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滅界の花嫁  作者: アブ信者
第偽話
29/70

029

「やっと来たか──迷子のリュカ・リンカーネル」


 風の魔法で空を駆け、塔のような家の屋上階に不時着するような形で飛び込むと、小さな窓から夕焼けが微かに差し込む暗澹とした部屋の中央、古びた椅子に座っていたその男は、まるで自分を待ち構えていたかのように、驚くこともなければ動じることもなく、平然とした、しかし重苦しい口調で、そう声を掛けたのだった。


「待ちくたびれた──いや、座っていたのだからくたびれようもないのだが」


 フラウドは足を組み替えると、息を吐きながら言う。


 そんななんでもないセリフに一瞬、どうしてか後ずさりしかけたが。


 しかし気を引き締め、足を踏みしめた。


「エレインを攫ったのはお前か?」


「ふむ。人聞きの悪いことを言う子供だ」


 やれやれと、フラウドは肩を竦めた。


「なら違うのか?」


「あぁ。攫ってなどいない。ついて来てもらっただけだ。自主的にな」


「っ、同じだろうが……!」


「全く違うな。こちらは指一本触れることなくここまで連れて来たのだ。脅したりもしてはいない。それは俺の中で人攫いには該当しない」


 無茶苦茶なことを言うものだ。どんな手法であれ、誘拐には変わらないだろう──などと言うのは、現代人の感性なのだろうか。


「……定義なんかはこの際どうでもいい。何が目的でここまで連れてきた」


 このまま行っても話は平行線だろうと、別なことを訊いた。エレインがここにいることは分かったのだから、さっさと助けに行けばよかったものを。


「目的か。……ふむ。答えに迷う問いだ。実に考え甲斐がある」


「早く答えろ」


「そう急かすな。若いうちから焦るものではない。お前のような子供であれば、時間を掛けて考えることの重要性も理解しているだろう」


「知るか。もしそうだったとしても、それとこれとは話が違うし、今それは関係がない」


 フラウドは一つ頷き。


 どこか遠くを見るようにして。


「果たしてそうかな」


 そう言って、コップに口を付けた。


「どういう意味だ」


「……それを考えるのもまた、お前のすべきことだろう」


「はぁ?」


 何を言っているのか、今の自分が凡そ冷静でないことは理解していたが、しかしそれを抜きにしたって意味が分からなかった。


「さて」


 サイドテーブルにコップを置くと、フラウドは言う。


「そろそろ先程の質問に答えよう。何が目的かと問われれば、俺の目的は金だ。最初から最後まで、徹頭徹尾、金が目的でこの町にいる」


「……? それは、うちが依頼した仕事の話じゃないのか」


「まぁ、それもそうだが──俺は魔法使いだ。前にも言ったが、魔法に関する研究などをしている。だが、研究には金が要るし、研究でなくとも、生活をするのには金が要る」


「…………」


「しかし、まともに働いて金を稼いでいれば、研究に当てる時間が無くなってしまう──」


 だから人攫いをしてきたのかと問うと。


 違うと返された。


「だから働いたのだよ──詐欺をな」


「詐欺……?」


「あぁ。知らないか? 人を騙して金銭を得る、悪いことだよ」


 意味を聞いたのではないが、そう返された。


「まさか、うちに来たのも……」


「そうだ。近頃噂のリンカーネル商会がよく分からない捜し人をしているという話を聞いてしまったものでな──これ幸いと詐欺を働きに来たのだ」


「よく分からない……?」


 捜していたのは、エレインの問題を解決出来る──あるいは、その原因を突き止められる人間だ。


 小さく呟くと、それに答えるようにして、フラウドは続けた。


「……基本的に、人間が体内の魔力を知覚出来ないというようなことはない。人は誰しも、多かれ少なかれ魔力を持ち、人によっては三歳の時点でそれを知覚することが出来るのだ。だからこそ、その依頼の内容を聞いた時、俺は思わず首を傾げた」


 三歳。


 自分は確か一歳くらいだったか。しかし、知覚したことを伝える手段がその頃の子供には普通ないのだから、確認されている例で三歳なのだろう。その頃にもなればある程度の意思疎通は可能だろうし。


「まぁだが、遅い者は遅い。十になっても知覚出来ない者も決して少なくはない。そして、それを見て心配する親と言うのもまた、少なくない。だから俺は初め、その手の親が盲目的に、無駄に大きく騒ぎ立てているだけだと考えていたのだ」


「親馬鹿だ……と?」


「あるいは馬鹿親だな。幼い子供に無理に魔法を使わせようとして、それが出来ないからと騒いでいる──そういう親なのでは、と考えたわけだ」


 馬鹿親という表現はやや気に食わなかったが、事実とは違うのだしと流した。


 実際、そういう親はいるのだろう。母親も似たような話をしていたし。


 だけれども。


「……だけど、エレインはもう……」


「そうだ。十三にもなって魔力を知覚出来ないというのは流石にあり得ない──いや、あり得ないと断言することも出来ないが、しかしそれは極稀な……特殊な例だ」


「特殊……」


 フラウドは、重く頷く。


「例えば……貧しい家の生まれで、食事が満足に摂れず、その所為で、年齢の割に身体が貧弱だった──だとかな。その場合、魔力を知覚するどころではない──要するに、そういう例だ。しかしあの娘の場合、それはあり得ない」


 栄養失調のことなのだろうが、そういった状態の人間は魔力を知覚出来ないのか。


 確かに、エレインがそうなるということは無いだろう。ちゃんとした食事が出されているし、エレインもあまり好き嫌いなくたくさん食べている。貴族や商会の生まれでは、よほどのことが無ければ栄養失調にはなりづらい。逆はあるかもしれないが、足りないということはそうそう起こり得ない。


「だから──もし最初、あの夕暮れ時の道端でお前に出会っていなかったのなら、お前の名前を聞いていなかったのなら、俺は屋敷を訪れた日、お前のことを依頼されているのかと勘違いしていただろうな」


「……エレインが魔力を知覚出来ないと言うより、まだ納得が出来たから……か」


「あぁ。お前はまだ十歳だろう? ならば十分あり得る。それくらいの子供なら、男女の区別がつかないこともままあるしな」


 そう言って、視線を外した。


「……それで、詐欺っていうのは何なんだ」


「ん? あぁ、そういえばそんな話だったな……」


 陽がさらに沈んで、不吉さが満ち満ちる。


 高い場所にあるからか、風が冷たい。


「まぁ、ここに来るよりも前──初めはお前の姉についての事は知らない状態で、『魔力を知覚出来ない娘』の話だけを聞いたものだから、その時に思ったのだ──この親は魔法について無知なのだとな。無知な者は騙しやすい──」


 まぁ、実際にはそうでもなかったが──フラウドは付け加え、続けた。


「しかも、時間の猶予があまり無いというのなら尚更だ。だから、詐欺を働こうと考えた俺は、飛びつくのではなく、まず噂を流した」


「噂……」


「そう。俺こそが、それを解決しうる力と知識を持った魔法使いである──という噂だ。こちらから食いつけば怪しいことこの上ないが、向こうから頼みこまれたから渋々応じたということにすれば、そういった怪しさも軽減される」


「それで……父と……」


「あぁ。まんまと食いついた。だから報酬の値上げ交渉をした上で、俺はこの町にやってきたのだ」


「それで……散々意味もなく調べて、最後にはお手上げだとでも言って帰るつもりだったのか?」


「そうだ。そういう流れのつもりだったのだが……しかし少し予想外なことがあってな。その所為で──いや、そのお陰で、俺の詐欺は詐欺でなくなった」


「詐欺で……なくなった……?」


「あぁ。初めは解決策などないと思っていたから、原因など突き止めようもないと思っていたから、適当なことを言って騙して、金だけ貰って帰るつもりでいたのだ。しかし、いざ来てみれば、その原因にはすぐに思い至った」


「原因が……分かったのか……?」


「うむ。実に簡単なことだった。数日観察していれば、言葉を交わさずとも理解出来るようなことだった。俺には寧ろ、どうして長年一緒に生活していたはずのお前達が気が付かなかったのかが分からない」


「何……だったんだ……?」


「何だったと思う?」


 その発言の後にこの質問をするのか。


 長年一緒にいて、それで気が付かないことを──馬鹿にしているのではないのだろうな、きっと。単純に疑問なのだろう。フラウドの言葉が本当なのだとしたら、側にいればすぐに分かるようなことが原因だったのだ。そんなことに、親含め自分含め全員、誰一人気が付いてやれなかったのだ。


 だったらそれは、何だ。


 黙っていると、フラウドが口を開いた。


「時折、どこかを見つめ始めることがある」


「……」


「時折、身の回りで不自然な事が起こったりする」


「……!」


「そして、体内の魔力を知覚出来ない」


 などと。


 それは、どれもこれも。


「俺は言ったな。あの娘に一般魔法は使えない、と。アレはそのまま言葉の通りだ。嘘偽りない真実だ。エレイン・リンカーネルに一般魔法は使えない」


 そう言われて、重ねるように言われて、考える。


 一般魔法は使えない。


 一般魔法は。


 使えない。


 その言い方が気にかかった。一般魔法は、ということは、なら、別の魔法はどうなのだ。


 別の魔法。


 それらの条件に当てはまる、別の魔法。


 そんなもの、一つしかなかった。


「祖霊……違う、精霊魔法……?」


 そう呟いて顔を上げると、フラウドは呆れたように嘆息した。


「ようやくか」


「エレインは……じゃあ……精霊魔法の素養があったから、だから……」


 その兆候について、全く気が付いていなかったわけではない。


 何度もそれらを疑問に思ったことはあったはずだ。何度も、何度も。


 なのに、肝心なところで、きちんとそれを調べていなかった。


 いや、そもそもそれとこれとが関連性を持っていると、自分は思っていなかった──考えていなかった──だから散々ヒントだけ与えられて、答えだけが出せていなかったのだ。


 ──違う、これは言い訳だ。


 答えを出そうとさえ、自分はこれまでしていなかった。


 エレインにきちんと向き合えていなかったのだ。


 そんな自分を、フラウドはじっと見た。


「しかしまぁ、たった数日接しただけの俺に気が付けて、十年以上一緒にいたお前達に気が付けないとなると──」


 家族って。


 何なんだろうなぁ──と。


 誠心誠意、フラウドは嘲るように言ったのだった。


 そして。


「……言っておくが」


 それは、と言いかけた自分の言葉を遮るようにして言った。


「俺にも精霊魔法についての知識はほとんどない。そもそも、エルフと交流を持つこと自体が稀だしな。知り合いの頭のおかしい女から聞いた話の一部くらいしか知りはしない。だが、それでも気が付けた。関心を持って、きちんと見ていれば気が付けたことだ。研究者だから気が付けたわけではないということは、あらかじめ明言しておこう」


 両手を上に上げ、肩を竦めてそう述べた。


「…………」


「それに、先程お前が言いかけた『祖霊魔法』という単語……。お前、エルフに会ったことがあるだろう?」


 フラウドは追及する。


「お前の方がずっと、気が付ける機会は多かったはずだ」


 これに関して、もはや言い訳のしようは無かった。


「お前は言ったな? 家族だから投げ出せない、と。改めてこの場に立って、本当のことを知って、その言葉はそれでも真実か?」


 それはとても、意地の悪い質問だった。


 しかし言う。


 言わなければならないから。


「そう……だよ。そう見えずとも、そのつもりでいる」


「そうか。それならばそれでいい。だが、お前は自覚するべきだろうな」


「……何を」


「お前は心のどこかで、家族を家族として認識出来ていないということをだ」


「……何でそう言える」


「さぁな。こればかりは根拠と呼べるものがないのでな、訊かれても答えられん。とは言え、所詮は詐欺を働きに来た小悪党の戯言だ。聞き流せ」


「……確かに、そう……かもしれない」


 かもしれない──などと、濁した。


 それを見透かしたかのように、フラウドは目を細める。


「ふむ……」


「けど、エレインだけは別……そのつもりだった」


「そうかな。まぁ、何だっていいが……。しかしエルフと繋がりがあると言うのは、悪い話でもないか」フラウドは息を吐くようにつらつらと独り言ちた。「取り敢えず、話を戻そう」


「……?」


「何故首を傾げる? お前が訊きたかったのは、俺がどうしてここにお前の姉を連れて来たのか──そちらだろう?」


 そうだった。すっかり意識が持っていかれていた。


 頷くと、フラウドは一瞬、何かを考えるように、あるいは思い出すように、視線を動かした。


「そこで精霊魔法の話が関わってくるのだがな。人間の内、精霊魔法を発現させるものは非常に少ない。それはお前も知っているだろう?」


「知ってる」


 だからこそ、そんなレアキャラのような存在が身内にいるだなんて考えすらしなかったのだろうが。本で読んだ際も、さらりと流しただけだったのだし。やはりあれは著者が人間だったから、同じく人間に向けた本を記す際に、そこまで詳しく記述することをしなかったのだろう。書いたところで、蘊蓄以上の価値を持たないのだから。


「珍しいからこそ、そういう人間には価値がある。そして……そうだな。ここ最近、そんな人間を探しているというエルフに出会った。こんな田舎町では珍しい出会いだったが、しかしすぐに気が付いた──連中はあの娘を探しているのだということに」


「エルフ……?」


 まさか、さっきの三人衆。


 彼らはエレインを攫おうとしていたのか。


 人間の区別など付けられないから違うだろうと除外していたが、しかし精霊魔法が関わってくるとなると話は変わるのかもしれない。


「俺だって馬鹿ではない。いくら価値のある人間だからと言って、それをそのまま攫えば罪人として捕まるだけだ。しかし、人攫いよりも先に捕まえておいて、その人攫いから金をせしめる分にはリスクも小さい──だから奴らに先んじてここに連れて来たのだ。お前を探すために、外に出ていたお前の姉をな」


「……お前」


 睨みつけると、フラウドはフンと、軽く笑った。


「お前はどうやら家族という存在への認識が曖昧な部分があるようだが、そしてそれは恐らく幼さ故ではなく、人間として必要なものが何か欠落しているからなのだろうが、しかしその点、あの娘は十分立派にお前の姉だな」


「どういう意味だ」


「あの娘、俺を見て警戒していただろう。そしてほとんどお前から離れなかったが……アレについて、お前はどう思う?」


「どうって……。それは、お前が不気味だから……怖かったんだろ」


「ふむ。そうだろうな。しかし違う」


 フラウドは一度頷いてから、首を横に振った。


「違う?」


「あぁ。俺という存在を警戒し、怖がっていたことは事実だ。だが、怖気づいたからお前の側にいたわけではない」


 ここまで言われれば、次に何を言おうとしているのかを当てるのは難しいことではなかった。


 しかし、フラウドは言う。


「お前を守るためだよ。姉としてな」


「……それは」


「本来必要のない行為だ。無駄と言ってもいい。お前の方がずっと強いし、自衛の手段にも事欠かない。お前なら暴漢程度どうすることも出来るだろうしな。俺が相手でもどうにかは出来るだろう。恐らくだが、あの娘も、それくらいの事には察しがついている。だというのに、お前に俺を近づけないよう、あの娘は俺を威嚇し続けた。防御態勢を取り続けた」フラウドはそこで一度区切り、間を置いて続けた。「因みに言うと、ここまで俺についてきたのもその所為だよ。俺があの時間になっても家に帰らないお前を探すのを手伝おうかと提案したら、お前の姉はそれを嫌がった。なら一緒に探そうと提案したら、すんなりついて来た。自分の知らないところで俺がお前に接触するのを防ぐためにな。どれもこれも、全てお前の為だ──いや、お前の所為と言うべきかな」


 特に責め立てるわけでもなく、さらりと言う。


「いいじゃないか。お互いがお互いを守り合う──素晴らしい姉弟仲だ。ご両親からしても自慢の子供達だろう。兄もいるらしいが、そちらも王都で名前を聞いたことがある。ありとあらゆるものを上手く利用して出世を重ねているとかいないとか──いやはや、以前研究仲間が言っていた、「親の能力は子に伝わるのだ」というあの説は、あながち間違いでもないのかもしれないな。あの父親にしても、普通に詐欺を働こうものなら絶対に上手くはいかなかっただろうし」


 誰に言っているのか。


 自分に言っているのか。


 そんな口調で、フラウドは平坦に、無感情に言う。


「だが、それが悪かったのだろうな」


「悪い……?」


「あぁ。お前が気付いているかどうかは知らないが……お前が思う以上に、あの娘は劣等感を溜め込んでいるぞ。優秀な兄と、わけの分からない弟に挟まれてな。あの娘はただ普通であるだけだというのに、優秀且つ奇妙な存在であるところのお前達によって、相当苛まれていると見える」


「それ……は……」


「兄に置いて行かれ、弟に追い抜かされ。挙句の果てに、ただ魔力を扱うということすら出来ないと来れば、それで劣等感を溜め込むなという方が無理な話だろう。あの娘は至極当然の結果として、順当に劣等感を積み上げている」


 魔道具を使うことすら出来ないエレインは、一体、何を思いながら自分に接していたのだろう。


 何を考えながら、姉として振舞っていたのだろう。


 自分がいなければ、苛まれることもなかったというのに。


「それはさておき。あの娘をここまで連れてきた主な理由は、つまりそういうことだ。お前の姉が精霊魔法の素養を持っていたから、だな」


 そこで再度引き戻される。


 この男、エレインを売って金に換えようとしていたのだ。


 いや、だが、しかし、それは本当なのだろうか。どうにも違和感があるというか、納得しきれない部分があるのだが──それでも、エレインをここまで連れてきたというのは確かなのだ。


 返してもらわなければ。


 帰してあげなければ。


「理由は分かった。エレインが精霊魔法の使い手だということも分かった。ただ……話が以上なら、これ以上ここにいるつもりもない。連れて帰らせてもらう」


 窓の外を見て、一呼吸。


 もうほとんど、夕焼けは沈み切っていた。気が付けば、部屋の中も真っ暗である。


「そうか。そうするといい。俺もそろそろ帰るとしよう」


 そう言って、フラウドは席を立つ。


 最悪ここで戦闘にもつれ込むことも覚悟していたのだが、フラウドはもう用済みだとばかりに、この場所を後にしようとしていた。ここですんなり退くのなら、何のためにエレインをここまで連れてきたというのか。というか、帰るってどこに帰るつもりなのだろうか。ここが家ではないのか。まぁ、家ではないのだろうが。


 しかし、そんなことはどうだっていい。


「──逃がすと思ってるのか」


「ふむ──そう来るだろうな。だが、お前は俺を逃がすしかあるまい」


「は?」


「俺が本気で抵抗すれば、お前は魔法の行使を余儀なくされる。しかしそんなことをすれば、階下にいるお前の姉は巻き添えになるぞ」


「人質か」


「そんな大層なものでもないがな。ただの事実だ」


 そう言いながら、未だ不満そうな顔をしていたのであろう自分に視線を向けると、


「ならそうだな。せめてもの詫びに、お前にはこれをプレゼントしよう──」


 と、フラウドは部屋の奥にある棚に近付くと、そこから一枚の紙を取り出し、何かを書き始めた。自分はそれを警戒しつつ、眺める。


「……これでいいか。持っていくといい」


 渡されたのは、折りたたまれた手紙のようなもの。しかし紙は綴じられていて、中を読むことは出来ない。特徴的なサインと今日を示す日付だけは、表側に記されていたこともあり、確認することが出来た。


「これは……?」


「推薦状だ。お前の姉のな」


「す……推薦状?」


「王立魔法学園。お前の両親は、お前の姉を王都にある適当な魔法学園に入学させようとしていた──そうだな?」


 訊かれて、頷く。


「これはそこの連中に宛てた手紙だ。これをあらかじめ送っておけば、俺の知り合いがどうにかしてくれるだろうよ。多少の学とそれなりの金さえあれば、魔法が多少アレでも──いや、てんでダメであっても、後はそいつの権力でごり押しで入学出来る。無論、断言はしないと、付け加えることを忘れる俺ではないがな」


 フラウドはやはり、感情を微塵も感じさせない口調で言うのだった。


 しかし、王立魔法学園──この男は、そんな場所に推薦状を認められるような人物だというのか。


「これをやるから見逃せ……と? 本物かどうかの保証もないのに?」


「こればかりは本物だ。嘘かもしれないが本当だ。効力は保証しよう。それに言っただろう、俺は研究をしているのだと。王立魔法学園などというのは、要するに俺のような──いや、アレらと同類に扱われるというのは業腹だが、しかし似たような人種の集まりだ。当然、俺の事を知っている奴もいる。俺がこれを持たせたことの意味さえ分からないような連中の集まりなどではない」


「詐欺師の集まり……?」


「……。ふむ……。……まぁ、似たようなものか」


 フラウドは一瞬顔を顰めたが、納得したような表情を浮かべた。


 そして。


「何はともあれ、何事もなかったのだ。お前は下にいる姉を回収し、早いところ家に帰るといい。あまり暗くなりすぎると、悪い大人に攫われて──」


 と、どの口が言うのかというようなことを宣いながら。


 フラウドは自分の真横をするりと通り抜けて。


「ふむ。やはり俺の言えたことではないな」


 いつか聞いたような言葉を残しつつ、「また会おう」と言って、振り返った頃には消えていたのだった。


 外からは涼しい風が流れ込んでくる。湿気などを含まない、からっとした風だった。


 ただ、そんな風に吹かれながら、自分はしばらく、動くことが出来なかった。


「……何だったんだ……本当に」


 大したこともしていないと言うのに、どっと疲れたような気がして、大きく嘆息した。


「……エレイン」


 部屋の中に階段を見つけると、それを下りていく。最上階の部屋が特別広かったということなのだろう、下の階には二部屋あった。片方は初めから開け放たれていて、中は空っぽであった。そしてもう片方は扉が閉められていたが、しかし特に鍵などが掛けられていたというわけではなく、手を掛けるとすぐに開いた。


 そして、部屋の中には。


「エ……姉ちゃん……?」


 色々な調度品の置かれた部屋で、菓子を貪るエレインの姿があった。


「あ……リュカ……」


 ドアが開いたことで気が付いたのか、エレインはこちらを向いた。その表情はどこか沈んでいたが、菓子を食べる手は止まっていなかった。既にどれだけ食べていたのかはしらないが、多分もう夕飯は入らないだろう。


「……姉ちゃん、大丈夫?」


「……うん。ごめんね。こんな所にいて」


 流石に食べる手を止めて、エレインは言った。


「まぁ……そうだね。話は……後で聞くけど。でも、皆心配してるし、もう帰ろう」


「うん……分かった。これ……持って帰ってもいいのかな」


「……いいんじゃない?」


 普通なら毒でも疑う所ではあるのだが、もう既に食べてしまっているのだし、最悪こちらで治療出来る。


 しかし、やはりこうしてみると、どうにもチグハグとしているというか、よく分からないというか。何故エレインはもてなされているのだろうか。


 エレインは菓子を集めると、席を立ち、トテトテと近付いてくる。


 そしてそのまま部屋を出た。光のほとんど入らない階段はかなり暗く、そのために光の魔法を使用し、それで足元を照らしつつ、エレインの手を取ると、階段をカツカツと音をたてながら、ただひたすらに無言のまま、静かに一階まで下りて行ったのだった。


 そして塔を出ると、何となく一度それを見上げてから、その場を後にした。


「怪我とかしてない?」


 そして、暗くなった町を歩きながら、やっと口を開くと、ようやくそんなことを尋ねた。


「してないわよ? というか、リュカこそどこで何してたの? 暗くなっても家に帰ってこないから心配したのよ?」


「まぁ……その……ごめん。遊んでたら遅くなっちゃった」


 遊んで、話して、ただそれだけ。別に噓をついていたわけではなかったが、だがやはり、隠し事をしているという感覚は抜けなかったのだった。


「ううん……いいのよ、無事なら。でも、ちゃんと帰って来て。いなくなったり、しないで」


 いなくなったら、か。


 さっきの会話の後だと、それに対し、素直に頷いて返すことは出来なかった。


「そういえば、姉ちゃんは聞かされたの? 魔法が使えない原因」


「うん。私は普通の魔法の代わりに、精霊魔法っていうのが使えるんだって言われた」


「そう……」


「昔から、変なのは見えてたのよ。でも、それがそうだなんて知らなかったから……」


「……何か見えてるのかって訊いたこともあったよね? 何でその時……その、言わなかったの?」


「だって……変な子だって思われるから……」


「変な子……?」


「ただでさえ何も出来ないのに、その上変なのが見えるなんて言い出したら……」


 言いたいことはなんとなく理解した。


「何も出来なくはないでしょ」


「でも……私、リュカが出来ること全部……出来ない」


 勉強も。


 運動も。


 魔法も。


 遊びも、何もかも。


 全部──出来ない。


 そう言って、エレインは口を閉じた。


 やはりこれは──自分が悪いのだろう。


 自分でも色々出来る自覚はある──同い年の人間を集めたら、上位に食い込むくらいには色々出来るつもりでいる。ただの驕りかもしれないが、それくらいの自覚はある。というか、前世も含めて何十年も生きていて、周囲より劣っているわけにはいかないのだが。


 しかしエレインにとって、そんな自分の存在は悪影響でしかない──人間が一番比べがちな身内にこんな異物がいることは、それ以外の何物でもない。


「……それの、何が悪いの?」


 少し考えて、そう返すのがやっとだった。


「……え?」


「出来なかったらダメなの?」


「ダメっていうか……。でも、出来ないから……」


「出来なかったらどうなるの?」


「…………」


 確かに、エレインと自分とを比べた際、エレインは自分という弟相手に数段劣ることになる。客観的に、そしてエレインの主観的に。しかしそれはあくまで相対評価であって、絶対ではない。


 魔法に関しては相対評価でも絶対評価でもダメダメという結果があるものの、それはこれまでの話であって、ここからはそうとも限らない。きちんと伸ばしてさえやれれば、人並みにはなるはずだ。人並と言うか、エルフ並みというか。


 それに、それ以外はどうなのか。本当にダメだと言えるだけの根拠が、エレインの中にあるのか。


 もう少しエレインが同い歳の子供と交友関係を持てる環境であれば、こうはならなかったのかもしれないが。


 それに関しては親の責任だ──頑なに外に出そうとしなかった、親の責任。とは言え、それはそれでエレインを思っての事なので、一概に悪いとも言えないのだが。


「僕より出来なかったら、どうなるの?」


「それは……」


 エレインは言い淀む。


「どうもならない。どうもならないんだよ」


 出来なければ何がどうダメなのか、出来るようになったらどう良くなるのか。


 エレインは出来ないということばかりに執着していて、何故それを出来るようにならなければいけないのか、ということが頭にないのだ。


 尤も、出来ないことがあるということを不満に思う気持ちは、理解出来ないこともないのだが。


「でも……」


「でも?」


「リュカに全部置いて行かれたら……お姉ちゃんなのに……」


 姉としての尊厳だろうか。凄いところを見せて、褒められたり、尊敬されたりしたいのだろうか。


「僕は別に、自分より勉強が出来る人がいても、運動が出来る人がいても、魔法の扱いが上手い人がいても、だからと言って誰も彼もを尊敬したりするわけじゃないよ」


 かつての自分は、他人を尊敬などしたりはせず。


 ただただ、恐れるだけだった。


「それに、そういう人がいたとして、自分も頑張れば追いつけるんだとしたら、やっぱり凄いとは思わない。自分でも出来ることなんだから、それを出来る人がいても、どう思ったりもしない」


 ただ当然のこととして、抜かすだけだった。自分より上に人がいることを良しとしなかったから。


「なら……どういうことが出来たらいいの?」


「……まぁ、自分には全く、これっぽっちも出来そうにないことを出来る人、じゃないかな。例えば姉ちゃんの精霊魔法なんかは、僕には絶対に使えないんだから。そういうのを──」


「でも、それは……たまたまでしかないじゃない」


「……。たまたま……か」


 貰い物で──たまたまそうだっただけで──本人の凄さじゃない──と。


 それを自覚出来ている時点で十分立派だと思う。地に足ついた考え方が出来ていると言える。普通、十三歳だか十四歳だかという年齢で、自分が数千人だとか数万人だとか、はたまた数百万人に一人の存在なのだと分かったら、それこそ調子に乗ってしまいそうなものだけれど。


「確かにそれ自体はたまたま持って産まれただけかもだけど、でも、ここからそれを使えるようにするのは──それは姉ちゃん自身の努力でしょ?」


「…………」


「それに──」


 それにエレインは、自分が持っていないものを持っている。


 明るさだとか、愉しさだとか、前向きさだとか、それから──人間味だとか。


 羨ましいとは思えないが。


 それでも。


「姉ちゃんのこと、凄いって思ってるよ」


 言葉の代わりに返されたのは、疑るような、エレインの視線。この流れでそう言われても、それを信じろと言う方が難しいのだろうが。しかしこればかりは事実なのであった。


 エレインは劣等感を抱えているのかもしれない、苛まれているのかもしれない。


 けれど、それらを受け止め、抱えたままでも前を向いて歩けるのなら。


 それらと向き合う覚悟があるのなら。


 それは間違いなく、本人の強さだ──意志の強さだ。


 そしてそれは、自分になかったものでもある。


 前世での自分は劣等感と向き合うことを恐れ、故に優秀さを求めた──能力を積み上げ、自身を飲み込もうとする劣等感の海から逃げ続けた。


 克服したのではなく、逃げ続けたのだ。溺れてしまわないように、藻掻かなくていいように──それを感じなくて済むように。


 だからそれは、強さではない──弱さだ。


 弱いから、受け入れられないから、その自信が無いから、怖いから──だから逃げた。まぁ、世の中にはそういう生き方だってあるのだし、それ自体を後悔しているわけでもないのだが。


 しかしその強さは、終ぞ手に入れられなかったものだ──手に入れようともしなかったものだ。


「僕には僕の出来ないことがある。姉ちゃんには姉ちゃんの出来ないことがある。逆もまた然りで、出来ることがそれぞれある」


「リュカに出来ない事なんてあるの?」


 エレインは心底不思議そうに尋ねた。


 買いかぶり過ぎと言うか、何と言うか。今自分に出来ることが世界の全てなどではない。それと同じように、今自分に出来ないことは世界の全てではない。どこまで行っても一部分に過ぎず、それを気に病んでいるというのは、単純に物を知らず、それ故に視野が狭いとしか言いようがない。人間は結局、出来ることよりも出来ないことの方が多いのだ。


 まぁ、それを気に病むからこそ人間らしいと言えるのかもしれないが。


 首を縦に振り、肯定する。


「もし僕が何もかも出来るような完璧な人間に見えるなら、それは単に、出来ることしかしてないだけだよ。出来ないことをやろうとしてないだけ」


「…………そうなの?」


「多分ね。だから姉ちゃんも、出来ることだけやればいいんじゃないかな」


「出来ることだけ……」


「何か一つ出来ることを見つけたら、それを極限まで伸ばしてあげるんだよ。他の追随を許さないくらいに──誰にも負けないくらいに。そうしたら……その頃には、今僕にちょっと抜かされてることなんか、どうでもいい過去になってると思うからさ」


「どうでもよくなんかならないわよ。リュカの事なんだから」


「……そう。なら、そんなこともあったなって思い返せるような、そんな思い出になるよ」


 何の保証もなくそう言って、これではフラウドにあれこれ言えたものではないなと自嘲しつつ、家に帰っていったのだった。

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