47 牙は甦る
「行ったか」
国王が護衛に伴われて厨房の奥にある隠し扉から消えてしばらくのち、コブが声をあげた。
それまで、カシューとコブのふたりは立ちあがって頭を下げたまま、微動だにせず立ち去る一行の足音だけに耳をすませていた。
「へえ。監視や盗聴も洗濯しておきやした」
どこからともなくあらわれた大将が、女将から濡れた手ぬぐいを受け取りながら答えた。
その手ぬぐいに赤い染みが広がっていくのを、カシューの目はとらえていた。
「君たちも行け。この店はこのまま閉める。連絡通路は崩しておいてくれ」
見事な所作で敬礼をかえしてみせたふたりが姿を消すと、コブはカウンターに腰かけ、ため息をついた。
ふところから取りだした薬籠のふたをはずし、丸薬をひと粒つまむと口に放り込む。
毎食後かならず口にする魔力不全の薬だった。
カシューは椅子にも座らず、黙ったままその様子を見ていた。
国王がカシューに出した指示は単純明快だった。
勇者一行が倒した敵の死体をなんとしても回収しろ。
状態にかかわらず、できるだけ多くの部位を。
国王のその言葉は、勇者と魔王の戦いが人知を超えて凄惨極まりないものになることを、カシューに理解させた。
この身にかえても。
国王にそう返事を返して以来、カシューは言葉を発していなかった。
「なにも聞かないのかい」
薬を飲み込み終えたあとも、うつむいてカウンターに目を落としていたコブが口を開いた。
「心にやましいことがある人間は、黙って立っていられるのがいちばん心にこたえる。耐えきれずに口を開いたあとは、すべて吐き出すまで口を閉じない。おれにそう教えてくれたのはコブだろう」
コブはぱちぱちと目をしばたかせた。
「それ、本当に僕が言ったのかい。自分がそんなまともなことを言うとは思えない」
「おまえは酔っ払うと記憶を失うからな」
と胸を衝かれたように表情の抜け落ちたコブが、ふいに顔をゆがませた。
「僕が本当に酒に酔うのは、君といっしょのときだけだった。それも、ずいぶん昔の話だ」
「ああ。おれもそうだ」
カシューはカウンター脇から瓶を手にとると、コブの隣に座った。
たがいのまえにグラスを置き、瓶の中身をそそぐ。
酒ではない。
酔い覚ましの果実水だった。
「おたがい、酒を飲んで腹のなかみをさらけ出すような齢でもなくなった。そう思ってた」
うつむいたコブが小刻みに首を振った。
やがて口を開くと、独り言のように話し出した。
重い水が漏れ出したような声は、一度溢れだすと留まることなく続くようだった。
「子どものとき、カシューと別れたあと療養院にいた話をしただろう。あのとき、僕と同じ魔力不全で寝たきりだった男爵令嬢がいたことはおぼえているかい」
カシューにとっても遠い記憶になってしまった過去を思い出した。
たしか、その貴族令嬢の治療に効果があると判明したため、コブの研究は大規模なものになったという話だった。
「その娘はね、爵位こその男爵家令嬢だったけど、実際には国王の隠し胤だったんだ。手をつけた侍女が身籠もったから、人がいいだけで出世欲のない年寄り男爵に下賜したんだとさ」
王族や高位貴族のなかではときどき聞く話だった。
生まれた子どももおのれの出自を聞かされずに育ち、たいていは凡庸のなかに埋没していくが、まれに卓抜した才能を発揮して貴族社会にちょっとしたゴシップを提供することがある。
庶民に流通している絵物語や講談で人気の高い貴族物語は、そんな内容ばかりだ。
「僕の妻だったんだ」
今度はカシューが目をしばたかせる番だった。
「僕の偽装身分は知っているだろう」
貴族典覧編纂所資料室室長。
それがコブの偽装身分だった。
国内三百家を越える貴族家の来歴から領地の変遷、歴代および現当主の一族血縁構成まで、あらゆる貴族の情報を網羅した貴族名簿を、王国は十年に一度編纂して刊行している。
国家事業ではあったが、組織図の一隅に小さく載る資料室はといえば、議事録その他諸々の書類を保管するための倉庫にすぎなかった。
肩書きに長の字こそついているものの、専従者はコブひとりしかいない。
内情は単なる倉庫番にほかならず、まぎれもない閑職といえた。
「管理官を拝命したとき、同時にいまの職場を与えられたんだけど、とにかく暇でね。毎日資料ばかり読んでいた。前年におこなわれた新年慶賀御前会議の議事録を手にとったとき、最後のページに貴族家考課一覧があったんだ。なにげなく眺めていたら、あのときの男爵家が当主死亡により廃絶になったと書かれていた」
ウルブリッツ王国の貴族制度は男子継承が前提となっている。
そのため、嫡男が生まれなかった家では早い段階で養子を得るか、娘の成長を待って女婿を受け入れるのが常識だった。
「男爵はお人好しすぎたんだ。国王陛下の御落胤を大切にするあまり、ほかに家を継がせるべき男児の養子をもらうこともせず、高貴な血を汚すわけにはいかないと、自分と同じ低位貴族から持ち込まれる婚約話もすべて断っていたらしい。時が来れば国王が立場に見あった良縁を手配してくれると信じて疑わなかったんだろうね。だけど、そうこうしているうちに流行病でぽっくり逝っちまった」
いまどきそんな善良な貴族が存在していたのかと、聞いていたカシューでさえあきれる話だった。
「普通ならば、しょせん僕とは住む世界が違う人間のことだって見なかったことにするところなんだけど、療養院にいたときの記憶がどうしても忘れられなかった。それに、僕と同じなら、あの令嬢も一生薬の世話にならなきゃいけないはずだ。気になって、すこし調べた」
あのときコブが開発した薬は、数年を経て一般に公開され、魔力不全症候群の特効薬として知られるようになった。
いまや、先天性魔力不全は確実な死にいたる病ではない。
投薬と適切な治療さえあれば、治ることはないがあきらめてつきあっていくことは可能な、人生の厄介ごとのひとつにすぎなくなった。
あくまでも貴族からすれば。
医者にかかることすらままならないその日暮らしの平民にとって、先天性の病をもって生まれることは、絶望的な人生を約束されたも同然だ。
魔力不全は体内に保有する魔力量によって、その症状に激烈な差があらわれる。
生まれながらに魔力量の多い者がまともに成長すること自体が、奇跡に近かった。
「僕らはこんな稼業だ。さほど苦労することなく行方を探し当てることができたよ」
母娘ふたりは、貧民街ぎりぎりのところにある陽もささない長屋で、影に紛れるように暮らしていたらしい。
「遺族年金はどうしたんだ。いくら男爵とはいえ、女ふたりが食っていくくらい問題ないだけのカネが出るはずだろう。しかも、陛下との密約を交わしたほどの仲だ。生前に保証くらいはされていたんじゃないのか」
「以前、婚約を申し込んで断られた貴族が裏で手をまわしていたんだ。自分の妾にしようとしてね。母親も、もとは国王つきの侍女をつとめていたくらいだから見た目はよかったし、亡くなった男爵とはずいぶん年が離れていてまだ若かった。未亡人になったことでふたりとも手に入れられると思ったんだろう。結婚時にいわくがあったことにつけこんで、二十年近くもまえのことを婚姻詐欺だった疑いありって提訴したんだ」
この国の司法制度では、訴訟の被疑者となった場合、当該者に下賜される恩給、年金等が凍結され、裁判が終わるまでは検察庁が定めた後見人のもと運用される仕組みになっている。
裁判の結果有罪となれば支給資格が剥奪されるため、国家予算の浪費を避ける目的で設けられた制度だが、領地持ちの貴族であれば領地からの産業収入があり、役職だけの法衣貴族であっても各種免税特権から得られる利益が大きいため、年金の有無などは名誉に箔がつくていどの問題にしかならなかった。
だが、問題の母娘に関していえばすでに貴族籍を離れて市井に混じっており、女ふたりが暮らしていくうえで支給される年金が大きな収入源となっていただろうことは、容易に想像がついた。
後見人経由で最低限の生活費くらいは受け取れるだろうが、それはつまり、後見人の腹づもりしだいで母娘の生活が左右されることを意味する。
提訴した貴族は最初からそれが目的だったのだろう。
検察を買収し、後見人と癒着していた可能性もじゅうぶんありえる話だった。
「卑劣だな」
吐き捨てるようにカシューが言うと、コブが無表情にこたえた。
「ああ。それからしばらくあとだけど、その貴族は廃爵になったよ」
「廃爵? 廃絶ではなくか」
「廃絶じゃあ、そのうち家督が再興することもあるだろう。あの子爵家とその一族は未来永劫、復活することはない。記録からも消し去った。古文書でも漁らないかぎり、名前は出てこないだろうね」
カシューは腕を組んで眉をしかめたが、口元が緩むのをおさえられなかった。
「よくやった」
「たいしたことじゃない。王国法の手続きに則って、書類を百枚ほど書き換えただけだよ。結果として、とある子爵家の存在がなかったことになったけど、違法なことはなにひとつやってない」
コブは同じような書類上の錬金術で、母娘ふたりの安全を確保したらしい。
薬を飲めずに死にかけていた元男爵令嬢は、清潔なベッドのうえで健康が回復するまで療養することが可能になり、未亡人だった母親は貞操の危機に怯えながら働いていた場末の酒場を辞め、娘の介護に専念できるようになった。
「令嬢の退院を待って教会で結婚したよ。何年かして子どもができた。身体の弱い妻が出産に耐えられるかわからなかったし、なによりも、生まれてくる子どもに僕たちの魔力不全が受け継がれてしまうんじゃないかと不安でたまらなかったけど、妻はどうしても生みたいといって聞かなかった」
淡々と紡ぎだされるコブの声に、カシューは身動ぎもせずに耳をすませた。
「生まれてきた子は、大きな声で泣く元気な女の子だったよ。魔力不全なんかかけらもない、健康そのものの赤ん坊だった。だけど、妻はその泣き声を聞くことも、生まれてきた我が子を抱くこともできなかった」
カシューは歯を食いしばり、強く目を閉じた。
となりにいるコブからは、押し殺そうとしてなお震えて漏れる吐息が聞こえてくる。
かける言葉がなかった。
「娘を抱いた義母と三人で葬儀をあげた。穏やかに晴れた日だった。妻が埋葬されるあいだ、娘はずっと眠っていた。義母は娘が起きないよう声を出さずに泣いていたけど、僕にはどうすることもできなかった。夢のなかで自分自身をうしろから眺めてるみたいに、身体がうまく動かないんだ。茫然と立ち尽くしていたら、よたよた近づいてきた老人がいきなりひざまずいて泣きはじめた。それが国王だった」
カシューの胸に湧いた感情は、突然国王があらわれたことによる驚きよりも、怒りだった。
遅すぎる。
なにもかもが時機を逸している。
コブが管理官になったのは二十をすこし越えたときだった。
その後男爵令嬢と再会し、結婚して子どもが生まれたのであれば、三年から四年は過ぎたころだろう。
おそらく、コブが二十四か五のときの話ということになる。
カシューは今年で四十三歳だった。
コブも同い年だ。
およそ二十年前、コブは結婚し、子どもが生まれ、そして妻を失った。
カシューがなにも考えずに任務という名の作業のなかに沈殿しているあいだ、コブは悲しみに暮れ、巨大な喪失感に苛まれていた。
ただただ、やるせなかった。
「娘は陛下が引き取っていったよ。義母はふたりで育てればいいと言ってくれたけど、僕の稼業じゃ義母ひとりにまかせきりになってしまうのが目に見えてたし、義母自身、平民として生きていくことに疲れ果てていた。陛下にいい養子先を探してもらって、義母には乳母としてついていってほしいと説得したんだ」
「じゃあ、娘はいま貴族として生きているのか」
コブは首を振った。
「いや。結局、貴族にはならなかった」
どういうことかとカシューが顔を向けると、コブと視線があった。
「忘れたのかい。僕の妻の実の父親は、国王だったんだ。娘を引き取ったあと、陛下もそれを思い出した。自分が抱いている赤子は、血統上まちがいなく自分の孫だってことをね」
「おい、まさか」
王族は貴族ではない。あくまでも王族だ。
「十八年前、皇太子殿下の側室のひとりが娘を生んだ。産後の肥立ちが悪く、側室は儚くなったが、赤ん坊は乳母の献身的な養育の甲斐あって健やかに育ち、成長してからは、たぐいまれな魔法の才にめぐまれていることもわかった。来年には現国王の兄が当主をつとめる、ノイタンツ公爵家に輿入れが決まっている」
「アデリーン王女か!」
「皮肉な話だとは思わないかい、カシュー。魔力不全だった両親から、国内でも最高レベルの魔法の使い手が生まれたなんて」
ひどく空虚な笑顔でコブが笑った。
ちいさな笑い声が、カシューの耳には嗚咽のように響いた。




