お梅の願い
結局この日長州藩が攻めてくる事はなく、会津藩の指示で警戒体制は解除となり、斬り合いになるこもなく帰路についた。
帰路に着く梓達とは別に、近藤は会津藩主から話があると残される。
そこで会津藩主松平容保公から、壬生浪士組の名に代わり『新選組』と名をもらうのだが、それを梓が知るのはもう少し先のこと。
8月18日以降、壬生浪士組には新たな仕事が与えられていた。
普段の巡察に加え、長州藩士の捕縛である。
と言うのも、御所から追い出された長州藩士はそのまま京からも追放されたのだが、藩士の一部はそれに反発し京に潜伏。それに対し、京を巡察する壬生浪士組に長州藩士を見つけ出し捕縛する仕事が回ってきたのだ。
18日から数日間は巡察を取りやめ、残党狩りと言う名目で総出で長州藩士を探し回った。
これがまぁ骨の折れる仕事で、長州藩士か他藩の藩士かはたまた浪人か、見た目などで判断できるはずもなく、頼りになるのは街の噂や証言のみ。
どこそこで目撃情報があれば駆けつけるのだが、その情報の多くはハズレ。アタリだったとしても辿り着く頃にはもぬけのカラ。
今度はこっち、今度はそっちと、聞いたこともない名前の長州藩士を追って掛け回った。
アタリならその度に、末端の藩士数人の捕縛はあるものの、肝心の大物は捕縛できずと、労力に見合わない日々を送っていた。
「もう!桂なんとかだの平野なんとかだの、捕まるか出ていくかどっちかにしろってんですよ!」
「桂小五郎と平野国臣な」
巡察中、梓の突然の怒りに藤堂が慣れた様子で突っ込みを入れる。
「まったくです。斬り合う気がないならせめて、もうちょっと上手いこと潜伏してほしいものです」
「おいおい総司。んなこと土方さんに聞かれたら怒鳴り散らされるぜ」
「…思っていても口に出すものでは無い」
梓に同調する沖田に対しても、また藤堂は突っ込みを入れ、加えて斎藤までもが嗜めた。
9月に入っても長州藩士の目撃情報は度々聞かれ、巡察と長州藩士探索を両方こなすため、毎日の巡察にあたる一組あたりの人数も倍に増やされていた。
今まで幹部2人と平隊士6名の組で巡察に当たっていたのだが、今は幹部4人と平隊士12人と結構な大所帯で巡察を行っている。
今日の巡察は、梓と沖田・藤堂と斎藤の19歳組と平隊士12人だ。
何かとつるむことの多い4人なだけあり、梓の気も緩み沖田と共に愚痴が飛び出してしまったのだが、平助と斎藤に冷静に止められる。
「まぁ一時と思えば落ち着いた方なんじゃねぇの?」
「あれから20日か。さすがに長州も諦めたのだろう」
(もうそんなに経つのかぁ)
毎日の激務に追われてあっという間だったが、気が付けば8月18日から20日が経っているらしい。
原田に芹沢との血縁関係を話してから20日経ったと言うことにもなるが、原田は誰にも言っていないようで、他の隊士からその事について聞かれた事はない。
芹沢は相変わらず、梓を避けているのかただただ間が悪いのか、会話どころか姿を見ることすら無い。
「最近さぁ、なぁんか不穏じゃね?」
突然藤堂が発した言葉に、梓達残りの3人は揃って藤堂を見る。
『不穏』と言われても、梓に心当たりはない。斎藤と沖田はどうなのかと見てみるが、2人とも読めない顔をして藤堂を見ているのみ。
代表して、梓は藤堂にどう言う意味かと質問を返す。
「いや、どうって言えねぇんだけど、なぁんか近藤さん達がピリついてる気がしてさぁ。……え、俺だけ?気のせいか?」
誰からも同意を得られなかった事に焦る藤堂。正直梓は自分のことで手一杯で、近藤達に変化があったとしても気づける状態ではなかったので何とも言えず、藤堂と共に沖田と斎藤に目を向ける。
「俺は何も聞いていない」
すぐさま首を振る斎藤だったが、残る沖田は「うーん」と腕を組む。
「平助の言っているのと関係があるかは分かりませんが、新見さんを近いうち尋問すると言うのは聞きましたよ」
いつも通り飄々とした口調で告げられた言葉に、梓と藤堂は目を見張る。
「おいコラ総司!どう考えてもそれだろ!俺の言ってた不穏って!」
「なんで新見さんが?副長ですよ?何かやったんですか?」
藤堂と梓が同時に詰め寄ったため、さすがの沖田もタジタジと後ずさる。一方の齋藤は額に手を当て、人知れずため息をついた。様子を見るに、斎藤も事情は知りつつ黙っていたのだろう。
離れているから声までは届かないものの、幹部の4人が巡察をそっちのけで話し込んでいるのは平隊士からすれば異様な光景。斎藤もそれに気が付き、平隊士達に手分けして長州藩士の情報を探りに行くように指示を出す。
「はじめく〜ん」
平隊士に指示を出して沖田達の元に戻れば、藤堂と梓に詰め寄られた沖田が情けない声で助けを求めてくる。
大方どこまで話していいのか分からないのだろう。と瞬時に理解し、内心(自業自得だ)と吐き捨てながらも助けに入るあたり、斎藤は面倒見がいい性分なのだろう。
「……口止めされて黙っていたが、新見副長が偽名を使って金策をしている疑惑が出ている。その真偽を確かめるための尋問だ」
端的に説明され、梓と藤堂は顔を見合わせる。
考えている事は2人とも同じ。
「そんなの芹沢一派ならだれでもやってんだろ?なんで今更?」
藤堂の言う通り、金策は法度で禁じられてはいるものの、芹沢一派は押し借りの常習犯。それを今更になって新見だけを罰しようと言うのだから、聞き返したくもなる。
「芹沢局長のやっているのは金策ではなく『あくまで壬生浪士組への協力金を募るもの』と言うのが芹沢局長の言い分らしい」
斎藤が説明すれば、沖田は「勝手ですよねぇ」と笑う。
「対して、新見副長は偽名まで使って明らかに法度を意識している。尋問するには十分に足ると言うのが、近藤局長達の見立てだ」
斎藤の説明を聞き、藤堂は「なるほどなぁ」と頷くが、梓はどうにも納得できない。
別に新見錦への尋問に反対したいわけではない。ただ、今の斎藤の説明がそのまま事実だとするのなら、芹沢は新見の金策について近藤達から聞かされ、自身の金策と新見の金策は目的が違うと、自分の金策は正当で新見の金策は不当なものだと、暗に言ったことになるのではないだろうか。
(芹沢一派筆頭とも言える新見さんを、芹沢さんが切り捨てた?そんな事……)
そこまで考えて、梓は思考を止める。
『そんな事……』本当にあり得ないだろうか。大和屋の一件の時、梓に夢見の話を聞かせて以降、芹沢の言動は更に酷くなった。
8月18日に局長らしい働きはあったがそれもその時だけ。毎日好き勝手に飲み歩き暴力を振るい、前川邸に居ることすら稀で、隊士からは白い目を向けられているのが今の芹沢だ。
(やっぱり、無視されようと殴られようと、もう一度芹沢さんと話をしなきゃ)
新見錦が尋問される。その結果がどうであれ、芹沢一派の壬生浪士組内での批判は更に高まるだろう。夢で見た芹沢の闇討ちがいつなのかは分からない。それでも状況的に、それがすぐそこまで近付いてきている気配をヒシヒシと感じ、梓は焦燥感に駆られていた。
巡察後、梓は早速前川邸の離れを訪れていた。
「芹沢さん、いますか?」
外から声をかけるが、いつものように返事はない。
いつも居てもいなくても返事はないのだから声をかけるだけ無駄なのだが、礼儀としての声かけだけして梓は戸口を開けて中に入る。
入ってみると、大きな雪駄が1組と女性物の下駄があった。
(お梅さんが来てる?って言うことは、この雪駄は芹沢さん?)
芹沢がいると分かり、梓は急いで自身の草履を脱ぎ足早に奥の部屋を目指す。
「芹沢さん!梓です!入ります!」
返事を待たずに襖を開ければ、お梅にお酌される芹沢の姿があった。
久しぶりに会うが、代わりない芹沢の姿に内心ホッとする。加えて、勢いで入室したものの2人が交わっていない事にも心底ホッとする。
しかし対する芹沢は梓を見ることはなく、お猪口の酒をグイッと飲み干すとお梅を見て顎をクイッと梓の方に向ける。
それを見てお梅は大袈裟にため息をつき、スッと立ち上がると梓の前に立ち塞がる。
「梓はん、行きましょか」
「え、でも私は芹沢さんに用事が…―」
「はよぉ」
せっかく芹沢に会えたと言うのに、お梅に手を引かれ半ば強制的に離れから連れ出されてしまった。
手を引かれ、人目を気にして向かった先は壬生寺の境内奥にある庭園。八木邸からも前川邸からも目と鼻の先だが、奥まった場所にあるそこは、もう夕日も沈もうとしているこの時間では人気は全く感じない。
「ここならええやろ」
やっと立ち止まったお梅は誰に言うでもなくそう呟き、近くにある庭石に腰を下ろす。話しかけても抵抗しても反応のなかったお梅だが、今ならいいかと梓は抗議するため口を開く。
「お梅さん、私は芹沢さんに用事があったのですが…―」
「そんなんこっちの台詞や!やっっっと芹沢はんと2人きりの時間やったのに…邪魔せんといてぇや!」
抗議するはずが捲し立てられ、逆に謝ることになってしまった梓。
聞くところによると、お梅ですら芹沢とはなかなか会うことができなかったらしい。それでも聞くに3日に一回は会っている。
(なかなか会えないって、それだけ会えてれば十分じゃない?って言いたいけど、後が怖いから黙っとこ)
「それなら尚更、芹沢さんの元に戻りましょうよ。私の話はお梅さんがいても構いませんから」
「あんたなぁ、戻れへんから連れ出したんやないの。芹沢はんはあんたと話す気ぃはさらさら無いで」
薄々、いや、確信は持っていたものの、やはり避けられていたのだと突きつけられ梓は少なからず動揺する。
「……その理由、お梅さんは聞いていますか?」
聞けばお梅は困った顔で笑い、「そんな顔しぃな」と手招きをして自分の横に座るよう梓に促す。
「ちょっと前から、芹沢はんがあんたに辛く当たってるのは知ってたやろ?うちにもそれを強要してたんも分かってるやろ?」
聞かれて梓は「はい」と返事をする。分かりやすく態度が変わったのは佐伯の一件以来だろうか。
「うちあん時しっかり演技したのに、少し経ったらもうええって言われて、損な役回りやったわぁ」
お梅が言う『あの時』も、佐伯の一件で佐々木とあぐりを逃したことに対して梓にキツく言った時のことだ。あれが演技だったとは、本心もいくつか入っていそうだとは思いつつ梓はお梅の演技力に感心する。
そして芹沢が「もういい」と言ったのも、恐らく大和屋で芹沢が梓を避けていたことを暴露したからなのだろうと目星をつける。
「芹沢はんから言われとるやろ?もう話はせぇへんって。芹沢はんは、これ以上情が移ってあんたの剣が鈍るんを危惧しとるんよ。最後は本気のアンタと本気で斬り合いたいって」
お梅の言葉に、梓はあの日大和屋で芹沢に言われた『自分の役割を受け入れろ』と言う言葉の真意を理解する。
(……あの夢は、やっぱり予知夢だったんだ…。そして、芹沢さんも同じ予知夢を見たんだ。私が芹沢さんを斬る夢を。その上で、それを受け入れているって言うこと…?)
「お梅さん!私は、私は芹沢さんと斬り合いなんてしたくありません!なんで身内を自ら斬らなきゃいけないんですか!」
「そんなんうちだって知らへんわ。でも、それがお侍はんとして生きてきた芹沢はんの望みなら、止めることなんてうちには出来へん」
お梅の声が鼻先で滲んでいるのを感じ取り、受け入れ難いのは自分だけでは無いのだと知り、梓はそれ以上抗議することが出来なくり口を噤む。
「梓はんならもう分かっとると思うけど、芹沢はんは強いで。どんな手ぇを使うんか知らへんけど、うちは夢の話なんて信じてへんし、返り討ちにされても文句言いなや」
お梅の口ぶりから、芹沢はお梅にも夢見の力のことを話したのだと気がつく。それだけお梅と芹沢の絆は強いものになっていたのだろう。
「私は、その役目がもし万が一来たとしても、受けるつもりはありません。予知夢は変えられると知っているのに、動かないわけにはいきませんから」
「……変えられるん?」
お梅の戸惑いが混じった質問に、梓は確信を持って頷く。それを見て動揺するお梅だったが、少しの沈黙の後ゆっくりと口を開く。
「……うちは、自分の気持ちより芹沢はんの気持ちを優先するって決めたんよ」
ボソボソと呟いたお梅の言葉は、ザッと吹き抜けた風に連れていかれ梓の耳には届かない。
「梓はん。梓はんがやらんでも、芹沢はんは遠くないうちに死んでしまうんよ。せやったら芹沢はんの望み通り、引導を渡してやるんが優しさやない?」
お梅の聞き捨てならない言葉に、梓は何の事かと聞き返す。
「芹沢はんな、瘡なんよ」
短く告げられたその言葉に、梓は驚きの余り言葉を失う。
瘡と言われるそれは、交わりによって感染するとされる病気、瘡毒の通称だ。適切な治療法は無く、発病したら最後、数年に渡って徐々に体を蝕んでいく。全身至る所に赤いしこりができ、顔体の形はボコボコと変わり思うように動かせず、最後には自己も無くなる。全身が赤くただれ鼻が腐り落ちたその姿は、世にも恐ろしいという。
主に花街で流行し、花街の外でもその悲惨な死に際は瓦版や噂として流れており、梓の耳にも入っていた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。さっきも普通だったじゃないですか!」
先程、部屋でいつものように酒を飲んでいた芹沢を思い出し声を上げる梓だが、お梅の表情は変わらない。
花街で生きてきたお梅は、少なくとも梓よりは、確実に瘡毒についての知識は持っているのだ。
「瘡はな、隠れるんよ。治ったと思わせて何べんも出ては消えて出ては消えて。そうやってちょっとずつ体を蝕んでいくんや」
お梅の表情を見れば、とても嘘をついているようには見えない。
信じたくないと思う反面、それが事実だとしたら芹沢暗殺を止めるきっかけになるのではないかと、相反する思考が梓の頭を駆け巡る。
思考はまとまらないまま、梓はその場に立ち上がる。
「私、近藤さん達に芹沢さんが病気だと伝えてきます!」
「あかんて!」
意気込んで立ち上がったものの、お梅に袖を引っ張られ静止される。
なぜ止めるのかと食ってかかる梓に、お梅は目に涙を溜め叫び声にも近い声で反論する。
「芹沢はんは!芹沢はんはアンタと斬り合って死にたいんや!病気で死ぬんを望んでへんの!最後の願いくらい…最後の願いくらい叶えてやってぇや!」
梓の着物を掴む腕が震えている。お梅の心からの願いに、梓は身動きがとれず立ち尽くした。
瘡毒とは今で言う梅毒です。
当時は不治の病で、罹れば治す術はなかったそうです。




