016
その日、組合には一組の男女がやってきた。それはまだ幼い子供だった。
片方は金髪碧眼の男の子で、もう片方は帽子を被った、同じく金髪の女の子。女の子の方はとても綺麗な顔立ちをしていたが、それ以上に威圧的な目をしていた。周囲を警戒するように睨みつけ、値踏みしているようでもあった。
周囲の人間は何の用だろうかと胡乱気な視線を向けていたが、男の子は周囲を見回し、室内の様子を把握すると、受付の方へと進んでいった。慣れた様子でもなかったが、かと言って別段戸惑うこともなく、やるべきことはそれなりに理解しているといった風に、受付の前まで歩いて行った。
そして、開口一番、「何か仕事がしたいんですけど」と、そんなことを言った。思わず、周囲の人間は呆気にとられた。
百歩譲って、依頼であれば理解も出来たのだ。何か急ぎで手に入れたいものがあって、それを手にするためにここを訪ったというのなら、子供だけで来たことは少し妙であったが、理解も納得も出来たのだ。しかし、彼は事もあろうに仕事の方を求めた。
確かに、子供であっても、八つを越えているのなら仕事を受けることは可能だ。だがそれは形骸化した、文字通り形だけの規則でしかなく、基本的に、齢が十にも満たない子供が仕事を受けに来ることなどはなかった──少なくともこれまでは。
目に見えて動揺したりすることもなかったが、その場に居合わせた全員の意識は、二人の方へと集中していた。
そんな二人に声を掛けられていたのは、若い受付嬢であった。緑色の服に身を包んだ、どこかやさぐれた雰囲気のある彼女は、癖のある長めの茶髪を弄りながら、面倒くさそうに二人の応対をし始めた。男の子の方はそれに対して至極丁寧に接し、女の子の方は殺意の籠った瞳を彼女に向けていた。今にも飛び掛かり、喉笛を噛み切ってしまいそうな恐ろしさに、周囲の人間は固唾を飲んで様子を見守っていた。それに気付かぬまま、彼女は相手も見ずに応対を進めていく。
まずは登録が必要だということで、紙を取り出すと、羽ペンと共にそれを突き出す。
その様子を見て、周囲は「うわぁ……」と声を漏らす。
通常、こういった場には読み書きの出来ない人間も普通にやってくることがあるため、登録の際に必要な情報は、誰が相手であっても係の人間が一度聞き取ってからそれを書き写すという、やや面倒な手法をとっているのだ。もし自分で書かせなければならないような状況があったとしても、読み書きが出来るかどうかはきちんと確認を取らなければならないというのは、考えるまでもない。
しかし、その最低限の確認をせず、彼女は自分で書けとさえ言わず、ただ黙って紙を突き出したのだ。
朝から何となく彼女の機嫌が悪いということは全員が察していたが、だからこそ誰かが最初に話しかけて出すものを全部出しきらせてほしいと様子を窺っていたのだが、いくら機嫌が悪いにしたって、その対応の仕方はあんまりだった。
だが、彼はそれを特に気にする様子もなく、紙とペンを受け取ると、場所を変え、スラスラとペンを動かし始めた。読み書きは普通に出来るらしいと感心しつつ、周囲はその隣の女の子の様子を窺う──表情からして、明らかに限界ギリギリ、爆発寸前であった。
だが、何とか自分を抑え込んだのか、一つ深呼吸をし、目線を外した。絡めていた腕に少し力を入れて、紙を覗き込むことにしたらしい。二人は言葉を交わしながら、記入を進めていく。そこだけを見れば、とても仲睦まじい、微笑ましいとも言える光景であった。
そしてしばらくして、全てを書き終えた男の子はその紙を持って受付に戻った。そしてそれを提出すると、受付嬢はそれを碌に確認もせずに机の引き出しに仕舞い込み、舐めた態度で話を聞いていく。ここまで露骨に失礼な態度で応対をされれば、喧嘩っ早い人間はとっくに殴りかかっていてもおかしくはなかったのだが、男の子は何でもないような態度で話を続けていた。
「何でもいいんですけど、何か僕達でも出来るようなのは無いですか?」
と、そろそろ怒った方がいいんじゃないのかという周囲の思いとは裏腹に、彼は平然とそう言った。
彼らのような子供でもこなせるような仕事としては、薬草や木の実、あるいは花の採取などがあったはずだ──と、周囲は考える。
薬草は文字通り薬になり、木の実はものによって使い道が異なるが、大体は飲食店に売られたりする。そして花は香料を精製するのに利用出来る。多少の知識は必要だが、これらは力がいるような仕事ではない。
しかし、どれも需要はそれなりにある依頼なのだが、これがなかなか腰に来るため、積極的に受けようとする人間は少ない。ただ、怪我をしたりした際などには魔物の相手などをしなくても済む仕事ということで、それなりに持っていかれたりする。
そして彼女は、腐っても受付嬢だ──不貞腐れても仕事人だ。
それらの中から一番危険性の少ない仕事を渡すのだろう──と、周囲は考えていた。
だが。
この日の彼女は一味違った。
「あー、今は碌な仕事無いからなー。あー、そーだ。一個だけあんたらにでも出来そうなのあるけどー」
いかにもやる気の無いといった調子で、怠そうに言う。
「あるんですか? だったらそれ受けます」
「そうー? じゃーこれ。内容はー、まぁー、ウォーマスの森の屋敷に行ってくるっていうやつ。詳しい内容はこれ読んで把握してー」
そう言って、彼女は男の子に一枚の依頼書を放り投げるようにして渡した。子供相手にその渡し方も随分と酷いものであったが、それ以上に問題なのがその依頼の内容だった。森の奥の屋敷に向かい、そこにあるとされているという家宝を回収するという、話だけ聞けば簡単そうにも思える依頼──だが、そんなことは断じてない。下手な魔物討伐よりも明確に命の危険がある依頼で、ここしばらくは誰も触れることの無かった依頼だ。
全員が同じ事を思ったのか、それまで静かだった組合の室内がにわかに騒がしくなり始める。
男の子はその依頼書を読み、心底驚いたような顔をした。そして隣の女の子と顔を見合わせ、首を傾げた。
当然の反応だと、誰しもが思った。
ウォーマスの森など、腕利きの人間でさえ不用意には近付かないような曰く付きの森だ。子供なら、まず親に近付かないようにと念を押されているはずで、森について何も知らないはずはない。そんな場所に向かえと言われたのだから、まず二人は目の前の受付嬢の正気を疑うべきだろう。今すぐ大声を出して別の人間を呼ぶか、あるいは周囲に何かしらの助けをこそ求めるべきなのだ。
しかし、彼らは少し考えた末、その依頼書を懐にしまい込むと、「じゃあ、行ってきます」と、少しそこまで散歩にでも行ってきますというようなテンションで、あっさり組合の建物の外へと出て行ってしまった。周囲はそれをしばらく無言で眺めていたが、少しして、止められた時間が動き出したかのように騒ぎ始めた。
「──おい、おい! お前ちょっと何考えてんだ!」
そんな声とともに、幾人かが受付の前へと押し寄せた。
「はぁ? 何?」
詰め寄られ、心底面倒くさそうに、そこで初めて目線を向けた。
「何? じゃねぇよ! 子供相手に何してんだ!」
「子供だから何だって言ってんの。ここに来たってことはそれなりの扱いを受ける覚悟があってきたってことでしょうが」
「いや、態度の話じゃ……いや、態度も酷かったが、なんつう依頼渡してんだ!」
そう言うと、後ろからは「そうだ!」「殺す気か!」と、声がした。
「あのねぇ。馬鹿じゃないの?」
受付嬢はそれに対し、馬鹿にしたような口調で言う。
「あ……あぁ?」
「あんなガキどもが本当にあの森まで行くわけないでしょうが。女連れてカッコいいところでも見せようとか考えてたのかもしれないけど、ここはそういう場所じゃないのよ」
彼女は舌打ち交じりに吐き捨てる。
「だからってなんであんなもん渡したんだよ」
「分っかんないわね……。「こっちはあんたらにまともな依頼を渡すつもりはない」「遊び半分でこんなところ来るな」って、暗にそう言ってんのよ。どうせあの森の近くまで行って、そこでビビって引き返すのがオチよ。これで懲りたらもう来ないでしょ」
そう言って煙草を吹かす。
その時、話を聞いていたうちの一人が、小声で言った。
「なぁ、さては、コイツが不機嫌だったのって、付き合ってた男に振られたからとかなんじゃ──」
その瞬間。
「──あぁッ!?」
カウンターテーブルを叩く音と、怒号が響き渡った。
「うわ、当たりかよ……」
「当たってないから。こっちが振ってやった側だから。適当なこと言わないでくんない? 失礼なんだけど」
「失礼なのはテメェの態度だろうが! イラついてるからってこっちにまで当たってんじゃねぇよ!」
「そうだ! それも子供に当たるって、そんな性格だから捨てられるんだろうが!」
「──ッ! だ、か、ら! 捨てたのは私だって言ってんだろうが!」
「それもどうせ他の女に取られたのが分かったから捨てられて惨めな思いする前に振ったってだけなんだろうが! つまんねぇ見栄張ってんじゃねぇぞ!」
そうだそうだと声が連なる。
「あぁ、あぁ、あぁそうだよッ! 私と正反対のキャピキャピした牛乳女に乗り換えやがって! そんなにデカいのがいいなら初めからそうしとけってんだよ!」
「胸の所為にしてんじゃねぇよ! お前はその性格の悪さと口の悪さが──」
「あぁぁぁぁッ!?」
石で出来たペン立てが投げ飛ばされ、壁に衝突して砕けた。
「っ、テメェ! 何しやがる! 殺す気か!」
「死ねやぁッ! 全員死ねぇッ! 滅べぇッ!」
と、泣きながら暴れ出した受付嬢。それを周囲は抑え込んだが、そんな中、一人が言う。
「別にこいつが男に捨てられた話なんざどうでもいいだろ」
「よくない! どうでもよくない……! ていうか離せ! どさくさに紛れて尻触ってんの誰だ! 殺すぞ!」
「お前が暴れるからだろうが! 備品壊したら全部お前持ちなんだぞ! ちょっとは考えろ!」
「っ……」
再び暴れ出そうとした受付嬢であったが、先程壊したペン立ての事を思い出し、その動きを止めた。そして気まずそうに視線を動かし、荒立てていた息を落ち着かせた。
それを見て、取り押さえていた側も手を離した。
「話は戻すが、子供が相手でも、規則としてそれが可能ならきちんと相手してやれよ。そうじゃなかったら規則の意味がねぇだろうが」
「けど、魔物が出たら危ないって思ったのも本当だし」
「ウォーマスの森に行かせたのだって危ないのには違わないだろうが」
「アンタらが腰抜かして行かなくなるような森でしょうが。さっきも言ったけど、そんな森に入っていくような馬鹿が本当にいると思ってんの? ……ったく、どこのガキだか知らないけど、デート感覚で来てんじゃないわよ、クソが」
「……え? いや、お前、どこのガキだか知らないって……何言ってんだ?」
場を静寂が支配した。
嫌な静寂だった。
「……え?」
「ありゃリンカーネルんとこの坊主……だったよな? 隣にいた子は名前こそ知らないが……たまに一緒にいる子だよな?」
と、誰かが確認するように言う。周りがそれに同意すると、再び嫌な静寂が戻ってくる。
「ちょ、ちょっと待って、何で分かるの?」
「何でって……あぁそうか。普段お前ここにしかいねぇから見かけねぇのか」
「え……? 結構見かける子なの?」
「昼間外歩いてりゃ結構見るぞ。よくその辺で金落としてる。というか、お前さっきの登録用紙、マジで目ぇ通してねぇのか?」
そう言われて、彼女は大慌てで引き出しを開けた。
「えっと、ここじゃなくて……こっちか! あった! ……うわ、本当にリンカーネルって書いてるし……!」
「お、おい、どうすんだよ……。これでもし、もし何かあったら……」
「揉めるどころの話じゃなくなるな」
皆口々に言う──想像するだけで嫌になるような、彼女の末路を。
「しかもこれ、領主様直々の依頼だろ? それをこんな適当なことして、しかもその上でリンカーネル商会に喧嘩売るような真似して……。……まぁ、そうだな、テメェみてぇなカスでも、弔いくらいはせめてちゃんとやらせてくれや。適当にその辺で鳥葬でいいよな?」
大男が悲しげな声で受付嬢の肩を叩き、涙ぐんだ。
「ちょ、ちょっと! ……う、噓よね……?」
彼女は頭を抱え、全身を震わせた。
リンカーネル商会と言えば、この町に居を構える、しかしこんな辺鄙な田舎領地の町にあるにしてはそれなりの規模を持つ商会で、町そのものや組合とはいい関係性を保っている。
王都などの遠方から仕入れたものを卸す際も、「いつもお世話になっているから」というだけの理由で、移動費などを度外視した格安の値段で販売しており、ここらでは手に入りにくい塩や砂糖を皆が比較的簡単に、そして安価で手に入れることが出来るのは、ほとんどリンカーネル商会のお陰と言っても差し支えないのだ。
この町で生活を営んでいれば、そのことを知らぬ者はいない。
しかも最近では新たな商品で儲けを出し、商会の規模を拡大しているということもあって、その結果として、町全体が潤ってきているのだ。
そんな状態で組合の人間が商会の次男を危険な目に遭わせたとなれば、それも領主が出した依頼が関係しているとなれば、ほぼ確実にこの件には領主も関わることになり、その場合、事情がどうあれ領主が商会の側につくことは容易に想像が出来る。普通に考えて、組合の側に肩入れをするだけの理由がない。
組合そのものを潰すようなことはないにしても、当事者である彼女は潰されることになる。
「というか、もう長いこと誰も触れねぇからすっかり忘れてたが、この依頼が受注されたときは上に報告しなきゃいけない、みたいなのなかったか?」
誰かが言った。彼女はそれを思い出したのか、真っ青な顔で走り回る。
しかし、ふとその足を止めると、膝から崩れ落ちて叫んだ。
「もういい……終わりよ、終わり! もう終わった!」
「……あ、諦めるなよ! まだ何も起こってないだろ? だ、だから……早く報告だけ上げておけって……な?」
ケタケタと笑い声を上げ始めた彼女を見て、近くにいた男が引いたような表情を浮かべながら言う。
「……。というか、何で止めてくれなかったのよ!」
すると、彼女は一度沈黙し、男の胸倉を掴んで叫んだ。
「は……はぁ!? 何でそこで責任転嫁すんだよ!」
「アンタらが途中で割って入ってくれれば避けられたことじゃない! アンタらの所為でもあるのよ! 何他人事みたいな顔してんのよ!」
彼女は皆を見回し、激しい剣幕で言う。
「ふ、ふざけてんじゃねぇぞ馬鹿女! 元はと言えばお前が私事を持ち込んで八つ当たりしたせいだろうが!」
「そうだ! 子供相手だからって馬鹿にしたような仕事してるからだろうが! 登録用紙に目も通さなかった奴が滅多なこと言うな!」
「いいからさっさと上に報告上げろよ! 余計取り返しのつかないことになるぞ!」
「そんなことしてこのことがバレたらどうなるのよ! 私、私こんなところで死にたくない……! 助けて……! 助けてよぉ……!」
自業自得だろうと全員が思ったが、泣き出した彼女を見て、何か出来ることが無いかと考え始めた。
「取り敢えず、報告はした方がいい。経過がどうあれ、結果がどうあれ、そういう契約で組合には出資してもらってるんだ。そこを反故にしたことがバレたら本当にマズいことになる」
「だが……子供に受けさせたっていうのもマズくないか?」
「そこは……取り敢えず濁しておけばいいだろう。向こうからすりゃ、失敗したなんていう報告は聞き飽きてるんだ。そうなりゃわざわざ誰が受けたのかなんて気にしねぇよ。誰かが受けて、いつも通り失敗した。それだけの話だ──誰か急いで報告上げに行け!」
男が叫ぶと、脚に自身のある人間が一人、大急ぎで建物を出て行った。
「けど、リンカーネルんとこの子供が怪我でも負ったらどうするんだ? 流石にそうなりゃ隠せないだろ」
「それは……ん、いや待て、誰も止めに行ってないのか?」
顎に手を当てていた男がパッと顔を上げ、周囲を見回した。
「え……? 流石に誰か止めに行ってるんじゃないのか……?」
「誰が止めに行ったんだ?」
その場の全員が顔を見合わせる。
あの二人が建物に入って来てから出て行くまで、誰一人として建物を後にした者はいない──そしてこの場には、今さっき出て行った足の速い男を除いた全員が残っていた。
つまり。
「え、誰も止めに行ってないのか……?」
「何でお前行ってないんだよ……」
「誰か行くと思って……」
「噓だろ……?」
「もう結構時間経ってるぞ……?」
全員が、再度顔を見合わせる。
そして。
「──今すぐ止めに行ってぇぇぇッ!」
受付嬢が叫ぶと同時、火のついた花火のような勢いで、建物から人が飛び出して行ったのだった。
△▼△▼△▼△
「何か……想像以上に簡単に依頼受けれたね。もっと長期戦を予想してたんだけど」
手に入れた依頼書を見ながら、隣を歩くサクラに向けて言った。
今は組合の建物を出て、必要なものを取りに一度屋敷に戻っている最中だった。
まさかこんなに簡単に例の依頼を受注することが出来ると思っていなかったので、この依頼のためにあらかじめ用意していた道具などを持ってきていなかったのだ。
それ以外のものであれば持ってきていたのだが、この可能性も考慮して全部持ってきておくべきだったか──いや、流石に想定の範囲外だったのだし、仕方がない。
「ねぇ……。この依頼が終わったらあの女、殺してもいいかしら」
「え? な、何で?」
突然物騒なことを言い始めたサクラに、動揺を隠せなかった。
「何でって……、あなた、何も思わなかったの?」
「うん」
さっきの受付嬢の話をしているのだろうが、特に何も思わなかった。
ここは日本ではないのだ。だとすれば当然、前世で受けていたようなサービスが受けられるなどとは毛頭考えていないし、それにそもそも、あそこは組合であって飲食店などではない。彼ら彼女らにとっての客というのは依頼を発注する側、つまりは金を払う側の人間であって、その依頼を受ける側の自分達が客扱いをされないなど、至極当然のことなのだ。
それに、海外でも似たような対応をされたことは何度かあった。時にはアレ以下もあった。まるっきり無視をされたり、言葉が通じていないふりをされたり、それと比べればずっとマシな対応をしてくれていたと思う。
「あなた本当に……。普通あんな態度取られたら刃傷沙汰になっててもおかしくないと思うのだけれど」
サクラはそう言うが、こちらは元より良質なサービスなど期待してはいない。最低限やるべきことをやってくれるのであればそれでいいというだけの話だ。
郷に入っては郷に従え──前世では何度も聞いた言葉であったが、今世でもその精神は消えやしない。そしてそれは自分にも他人にも等しく適用されるべきだ。他所から来た人間に対して自分達のルールを守らせるべくその言葉を吐いたのなら、自分も当然同じ状況になれば同じようにしなければならない。それは当たり前のことで、しかし人間が当たり前には出来ていない事でもある。
「まぁ、まだ信用も何もないんだから仕方ないよ。それに、結果としてお目当ての依頼を受けられるんだし、悪い結果じゃないよ」
「そうかもしれないけど。それでもアレには怒るべきよ」
そう言って、サクラは組んでいた腕に力を入れた。
組合に入る前、変なのに絡まれたり攫われたりしないようにとこうしていたのだが、外に出た今もなお腕は組まれ続けている。ただ、思いの外サクラの力が強く、段々左腕の感覚が薄れているのを感じる。血の流れが止められている可能性があるな。
そろそろ家に着くからと言って、一度腕を解いてもらった。
そうして必要なものを取りに戻ると、再びサクラと合流し、屋敷へと向かうことにした。
ただ、あまり人に見られてもよろしくないので、少し遠回りをしていくことにした。町の南に森はあるのだが、一度自分達は東の方角へと進み、そこから南下、その上で西に戻って森に侵入するという、念には念を入れた経路を取るつもりだ。なんだか鬼門を避けて遠路を取る平安貴族か何かの様だと、そう思った。
とは言え、見られてもよろしくないとは言いつつ、既に組合にて結構な数の人に見られてしまっているのだが──人がいなさそうな朝を狙ったにも関わらず人が普通にいたのでどうしたものか、一度引き返そうかとも思ったのだが──ああいう場ではさも平然を装うことが重要なのだと、押し通すことに決めたのだった。現に誰からも止められたりなどはしていないので、多分アレで正解だったのだと思う。
人間、大事なのは堂々とした態度である。
「それは何が入ってるの?」
合流してから少し、再び左腕を取ろうとしたサクラだったが、左肩にかけていた鞄を見ると、小首を傾げて尋ねてきた。
「あぁ、これ? アンデッドに効きそうな物をいくつか入れてるんだよ」
と、鞄を掛け直し、言う。
中に入っているのは、幾つかの瓶、それから木の棒と、何枚かの布である。
瓶は、食塩水を入れたものと、光の魔法を込めた水を入れたものと、少量の油を入れたものの三つ。前者の二つはそのままアンデッドに効くかどうかの実験も兼ねて持ってきたものでしかないが、油は木の棒と布を合わせて松明にすることが出来る。光の魔法があるので光源自体はいらないのだが、いざとなればアンデッドに投げつけて撃退するのに使うことが出来る。
「火に弱い……ね」
「レイスが出たらどうしようもないんだけどね。ただ、道中のアンデッドはこれで対処出来ると思う。まぁ、見つからないのが一番だし、出来ればそうするんだけど」
初めは風の魔法で飛んでいけばいいんじゃないかと考えていたのだが、何が出てくるのかも分からないうちから魔力を無駄に消費したくはない。それに、アンデッドの発生原因が屋敷ではなく森にある可能性もあるので、どちらにせよ森の中は調べなければならないのだ。屋敷の中でやることを済ませてからでもいいのだが、本丸が屋敷である以上、それは先に済ませておきたい。
「それで……サクラこそ、それは?」
サクラはいつの間にか、布でぐるぐるに巻かれた何かを持っていた。あまり大きなものではないが、サクラもアンデッドに対する何かを持ってきたのだろうか。
「刃物よ」
サクラは顔を耳に寄せ、小声で言った。
「…………」
刃物。確かに、言われてみれば、それは小刀や包丁のように見えなくもないのだった。
黙っていると、サクラは「新しく買ったものだから安心して」と付け加えてきた。その言葉には特に安心出来る要素もなかったのだが、サクラは別段冗談を言ったというわけではなさそうだった。
「……何に使うの? さっきの人殺すつもり? ダメだよ?」
武器として使うために持ってきたのだろうが、アンデッドに対する武器としては心許ない。先程の発言と合わせると、あの受付嬢を殺害するためのものとしか思えなかったのだが、サクラは続けて言った。
「違うわよ。あなた言ってたじゃない。先代領主を殺害したことが露見するのを恐れて森に入った人間を消している誰かがいるかもしれないって」
なるほど──と、納得してはいけなかったのだろうが、目的は理解した。
相手がアンデッドであれば、頭を潰さなければならない関係上武器としては少し弱いのだが、しかし相手が生身の人間であるのなら、それは十分な凶器であると言える。肺を一突きにすればその時点で呼吸が困難になるし、目を潰せば視界を塞ぐことが出来、頸動脈を切れば即死も狙える。
勿論相手の装備などにもよるのだろうが、どれだけ装備を着込んだところで、一つも傷を受けないようにすることは難しい。中世の騎士が着ていたような甲冑であればそれも可能なのだろうが、この世界にそんなものはない。
それが何故かと言えば、『魔法が存在するから』という以外にない。ただの金属鎧など、火の魔法をぶつけられでもすれば何の意味もないのだ。金属自体には火に対する耐性もある程度はあるが、中の人間はそうもいかない。
そんなこともあり、基本的には致命傷を守るための身動きのしやすい装備が一般的なので、包丁なんかでも装備に身を包んだ相手を殺すことは普通に出来てしまう。
「言ったけど……。殺すつもりでいるの……?」
「場合によってはの話よ。出来る限り戦闘は避けるつもりでいるけど、だからと言って備えをしないのは話が違うでしょう?」
「かもしれないけど……」
急迫不正の侵害に対する防衛行為であったとしても、人殺しに身を染めて欲しくはない。これについては経験から言えることも無いが、例え正当性が認められてお咎めなしになったとしても、人を殺してしまった人間のその後というのは、結構悲惨だったりすると聞く。確かに一番大事なのは自分の身を守ることだが、それで精神を犠牲にしてしまえば、結局は同じことなのだ。
もしもの時はちゃんと守ってあげられるようにしなければ。
と、森のすぐそばまでやってきた。
ただ。
「なんか……人多くない?」
遠くからなのでよく見えなかったのだが、何人かの大人たちが森の入り口辺りで固まり、アンデッド相手に接戦を繰り広げているようであった。押しては退き、退いては押し返し、波のような攻防である。
その表情にはどこか必死ささえ感じられたが、一体なぜ普段は誰も近寄ることのないような森でアンデッドと戦っているのだろうか。
自分達があの依頼を受けたことで、彼らも屋敷や報酬を手に入れたいという欲が出たりしたのだろうか。子供でも受けているのだからと、彼らも及び腰を解いて乗り込んできたということなのだろうか──だとするとマズい。
依頼内容は家宝の回収だ。なので、基本的には早い者勝ちとなる。先に依頼を受けたところで、目的の物を回収出来なければ意味がないのだ。
だったら今すぐにでも幽霊屋敷に向かわなければならないのだが、しかしそうでないとしたら何が考えられるのだろう。
もしかすると、この森では今、何かとんでもないことが起こっていたりするのだろうか。バイオハザードのようなことが起こっていたりするのかもしれない。だったらここは、一度帰った方がいいのだろうか。
とは言え、そんなことが起こっているのだとすれば、ここまでの道中でその異変を感じていてもおかしくはなかったはずなのだが、それらしい雰囲気は感じられなかった。普段通りの町といった様子で、おかしなところは見当たらなかったのだ。
だとすれば前者か。
どちらにせよ苦戦しているように見えるし、参戦してやるべきなのだろうか。
だが、サクラはそれを一瞥すると、「今のうちに這入りましょうか」と、無感情に言った──あそこで大騒ぎしてくれている内は自分達が動きやすいと考えたのだろう。少々頂けない発言ではあったが、しかしこの状況は都合がいいというのは自分も薄々感じていたことでもあったので、彼らにはあそこで戦い続けていただくことにして、無事、森の中へと侵入を果たしたのであった。




