしている。
魔王軍最高幹部六大魔将の一人〈静寂の騎士〉ユーノ・アルランティオ、優秀な配下の一人だ。
あまりに優秀すぎて、前の時にはさっさと始末せざるを得なかった存在。彼はリスティを手籠めにし、権力得ようとする野心家でもある。
ユーノの後ろ付いて歩きながら、リスティは考え事をしていた。
どうすればまた同じようになるのか、今回も同じように勝ちに拘った戦いを見せれば、またやり直しを迫られるだろう。
そうこう考えていると、会議室の前に着き、ユーノが扉を開ける。
中にいる全員がリスティを見ると頭を下げ、彼女は奥に用意された席へと腰を下ろした。
全員が揃った事を確認したユーノは神妙な顔をして立ち上がる。
「それでは、月の定例会議を始める。まずは対龍戦線の報告を」
言われて立ち上がったのは、赤い体にいかにも鋭い目つきをした魔族だ。
常に苛立ちを隠さないような顔をしているが、意外にも声は普通で、落ち着いて話している。
「六大魔将〈白鬼〉、報告させてもらうぜ。対龍戦線は先日中央左の将である地龍ガグアを討伐、少しずつだが押し上げてるぜ」
「魔王様、各魔将、何か」
全員が渡されている資料に目を通し、しばらくの間考えるが何も無いと首を振る。
ユーノは全員が何も無い事を確認すると、また次の者に話を振っていった。
そんなやり取りが続くと、ユーノはまた次の者に話を振る。
「それでは報告を」
「はっ、六大魔将〈観測者〉ザーク、報告させていただきます。世界への探知の結果、勇者誕生の波動が検知、人類圏のどこかにいるものと思われます」
長い白髪をなびかせる美しい魔族であるザークが言った言葉に、周囲の者がピクッと眉を上げる。
勇者、それは魔族の王たる魔王に対抗するために生まれる、人族の最強存在だ。
いつの時代も魔王が生まれた直後に現れ、最終的には魔王を討伐している。
いわば魔族にとっての天敵のような存在が、今代も確かに生まれたのだ。
この場にいる魔族達の表情は芳しくなく、重苦しい雰囲気が漂う中、魔王リスティが口を開いた。
「ならばまず勇者がどこに現れるかを探せ、話はそれからだ」
リスティはそう言うが、内心ではもう答えを知っているので無駄なことをしたくないと葛藤していた。
しかし、勇者を最初から襲撃するなどは封じられた以上、適当に時間を稼ぎつつ、部下には魔王をしっかりやらなければならないのだ。
ザークはリスティの命令に返事をすると、すぐに立ち上がり部屋から出ていった。
すぐに勇者の捜索に向かったのであろう。奴は真面目な性格だから、そうするのも良く知っている。
その後はあまり新しい事のない会議で、持ち場へと解散になった。
部屋に戻り、一人となったリスティはやっと落ち着いて考え事が出来ると喜ぶ。
あの女神の理不尽でやり直す事になったわけだが、事はそう単純にいかない。
リスティとて、一般的に卑怯と呼ばれる手を使わないにしても、負けたくはないのだ。
ならば勝利を掴み取りにいきたいのだが、そうしてしまうと自身の性格や思考が出てしまう。
どうすれば良い感じに勝てるのか、頭を死ぬほど唸らせていた。
実際に部屋にウーンと考える声が響いている。それほどまでに悩んでいるのだが、中々リスティにいい案が浮かんでこなかった。
どうして勝ち方に拘らなければいけないか、自由にやればいいのだ。
そもそも神が面白くないだのなんて、一切興味が無いのになぜ巻き込まれなければいけないのか、魔王はイライラして頭を掻きむしるのだった。




