76 勁き雌たちのサバト
出発の準備は慌ただしく進んだ。
馬車に馬を繋ごうと悪戦苦闘するコブをカシューが手伝っていると、メルトから呼びかけられた。
「コブさん。陽炎さんの治療にアデリーンさんをお手伝いさんとして雇いたいのですが、よろしいですか」
深く考えず許諾の返答をしようとしたコブを、カシューが慌てて止めた。
「おい、お手伝いさんって、もしかして3号にするつもりか」
「もちろん、そのつもりですわ。だから許可を取りに来たのです」
わけがわからず困惑するコブに、カシューは説明した。
メルトが呼ぶお手伝いさんとは、天界の管理官である彼女が地上で活動するにあたって補佐として任命する、現地協力員のことだった。
この世界にあって女神と呼ばれるメルトが求める作業は、下界に生きるものからすれば人知を絶するものが多い。
そのため、メルトはその作業内容に応じて協力員の能力を向上、また基礎となる知識を供与することで対応させていた。
「俺は同意もしてないのに無理矢理2号にさせられたんだ。そのとき、世界の成り立ちを知らないと説明できないからって、直接脳に知識を焼きつけやがった。頭が爆発するところだったんだぞ。ちなみに、1号はあの冒険者の男だ。あいつだって、きっととんでもないことをされたにちがいないんだ。アデリーン王女もどうなるかわからん。悪いことはいわん。コブ、やめとけ」
コブの肩を揺すぶってまくしたてるカシューの声を遮るように、馬車の扉が内側から開けられた。
「メルトさま。そのお申し出、喜んで受けさせていただきます。どうぞ、わたくしをお手伝いさん3号としてお雇いくださいませ」
馬車から降りてきたアデリーン王女はすっきりとした乗馬服姿に着替えていた。
カシューたちが食事をしているあいだにわずかでも睡眠をとったのか、疲労と魔法の連続行使によってやつれていた肌は桃色の瑞々しさを取り戻し、手足の動きにも快活さが溢れている。
腰まで届く髪は頭の周囲を取り巻くように編み込まれ、露わになった頬から首元のシルエットが月の光を反射して仄かに輝いていた。
「メルトさまに言われたとおり、陽炎さんにはポーションと塩水を混ぜた栄養水を点滴しながら、定期的に回復魔法をかけておきました。失われた血液もだいぶ戻ってきたと思いますわ」
動きやすいよう着替えた服装からも、アデリーン王女は最初からメルトとともに陽炎の治療をする気だった様子がうかがえた。
メルトは王女に礼を言ったあと、あらためて語りかけた。
「それなりに大がかりな治療となります。時間もかかりますし、同時にいくつもの作業をこなさなければなりません。専門的な医療知識を備え、なおかつ複数の治癒魔法を使いこなせる助手が必要です。手取り足取り教えている余裕はありませんので、少々手荒な方法になりますが、最低限の知識と技術を脳に直接転写することになります。アデリーンさん、その覚悟はございますか」
真剣な表情で問いかけるメルトに、アデリーン王女は花がほころびるように微笑んだ。
「もちろんですわ。メルトさまが戎兵衛さんを治療する様子をかたわらで拝見させていただき、自分の進むべき道を照らされたように思いました。どのような苦難にも耐えてみせます。最低限などとおっしゃらず、どうか与えられるかぎりの秘儀を、わたくしにお授けください」
跪かんばかりに懇願するアデリーン王女に、メルトは慈母のごとき表情で感謝の言葉を伝え、引き続き陽炎をみていてほしいと頼んだ。
アデリーン王女が馬車のなかに姿を消すのを見送ったメルトは、カシューを振りかえった。
傲慢な勝者が敗者を見下す、下卑たドヤ顔だった。
「2号、わかりましたか。これが女神の威光です」
「おまえが詐欺師だってことはわかった」
「んな!」
額に青筋を立てて殴りかかってきたメルトをカシューが羽交い締めにしていると、突然、コブが足元に跪いた。
「女神様! どうかこのコブめをお手伝いさん4号にご任命ください!」
あっけにとられてメルトから手を離したカシューが、しゃがみこんでコブの肩をつかんだ。
「お、おい、どうしたコブ。俺の話を聞いてたか」
「ずるいぞ、カシュー! 君だけ知識を与えられるなんて。そういうのは僕にこそ必要だろう。メルトさん! 頭が爆発したってかまわない。火箸だろうが焼きごてだろうがなにを使ってもいい。どうか僕の脳にも知識を!」
叫んだコブがメルトの足に縋りつこうと手を伸ばしたが、メルトはかつてない俊敏な動作で払いのけ、馬車の扉を開けてなかに飛びこんだ。
「なんかやだ」
無慈悲な音をたてて扉を閉められた馬車に向かい、コブは絶望という題をつけられた彫像のように、いつまでも手を伸ばしていた。
眠り続ける陽炎を筆頭に女性陣四人を馬車に乗せ、御者台に轡を取る戎兵衛と剣の勇者、空いた一頭の馬にカシューとコブが同乗した。
従者をつとめる冒険者はあいかわらず徒歩での移動となったが、先行してダンジョン周辺の安全確保をしておくと言って闇に紛れると、瞬時にして気配を消した。
中天にかかる月を臨みながらの移動は、しごくゆっくりとしたものだった。
伏せる陽炎の容態を考えたのは当然のことながら、本来であれば馬を走らせる時間でもなかった。
日中、街道を往復二度にわたって全力で走り抜けた馬は、いまは眠たげに目を瞬かせていた。
脚が止まりそうになると、カシューが手綱を打って馬の意識を引き戻す。
そのたびに、馬は不機嫌そうに鼻息を鳴らして首を振り、自分の背に揺られるもう一人の男に向けてうらめしげな視線を送った。
カシューのうしろで鞍にまたがったコブは、馬の雑な足運びに気づくこともなく、揺れる馬上で器用にいびきをかいていた。
弛緩した空気に変化が訪れたのは、目的地までの道のりの半分が過ぎた頃だった。
「おほぉーーーーっ」
突如として馬車から響き渡った形容不明の叫び声は、間違いなくアデリーン王女のものだった。
いかなる状況が可憐な乙女をして耳を覆いたくなるような雄叫びを上げさしめるのか、事情を知らない戎兵衛が慌てて馬車の内部を確かめようとした。
手綱を絞って御者台に並んだカシューが、手のひらを押し出すようにして戎兵衛を止めた。
「しかし、旦那!」
「大丈夫だ、戎兵衛。あれは……、なんというか、女神による一子相伝の儀式だ。アデリーン王女は奥義の皆伝を得た」
「一子相伝の奥義……。聞いたこともねえモノノケみてえな叫びでしたが……。剣術の猿叫みてえなもんですか」
曖昧に頷くカシューを嘲笑うように、馬車の内部から再び声が聞こえてきた。
「姫!。いかがおわしましたか、姫っ。……アデリーン! 正気に戻りなさいっ、アデリーン! ああっ、メルトさま、なんということを!」
「クレイトンさん! 落ち着いてくださいっ、クレイトンさん! 痛い、叩かないで! もうこうなったら、えい!」
「あっはぁーーーん!」
ガタガタと揺れていた馬車の内部から眩い光が漏れ出た直後、それまでの狂騒が嘘のように静まりかえった。
見開いた瞳に恐怖すら湛えて硬直していた戎兵衛が、弾かれたようにカシューに顔を向けた。
「旦那ぁ!」
「……今度は、侍女が奥義を授かったみたいだな。めでたいことだ」
茫然と馬車を見つめる戎兵衛の姿にカシューがため息をついていると、背中から身動ぎをする気配が伝わってきた。
振りかえると、酸っぱいものでも頬張ったように顔面すべてを中心に寄せたコブが、卑しい目つきで下唇を噛んでいた。
「残念だったな、コブ。どうやら、おまえが4号に任命される未来は永遠に失われたらしい」
「おのれ、義母さんめ。こうなったらカシュー、君の知っていることを洗いざらい話してもらうからね」
落ち着いた頃合いを見計らって、メルトにお手伝いさんの増員を要求しよう。
カシューはそう決意した。




