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73 牙を剥き、爪を研ぐ


 馬車の扉が開かれたのは、半刻(はんとき)ほども過ぎた頃だった。


 皓々(こうこう)と闇夜に浮かぶ焚き火の周囲では、冒険者の男から引き継いだ侍女頭が鍋をかき混ぜるなか、不安と焦燥を持て余した男たちが言葉もなく揺らぐ炎を瞳に写していた。

 ひとり、戎兵衛(じゅうべえ)だけは馬車の扉のまえであぐらをかいたまま丸まるように座りこみ、まんじりともせず目を閉じていた。


 扉を開けたメルトは目のまえに座っていた戎兵衛に驚いた様子をみせたが、すぐに微笑みを浮かべた。


「大丈夫です。容態も安定して今は眠っておりますから、大きな声は出さないように」


 降りてきたメルトと入れかわりに扉から首を伸ばして内部をのぞきこんだ戎兵衛は、毛布を掛けられ穏やかな顔つきで眠る陽炎(かげろう)をそこに見出し、安堵のあまり膝から崩れ落ちた。


 放心状態で馬車の車輪にもたれかかる戎兵衛に一瞥を向け、メルトは他のものたちが集まる焚き火へと足を進めた。

 気がついたクララ・クレイトンができあがった麦粥を差しだそうとするのを押しとどめ、馬車を指さした。


「アデリーンさんがまだ患者についておりますので、持っていってあげてくださいな。ついでに戎兵衛さんにも。わたくしは皆さんと今後についてお話がありますから」


 てきぱきと支度をした侍女が馬車に向かったのを待って、カシューが口を開いた。


「どうなった」


「とりあえず、命の危険は脱しました。いまは少しでも体力を回復させるため、魔法で強制的に眠らせております。アデリーンさんがいて助かりましたわ」


 メルトはそう言うと地面に敷かれた布に腰をおろし、(ふところ)から鈍く炎を反射するスキットルを取りだした。

 キャップをひねり、口元に運んで傾け、またキャップをひねる。

 流れるように優雅な動作だったが、やっていることはただ酒を飲んでいるだけだった。

 ひと口だけ流し込み、すぐ懐に戻すところが常習性を感じさせる。

 焚き火を囲んでいる面々で驚いているのはメルトとははじめて間近に顔をあわせるコブだけで、剣の勇者も冒険者の男も目すら向けないところをみると、彼らの旅にとってあたりまえの光景となっているのだろう。


 半眼となったカシューの視線を気にすることもなく、メルトは焚き火の炎をはさんで対座するカシューとコブに口を開いた。


「陽炎さんが危篤状態に陥った原因は敗血症でした。体内の血液が細菌感染やその他の要因によって汚染され毒性を持ったことで、全身の臓器や血管に炎症が起こる症状です。緊急処置として、体内を循環している血流を一度身体の外に誘導し、浄化魔法で毒素を抜いたあと、また体内に戻す治療を施しました」


 敗血症という名称をカシューは聞いたことはなかったが、いわゆる血が濁るというものだろうと理解した。

 抜いた血液を浄化してまた戻すという治療方法も、高い魔力にものをいわせて身体の外側から治癒魔法をかける一般的な魔法治療よりも合理的に思える。

 そう考えたのはカシューだけではなかったのだろう。

 となりにいるコブも、(うなず)いているのが見えた。


「それで、これからどうするんだ」


 カシューの質問にメルトは直接答えようとせず、ハーブ茶の入ったカップに口をつけた。


「おふたりとも、陽炎さんと戎兵衛さんとはどういったご関係ですの」


 突然発せられた要領を得ない問いかけに、カシューは眉をひそめた。


「どういう意味だ」


 押し殺したカシューの声に、鍋をかき混ぜていた冒険者の男の手が止まった。


「言葉どおりの意味ですわ。カシューさんとコブさん。あなたがたはなぜ、獣人であるあのおふたりを助けたいと思っていらっしゃるのです」


 カシューのまとっていた雰囲気が、はっきりと変わった。

 焦げつきそうな熱さから突き刺すような冷たさに急転した印象は、まるで別人が現れたかのようにその場の空気を一変させた。

 食べかけの麦粥を手に持ったままオロオロと会話を見守っていた剣の勇者は、食器を取り落とすと空いた手に剣を掴んだ。


 メルトは顔を向けて剣の勇者を制すと、どこからか煙管(きせる)を取りだして口にくわえた。

 おもむろに腕を伸ばし、白磁で作られたような人差し指を焚き火の炎に突っ込む。

 かすかに火の()ぜる音が聞こえ、引き抜いたとき、形のよい指先に青い炎が(とも)っていた。

 首を傾けて器用に煙管に火をつけたメルトは、吐き出した煙で指先の火を吹き消した。

 優雅さを失わないおどけた仕草だったが、カシューを見るメルトの視線はかつてみたことがないほど緊張感に溢れていた。


「空腹は最高の調味料っていうけど、どうにもこの麦粥はいただけないな。せっかく本職の板前がいるんだ。ちょっと手を加えてもらおう」


 我れ関せずと素知らぬ顔で粥を(すす)っていたコブが、気の抜けた大声をあげた。


「おーい大将! メシが不味(まず)いっ。馬車のうしろの貨物入れに食料が入ってるから、なんとかしてくれないか!」


 あっけにとられたカシューが首を向けると、片手を上げて返事をした戎兵衛が立ち上がり、馬車の貨物入れを漁るのが見えた。


「おい、やめろバカ。大将に聞かせたくないからわざわざ遠ざけたメルトの気遣(きづか)いが、台無しじゃないか」


 肩を掴んで揺すぶってくるカシューに、コブは心底迷惑そうな顔を返した。


「わかってるけど、気が滅入ってるときこそちょっとでも美味しいものを食べたいじゃないか」


 食材が入っているのか、布袋を小脇に抱えた戎兵衛が小走りに駆けてきた。


「司令、小麦と魚の干物があったんで持ってきやした。味噌玉でもありゃ、すいとん汁ができたんですが」


「おれが持ってる。醤油もあるから使ってくれ」


 いそいそと自分の背嚢(はいのう)をまさぐりはじめたカシューを見て、冒険者の男が立ちあがった。


「この時間なら、月光草の花が開いていると思います。あと、日中、ツタシナノキを見ました。皮を剥いだ内側の繊維が食えます。どっちも汁物に入れると美味い。ちょっと取ってきます」


「里芋とゴボウみたいなやつですわよね。田中さん、一緒に行って手伝ってきなさい」


 剣の勇者が立ちあがったが、冒険者の男は手のひらを突きだして明確な拒絶を示すと、そのまま暗闇へと姿を消した。


 肩を落として立ちすくんだ剣の勇者に、戎兵衛が鍋を突きつけた。


「あんた、勇者なら魔法で水出してくれ。終わったら出汁(だし)取るから、この干物を縦に裂いとけ。俺は塩と小麦こねてすいとんづくりだ」


 満面の笑顔で干物に手を伸ばした剣の勇者に、ばかやろう、まずは手を洗えと戎兵衛が怒鳴った。


 慌ただしく動き出した面々を座ったまま眺めていたコブが、ため息をついて腰を上げ、メルトの横に立った。


「ごらんのとおり、僕にとって戎兵衛の大将は腕のいい料理人だ。獣人の国であるジパニカで仕事をしたとき、女将の陽炎と一緒に引き抜いてきた」


「国家転覆のついでにですか」


 そっけなく聞いたメルトに、コブは苦笑を浮かべて肩をすくめた。


「カシューに聞いたのかい。そのとおり。それが僕の仕事だった」


「カシューさんはなにも語ることはありませんわ。わたくしが魔法で頭の中身を読み取ったんです」


「そういえば、あなたは女神様だった。もうちょっと敬ったほうがいいかな」


 おどけて両手を広げるコブに、煙管をくわえたメルトがしかめ面のまま煙を吹き出した。


「女神は単なる役職ですわ。あなたがやっているスパイマスターと同じ。どれほど激務であろうと、しょせんは仕事でしょう? 公私の区別はつけませんと」


 天界で彼女の働きぶりに接するホムンクルスたちが聞けば噴飯するであろう台詞を、メルトは吐いた。


「同意するよ。つけ加えるなら、激務であればあるほど、それから離れたときの個人は大きく乖離(かいり)する傾向があると思う」


「陽炎さんと戎兵衛さんのおふたりとは、職務を離れた関係にあると?」


「そのとおりだ」


 コブは人好きのする(ひょう)げた装いを脱ぎ捨て、深い思索の果てに身についた沈鬱な表情を(あら)わにして言った。


「そしてそれは、あなたが先ほどカシューにした質問の答えでもある。獣人であるあのふたりと僕らの関係。あれは、陽炎の体質のことを懸念(けねん)したからじゃないのかい」


「なぜ、そう思われるのですか」


 顔を向けることもなく機械的に尋ねたメルトに対し、コブは(いさ)めるように首を振った。


「敗血症の説明をしたとき、あなたは言った。『体内の血液が細菌感染やその他の要因によって汚染され毒性を持ったことで、全身の臓器や血管に炎症が起こる症状』だと。つまり、血液を汚染する要因こそが病であって、原因となる病を治さないことには敗血症は何度でも再発する。あなたが(ほどこ)した抜いた血を浄化して戻す治療。あれは透析だ。僕たちが生きるこの世界では想像すらできなかった素晴らしい医療技術だが、単なる延命治療でしかない」


 メルトは降参したように肩を落とすと、ため息を吐いた。


「忘れていましたわ。あなた方が癒やしの勇者と呼んでいた斎藤彩奈(あやな)さん。元の世界ではご自分が不治の病に(おか)されていたこともあって、病床でずっと医学を学んでいたらしいですわね。こっちに召喚されてしばらく、熱心に話を聞きに来る小太りのおじさんがいたと聞いておりましたが、コブさん、あなたのことだったのですね」


 黙って頷きだけを返したコブを見て、メルトは得心したように言葉を続けた。


「なるほど。アデリーンさんがやけに病理学や解剖学に詳しいので不思議に思っていたのですが、父親のあなたが教えたとすれば納得ですわ」


 驚愕のあまり顎の落ちた顔で振り向いたコブに、メルトは意地の悪い笑顔を浮かべた。


「言いましたでしょう、カシューさんの頭の中身を読み取ったって。わたくし、なんでも知っているんですのよ」


 勝ち誇ったように深々と煙管を吸いこんだメルトが、大量の煙を吐き出した。

 その煙の向こうから足音が近づき、霧を晴らすように断ち割ってカシューが姿をあらわした。


「言ったろう、コブ。この女は性根が腐ってるって」



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