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46 妄執の果


すこし長いですが、お付き合いいただければさいわいです。



 出汁のひとしずくまで飲み干すと、老人は深く息を吐いた。

 満足げな表情のなかに、一抹の寂しさが混じっているように思えた。


 女将が三人のグラスをとりかえた。

 ぬるく(かん)した酒をそそぐと、淡い花のような匂いがふわりと立ちあがった。


 国王は懐からキセルを抜くと、丁寧に刻みタバコをつめ、慈しむように火をつけて吸いこんだ。

 吐き出した煙からは、甘さと爽やかさがブレンドされた豊かな芳香が漂っていた。

 カシューの知る、ただ高級なだけのタバコ葉を燃やした香りではなかった。


 火口(ほくち)から雁首(がんくび)、それに吸い口に使われている、輝きを吸いこむような金属はミスリルにちがいなかった。

 煙を吸いこんで熱せられるたびに、施された細かな彫金の軌跡が虹色の光となって浮かび上がった。


「珍しい香りがするじゃろう」


 カシューの視線に気づいた国王が、くわえていたキセルを両手に持ってしめしてみせた。


羅宇(らう)龍髯(りゅうぜん)を使っておる。熱が通ると、キセルそのものが香りを発するんじゃ」


「ドラゴンのヒゲですか」


「うむ。龍髯を聖水で根気よくもみ洗いしてほぐしたあと、効能の強いポーションに何年も浸けておくと、不純物や魔素が抜けて透明な繊維の集まりになる。それを紙を漉く要領で薄い布状にし、筒状に巻いたものを、今度は龍の肝臓から精製した油を染みこませて固めるのよ」


 気の遠くなるような話だった。


「むかし、旅先で友とともにドラゴンを倒した。その記憶を忘れぬよう、倒したドラゴンの素材で儂が手ずから作ったのが、このキセルよ。五十年もまえのことじゃ」


 紫煙を吐き出した国王は、煙草盆に灰を落とすと手に持ったキセルに目を向けた。

 だが、その瞳には遠い過去の記憶が映しだされているようだった。


「楽な旅ではなかったが、皆で互いに支えあい、背中をあずけあって戦った。王子であることも、一国の未来を背負っておることも、どうでもよかった。王になんぞなるつもりもなかった儂は、ただひとりの戦士として、信頼しあえる仲間とともに力の限り戦えることが楽しかった」


 目を細めて語る老人の声に耳をすませながら、カシューは以前、コブから聞いた話を思い出していた。

 いまから何十年もまえ、世界に立ちはだかった魔王を名乗る邪龍と、異世界から召喚された勇者。

 そして、勇者とともに魔王に立ち向かった四人の冒険者たち。

 見事、魔王を倒して世界を救うという輝かしい成果をおさめたにも関わらず、勇者を含めた冒険者たちのその後は(よう)として知れず、それどころか、魔王による侵略そのものが、顧みられることのない出来事として歴史から抹殺されているという。


「その冒険者パーティーで、人間は儂ひとりじゃった。人化の術を身につけた古龍。聖職者という身にあるまじき邪法に手を出して堕ちた魔女。誇り高きダークエルフ。彼らがなぜ、なんのとりえもない人間の小僧をリーダーに据えていたのか、当時はちっともわからなかったが、いまならわかる。あの三人は、人間たちが我が物顔でのさばる世界で栄達を極めることになんぞ、まるで興味がなかったんじゃろう。冒険者として面白おかしく旅をする。そのためにはリーダーくらいは人間であったほうが都合がよかった。だから儂をリーダーと定めてパーティーを組んだのじゃ」


 北方のゴズルスキーをブレスで吹き飛ばした古龍。

 召喚した巨大鯨で津波を起こし、南方パピルギニアを壊滅させたダークエルフ。

 西方の神聖フラネアン帝国は、有翼獣面の魔女がまき散らした呪いによって大飢饉に陥った。


「異世界からやってきた勇者は、儂と同い年の若者じゃった。心根の弱い男での。邪龍によって滅ぼされた獣人の村を見たときは真っ青な顔で立ち尽くしておった。村中を捜索して、瀕死で生き残っていた熊獣人の少年と虎獣人の娘を見つけたときは、声をあげて泣いておったよ。なんとしても助けると、みずからの魔力が枯渇するまで回復魔法を注ぎこんでおった。まわりにいた儂らが力尽くで止めなければ、自分が死ぬところじゃった。そんな男だったからこそ、あのダークエルフは惚れたんじゃろう」


 東方ジパニカで発生した同時多発的大規模スタンピードは、熊と虎の獣人によって先導されていたという。


 いまだ国王の話の真意は見えない。だが、逃れようのない悲劇の予感がカシューの心臓を波打たせた。


「勇者の眷属となった二人の獣人の子を加えた七人で、邪龍に決戦を挑んだ。必死に戦ったよ。仲間の古龍が範囲攻撃を撃って足止めしたところを、魔女とダークエルフの支援魔法を受けて強化された儂と勇者が突撃する。傷つけば、獣人の子ふたりがすぐさま回復してくれた。じゃが、そんなまっとうな方法では邪龍は倒せんかった。体表を覆う鱗は傷をつければ爆発し、首は何度斬り落としても再生する。なによりも、邪龍が持つ圧倒的な魔力に、戦いが長引けば長引くほど儂らは追い詰められていった」


 過酷な戦いの記憶にもかかわらず、その口調からは懐旧の念が感じとれた。

 そこには国王という地位がもつ不遜なまでの矜持も、無数の臣民の未来を担う重責も感じられなかった。

 ただ、おのれの人生がもっとも輝いていた瞬間を回想する老人の姿だけがあった。


「いつ果てるとも知れない戦いで諦めかけていたとき、勇者が最後の手段だと言って儂に近づいてきた。獣人ふたりも、魔女もダークエルフもすでに魔力が枯渇して意識はなかった。邪龍の攻撃を防いでいた古龍も、ボロボロになって倒れ伏しておった。じゃが、邪龍もまた全身が傷つき、常時発動させた回復魔法でやっと動いている有様じゃった。肉体を覆っていた鱗はほとんど剥がれ落ち、むきだしになった皮膚から血が滲みだして、辺りが血の海になるほど滴っておった」


 国王がグラスを呷り、残っていた酒を飲み干した。

 となりにいたコブが黙って片口(かたくち)を手にとり、空いたグラスに酒をそそごうと身を乗り出した。

 その一瞬、カシューとコブの目があった。

 国王の話に沈痛の表情を浮かべていたカシューとは異なり、コブの顔にはなんの表情も浮かんではいなかった。


 コブは話の結末を知っている。

 そして、国王がカシューになにをさせようとしているのかも知っている。

 おそらく、それはコブの意に沿うものではないであろうことを、カシューは悟った。


「勇者は剥がれ落ちて地面に散らばっていた邪龍の鱗を拾い集めておった。仲間たちが使っていた背嚢を空にして爆発する鱗を詰めこみ、身体中に巻きつけていたのじゃ」


「特攻して、自分の身体ごと吹き飛ばす……」


 呻くようにして呟いたカシューの言葉に、国王は首を横に振った。


「首を切り落としても再生するんじゃ。皮膚や筋肉をいくら傷つけても邪龍は死にやせん。はらわたのすべてを一気に破壊でもせんかぎり、殺す方法は思い浮かばんかった」


「つまり、みずから食われて腹のなかで爆発を起こすと……」


 国王はうなずいた。


「あやつは儂に言ったよ。もし、自分が邪龍の体内で動けなくなるようなことがあったら、ありったけの魔力を込めて自分の身体を発光させる。その光を目指して剣を貫いてほしいとな」


 いったいどれだけ思い詰めれば、そんな戦い方を選ぶのか。

 背筋に走る震えを振り払うように、カシューには首を振ることしかできなかった。


 国王は、決戦の顛末を話し続けた。


 目が見えているか定かでもない相手に自分の位置を教えるため、勇者は手に持った聖剣を、木の枝でも振りまわすようにして邪龍に向かっていったという。

 大きく顎を開いた邪龍がブレスを放つ寸前、勇者はその口に飛びこんでいった。


 驚いた邪龍が長い首を振りあげ、本能のままに嚥下した。

 原型を保ったままの人体が食道を通っていく膨らみが、下降するにしたがってしぼんでいくように見えた。

 同時に、邪龍の喉から響いてくる骨の砕ける音が耳に届いた。

 なすすべもなく立ち尽くす若き国王の眼前で、勇者が声もなく粉砕され、押し潰されようとしていた。


 勇者を飲み込んだ邪龍が満足げに青白い燐光の混じった吐息をついたとき、その首のつけ根から(おぼろ)(とも)る光が見えた。

 いまにも消えてしまいそうなかすかな光が、明滅しながら邪龍の胸元を移動していく。

 長い食道から絞り出された勇者が、最後の力を使って邪龍の胃を内部から照らしているにちがいなかった。


 放心状態から我に返った国王は、剣を両手で握りしめると、邪竜めがけて駆けだした。


「邪龍の腹に突き立てた剣が、さらに別のものに刺さった感触があった。それが勇者の肉体じゃと気づいた瞬間、儂はさらに剣を押し込み、確実に息の根を止めようと力のかぎり剣をひねっておった」


 うつむいていた国王が顔を上げた。

 カシューはその顔を見て思わず声をあげそうになり、息を飲んだ。

 顔面を覆った陰惨な影のなか、その双眸だけが凄惨な光を放って炯々(けいけい)と輝いていたからだった。


「刺してはじめて理解したわ。儂はずっとこうしたかったんじゃとな」


 国王の口辺がねじ曲がり、頬が引きつったように震えるのが見えた。

 浅ましく、卑しい笑顔だった。


「あやつは儂からすべてを奪い取っていったのよ。仲間からの尊敬を。ダークエルフの思慕を。そして栄光ある勝利を。夢を抱き、身分を捨てて冒険者になったものの、世間はそんなに甘くはない。苦痛の連続でしかない日々に耐えていた儂が喉から手が出るほど欲していたものを、あの惰弱な異世界人は当然のように享受し、感謝することすらなかった。儂がなしたことは、邪龍を倒したことではない。勇者を殺したことじゃ」


 勇者が全身に巻きつけていた鱗は、貫いた衝撃で邪龍の肉体を体内から四散させた。

 爆発に巻きこまれて吹き飛んだ国王が意識を取り戻したとき、周囲には粉々になった邪龍の肉片が散らばり、足元には妖しく輝く暗紫色の水晶が転がっていたという。


「それは魔力に満ちた邪龍の魔石じゃった。拾いあげ、握りしめると、自分の魂の奥底から滾々(こんこん)と生命力が湧いてくるのがわかった。全身が焼けただれ、骨は砕け、腹が破れてはらわたがはみ出していた儂の身体が、時を遡るように回復していったわ。それだけではない。邪龍の持っていた記憶や知識が頭のなかに流れこんできた。そしてすべてを知った。あの邪龍の正体を。消えた勇者と仲間たちが、その後どうなったのかを」


 魔王を名乗り、地上に殺戮と混沌が支配する魔界を生みだそうとした邪龍。

 その正体は、天界より遣わされた使徒のなれの果てだった。


 大地の下を(あまね)く流れる龍脈の守神(もりがみ)をしていたその龍は、長い年月を(けみ)するなかで人間やエルフ、ドワーフに獣人の区別なく、際限なく増殖して地の果てまでのさばる人類こそが地上の楽園を(けが)す根源と断じ、一掃しようとくわだてたのだった。


 だが、世界の管理者たる天界にとって、使徒にすぎない龍の独断は許すべからざるものだった。

 天界の住人たちからすれば、あまたの生命が雑多に闊歩するありようこそが世界の姿であり、相克する善悪の価値観によって起こる人間社会の趨勢などは干与すべきことではなかった。


 狂った龍の排除はすぐに決定されたが、天界から地上の生命体への直接的な殺傷行為は禁じられており、また地上にありながら天界の(ことわり)によって命脈を保つ使徒の龍を倒すことは、地上に生きる者たちの手では不可能だった。


 だからこそ、天界は異世界から勇者を召喚した。

 別の世界の(ことわり)によって生きる者であれば、この世界を支配するシステムの外側から、生命を破壊することができる。


「ようするにな、勇者などというものは、異世界人であれば誰でもいいのよ。腕っぷしなんぞは鍛えればいい。高潔な聖人であろうと卑劣な畜生であろうと、人格など問題にもならん。天界という意思が操る武器となって障害を排除するだけの、単なる道具じゃ」


 嘲弄を込めて力なく吐き捨てた国王の声に、カシューはただ沈黙することしかできなかった。


「邪龍は倒れた。じゃが、消滅したわけではなかった。当然じゃ。結果として、勇者がその身を挺して邪龍の肉体を吹き飛ばすことになったが、原因となった一撃は儂が刺した剣じゃった。そして儂の剣は邪龍を倒すためのものではない。勇者を殺すための剣じゃった」


「なぜ、そう言えるのです。理由はどうであろうと、現実に邪龍は吹き飛んでいなくなった。死んだと考えるのが妥当ではないですか」


 思わず疑問が口をついたカシューだったが、すぐさま王に対する不敬だと思いいたり、青ざめて頭を下げた。


「おぬしもコブと同じことを言いよる。やはり似ておるな。だからこそ、信頼できると見込んだのじゃが」


 自嘲するように笑った国王が、ふところからキセルのおさめられていた袋を取り出し、逆さに振ってみせた。

 手のひらに落ちたのは、暗紫色に輝いて透きとおる、小さな球体だった。


「邪龍の魔石よ。五十年でだいぶ小さくはなったが、邪龍はまだ、このなかで生きておる」


 驚愕に目を見開いて硬直するカシューのかたわらで、国王は魔石をつまんでもてあそんだ。


「あのとき、いっしょになって吹き飛んだ儂の身体は、この魔石を手にし、邪龍の魔力によって再生された。じゃが、本来の儂自身はとうに死んでおったのじゃろう。いまも邪龍から魔力の供給を受けることで命をつないでおる。いわば、儂と邪龍は一心同体よ。あれから五十年がたち、いまとなっては自分が生まれながらの自分なのか、それとも乗り移った邪龍なのか判然とせん」


 のけぞったカシューに、国王はいたずらっぽい笑みを向けた。


「かんちがいするでないぞ、カシュー。邪龍と同化したからといって、その(こころざし)を受け継いで人類を根絶やしにしようなんぞと考えたわけではない。むしろ、その逆よ。龍として生きた生涯を知ったことで、儂のなかに人という生き物の卑小さ、懸命さを慈しむ心が生まれた。でなければ、わざわざ生まれ故郷に戻って王様なんぞやってはおらん。儂は儂なりに、王国を繁栄させ、民に平和と安寧を与えようと努力してきたつもりじゃ」


 国王の言葉に嘘はなかった。

 継承位第一席にありながら騎士学校在籍中に出奔し行方をくらました王子ヴィルヘルムは、およそ十年後、突如として舞い戻り王位を継いだ。

 五十年にわたる在位のなかで、その治世には仁と融和をもって掲げ、圧政に(さいな)まれる民あれば兵を挙げ、災害に苦しむ土地あれば手を差し伸べた。

 積極的な領土拡張こそ望まなかったが、精強な兵をそろえた軍備と貿易を重視した外交政策の結果、周辺諸国を従属させ、ウルブリッツ王国を頂点とする連合国家群として実質支配領土は倍以上となった。

 千年を超えるウルブリッツの歴史において、徳政王ヴィルヘルム三世の名が中興の祖として語り継がれていくであろうことはまちがいなかった。

 少なくとも、魔王の侵攻によって、臣民すべてが命の危険にさらされるまでは。


「じゃがな、どれほど名君と褒めそやされようと、儂のなかからあの勇者に対する怒りと憎しみが消えることはなかった。おのれのうちに潜む暗い情念を自覚するたび、それを打ち払うように(まつりごと)に邁進してきたのも事実じゃ。あるいは、この底知れぬ憎悪こそが、邪龍に最後まで残った(おり)なのかもしれん」


 みずから飲み込まれた勇者がおのれの腹のなかでなにをしようとしているかを悟った邪龍は、すぐさま対処を試みた。

 すなわち、異世界転生者たる勇者が体内に保有しているアストラル体の情報を読み取り、強制的に元の世界へと送還しようとしたのだった。


 おりしも、邪龍の体内では身動きのとれなくなった勇者が、あらんかぎりの魔力を込めて全身にライトの魔法を発動させていた。

 限界値を超える勢いで励起されたアストラル体は、強烈な魔力の揺らぎを発生させており、地上における神威の代行者として長い年月君臨し続けてきた邪龍からすれば、そこに干渉することは不可能ではないはずだった。


 アストラル体のタイムライン上に残されていた座標数値と時空の可塑性をもとに、首尾よく勇者がやってきた世界を見つけだした邪龍は、魔力を込めて転移魔法を発動しようとした。

 思わぬ伏兵があらわれたのは、そのときだった。


「儂が刺した直後に、邪龍の転移魔法が発動した。邪龍の腹のなかには起爆状態になった大量の鱗だけが残り、憐れ邪龍は吹き飛んだというわけよ。じゃが、不思議なことに、転移していったのは勇者だけではなかった。パーティーを組んでいた古龍と魔女、ダークエルフと獣人の子ふたり。儂以外の五人すべてが、同時に転移していたのじゃ。なぜかわかるか、カシュー」


 カシューは黙って首を振った。

 もとより、国王が返答を求めているとは思えなかった。


「眷属よ。勇者と儂以外の五人は、とうに眷属となって結ばれておったのじゃ」


 眷属とは、魂の契約だった。

 眷属化したものは魂をつなぐ接続回線が形成され、接触非接触を問わず、物理的な距離を無視して魔力交換が可能となる。

 その結果としての眷属強化であり、眷属召喚だった。


「儂の剣によって死に瀕した勇者の魂が、契約に従い、眷属化したものたちから強引に魔力を吸い上げようとしたのじゃ。その瞬間に転移魔法が発動した結果、勇者のみならず、眷属化した全員が異世界へと飛ばされていった」


 儂ひとりをおいてな。

 国王は、そう力なく言い終えると、魔石を握りしめた。


「儂はもとから仲間とは認められてなかったんじゃよ。冒険者として知り合い、苦難に満ちた旅をともにして、身分どころか種族すらも越えた家族のように思っておった。あやつらとともにならば、冒険者として生き、戦いのなかで朽ち果てようとも本望じゃと思いさだめておった」


 仰向いた国王の顔のなかで、細められた瞳が虚空を映しだしていた。


「……儂ひとりの勝手な思い込みじゃった」


 ひとりダンジョンの深奥に取り残された国王は、四散した邪龍の肉を糧として生きのびた。

 身につけていた装備品はすべて吹き飛び、折れた剣は溶けて使い物にならなかった。

 焼け焦げて襤褸(らんる)と化したマントを身体に巻きつけ、腰蓑ひとつの姿で地上を目指した国王がふたたび陽光に身をさらすまで、じつに一年近い時間を要したという。


 そしてそのあいだ、国王と一体化した邪龍は、国王が眠りにつくたび、異世界で無邪気に暮らす勇者と仲間たちの姿を夢に垣間見せた。


「どういう力が働いたのか、儂にはわからん。じゃが、勇者が帰還した異世界において、ともに渡った仲間たちは皆、人間の姿に転生しておった。それだけではない。おそらく、帰還にさいして時そのものを遡ったのじゃろう。古龍と魔女は勇者の両親に。ダークエルフは勇者と夫婦(めおと)になり、そして生まれたのがふたりの獣人の子ということになっておった」


 魔力の存在しない世界において、古龍や魔女、ダークエルフに獣人という生物はまぎれもない異物だった。

 因果律が乱れることを嫌った世界そのものによる自律作用が働いた結果、すべては最初からかくあるべしという事象の整合性が発生し、勇者と眷属たちの身に変化が起きたのだった。

 厳密にいえば、勇者が転移したのは元の世界ではなく、新たに分岐し生まれた世界線ということになるが、どれほど強大な力を得ようと天界の一使徒にすぎない邪龍にとっては知るよしもない事実だった。


「つねに命の危険にさらされているダンジョンのなかで、やっと心許ない安全を見出して眠れば、儂を裏切った仲間たちの幸福に満ちた笑顔を見せつけられる。儂のなかにいる邪龍は、たしかに人間たちすべてを憎んでおった。深淵から溢れ出てくるような憎悪に心が塗り尽くされそうになったときもあった。じゃが、それよりもなお、あの勇者とかつての仲間たちに対する儂の怒りは大きかったのじゃ。この巨大な憤怒がなければ、儂という人間はとうに邪龍の魂に飲み込まれて消えておったじゃろう。その意味では、あやつらには感謝しなければならんのかもしれんのう」


 不敵に笑う国王の表情は力強かった。

 それを見たカシューは、いまだ国王の胸中に怒りが燻りつづけていること理解し、慄然とするほかなかった。


「あれから五十年」


 国王の口調が変わった。

 そこには、美味いメシに喜び、気分よく酒に笑う好々爺の姿はなかった。


「儂は国王となり、このウルブリッツをかえた。邪龍が夢に見せた世界は、民が戦乱に怯えることはなく、飢えや渇きに苦しむことも寒さに打ち震えることもない世界じゃった。子は笑って育ち、親は子が育つことに喜べる世界じゃった。じゃが、この世界は過酷じゃ。魔物を伴う自然の脅威は人の力の及ぶところではなく、魔力や種族のちがいによる身体能力の差は容易に弱肉強食の論理に結びつく。強き者は、より強き者に挑むことによってしか統制できん」


 国王は、人差し指と親指でつまんだ邪龍の魔石を目のまえにかざした。


「儂を生かしてきたこの魔石も、あと数年ともつまい。手に入れたときは手のひらにあまるほどの大きさだったのが、こんなに小さくなってしもうた。なんとかして、邪龍にまた力を取り戻させねばならん」


 国王は魔石を袋におさめると、キセルをくわえて火をつけた。


「じゃからな、()ぶことにした」


「は?」


 意味を()しかねたカシューが顔を向けると、紫煙の向こうで眉を持ちあげて笑う国王と目があった。


「勇者よ。元の世界に戻ったとはいえ、いまだ勇者であることにはちがいない。その身には膨大な魔力が秘められたままになっておるのじゃ。さいわい、勇者のおる世界の場所は邪龍の知識のなかに残っておる。あの勇者と、眷属となったかつての仲間たちを召喚して倒し、その魔力を邪龍に取りこませれば、魔石はかつての大きさを取り戻すじゃろう。なに、あちらは魔法も魔物も存在しない世界じゃ。魔力なんぞあっても、宝の持ち腐れにしかならん。儂らが生きる世界のさらなる繁栄のために、新たなる礎となるのじゃ。それこそが、まこと勇者の役目であろう」


「つまり、陛下御自身が魔王を召喚したというのですか」


 耳を疑ったカシューは、問い返さざるを得なかった。


「めったなことを申すではない。儂が喚んだのは、かつて仲間だった勇者とその眷属よ。そうじゃな、コブ」


「御意」


 カシューは愕然としてコブを見た。

 うつむいたその顔からは、なんの表情を読み取ることもできなかった。





からくりじかけのピエロたちが死闘を繰り広げる漫画が大好きなのですが、あの作品の作者様がおっしゃっていた、伏線は考えて作るものではなく見つけるものだという言葉をどこかで読み、雷に打たれたような衝撃を受けたことがあります。


蒙を啓かれるとはまさしくあのときのことで、これさえ知ってりゃどんなストーリーでも作れるんじゃねえかと、言いようのない自信に満たされました。もちろん錯覚でしたけれども。


なにが言いたいかと申しますと、今回、伏線回収という名のつじつま合わせにあぶら汗を流した結果、やはりあの言葉は至言であったと感服を新たにしている次第でございます。

富士鷹◯ュビロ様。誠に勝手ながら、心の師匠と仰ぐことをお許しください。これからも本買います。


そして、あとニ、三回つじつまを合わせなければならないのですが、私はもう心がくじけそうです。

折れない心がほしいので、なんかこう、いい感じの評価とかブックマークとかください。



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