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滅界の花嫁  作者: アブ信者
第閑話
39/70

039

 エレインに精霊魔法を教えるにあたり、自分には足を向けて寝られない人物がいる。そうでなかったとしても態々誰かに足を向けて寝たりすることもないわけだが──それは、エレイン同様に精霊魔法を使うことの出来るエルフ種である、アザミという名の少女である。


 三つ編みにされた青紫色の髪と同じ色の瞳を持ち、耳はサクラよりも長くとがっている。背丈は自分と同じくらいか、少し小さい程度。


 優しげな眼付ではあるものの、自分に厳しく他人に厳しく、サザンカ辺りを叱りつけている光景をよく見かける。クロユリとスズランほどではないが、あの二人も大概ニコイチな存在である。クロユリの話ではアザミがサザンカに対抗意識を持っているとのことだったので、そもそも彼女らとあの二人とでは、関係性の方向性が違うのだろう。しかし、とても仲よさげに見えるという点においてはどちらも違わない。


 そんなアザミと、その日は二人で外に出ていた。


 そろそろエレインが精霊魔法をモノにし始めたということで、ようやく安心して試験の日を迎えることが出来るとなった自分としては、それまで散々世話になったアザミに対しての礼を何かしらしなければならないと考え、何か欲しいものやしてほしいことがあるかどうかを尋ねたのだが、その結果である。しかしそうはいっても子供なので、二択を用意しつつ、自分としてはてっきり物で来るのではないかなどと考えていたのだが、アザミはそちらを選ばなかったのだった。


「わ、私と……デ、デデデ……デッ……! ……で、出掛けてほしい……です」


 というのが今朝の事。


 そして現在、出掛けると言うからには町の方にでも行くのかなと考えていた自分の予想は外れ、自分とアザミ、二人仲良く森の中を歩いているというわけだった──森とは言っても、ウォーマスの森ではなく、先日コハクと狩りをした森でもない、見知らぬ森だった。


 尤も、見知った森というのも、それはそれで何だかおかしな話なような気もするが。


 しかし出掛けると言って森を選択するのは、『自然と共に生きるエルフ』的な感性故なのだろうか。サクラはそのあたり、どちらかと言うと人間に近かったりするのだが──しかしつい最近までエルフ社会で暮らしていたらしいアザミと、幼くしてそこから追放されたサクラとでは、やはり違うのかもしれない。


 とは言え、サクラも何だかんだでずっと森の中にいたような気がするが。


 まぁ、別になんだっていい。


「……それにしても、なかなか清々しい森だね」


 辺りを見回し、空を眺め、言う。光のよく差し込む、鬱蒼としない森である。空気も心地よい。


 先日コハクと訪れた森とは、そのあたり真逆である。あそこは歩きにくく、空気は淀んでいて、陽の光の殆ど差し込まない、まさに鬱蒼とした森だった。


「私の好きな森なんです」


「好きな森……、なるほど。なら、嫌いな森もあるの?」


「ありますよ。どんな森と言われると、少し説明が難しいですが」


「ただ単純に暗い森とか、植生の関係じゃなくて?」


「はい。人間がどう感じるのかは分かりませんが、森……と言うかその場所その場所には、それぞれ特有の空気があるんです。そしてその空気に応じて、そこに存在する祖霊の性質も変化するんです。その辺は感覚でしかないので、あまり理解されるような説明も難しいんですけど」


 祖霊、あるいは、精霊。


 なるほど、言いたいことはなんとなく理解出来た。


「この森にいる祖霊とアザミの相性が良いっていう話?」


「そうです。まぁ、私の……と言うより、私の氏族は大抵そうだと思います。そもそも、相性のいい祖霊が多くいる場所に居を構えることが多いので」


 少し言い辛そうに、アザミは言った。


 アザミは、サクラとは別の理由ではあるものの、彼女同様に異物として、住んでいた場所を追い出されている。そこに至るまでの詳しい事情までは把握していないが、だとすれば、その態度も当然のものだった。


「ふぅん……だとすると、その人たちがこの森を見つけたら、ここに移り住んでくるっていうこともあるの?」


「あ、いえ、それは無いと思います。一度根付いたら基本的にそこを離れることのない種族ですから」


「それはエルフ全体として……ってこと?」


「はい。保守的で排外的な種ですから。一度定着したこと、一度決まったことを覆すことが嫌いなんです。怖いのかもしれません」


 怨み骨髄なのだろう、アザミはボロクソに言う。


「人間も大概そうじゃない?」


「それとはまた少し違うかと。人間は歳を取っていくにつれて保守的になっていく一方、エルフは……それこそ産まれた時からそうですから。ある種の呪いのようなものです」


 ふぅむ。


 二十歳の時に自由主義者でなければ情熱が足りない。四十歳になっても保守主義者でなければ知能が足りない──なんて、どこかの政治家が言っていたが、それに準えて言うのなら、エルフには産まれた時から情熱が無い、ということなのだろうか。だからと言って無気力に生きているというわけでもなさそうではあるが、なんと言うか、どことなく親近感を持てる種族である。


「なるほどねぇ……」


「はい。なので、流石に別勢力や魔物に里を追われるようなことがあればまた変わってきますが、そうでもない限りは、産まれた場所で死にます」


「……他所から別のエルフを入れたりしないの?」


 していないのだとすれば、とんでもなく混血化が進んでいるということになりそうなものだが、アザミは首を横に振った。


「無いわけではありません。が、数十年だか数百年だかに一回、儀式として行われるくらいです」


「そっか……。そういえば長命種か、エルフって」


 だとすれば、そのくらいの頻度でも、外からの血を受け入れておけば問題は無いのだろう。


 本当に無いのだろうか。いや、あればそれが結果として出てくるか。


 それに、生物は本能的に近親相姦を拒絶するように出来ているはずだ──尤も、近親相姦は上流階級の嗜みなどと言われるくらいなので、実際のところ、本能が拒絶したところで行われる時は平然と行われてしまう、というのが実情なのだろうが。


「長命……か」


 人生百年時代なんて、よく聞いたものだが。しかしそれが二百年三百年と伸びていったら、果たして人はどう生きるようになるのだろう。


 寿命がそれだけ延びたとしても、成人年齢や定年は変わらないのだろうか。二十歳で働き始め、二百歳三百歳を目指して生きるのだろうか。


 ただ百年生きるだけでも長いというのに。


 まぁしかし、数百年後の世界がどう変化しているのかを自分の眼で見られるというのは、もしかしたらそれが楽しみになったりするのかもしれない。自分とて、自分が死んだ後の世界がどうなるのか、全く気にならないわけではないのだから。


 今も時折、前世で生きたあの世界がどうなっているのだろうと考えることはある──勿論、考え始めてすぐ、自分がいたところで、いなかったところで、何も変わらず、いつも通りに世界は動き続けているのだろうなと、同じ答えに辿り着くのだが。


「長く生きるのなら、それだけ沢山変化出来そうなものだけど、そうじゃないんだね」


 前世でも、『何かを始めるのに遅いなんてことはない』と他人を励ますような言葉を聞くことはあったが、そんな言葉が出てくる理由としては、人間は新しく何かをすることを恐れたり、変化することに怯えたりするというものがあるからだ。変わるということは、これまで積み上げてきたもの全てを取っ払ってしまうことと、感覚としては近しい。


 何かに例えるのなら、マラソンなどがそうだろう。走り続けてきたマラソンを途中で切り上げて、全く違う別のレースに、それも再度スタートラインに立って参加しろとなれば、拒否したくもなる。ラーメン屋の行列でだって、三十分も並んでしまえば、もう他の店に変えようとはならなくなってしまうものだ。


 そんな風に、それまでの数年数十年を不意には出来ないという思いから、人は変化を拒むのである。


 だが、数百年と生きるのなら、その人生の中での変化も受け入れやすいはずだ。


 百年も生きない人間にとっての十年二十年と、二百年三百年、もしくはそれ以上を生きるエルフにとっての十年二十年は、どうしたって違うはずで、それこそ、人間以上に生き方を変えられてしまいそうなものだが。


「どう……でしょうか。五年は五年ですし、十年は十年だと思います。それを長いと感じるか短いと感じるかは、やっぱり人に依るのかと」


 訊くと、アザミは首を傾けて答えた。


「うーん……」


 まぁ、それもそうか。


 二百年三百年生きるからと、二十年を十年のように感じたりはしないのか。それでも、全体から見た時の価値は減りそうなものだが。


「一日一日を大切に生きなけきゃいけないのは、人もエルフも同じか……」


 言いつつ、振り返る。


 少し後ろでアザミが立ち止まって目を閉じ、耳に手を当て音を聞いていた。そして目を開けると、何も言わずに首をある方向に向けた。釣られて自分もそちらを見たが、何かがいるようには見えない。


 精霊でもいるのだろうか──そう思っていたのだが、アザミはこちらに駆け寄ると、小声で言った。


「何者かが戦闘中のようです」


 と。


 △▼△▼△▼△


「──クソッ……! これ以上はキツイか……!」


 魔物からの攻撃を押し返した男は、周囲を見回しながらそう吐き捨てる。


 男の目の前にいるのは巨大な魔物。脚は八本、腕は六本。蜘蛛に人の身体が生えたような形状をしている。


 対して、背後にいるのは負傷して満足に動けなくなった仲間。それを動ける仲間と共に何とか守っているような状態だった。


 しかし──それにも限界が近いということは、全員が理解していた。


 削られていく体力、増える生傷、悪くなりゆく足元。


 撤退しようにも、動けないままの仲間を見捨てていくわけにはいかない。しかし、背負って運んでいてはすぐに追いつかれることは明白。かといって、手当てをしている暇も余裕もありはしない。今この状況で一人でも欠けようものなら、あっという間に戦線は崩壊する。


 だからこそ、ジリ貧になりながらも攻防を続けるしかなかった。当然ながら、それが正解だったとは誰も思っていない。


 初めの段階で逃げるという選択を取れていれば、勝てないと分かった時点で、犠牲を覚悟してでも撤退するという選択が出来ていれば、それがきっと正解──ではなくとも、最善ではあったのだろう。


 応援など望むべくもない現状、このままでは、ただ犠牲者の数が増えるだけである。


 しかし一度守ると決めた以上、そしてここまで戦い抜いた以上、今になって逃げるという選択をすることは出来そうもなかった──尤も、ここから無事に逃げ出せるほどの体力は残っていないのだが。


 そもそも、彼らはこんな魔物を相手にするつもりなどなかったのだ。本来であれば、もう少し狩りやすい弱めの魔物を数匹仕留め、それを持って帰って日銭とするだけのつもりだった。だが、それがなかなか見つからず、それらの魔物の餌場になりそうな場所をいくつか巡っているうちに迷い、その果てに出くわしてしまったというのがここまでの経緯である。


「……ッ! 来るぞッ!」


 魔物が跳ね上がった。それを見て、男は仲間に声を掛け、構える。


 魔物はその脚力で以って天高く跳び上がり、体重で一気に加速、握り固めた拳を振り下ろす。その破壊力はまさに絶大としか言いようがなく、それを受け止めるだけで体全体に衝撃が走り、足が地面に沈み込む。


 狙われたのは、中でも消耗の激しい男だった。一人ずつ潰していくつもりなのだろう、魔物は何とか攻撃を受け止めた男を前に、段々と力をこめていきながら、口の端を吊り上げた。


 そこに、仲間からの攻撃が入った。深手ではなかったものの、魔物は一度身を退き、体勢を立て直す男達を見据える。


「大丈夫か!」


「あぁ、何とかな……」


「後どれくらいいけそうだ」


「それはこっちが訊きたい……、後どれくらい耐えればいいんだ……!」


「ッ……分からない。退いてくれそうには……ないだろうからな。向こうはこっちを狩れる獲物だと認識してやがる」


「力量差を考えればそうだろうな……。寧ろ、何でこんな場所にあんなのがいやがる。アイツは、ケインデュラは、こんな森にいるようなやつなのか……?」


「いない……はずだ。いると分かっていれば、流石に奥まで踏み入ろうとはしなかったさ」


「チッ……何が起こっていやがる……!」


 言いつつ、魔物を見る。魔物は足で地を掻くようにし、今にも走り出しそうな気配を漂わせていた。それを察知すると、男は叫んだ。


「固まれ! 突進が来るぞ!」


 あの巨体で突進された場合、一人では簡単に吹き飛ばされてしまいかねない。なのでこの場合、一番いいのは散り散りになり、攻撃を回避することだろう。しかし、負傷した仲間は未だ動けそうにない。だとすれば、自分達が盾になるしかない──という判断だった。


 つくづく甘く、悉く間違う。


 よくここまで生きてこられたものだと、男は内心自嘲した。


 そして。


「踏ん張れぇぇッ!」


 魔物は地を駆け──男たちの目の前まで来たところで、横方向に加速した。


「…………え?」


 何が起こったのか。


 魔物は何処へ行ったのか。


 男は首を横に向け、そしてそこに、先ほどの魔物と、見知らぬ少年の姿を認めた。そこで男は何となく、起きた事を理解し始め、そしてそれを否定した。あんな小さな子供が、まさかあの巨体を弾き飛ばせるとは思えなかったのだ。


 だが、ペインデュラが少年目掛けて振り下ろした拳を足蹴りで弾き返すのを見ては、流石に否定もしきれなかった。


 ペインデュラは攻撃を易々弾き返されたことに動揺を浮かべながらも、何かの間違いだとばかり、二度三度と攻撃を繰り出す。少年はそれに対し蹴りを繰り出す。


 拳と足がぶつかり合い、青白い雷が走る。それは少年の足から発せられていたもので、魔物はそれを受け、瞬時に距離を取った。


 目の前の子供を危険な相手だと認識したのだろう、先程まで男達に向けられていた、獲物を狩る捕食者としての余裕めいた表情は、とうに消え失せていた。


 ペインデュラはけたたましい雄叫びと共に跳ね上がると、少年目掛けて飛びかかる。


「……!?」


 少年がその拳に押し潰された──ように見えた。


 いつの間にか中空に浮かび上がっていた少年は、手を出し、指を小さく動かした。すると、その動きに合わせ、地面が突き上げられる。ペインデュラの巨体がいとも簡単に打ち上げられた。そして身動きの取れなくなったペインデュラの顔面を、彼はその小さな拳で撃ち抜く。


 瞬間、ペインデュラが森の奥へと吹き飛んでいった。男達はただ呆然とその光景を眺めていたが、足音がしたことで我に返り、振り返る。


 そこにいたのは青紫色の髪を編んだ少女だった。


「呆然としてないで、怪我人の手当てでもしたら?」


 少女は咎めるような口調で言う。


 そこで負傷した仲間のことを思い出すと、慌てて駆け寄り、意識があるかを確認した。幸い、意識はある。立ち上がれそうにはなかったが、肩を貸せば森を出ることは出来るだろう。


 それを確認し終えると、応急処置を施しつつ、少女の方を見た。


 耳が尖っている。どうやら人間ではなく、森に住むエルフだったらしい。だが先程言葉は通じていたので、言語的な問題はないだろうと考え、男は声を掛けた。


「なぁ、お嬢ちゃん」


「私のこと?」


「あ、あぁ……。さっきの子供、あの子は大丈夫なのか?」


 無用な心配だろうと、薄々感じてはいた。


 それでも聞かないわけにはいかないだろうと思い尋ねたのだが、少女からの返答は溜息だった。


「とても他人を心配出来るような状況じゃなさそうだけど」


「それは……その通りだが……」


「それに、何処の誰かも知らない相手を助けるために、万に一つでも負ける可能性のある相手に立ち向かうわけがないじゃない」


 そう言われて、男はそれもそうかと頷いた。


 新人が弱い魔物相手に殺されかけていたのだとすれば、そこに助けに入るようなこともあるだろう。だが、自分達と同等か、あるいはそれ以上の存在が苦戦しているところにわざわざ参戦するかと問われれば、答えは一つしかない。


 それが分かったからか、全員の表情は重苦しいものであった。


「それで? いつまでそこにいるつもり?」


「え?」


「怪我人がいつまでもそこにいると、私、動けないんだけど。手当が終わったなら早く帰ってくれる?」


「あぁ……悪い……」


 そうは見えなかったが、彼女もまたケインデュラを相手に出来るだけの実力を持ち合わせているのだろう。そしてその上で、自分達がこの場を去るまで魔物などが寄ってこないよう見張ってくれていたのだということを悟ると、肩を貸し合い、彼らは立ち上がった。


 すると、「あっちよ」と、少女は一点を指差す。


「……あっち?」


「町から来たんでしょ? 向こうにまっすぐ進めば出られるって言ったのよ」


「そういうことか……感謝する」


 この礼はいつか必ず──そう言って、彼らは町を目指し歩き始めた。


「どうせするつもりもないくせに」


 少女はそれを見送ると、魔物が吹き飛んでいった方角に目を向ける。彼女もそちらへ向かおうとしたが、ちょうどその時、奥から人が出て来た。


 出て来た彼は何故か緑色に染まっていて、それを見た少女は慌てて駆け寄った。


「ど、どうされたのですか?」


「いやぁ……まぁ、背中を切り裂いたらこうなっちゃって。この辺って川ない? 湖とかでもいいんだけど」


「川……ですか? この森だと、恐らく向こうの方に流れていると思いますが……川で何を?」


 少女は指を差し、そして首を傾げて言う。


「いや、このまま屋敷に帰るわけにもいかないし、洗い流して帰ろうかなと思って」


「水なら、魔法でいいのでは?」


「それもそうなんだけどさ。折角森に来てそれっていうのも味気ないかなって」


「味気ない……そういうものですか」


「うん。それで……さっきの人達は?」彼はきょろきょろと辺りを見回した。「もう帰ったの?」


「はい。あまり長居されて、別の魔物が寄って来ても面倒でしたので」


「それもそっか。怪我とかしてなかった?」


「していたようですが、手当すれば動ける程度のものでしたので、問題は無いかと」


「治せたのに……」


 彼がそう言うと、少女は少し間を置いてから言った。


「……恐れながら、治療すべきではないかと。あれは紛れもなく彼らの弱さが招いた結果です。今回は主様がいたから助かったというだけで、本来であれば全員死亡していてもおかしくはない状況でした。であれば、命に別条がない以上、その痛みや傷は戒めとして持ち帰るべきかと」


「なかなか手厳しいね」


「そう……でしょうか? 普通の事だと思いますが……」


「うん。まぁ、アザミの言うことも一理あるんだけど……」


 川があるという方向に歩を進めながら、彼は言う。


「でも、場合によってはその後に、身体の一部が使い物にならなくなったりすることもあるわけで……。そうなると、戒めどころじゃなくなるから」


「あ……」


「アザミの選択が間違ってるっていうわけでもないんだけどね。さっき言ってたことは、確かにその通りなわけだし。だからその判断は尊重するよ。」


 そうしてしばらく歩いていくと、少女の言う通り、そこにはそれなりの深さのある川が流れていた。川辺は開けていて、陽の光が燦々と降り注いでいた。


 そして彼は荷物を川沿いの岩の上に置くと、着の身着のまま、川に飛び込んだ。


「主様!?」


 彼女が声を掛けると、水面から彼の顔が出てきた。


「服もかなり──と言うか寧ろ、服の方が汚れてるから」


 そう言って、彼は微笑んだ。


 彼女はしばらく惚けていたが、何かを決め込んだような顔を浮かべると、助走をつけ、勢いよく飛び込んでいった。


 水が弾け、飛沫が上がる。


 服のままびしょ濡れになってみるのも、案外悪くないかもしれない。


 そんな昼下がりだった。


 △▼△▼△▼△


「この辺は……野盗が根城にしていると言った感じでしょうかね」


 上空から、眼下に広がる光景を見渡し、サンゴは呟いた。


 真下にあったのは何の変哲もない山で、特筆すべき点があるとすれば、ボロ小屋のような汚らしい建物がいくつか存在しているというくらいである。


 それは山奥で集団生活を営む者達の作り上げた集落のように見えなくもないが、しかしその実態は、表に出られないような輩の潜むアジトとして作られたものである。


 またハズレですね──と、彼は残念そうに首を横に振った。


「そうね。でも、こういうハズレを一つずつ潰していけば、いずれ当たりに行き着くことが出来る。『失敗は成功の素』と彼も言っていたのだし、ここは辛抱強く粘るしかないわ」


 サンゴの横に浮かんでいた金髪の少女──サクラは仮面の奥の眼を鋭く細め、答えた。


「千の失敗は失敗ではなく、一つの成功を掴むための道筋に過ぎない──ですね。ただ、潰すのはやめておいた方がよろしいかと」


「あら。どうして? あなたもあの手の輩は嫌いじゃなかったかしら」


「今後ルリが使う事になるからですよ。あんな生きている価値のないゴミのような存在であっても、我々の計画の駒として組み込んでしまった以上、下手には殺せません」


「あぁ……そう言えば言ってたわね……。アレ本気なの?」


「そのようです。たまにふらりと出掛けては賞金首狩りをしたり、各地を縄張りとしている賊についての情報を収集したりと、割とやる気を見せていると聞いています。ここの事も、帰ったら教えておいてあげましょうか」


「そう……まぁ、それならいいのだけれど」


「心配ですか?」


「心配……と言うわけでもないけど、アレは少し、残忍だから」


「残忍……」


「えぇ。子供の持つ邪悪さが、思いつく限りの悪行が、何に押し留められることもなく前面に出てきている……アレはそういう人間よ」


 サンゴは「ふむ」と、頷くと、訝し気な眼で首を傾げた。


「アレは子供の持つ邪悪さで済ませていいのでしょうか? そこからは逸脱していると思うのですが」


「さてね。私達は普段、理性で以てその欲望の殆どを制御し、押し殺している──だとすれば、本当ならどうしたかったのか、それを本人が知る術はない。だからもしかすると、私も、そしてあなたも、ルリと似たような感情や欲を持ち合わせていて、しかしそれを本人でさえ気が付かぬうちにどこかへと捨て去っているだけなのかもしれない……じゃない?」


「……それは果たして初めからあったと言えるのかと、私などは思ってしまうものですが」


「自覚しなければ、言わなければ、それ即ちで無かったことになるわけでもないでしょう? 好きだと自覚しなければ好きではないのか、好きだと言わなければそうではないのか──なんて、私はそうは思わないから」


 サンゴは少しの間何も言わず、真下の山を見下ろしていた。そしてややあって、口を開いた。


「言わないのですか?」


「……そうね。今はまだ」


「言うつもりはあると?」


「それはそうよ。いつかはきちんと言う。既に見透かされているのかもしれないけど、それでも……」


「見透かすまでもないほどにあからさまだとは思いますが……。けれど、どうして?」


 どうして、今はまだ言わないのか。


 尋ねると、サクラは空を見上げて言った。


「……足りないものが多すぎるからよ」


「足りないもの……ですか。対等な存在でいたいと?」


 そう問われて、サクラはサンゴを見る。そして、仮面越しにフッと笑った。思わず出た笑みであった。


「対等になんて、無理に決まっているでしょう?」


「……初めから決めつけるのはよくないですよ──などと、普段の私なら、そして我らが主ならば言うのでしょうが……しかしそれに関して、私に言えることはありませんね」


 サクラはこくりと頷く。


「けれど、何か一つくらいなら、優位に立てないこともない」


「越えると?」


「全てにおいて対等になろうとするくらいなら、その方がまだ可能性があると思わない? 時間を掛けて何か一つだけを極めていけば……それも」


「可能性の話をするのであれば、それは否定しませんが……」


 と、その時。


 サンゴが視界の端に何かを見つけた。彼は仮面の視界を切り替えると、その対象物を拡大していく。山から少し離れた畦道に、賊が三人。そして、その三人から逃げる少女が一人。見るからに穏当な雰囲気ではない。


「……サクラ様」


「人攫いと言ったところかしら」


「どうしましょうか」


「どうするもなにも……本来の目的とは関係が無いのだし、それに、さっき下手には殺せないと言ったばかりなのだから、無視しなさい──なんて、そんなことを言う私について来てくれるあなたではないでしょう?」


 サクラはそう言って、剣を取り出した。それは異空間から引き抜かれるようにして姿を現すと、太陽の光を受けて白く輝く。


 そして、眼下で少女が脚を縺れさせたのを合図とし、二人は急降下した。


 △▼△▼△▼△


 足を草に引っ掛け転んだ少女を麻袋に入れて連れ去ろうとしていた賊達だったが、少女を袋に詰め終えたタイミングで、近くから激しい物音が彼らを襲った──衝撃と共に、土煙が上がる。


「な、何だッ!」


 突然のことに賊達は驚きながらも、状況の把握を試みる。


 煙の奥にぼんやりと、人影のようなものが見える。


 すると、煙の中から声が聞こえた。


「それを渡しなさい」


 賊にそう告げたのは、少しくぐもった声。声の高さからして、恐らく子供の声だろう。


 しかし、そうと分かっても侮れぬ気迫が感じられた──その恫喝は、その通りに彼らを恫喝したのだった。


「渡さないのなら殺します」


 今度は別の声が聞こえた。


 最低でも相手は二人以上──そう判断して、三人のうち、二人が陣形を取る。途中で邪魔が入った際の事を考えていなかったわけではない。例え相手が何であれ──男であれ女であれ、老人であれ子供であれ、人であれ魔物であれ、対応は変わらない。無論、相手やその人数に応じて、対応は少しずつ変わってくるのだが。


「……渡さないという意思表示と、そう捉えていいのですね?」


 土煙が晴れると、二人の少年少女が姿を現した。片方は真っ赤な髪の少年、もう片方は金髪の少女。


 真っ黒な仮面で顔こそ見えなかったが、その奥から刺すような視線が感じられた。下手をすれば、そのまま刺し殺されてしまう程の圧を。


「そうだ。お前達が誰だかは知らないが──これは俺達が見つけた獲物だ」


 渡すわけにはいかない──と、真ん中の男がそう言い切る前に、金髪の少女が握っていた剣が震えた。


 そして次の瞬間、男の首は真上に飛ぶ事を選んだようだった。ドサリと音がして首が転がると、遅れて、体が崩れ落ちる。


 何の迷いもない一撃に、彼らは反応することさえ出来なかった。残された二人は状況を、起こった事を理解すると、小さな悲鳴を漏らし、震え上がる。


「警告はしたはずよ。渡さなければ殺すと」少女は剣を振るい、血を払う。「まぁ、このまま全員殺してしまっても、別に構わないのだけれど」


 少女は一歩、距離を詰める。


「ま、待てっ! 待て!」それに対し、片方の男が手でその動きを制しながら叫んだ。「お、お前達の実力は分かった。俺達が束になっても敵わないことは理解した。だが、だが待て」


「力の差を理解してなお、こちらに待てと言えるのね」少女は不快そうに言ったが、やがて嘆息すると、口を開いた。「いいわ。話くらいなら聞いてあげましょう。もしかしたら待つだけの理由にはなるかもしれないのだし」


 そう言われて、男はもう片方の仲間に目配せをしつつ、話し始めた。


「お、俺達の背後にはとある男がいる。これも、全てその男の命令だ」


「とある男?」


「俺達の頭をやっている男だ。こうやってわざわざ人を攫ってるのだって、元を辿ればそいつの命令だ」


「だから?」


「俺達はこれを持って帰れないと何をされるか分からない。当然、その時にはお前達のことを話す事になる。そうなりゃ、お前達はあの男を敵に回す事にもなりかねないんだ」


「…………」


「お前達も強いのだろうが、あいつはもっと強い。勝てる自信があるのかは知らないが、意味もなく敵を作って命を危険に晒す必要もない……だろう?」


 少女は何も言わず、男が話を続けるのを見ていた。


「まだ若いんだ。賢く生きた方がいい。……そうじゃないか?」


 少年少女は顔を見合わせた。


 そして、失笑した。


「言われずとも、賢く生きているわよ。人の道を踏み外し続けた挙句、強者に飼い慣らされるような生き方しか出来ないお前達と違って」


「こんな場所でゴミ風情に生き方を説かれるとは思ってもいませんでしたよ。不快なものですね」


 と、口々に言った。


「それで、話は終わり? 終わったのならその子を置いてさっさと消えなさい」


 彼女は再び、剣先を突きつける。


「なっ……、ま、待て! 待ってくれ! 本当に何をされるか分からないんだ! 頼む、見逃してくれ! な?」


 男は慌ててそう言った。


「何を言っているの? ここで死ぬか、帰ってから死ぬかの違いでしょう?」


「……っ」


 結果として、男達は捨て台詞をいくつか吐くと、脇目も振らずに遁走した。


 彼女は捨て置かれた麻袋に近付くと、一度だけ剣を振り、そして収めた。


 縛られた袋の口が解かれると、恐る恐ると言った様子で、中から少女が這い出てきた。彼女は袋から出て目を細めると、目の前に立った二人の足を見、視線を上げていく。そして、謎の仮面を着けたその顔を見て、麻袋の中に引っ込んだ。


「安心しなさい。何もしないわ」


 優しくそう言うと、少女は仮面を外した。


 それから、事情を聞き始めた。


 △▼△▼△▼△


「あまり多くの事は知らなかったわね」


 少女を近くの町のすぐそばまで送り届けると、サクラは呟いた。


「ですね。突然追い掛け回されていただけの様子でしたし、そもそもこの辺に住んでいるわけでもないようですし……」


 その呟きに、サンゴが答える。


 その少女はこの辺の人間ではなく、最近ここらに引っ越すことになっただけの人間。


 それ故、あのような盗賊が近辺を根城にしていたことも知らない様子だった。


 だが。


「けれど……気になる話は聞けたわ」


 彼女が、そしてその一家が引っ越すことになった経緯には、気になることがあった。


「謎の集団による人狩り……これは今一度、アジサイの話と照らし合わせて調査し直す必要がありそうですね」


「えぇ。ようやく見つけられるかもしれない──」


 サクラはそこで一度言葉を切ると、サンゴに向き直り、言う。


「急ぎ帰還し、調査を開始するわよ」


 未だ場所の特定には至っていなかった敵の拠点、その場所を割り出せるのでは──そんな予感がしていたのだった。

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