08.私と私 -ミレーヌとリン-
何もない。夜よりも暗い闇の空間。
どちらが上でどちかが下か、前か後ろか、右か左かさえも不明。
私はそんな黒以外何もない空間を一人で漂っています。
不思議と怖くはありません。
むしろ感じるのは、恐怖ではなく懐かしさでしょうか。
こんな空間なのに温もりも感じます。
先程から私を呼ぶような声も聞こえるような気がします。
こんな場所なのに不思議ですね。
「などと現実逃避している場合ではありませんね」
敢えて閉じていた目を開きます。
横たわるように浮いている体を起こし、軽く深呼吸して魔法を行使します。
……ひび割れていく闇。
やがてそのひびがこの空間全体の闇にまで及ぶと、闇はガラス細工のような音と共に砕け散り、一瞬の閃光の後、それまでとは別の風景が広がっていきます。
この場所は王宮の庭園でしょうか。
色とりどりの花々が咲く中で、私から数mの距離、一人の女性が背中を向けて座っています。
「こうして会うのは初めてですね」
「そうだね。呼びかけに応じてくれてありがとう。私」
その女性が立ち上がりながら私に振り返ります。
今の私と同じくらいの長さの黒髪に、限りなく黒に近い焦げ茶色の瞳、身に着けているのは何処かの学園の制服でしょうか? スレンダーな体によく似合っています。
「貴女は私。――――リンで間違いないですか?」
「そう。そして貴女も私。ここでは初めましてミレーヌ」
リンは私に微笑みます。
私はそれを複雑な気持ちでただ見つめます。
リンが私をここに呼び出した理由は分かっています。
[私]の記憶を私に提供するために違いありません。
受け取らないといけないのでしょうか。
受け取った後、私と私はどうなってしまうのでしょうか。
私は結構、今の関係が気に入っているのですけどね。
「そんな顔しないで。強制はしないよ」
「いいんですか?」
「うん。少しの時間考えたんだけど、私も今の関係気に入ってるから。
だから今のままでもいいかなって」
「そうですか。首根っこを捕まえられて無理矢理[私]を流され込まれるかと思っていました」
「ちょっ、私の中の私の評価酷くない?」
「ふふっ、冗談です」
「知ってる」
「そうですよね。私ですから」
「「ぷっ、あはははははははっ」」
私たちはひとしきり笑い合います。
私同士なのに友達のように話せるのが不思議です。
どれくらい笑っていたでしょう。リンがひいひい言いながら左手はお腹に置き、右手は笑い過ぎで零れた涙を拭きながら改めて私に話しかけてきます。
「はーはーっ。笑った笑った。ねぇ、ミレーヌ」
「ふふっっ。はーはー。私も久しぶりに良く笑いました。なんですか、リン」
「今のままだとね、私は不安定でいつか精神がおかしくなるかもしれないっていうリスクがあるのは分かるよね? それでも私は今の私のままでいる?」
「その時はその時考えましょう。まだ起こってもいないことで悩むのは無意味です。
大丈夫ですよ。その時が来ても対応出来ます。だって私ですから」
私はドヤ顔で胸に右手を胸に置きながらリンに告げます。
リンはしばし呆気にとられた後、おかしなことを言いだします。
「ミレーヌって自信満々だよね。同じ私なのにどうしてこんなに性格が違うんだろう?」
本当におかしいですね。私も私なのですから、違う筈ないじゃないですか。
「そんなことはないですよ。私も私じゃないですか」
リンを見ます。その私の視線を受けて彼女はニヤリと微笑みます。
「今思ってることせーので言わない?」
「いいですよ」
「じゃあいくよ。せーの」
「「私は腹黒」」
「「ぷっ。あはははははははっっ」」
また私たちは笑います。
そうです。私は腹黒なんです。
結局、私は私。感情を表に出すか出さないか、その違いしかありません。
「ですが」
「ん?」
「お腹の中で思ってることを隠して、善人を装っているリンのほうが腹黒な気がしますね」
「ひどっ! 前の世界ではそういうのが上手に世渡りする方法だったんだよ!
真面目な人程損をする。そんな感じだった気がする」
「なるほど。リンも大変だったということですか」
「そうだよ! 大体。……あ! 呼ばれてるね。ミレーヌ」
「そうですね。そろそろ戻った方が良いかもしれません」
「話せて良かった」
「ええ。私もです。私、これからもよろしくお願いしますね」
「うん。こちらこそ、私」
私は空を見上げます。
そうするとその空に吸い込まれるように私が溶けていく感覚を味わい、そのすぐ後、私は現実に目覚めました。
「リン」
最初に見た時より小綺麗になっていますね。
お風呂に入れてもらったのでしょうか?
綺麗ですね、銀の髪。私の白金髪と似ていてなんとなく親近感が沸きます。
肌の色は私よりも随分濃いですね。エルフとダークエルフの違い。こうして間近で見ると随分と違うものですね。
「リン。頼む。起きてくれよ、リン」
おっと、薄目で観察している場合ではありませんね。
ずっと看病してくれていたのでしょうか?
これ以上寝たフリし続けるのは少々彼女の精神に負荷をかけてしまいますか。
「おはようございます、アイル」
私は目を開けて、私の手を握って女神様に祈るかのように顔を伏せているアイルに声を掛けます。
「リン!!」
それを受けてアイルが顔を上げます。
瞳の色は赤色ですか。私の青と正反対の色。これはこれでルビーのように美しいですね。
「私はどれくらい寝ていましたか?」
ベットの中、視線を巡らせるとここは王宮魔導士詰め所の医務局ということが分かります。
薬品の独特の匂いが鼻に香り、私は少々顔を顰めてしまいます。
この香りはあまり好きではありません。
「三日だ。もう目を覚まさないんじゃないかと不安だったぞ」
「三日ですと!!?」
そんなに寝ていたのですか! これはさすがに予想外です。
体を起こして座ろうとすると、アイルにそれを止められました。
「まだもう少し寝ておけ。体も回復しきっていないだろう」
「……そうですね。そうしましょう」
アイルの忠告通りに大人しく布団の中に戻ります。
以降続く無言の刻。
…………息苦しいですね。何か話してくれないでしょうか。
ちらっとアイルを見ます。彼女も私を見ていて目が合いました。
「「あのっ」」
「……アイルからどうぞ」
「ああ、すまないがそうさせてもらう。
いきなり核心を聞くが、君はリンなのか?」
「直球ですね。う~ん、その応えは少々難しいですね。
どうしても応えろと言われると、私はリンであってリンではありません。
……と言うしかありません」
「つまり君は記憶が完全じゃないということか?」
「ええ。不完全な記憶をリンと私とで共有している感じでしょうか。
言葉にするのは難しいですが」
「そうなのか。ワタシは生まれた時からずっと前世の記憶を持っていた。
おかげで少々恥ずかしい思いをしたわけだが……」
アイルの褐色の頬がほんのりとピンクに染まります。
その理由を推理する私です。
……先程生まれた時から記憶を持っていたと言っていましたね。
「なるほど。赤ちゃんプレイをしたということですか」
「思い出させないでくれ!!」
正解だったようですね。
両手を顔に当てて悶えるアイルを見ながら、私はニヤリと口角を上げます。
「大変でしたね」
「ああ、まったくだ。成長するまでずっと本気で死にたいと思っていたぞ」
「生きていてくれたから、再会出来たのですよ?」
「言葉の比喩だ。ワタシだって本気で思ってはいなかったさ。
リンとコトネと再会するという目標があったからな」
「……私が中途半端で後悔をしていますか?」
会わなければ良いかったと――――。
その言葉は寸手のところで飲み込みました。
それを聞くのは私らしくありませんから。
「………いや、してない」
少し間がありましたが、アイルは結局そう応えました。
その後言葉が少し続きます。
「ただ、なんでだろうな? とは思ってる。
ワタシは記憶・人格を保持しているのに、リンが保持していない理由が分からない」
「言われてみるとそうですね」
私は顔を天井に向けて考えます。
私は井の中の蛙です。
箱入り娘として大事に大事に育てられた弊害なのでしょうか。
私は知らないことが余りにも多すぎるのです。
「ところで」
「はい?」
唐突にアイルが話題を変えました。
気を使ってくれたのでしょうか? 悪いことをしてしまいましたね。
「この国は凄いな。女性だけで全てをやっているのか。
ワタシがいた国では考えられなかったことだ。
ワタシがいた国は度が過ぎている程の男尊女卑で女性の地位など道端のゴミも同然だったからな」
「だから戦争を目くらましにこの国に逃げて来たというわけですか」
「ああ。一か八かの賭けだったがな。
この国に入る前にあいつらに見つかったらワタシたちは一人残らず殺されてた。
だが、ワタシたちは賭けに勝った。純粋に嬉しく思うよ」
私から見るアイルの顔は本気で安心している顔です。
それを見ていると逃亡劇が成功して良かったなと私も思います。
「ふふっ」
その笑みを聞いたからでしょうか。
アイルが笑顔で質問して来ました。
「けど女性しかいないのにどうしてこんなに栄えてるんだ?
普通少子化になっていって最後は滅ぶだろ」
「その理由はこの国では女性同士で愛し合えば子供を授かることが出来るからです。
最もどちらが授かるかはランダムですし、生まれるのは必ず女性です。
それからお互いが子供が欲しいと思い合いながら抱き合わないとその現象は起きないという制約がありますが」
「そうなのか」
「ええ。ちなみにハーレムでも可能ですよ。
アイルはモテますからね。子宝に恵まれるのではないですか?」
「……やめてくれ」
私がアイルを揶揄うと、過去を思い出したのか、げんなりとした顔となって意気消沈してしまいました。
背が高く中性的な顔立ちのアイル。そんな彼女でしたから、彼女の周りは女性たちからの黄色い歓声が絶えませんでしたからね。
「この国でも大変そうですね」
「……うっ」
顔立ち。相変わらずなのですよね。
ただ、今は子供なので可愛いだけで済んでいますが、成長したらきっと過去と同じ未来を歩むことになるでしょう。
この時の私はそう思っていましたが、その予想は外れました。
私自身がそうなるとは思っていなかったのです。
「……そう言えば君の名前を聞いていなかったな。
よければ教えてくれないか」
「名前ですか」
私はニヤっと微笑ます。
体を起こし、右手を前に。アイルに見せつけるようにして自己紹介です。
「最年少で魔導士試験を合格した美幼女。それは誰でしょう? はい、私です。
改めまして白亜の魔導士ミレーヌ・エル・スタールと申します。
以後お見知りおきを」
指輪を見せつけるようにしていた手の形を握手を求める形にしてアイルに差し出します。
アイルは暫く呆けていましたが、私の手を取るともう片方の手の指で頬を掻きだします。
視線は何故か斜め上。再び頬をピンクに染めてちらちらとこちらを見てくるのが面白いです。
「驚いた。リンとは似ているようで全然違うな。
その……。意思がはっきりしてる分、ミレーヌは魅力的だと思うぞ」
リンと全然違いますか。実は彼女は隠してるだけなのですけどね。
それは言わないでおきましょう。
「ふぁ……。また少し眠くなって来ました。
アイル、申し訳ないですが休ませてもらってもいいですか?」
「ああ。ワタシもやることがあるからな。
おやすみ、リ……。いや、ミレーヌ」
手を離し、お互い軽く微笑んで私は布団に潜ります。
微睡の中、アイルが私に被さって来て、その後私の唇に何かが触れた気がしました。