77 闇夜に燃える獣たち
ダンジョンの入り口に到着すると、先行した冒険者の男が準備万端整えて待ち受けていた。
いくつも掲げられた松明によって周囲は煌々と照らしだされており、昼間使った焚き火跡はあらためて火が起こされて、湯を沸かした鍋から盛んに湯気が立ちのぼっていた。
四人の女性陣が馬車から降りるとき、ひと騒動あった。
御者台で手綱を引き締めた戎兵衛が馬の脚を止めたのち、馬車の扉を開いて最初に姿をあらわしたのが、見知らぬ女だったからだった。
メイド服に身を包んだ三十過ぎと思しき女は、軽やかな足取りで馬車のステップを降って地に足をつけると、折り目正しく背筋を伸ばして深く息を吸いこんだ。
豊満な胸元が大きく隆起し、地味なメイド服の内側に熟れきった肢体が包まれていることをうかがわせた。
かすかに垂れた穏やかな目元と包みこむような微笑みを浮かべた柔らかな唇に深く面影を宿していたが、わざわざ特徴を探さずともわかる。
クララ・クレイトンだった。
「姫、そろそろしゃっきりなさってくださいな。これから大仕事が待っておりますのですよ」
うしろを振り向いたクララ・クレイトンが馬車の内側に向かって声をかけると、動揺を隠しきれない表情をしたアデリーン王女が、及び腰の姿勢で顔を突きだした。
「ばあや……、本当にばあやなの?」
「もちろんじゃありませんか。姫がお生まれになったときからばあやをしている、クララ・クレイトンですよ」
細めた瞳に慈しみを込めて静かに笑う姿には、長い年月を積み重ねて老境にいたったものだけが醸し出す、郷愁を誘うような安心感が溢れているように思えた。
「ああ、ばあや! 本当にばあやなのね!」
馬車から飛び降りたアデリーン王女が、勢いのままにクララ・クレイトンに抱きついた。
「おい」
アデリーン王女のあとから決まり悪げにこっそりと降りてきたメルトに、カシューは低い声で呼びかけた。
「どういうことだ」
「ちょっと、魔力の加減をまちがえてしまいまして」
「魔力を込めるだけであれだけ若返るんなら、陽炎だってもっと簡単に治せたんじゃないのか」
「まさか! あんなふうになるなんて、わたくしにも訳がわかりませんわ。あれだけの魔力を注ぎこんだんです。ふつうだったら、クレイトンさんは人じゃなくなっているはずですのよ!」
心外な素振りを見せつつとんでもないことを言い出すメルトに、カシューはあらためて頭を振るしかなかった。
深刻な顔をした二人をよそに、面立ちや身にまとう雰囲気にどこか似通ったものを感じさせる二人の女は、歳の離れた姉妹のようにお互いを抱きしめあっていた。
「あらあら。姫はこんなに大きくなったのに、あいかわらず甘えん坊さんですねえ。ほーら」
胸に溢れる親愛の情を隠そうともせずに甘えてくるアデリーン王女の頭を撫でていたクララ・クレイトンは、王女の脇腹に手を添えると幼子をあやすように頭上高く持ち上げた。
「すごいわ、ばあやっ。子どもの頃に戻ったみたい!」
童心そのままにころころと笑うアデリーン王女とは対照的に、カシューとメルトはそろって驚きに目を剥いていた。
嫋やかとしか形容しようのない体格をしたクララ・クレイトンが、自分とさほど身長の変わらぬアデリーン王女の身体を細腕の力だけで掲げてみせたのだ。
しかも、気合いひとつかけることなく、満面の笑顔を浮かべたまま。
異様としか言いようのない光景だった。
「なんとまあ。あれ、本当に義母さんだったんだ」
いつのまにか背後に立っていたコブの声が聞こえ、カシューは訝しげな表情で振り向いた。
「わかるのか、コブ」
「あの馬鹿力を見たら信じざるを得ないよ。十年ほどまえに関節炎を患って以来、すっかり衰えちゃってたんだけどね。信じられるかい? あれ、身体強化もなにも使っていないんだよ」
魔力の流れを確認したのであろうメルトが、茫然とした声をあげた。
「本当ですわ。ウソでしょ……」
視線の先では、アデリーン王女が伸ばした両腕を掴んだクララ・クレイトンが、くるくるとまわりながら王女の身体を振りまわしていた。
遠心力でほとんど水平になった王女が上げている甲高い笑い声をどこか遠いものに聞きながら、カシューは湧きあがってくる戦慄を抑えることができなかった。
陽炎の治療は、ダンジョンに入ってほどないところにある横穴で行われることになった。
松明を手にしたカシューがさして大きくもない横穴の入り口をくぐると、天井の高さこそないものの、内部は意外なほど広々としていた。
不自然な光の反射に気づいたカシューは、壁に炎を向け、驚きの声をあげた。
岩肌から染みだした地下水が、小さいながらも清冽な泉を作りだしていたからだった。
ダンジョンの外で湧かしていた湯の水を、冒険者の男がどこから汲んできたのか不思議に思っていたが、出所がここであるのは間違いなかった。
どこにも通じることのない行き止まりとなった小部屋のような横穴は、本来であればダンジョン内を徘徊する魔物たちの溜まり場や待ち伏せなどに利用されているのだろう。
しかし経験豊富な冒険者からすれば、ダンジョンの入り口そばにあるため一度内部の敵を倒してしまえば再び魔物が湧くことのない空間は、格好のセーフティゾーンだった。
メルトは馬車に積んであった幌やテントの生地を天井と床、四方に張り巡らせて横穴のなかを箱形に区切ると、その内部を強い浄化結界で包んだ。
ダンジョン内部に満ちる瘴気を濾過し、純粋な魔素に変換して吐き出す結界は、空気中に漂う目に見えない汚染源を排除するとともに、治療中の陽炎の肉体にかかる負担をわずかながら回復させる効果があるという。
説明を受けたところでカシューには理解できなかったが、肌にまとわりつくように澱んでいたダンジョンの空気が、メルトの設けた作業空間の内部だけは鼻孔がぴりつくほど清浄な空気に変わっていることに驚いた。
取り外した馬車の床板などで作った即席の寝台に眠り続ける陽炎を運びこむと、メルトは一同に向きなおった。
「これより陽炎さんの治療をはじめます。主幹執刀医をわたくし、補佐をアデリーンさんが務めます。クレイトンさんは手術補助。それ以外の方々は入室を禁止といたしますが、室外でも作業を行うため、出入り口の外で待機していただく人間が必要となります」
「あっしが。なにをやればいいか、教えてくだせえ」
力強い声を出した戎兵衛が、一歩まえに進み出た。
「そこの泉から汲み出した水を沸かし続けてください。大量に」
ただ湯を沸かすだけと言われ、気負いを見せていた戎兵衛が拍子抜けしたように眉を下げた。
しかし、続くメルトの言葉を聞くうち、その表情が恐怖とも驚愕ともつかない葛藤に強張っていった。
「今回、陽炎さんに施す治療は単純なものです。全身に蓄積した毒素を抜き取り、健康な状態まで回復させる。しかし、そのためには主要な臓器を一度すべて摘出し、個別に浄化と回復魔法をかけたのち、もう一度同じ場所に戻して復元しなければなりません」
「そ……、そいつは、お嬢を生きたまま腑分けするってことですかい」
青褪めた顔で問いかけた戎兵衛に、メルトは躊躇することなく頷いた。
「そのとおりです。消化器、呼吸器、循環器、脳神経系。取り出せるものはすべて取り出します。筋肉や皮膚など切り離せない部分に関しては、全身に浄化魔法を浴びせ続け、血液中に毒素を排出させたうえで、透析によって毒を抜き取ります」
強く口を引き結んだ戎兵衛が、震える声を絞り出した。
「そんなに切り刻まれちまって、たとえ身体んなかから毒気を抜いたにしても、お嬢はどうやって生きていけば……」
絶句した戎兵衛に、カシューが声をかけた。
「戎兵衛、身体にどこかに傷は残ってるか」
質問の意味を測りかねた戎兵衛が、カシューに顔を向けた。
「昼間、自爆攻撃に巻きこまれたおまえさんは、全身にひどい火傷を負っていたんだ。右肩や背中の一部なんかは、黒焦げで肉が剥がれて骨が見えてた。いま、自分の身体に火傷のあとがちょっとでも残ってるか」
衣服の裾や袖をまくっておのれの身体を確かめる戎兵衛を見ながら、カシューは言葉を続けた。
「傷ひとつないその身体を治したのがメルトだ。そのメルトが、陽炎を治すと言うんだ。おれはなんの心配もしていないよ」
微笑みすら浮かべて戎兵衛の肩を叩いたカシューの様子に、メルトは苦笑していたが、ふと目つきを優しげなものに変えると戎兵衛に向けた。
「信頼に答えるためにも万全を尽くしますが、治療自体は本当に単純なものなんですのよ。大量のお湯を沸かしてほしいと頼んだのも、言ってみれば陽炎さんを洗うためですから」
摘出した臓器を、浄化魔法を込めたぬるま湯で洗う。
メルトが陽炎に対してやろうとしていることは、極言すればただそれだけのことだった。
滲みだしてきた毒によって濁った湯を取り替え、毒が排出されなくなるまでひたすらにもみ洗いし続ける。
そのために必要となる水は、とてもではないが水魔法による生成などでまかなえる量ではない。
沸かして湯とするための水が容易に手に入り、比較的安全なこの横穴は、まさに治療には絶好の場所といえた。
メルトはうなじの髪をかき上げると、首にかけていた銀色のチェーンを引き抜いた。
ミスリルと思われる鎖の先には、複雑にカッティングされた宝玉を埋めこんだペンダントがつけられていた。
「浄化魔法を込めたアミュレットです。水につければ、その水にも浄化の効果が付与されます」
差しだされるままに受け取った戎兵衛が、大きく息を飲み、メルトを見返した。
「わたくしにできることは、生命を維持することだけです。陽炎さんに健康な肉体と未来を取り戻すのは、あの方が失ってしまった赤ん坊の父親である戎兵衛さん、あなたです。おまかせしても?」
毒素に蝕まれた内臓に、新鮮な瑞々しさを取り戻す役目。
陽炎の命を救うために必要な最も重要な治療工程を、メルトは戎兵衛に託そうとしていた。
「あっしがやりやす……。メルト様、あっしにやらせてくだせえ」
濡れた瞳を赤く充血させた戎兵衛が、深くメルトに頭を下げた。




