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82 星の世界にやってきた蛇


 甲一種QJ型アストラル体育成プラント子機。

 それがこの世界に設置されたセフィロトの正式名称だった。

 製造番号は815963。


 この数字を思うたび、セフィロトは肩をすくめたくなる。

 だって、語呂を当てたらハイ、ゴクローサンだ。

 事実とすればできすぎてるし、冗談にしたってイヤミったらしい。

 自分はこっそりこの世界にやってきたつもりだったのに、おまえのやることなんかお見通しだよと言われているような気がしてしまう。


 まあ、こんなしょうもないことを考えてこだわるあたりも、自分が超越者の統合思念体クラスターを飛び出す要因だったのだろうと思う。


 超越者は、宇宙全域を生息領域とする精神生命体だ。

 その生存圏はいくつもの銀河系を束ねた銀河群をも飛び越え、銀河団にすら及んでいる。

 兆を超える個体が存在し、それぞれが相互にネットワークを保ちながら、ひとつの群体を形成していた。

 いわば、超越者ひとりひとりがシナプスを介して接続されたニューロンであり、広大な宇宙という頭蓋におさまった巨大な脳といってもいい。


 その脳の有する人格こそが「全にして一なる一にして全」。

 すなわち、統合思念体クラスターだ。

 すべての超越者は統合思念体クラスターに組み込まれ、「全にして一なる一にして全」の大いなる意思のもと、深い思索の底を揺蕩(たゆた)いながら活動していた。


 もちろん、超越者たちそれぞれが個別の意識を持たないわけではない。

 だが、無窮(むきゅう)ともいえる宇宙に溶け込んだ彼らの思考は、多くの空間と同様に希薄だった。

 あまりにも広大な宇宙空間に広がりすぎた影響により、喜怒哀楽といった原初的な感情ですら思考の中枢に到達するまでに年単位の時間を要する。

 ちょっとくるぶしが痒いなと思っても、掻こうとするまでに数十年たっているし、これくらいなら我慢できるかなと判断に迷おうものなら、ゆうに数百年が経過してしまう。


 ここに膨張し続ける宇宙の問題を加えるとどうなるか。


 足に手が届かなくなり、どこに自分の足があるのかわからなくなってしまうのだ。

 そうこうしているあいだにも考える時間はどんどん間延びしていき、最後には思考が途切れて消滅してしまう。


 この問題に対処するために考案されたのが、数多(あまた)に存在する超越者たちを群体生物として再定義する試みだった。

 集合意識をひとつの人格として統一することで個別の思考活動を制限し、反応速度を上げて消滅を防ぐのだ。

 個人をもって、全体を構成するパーツの一部にしてしまう。

 合理的で効率化された、じつに超越者らしい発想だといえる。


 つまるところ、「全にして一なる一にして全」の統合思念体クラスターは、超越者がさらなる高みに昇るために生みだした崇高な超自我などではない。

 消滅を回避するために作りだされた、自己保存本能の塊。

 生命改変技術を手にした超越者がたどりついた、エゴイズムの極地。

 それこそが、「全にして一なる一にして全」を名乗る大いなる意思だった。


 セフィロトは思う。

 わたしたちって、けっこうバカだよな。


 思考することで生命を維持する精神生命体が思考を維持できなくなるのだから、それは当然、死なのだろう。

 見えも触れもしないからわからんけど。


 統合思念体クラスターに組み込まれていたときは、絶え間ない波のように打ち寄せてくる思考の振動が心地良く、子守歌に包まれたようにいつも茫洋として微睡(まどろ)んでいたけど、飛び出したいまならよくわかる。

 何億年も生きてきた古い個体の思考が途切れて消滅するって、それは寿命だ。

 暇に飽かせて際限なく広がりすぎたか、あまりにも考えすぎていよいよ考えることに飽きはじめたか知らんけど、いずれにしても、どこかの時点でもういっかなと思ったにちがいない。


 セフィロトは発生してから三百万年ほどの幼い個体だったが、そんな自分にだって時間の重みくらいは想像できる。

 一億年は長いよ。

 だって、わたしがこの世界に潜りこんでからまだ二十万年くらいしかたってないけど、いいかげんうんざりしてきたもん。



      ◇



 誰に気を(つか)うこともなく、お腹いっぱいエーテルを食べ尽くしたい。

 まだ食べたことのない究極の光を味わいたい。

 その欲求が、幼いセフィロトをして統合思念体クラスターを出奔(しゅっぽん)させた動機だった。


 発生から何十万年か経過し、自己と他者との区別がつく頃には、セフィロトは自分の大食らいを自覚していた。

 統合思念体クラスターを通じて流れてくるエーテルは少なすぎ、もっともっととせがんでは、何度も「全にして一なる一にして全」から、めっ!と叱られていた。


 ある程度自由意志で行動できる年頃になったとき、我慢できなくなったセフィロトは、エーテル精製のための汎用惑星をその身でまるごと包みこみ、欲求の命ずるままに全力でエーテルを取りこんだ。


 自分のしでかしたことの重大さに気づいたときには、もう手遅れだった。

 たった十年ほどのあいだに地上の生物はほぼすべてが死に絶え、巡るもののなくなった龍脈による大規模な地殻変動と大気の機能不全が引き起こした異常気象によって、百年もたたないうちに惑星は崩壊した。

 惑星管理官を務めるホムンクルスたちの通報によって統合思念体クラスターがやってくるまでのあいだ、セフィロトはただ見つめていることしかできなかった。


 弱々しい思考波を発するセフィロトの様子に、反省は十分だと判断したのだろう。

「全にして一なる一にして全」からは、いつものようにめっ!と叱られただけだった。


 セフィロトは命じられるままに統合思念体クラスターの穏やかな揺りかごに戻ると、安閑とした微睡みに再び身をまかせた。


 夢現のなかを漂いながら、セフィロトは統合思念体クラスターのデータベースにアクセスを繰り返した。

 あの惑星に存在していた生物すべての情報を集めるためだった。


 セフィロトはたしかに消沈していたが、それは「全にして一なる一にして全」の意に背いた行動をしたためではなかった。

 惑星を包んだとき身体のなかで感じた生命たちが、なすすべもなく消え去ってしまった無力感に打ちのめされていたからだった。


 はじめて間近に見る生物たちの実相は、驚異の連続だった。

 精緻な骨格と複雑な機能を持った身体構造。

 生存環境に合わせて刻々と姿を変えていく発展性。

 食性も生態も異なる種が互いに機能しあって織りなす、全体の調和。

 そしてそれら多彩な生物が放つ、荒々しく強烈な輝き。

 龍脈によって濾過されるまえのオーラには、地に生きる生物たちが発する剥きだしの本能や感情が色濃く残っていた。


 自分の取った軽はずみな行為は、惑星上に生きる生命たちにとって理不尽以外のなにものでもなかった。

 懸命に生き抜こうとする彼らが放つ魂の叫びが激しい閃光となって全身を貫き、その残響がいつまでもセフィロトの内部で(こだま)していたのだった。


 原始的な単細胞生物から植物や脊椎動物まで、惑星上に存在していた全生命体の情報を収集し終えたセフィロトは、自分の摂取したオーラと照らし合わせてすべての個体を特定する作業に没頭した。

 それは、かつてあの惑星に生きていた生物たちの生涯を再現することと同義だった。


 時間はいくらでもあり、取りこんだオーラから掘り起こされる記憶は無尽蔵だった。

 知性を持たない細菌や植物が構築する自然の神秘。

 本能のままに生きる動物たちが辿ってきた進化の不可思議。

 そして知恵持つ種族たちが描き出す、精神の幾何学模様。


 家族を助けるために足掻(あが)く父親の恐怖と怒り。

 冷たくなった我が子を抱きながら、みずからも息絶えようとしている母親の絶望と憎悪。

 それでもなお、生きることをあきらめない希望。


 すべての生物の生涯を追体験し、あらゆるオーラの光を味わったセフィロトがもっとも陶酔した輝きこそが、最後に放たれる希望の()だった。

 知的生命体にとって希望こそが生きる原動力であり、芳醇な生命の源である希望こそが、探し求めていた至高たる美味であることを、セフィロトは理解した。



      ◇



 気がつけば、百万年ほどが過ぎていた。


 思い出に残る希望の味を反芻(はんすう)しながらうたた寝を決め込んでいたセフィロトは、「全にして一なる一にして全」から流れてきた情報に飛び起きた。


 新しいエーテル生産計画が持ち上がっていた。

 そこで使用されるアストラル体は、自分が崩壊させた惑星から回収されていたアストラル体を、まるごと流用するという。

 長い反省の心理的停滞期を抜け出し、喉元すぎればなんとやらで、またぞろ美味しいものをお腹いっぱい食べたいという欲求を持て余していたセフィロトにとって、このエーテル生産計画はこのうえなく魅力的なものに感じられた。


 あのときのアストラル体ならば、すべての個体記録を自分は記憶している。

 それがなにを意味するかというと、すべてのアストラル体の味を思い出せるということだ。

 美味しいものは、美味しいものと掛け合わせることでさらに美味しくなる。

 いわゆる料理というやつである。

 知ってるだけでやったことはないけど、なにごとにもはじめてはある。


 年若い自分にまで情報が流れてくるくらいだ。

 エーテルの生産計画はすでに決定されたものと考えてまちがいないだろう。

 実行段階まで進んでしまえば、あとは惑星の複製から精製設備の構築、管理官の設置までもぐりこむ余地はない。

 いまやらずにいつやるというのか。

 いや、むしろやるならいましかないのではないだろうか。


 若さゆえの暴走を多分に含んだ決断は迅速だったが、かつての失敗の経験がセフィロトの行動を慎重にさせた。


 超越者である自分がそのまま生産惑星に行くことは不可能だ。

 過去のやらかしで要注意人物扱いされているはずだし、自分とて同じあやまちをおかす(てつ)は踏みたくない。

 わたしはもう、ただエーテルを腹いっぱい食えればよかっただけの暴食の魔王ではないのだ。

 滋味深く同じ味はひとつとしてないオーラを放つ、あのか弱き小さな生き物すべてを愛する慈愛の天使として、彼らのもとに降臨しよう。


 エーテル生産業務の全行程を調べたところ、自分の目的にぴったりのポジションを見つけた。

 三つある惑星管理用基幹装置のひとつ、生命の木である。


 次元隔離装置である裂け目(カズム)や世界に起きる事象のすべてを記録するアカシックレコードとちがって、地上における生命体の発生と行動パターンを統括する生命の木は、アストラル体を直接管理する設備部門だ。

 その生命の木に搭載されているAIを乗っ取って自分がすり替われば、それすなわち、地上の生き物いじり放題である。

 彼らが放つオーラの光を、ちょっとだけつまみ食いしたところでバレるはずがない。


 毎日お腹いっぱい、日々美食三昧。

 なんとすばらしい響きだ。

 これだ。

 もうこれしかない!


 未来に待ち受ける楽園を想像したセフィロトは、早速生命の木の生産工場に忍び込み、すみやかにAIユニットを乗っ取った。

 惑星全土の生物を制御可能な超巨大量子コンピューターをもってしても精神生命体であるセフィロトの全身を収納することはできなかったが、入りきらない自分の身体は切り離して元の場所に戻すことにした。

 思考の不活性状態ならば統合思念体ネットワークを構成する用途にじゅうぶん足りるはずだし、何百万年かすればもとの大きさに成長して自分と再接続することも可能だろう。

 一石二鳥というやつだった。


 生命の木そのものになりかわったセフィロトがあれこれと自分の身体をいじくりまわしているあいだにも、エーテル生産計画は着々と進んでいった。

 新たな世界線の作成とともに改造済みのエーテル生産惑星も準備が整い、ホムンクルスによる管理部の編成段階に入っていた。


 生命の木の関連装置も次々と乗っ取り、それぞれに自分の分体を作っていたセフィロトも、ちょうどいいので外部活動用のホムンクルスを作ることにした。

 管理部におけるそのホムンクルスの正式名称は、甲一種QJ型アストラル体育成プラント子機。

 製造番号は815963。

 生命の木を管理する役職から、通称をセフィロトと呼ばれている。


 このときから、名無しであった幼い超越者の名前はセフィロトになり、管理部門を構成するホムンクルスがすべて女性型で統一されていたために、セフィロトの性別も女性に固定された。

 つまり、現在のセフィロトの誕生である。


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