74 鼠は暗がりにあって光を欲する
三人分の食事を運んできたカシューは、コブとメルトに食器を押しつけると自分も腰をおろした。
匙を口に運びながら、メルトとはじめて遭遇した際、五十年前に行方不明となった邪龍の情報を欲した彼女によって、強引に記憶を読み取られたことをコブに説明した。
「頭のなかを覗かれたといっても、限定的な情報と直近にあった強い記憶だけだ。出発前に大将の店で国王と話した経験は強烈だったからな。必然的におまえの秘密も読み取られちまった。すまん――。コブ、聞いてんのか」
カシューやメルトが持つ器よりもひとまわり大きな食器を抱えて、顔面を突っ込むようにして食事をかきこんでいたコブは、おざなりに頷いて返事をした。
「聞いてるよ。でも、このすいとん汁のまえにあっては、どうでもいいことだね」
泥のような色をしたスープに、小麦をこねたと思われるひと口大の白い塊がいくつも浮かんだ食器を怪訝な目つきでのぞきこんでいたメルトが、匙を口に運ぶなり驚きの声をあげた。
「お団子のなかに麦粥が詰めこまれていますのね。ぷちぷちした大麦の食感がとても美味しいですわ」
「下味をつけて炊き直した麦粥と刻んだ干し肉、それに野草やらなにやらをみじん切りにして混ぜたものを、すいとんを薄くした皮で包んで茹でたらしい。ラビオリに似ていると思ったんだが、大将はスイギョーザもどきと呼んでいた」
「この短い時間で、たいしたものですわ」
話しながらも食べる手を止めないメルトに、カシューはかすかに片頬を上げた。
「それはおまえさんのところの勇者様のおかげだな。器用に魔法を使って下ごしらえを手伝っていたよ。火魔法と風魔法の組み合わせで干物を粉末にできるなんて、はじめて知った。大将も感心していたよ。もっとも、それ以外は致命的らしいが」
メルトは、そうなんですよと言うとため息をついた。
剣の勇者は煮れば溶けるまで煮詰め、焼けば黒焦げになるまで燃やすので、早々に食事担当をはずされたという。
どうも時間短縮を理由に魔法を使うのだが、加減ができないらしかった。
「杖の勇者だった鈴木さんは、ああ見えてお料理が得意だったんですがいなくなってしまいましたし、アッシュさんは忙しいときは必要な栄養素さえとれればいいという方なので」
「こっちも似たようなものだったよ」
汁のひとしずくまで残すまいと匙で器をこすっていたコブが、ようやくあきらめたのか目を上げた。
「最初は護衛の騎士たちが食事を用意してくれてたんだけど、彼らは基本的に保存食をそのまま食べるだけだったからね。見かねたクララさんが途中から料理をするようになったんだけど、やっぱりほら、もともと貴族のお嬢様育ちの人だから」
コブは言葉を濁したが、クララ・クレイトンが麦粥を作るところを見ていたカシューにはおおよその想像がついた。
水で満たした鍋に干した押し麦をぶちまけ、火加減も気にせずかきまわしながら、時おり思いついたように塩を投入する。
陽炎の身を案じていたカシューですら、それをアデリーン王女に食わせるつもりなのかと不安になる光景だった。
「大将がいてくれて、本当に助かった」
内容とは裏腹に、肩を落として漏らすように呟いたコブの言葉を聞いて、カシューは器を置いた。
「できることなら、おれはあのふたりは巻きこみたくなかったよ」
カシューはそう言うとメルトに目を向けた。
唇を引き結び、険しい視線を手元の食器に注いでいたメルトは、強く息を吸うと、その表情と同様の固い声を吐き出した。
「わたくしが最初に診察したとき、陽炎さんの体内から、長期間にわたって摂取してきたと思われるさまざまな毒物の痕跡を発見いたしました。獣人の特性である生命力の強さもあって表面上は普通に振る舞っていたかもしれませんが、本来であれば、寝たきりの生活を送っていてもおかしくはない量です。コブさんは陽炎さんの体質とおっしゃいましたが、あれは生まれついて持った体質ではない。明らかに後天的に身につけた毒物耐性です」
口を開きかけたカシューを、コブが片手をあげて止めた。
「僕から説明する」
コブの口から語られた陽炎の過去は、カシューが戎兵衛から聞いたわずかな話よりもよほど詳細なものだった。
彼女がコブと関わりを持ち、海を渡ってこのウルブリッツ王国にやってきた経緯を詳らかにするには、ジパニカの特殊な統治体制や政治構造にも言及しなければならない。
それらすべてを、コブは私情を交えることなく、わずかな時間で簡潔に要約してみせた。
「ジパニカの将軍家に絶対的な忠誠を誓い、異能を身につけて諜報活動を行う一族。陽炎さんはそこで毒味役として見出され、そして体内に染みこませた毒を操る術を身につけたというわけですか」
メルトの言葉に、コブはうなずいてみせた。
「忍者と呼ばれるジパニカの諜報員は、総じて短命だって言われてる。それは他の種族に比べて魔力適正の低い獣人種が、それを補うため、みずからの肉体を改変するほど過酷な修行を行って身につけた異能の結果であることにちがいはない。だけど、だからといって最初から死ぬことを前提として修行をするなんてことは、あの国でもしない。そんなのは単なる自殺だ。それを、陽炎は幼いときから強要されてきたんだ」
忌み子か。
カシューは戎兵衛から聞いた言葉を思い出していた。
ジパニカにおいては不吉の象徴とされる双子の片割れ。
そんなものに生まれついたばかりに、陽炎は人生の選択肢も与えられず、家系に疎まれ、権力者に酷使され、国家に翻弄されて生きてきた。
コブの諜報工作に協力し、自分たちが妄信してきた政治体制が崩壊する一部始終を見届けた陽炎は、信じる寄る辺を失い消沈していた戎兵衛のまえにあらわれると言ったという。
己が生を生きなおす。
ウルブリッツに渡ってきたところで、そう長く生きられないであろうことは、陽炎本人が一番よくわかっていたはずだ。
戎兵衛もそれを知っているからこそ、彼女のすることに一切の疑念を持たず付き従っている。
この国は、いや、この国に生きる俺たちは、彼女たちに希望を与えられたのだろうか。
安らぎある穏やかな未来を、見せてやれたのだろうか。
「俺もコブも、国のうしろめたい部分を這いずりまわってきたネズミだ。薄汚いマネならさんざんやってきた。いつ死んだところで、誰から省みられることもない。生きてきた証すら残ることはないだろう」
カシューの呟く独白めいた言葉は、その場にいたコブとメルトから声を奪った。
「だがそれでも、いまこの瞬間は生きているんだ。死なないかぎり、生きつづけなければならないんだ。どこかにあるだろう喜びに、手を伸ばさなければ生きていけないんだ」
以前メルトの治療によって快癒した右手を、カシューは左手でしきりにさすっていた。
まるで自分の意思に反して勝手に伸びていこうとする右手を、必死に押しとどめているような仕草だった。
「俺たちが陽炎と戎兵衛を利用して使い潰そうとしていると、あんたが疑っているのはわかっているつもりだ。否定はせん。俺たちにそのつもりがなくとも、このまま俺たちに同行していれば、これから先、何度でも命の危険に見舞われるだろう。できることなら、あのふたりにはどこか別の場所で平穏に暮らしてほしいと思っている。そのためにも、お願いだ、メルト。陽炎を治してやってはくれないか」
カシューの真摯な視線に晒されたメルトは、深いため息を吐くと肩の力を抜いた。
「誰も治さないとは言っておりませんわ。以前も言いましたでしょう。目のまえで失われそうな命を見捨てられるほど、わたくしは神として出来た存在ではないと。それと、あなた方を疑っていたのは事実ですが、問題はそれだけではないのです。あなた方がなにを企んでいようと、陽炎さんを連れていくことはできなかったんですよ」
そろって怪訝な表情を浮かべたカシューとコブに向きなおると、メルトは言葉を区切るようにゆっくりと言った。
「陽炎さんは、妊娠していました」




