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39 群を逐われた獣


「おじちゃんっ、おかえりなさい!」


 勢いよく開いた扉から、プラチナブロンドの髪をショートカットに切りそろえた少女が飛びこんできた。

 隣家に母娘(おやこ)ふたりで暮らしているリサだった。


「あ……」


 満面の笑顔を浮かべていたリサは、酒瓶を握る男の姿に気がつくと動きを止めた。

 ワイバーンの醸し出す雰囲気を敏感に感じとったのだろう。

 かすかに怯え、腰が引けていた。


「リサ、ちゃんとノックしてから開けないと、カシューさんがびっくりしちゃうでしょう」


 遅れて母親のフィーリアが姿をあらわした。

 ワイバーンを見て扉の外で足を止め、微笑みながら会釈をした。


「リサが飛び出しちゃったので追いかけてきたのですが、お客さまがみえらしていたんですね。失礼しました。リサ、またあとで来ましょう」


 フィーリアの呼びかけに、リサはおとなしく母親についていくかカシューのもとに向かうか迷ったようだった。

 振りかえっては顔を戻し、カシューを見ては小さな手で着ていたワンピースを握りしめていた。


 カシューは背嚢とはべつにたすきにかけていた魔力収納袋から、油紙に包んだ塊を取りだすと、リサに歩みよった。

 しゃがんで目線をあわせ、頭をひとつなでて包みを手渡した。


 ぽかんとした顔で見つめてくるリサを抱きあげた。

 まだ骨格の整わない体躯から、子ども特有の高い体温が伝わってくるのを感じる。

 リサがはにかんだように小さな笑い声をあげ、しがみついてきた。


 外に出てドアを後ろ手に閉めると、フィーリアが小首をかしげるようにしてカシューを見上げ、口を開いた。


「よろしいんですか」


「かまわん。まねいた客じゃない」


 フィーリアはいたずらをみつけたような無邪気な笑みを浮かべて、まあ、とつぶやいた。


「おじちゃん、これなに」


「肉だ」


「にく!」


 リサが翡翠のように透きとおった緑の瞳を見開いた。


「うまいぞ。今晩食え」


「うまいにく!」


 リサは手に入れたお宝を誇るように、包みを頭上に掲げた。

 カシューが抱えていた身体をおろすと、そのまま楽しそうにくるくるとまわりだした。


「みやげがある。明日にでも顔を出そうと思うんだが、かまわないか」


 娘と同じプラチナブロンドの髪を風になびかせ、同じ(みどり)の瞳で愛おしそうにリサを見つめていたフィーリアに、カシューは言った。


「作業小屋の掃除などもありますから、こちらからうかがいますわ」


「荷物の整理もあるから、そっちは自分でやる。すこしかさばるんだ。持参するよ」


「でしたら、お昼頃ではいかがでしょう。いただいたお肉でシチューをつくっておきますから」


「それでいい。肉はまだあるから、たっぷり食ってくれ」


 カシューはフィーリアに一歩近づくと、耳元でささやいた。


「ワイバーンの肉とレバーが入っている。魔石を砕いた粉末もだ。リサに食わせろ。症状が少しは改善する」


 表情を硬くしたフィーリアがうなずいた。


 カシューは駆けまわっているリサに声をかけた。


「あした昼に行く。今日は腹いっぱい食って早く寝ろ」


「わかった! またあしたね。おじちゃんありがとー」


 深く頭をさげたフィーリアが、駆け寄ってきたリサの手をとった。


 歩み去っていく母娘を見送ったカシューがふりむくと、開いたドアに身をもたせかけたワイバーンがニヤニヤと笑みを浮かべて見つめていた。

 右手には、まだ酒瓶をさげていた。

 口のはしから乾いた肉片がぶらさがり、咀嚼する音がカシューの耳まで届いてくる。

 旅路のあいだの保存食にと、仕留めたワイバーンの肉でつくっておいたジャーキーだった。

 放置していた背嚢を漁ってみつけたのだろう。

 おそろしく手癖の悪い男だった。


「いい女じゃねえか。ありゃ、うまれは貴族のご令嬢だろう。没落したやつを買い取りでもしたのか。うめえことやりやがって」


「たんなる隣人だ。以前いっしょに仕事をしていた薬師の婆さんが死んだあと、かわりに仕事を頼んでる。素性に興味はないし、娘の父親も知らん」


 無表情に言葉を返しながら、カシューはワイバーンを押しのけて室内に戻った。

 案の定、背嚢のなかみはぶちまけられており、薬草ごとに仕分けしておいた包みも鉱物の原石をまとめておいた小箱も、すべてが口を開かれていた。

 もっとも値のはる、魔石を入れておいた革袋がなかった。


「ほう。父親を知らねえってことは、あの母娘はふたりで暮らしてるってことか。こいつはいいこと聞いたぜ」


 カシューはワイバーンに向きなおった。


「革袋をかえせ」


 ふてぶてしい笑みを浮かべたワイバーンが、ポケットから革袋を抜き出した。

 カシューの目を見つめたままゆっくりと口ひもを開き、逆さにするとなかに入っていた魔石を手のひらに落とした。


「しゃくれ泥兎とツノもぐら、赤目鴉にモモンガ蛙か。しょっぺえ魔物ばっかり狩ってやがるが、どれもそれなりのでかさだ。上出来だぜ」


 ワイバーンは魔石をふところにおさめると、革袋を放ってよこした。


「おれは採集専門の冒険者だ。討伐は本業じゃない」


 思いがけず鋭い勢いで顔面めがけて飛んできた革袋を受け止めると、カシューはテーブルの上に散らばった荷物を背嚢に詰めなおした。いささか乱雑な詰めかたになったのは否めなかった。


「ウルブリッツからはるばるたかりにきたわけじゃないんだろう。さっさと用件を話したらどうだ」


 ワイバーンは噛んでいたジャーキーの残りを飲みくだすと、さきほどの紙束を手に取った。


「だから世界樹の種子だよ。おめえが書いてきたんだろう。世界樹が枯れるとき最後に残す種子こそが、伝承にある生命の種だと思われるってよ」


「ラミアの婆さんが言ったたわごとだ。余興ついでに書いただけで、まともに取りあうような話じゃない」


「ところがそうはいかねえんだ。王様が喉から手が出るほどほしがってるもんを見つけた以上、組織としてはなんとしても手に入れなきゃならねえ。すでに宮廷が動いてる。もう組織が裏でこそこそしてるだけですむ話じゃねえんだよ」


「実在するかどうかもわからん不老不死の薬だぞ。そんなあやふやな理由で国が動くのか」


「実在しねえんなら、力尽くでも実在させるさ。おめえの役割はなにがなんでも薬を見つけだすことだ。生命の種、エリクサー、ネクター、仙丹。なんでもいい。とにかく陛下の身体を元通りにする薬を見つけだせ。なきゃでっちあげろ」


 あまりに飛躍しすぎた理屈であり、まともな為政者の考えることではなかった。


 国外にいたカシューからみても、剣の勇者は即位してから二十年以上、善政といわれるものを敷いてきた。

 極端な富国強兵政策をとり、強権を強いるきらいはあったとはいえ、結果としてウルブリッツ王国は大きく様変わりし、貴族から平民にいたるまでが豊かさを享受している。


 だが一方で、それはわずか二十年たらずでもたらされた繁栄であることにも、ちがいはなかった。

 換言すれば、強大な権力と圧倒的な実行力をもった指導者がたった一人で築きあげた偉業といえた。


 強烈な輝きで未来を指し示していた先導がいなくなったとき、周囲を覆った影のなかで目的地を見失ったものたちがなにを考えるのか。

 正常な判断力を失い、その場しのぎの軽挙妄動に走る宮廷の混乱ぶりを、カシューは苦々しい思いで想像した。


 ワイバーンが次に放った言葉は、さらにカシューを愕然とさせるに足るものだった。


「世界樹を襲撃するための侵攻作戦は、すでに動きはじめてる。時間がねえぞ」


「本気で戦争をするつもりか」


「言ったろう、裏でこそこそしてる話じゃねえって。本来ならおれみたいな末端の工作員が出る幕はとうに過ぎてるんだ。だが実際に世界樹を切り倒したあと、なにもありませんでしたなんてことになってみろ。まちがいなく組織は粛正される。不老不死の薬があろうがなかろうが、なにかしらの成果が必要になるんだ」


「つまり、事前に仕込んでおくためにあんたが派遣されたのか」


 ワイバーンはこたえず、鼻を鳴らすと酒瓶に残った最後のひとくちを(あお)った。


「とんだ貧乏くじだぜ。魔物混じりの出来そこないどもがうじゃうじゃいる国に潜入ってだけでも胸糞わりいのに、攻めてくる味方の軍隊からも隠れてなきゃならねえ。あげくの果てには任務達成後の帰還の目処すらついてねえときた。なにもかも、くだらねえ情報を送ってきたてめえと解読したコブのじじいのせいだ。あのじじい、穴ぐらんなかで黙ってくたばってりゃいいものを、最後の最後でどでかい爆弾破裂させていきやがって」


「コブ? コブがどうかしたのか」


 戸棚の酒瓶を漁っていたワイバーンが怪訝な目を向けてきた。


「なんだ。あのじじいのこと知ってんのか」


「いや……。先代がその名をよく口にしていた」


 ワイバーンは、テーブルの上からカシューの書いた暗号文の写しを手に取ると、嘲笑するように唇を歪めた。


「確認用の合言葉も使ってる暗号も、まるで時代遅れの遺物ときた。おめえの一族は、いつからヴェルトバウムに潜ってんだ。組織から忘れ去られてたのもうなずけるぜ」


 ワイバーンはそう言って、手に持った酒瓶のコルクを歯で抜き、喉を鳴らして酒を飲んだ。

 本格的に管を巻きつつあった。


「古いだけでこんな効率の悪い暗号、いまじゃ誰も使ってねえ。解読できるのもコブのじいさんだけだった。そもそも、おめえが使ってた送付法だって、とっくに廃止されたもんだったんだ。知ってるか? あのじじい、引退して故郷に戻った兄弟からの手紙が確実に手元に届くようにって、てめえで金を出してあの配達法を運用してたんだぜ。それも二十五年もだってよ。そのあいだ、おめえが送ってきてた報告書は、全部じじいあての私信として処理されてたんだ。じじいもなに考えてたんだか知らねえが、おめえもご苦労なこったぜ」


 せせら笑うワイバーンを尻目に、カシューは平坦な声で言った。


「おれが書いてきた報告書は、組織には届いていなかったということか」


「そういうことだ。コブのじじいがくたばったとき、職場にあった遺品を返さなきゃならねえって確認してみたら、身寄りなんざひとりもいねえっていうじゃねえか」


 当然だった。

 コブはカシューと同じく、スラム育ちの孤児だった。


「いつもじじいに手紙わたしてた通信函の管理人がそれを聞いて、気になって調べてみたら、羊ってコードネームの工作員が送ってきた暗号文と、それを解読した報告書が山ほど出てきた。家畜のコードネームなんてとっくの昔に廃止されてるのに、書かれてる内容はどうみても最近のもんだ。大騒ぎになったぜ。組織のお偉いさんたちの慌てっぷりは傑作だったが、かわいそうに、通信函の管理人はそれっきり姿を消しちまった」


 顔を歪めて笑うワイバーンに、カシューは静かな目を向けた。


「コブはなぜ死んだんだ」


「さあな。門番が部屋のぞいたら、倒れてくたばってたらしい。毎日毎日、判で押したように同じ時間に帰ってたじじいが、その日に限って穴ぐらから出てこねえもんだから心配になったんだと。いつ死んでもおかしくねえようなじじいだったからな。心臓でも止まったんだろ」


 コブはカシューと同じ歳だった。


 ワイバーンは目のまえにいるカシューの若い外見を見て、代々世襲している潜入工作員だと合点したようだったが、カシューは今年で七十九になる。

 たしかに、いつ心臓が止まってもおかしくない年齢だった。

 むしろ、コブのように先天性魔力不全を患い、魔力による身体強化を為しえない人間にとって、七十九年は驚異的な長命といえるかもしれない。


 カシューは、自分が知るもう一人の先天性魔力不全の人間のことを考えた。

 リサは、あと何年生きられるだろうか。


 貴族の血を引くリサは、コブとはちがってその身に内包する潜在魔力が桁違いに多い。

 体外に放出することができず、行き場を失った魔力が肉体を蝕みはじめれば、あっという間に死にいたるだろう。


 スラムで生まれ、幼くして諜報機関に育てられたカシューにとって、人生とはありとあらゆる死の連続だった。

 生まれながらにして死ぬ運命にある五歳の少女の話など、べつだん珍しくもない。

 だが、三十五年前、剣の勇者とその一行が倒した魔王を知って以来、長い年月を過ごすうち、カシューのなかでなにかが変質していた。


 あの魔王は、最後の瞬間まで生命を渇望していた。

 失われてしまった生命に慟哭し、生きることに絶望しながら、なお生きようと足掻きつづけていた。


 生まれたときから生きる意味など考えたことはなかった。

 与えられた任務をこなすことだけを日々の目的として生きてきた。

 あのとき、魔王の行動はなにもかもが理解不能だった。

 いまもその思いは変わらない。

 にもかかわらず、記憶の沼の底深くに沈んでいた魔王の姿は、年を経るにしたがって精彩を帯び、鮮烈な印象をともなってカシューの脳裏に甦ってくるようになっていた。


「おれはいったん街に戻る。組織に連絡をつけるにしても、世界樹に工作を仕込むにしても、ねぐらをつくらねえことには身動きがとれねえからな」


 ワイバーンは酒瓶を飲み干すと立ちあがった。


「おめえはとにかく生命の種を見つけろ。あってもなくても、ウルブリッツが攻めてくるのは決定事項だ。おれは巻きこまれて死ぬのはまっぴらごめんだ。生き残るためならなんだってやってやる。おまえも必死こけ」


 音高く扉を閉めてワイバーンが出ていったあと、カシューはたっぷりと深い呼吸をくりかえしながら二百数えた。


 母屋の外に出て、ワイバーンが残していった魔力残滓を探した。

 思ったとおり、死角になる位置でしばらくうずくまっていた痕跡があった。

 一人になったカシューがどういう行動に出るか確認しようとしたのだろう。


 足跡は、街へと向かう街道方面に向かって伸びていた。

 フィーリアとリサが暮らす、森にほど近い村はずれの丘とは反対方向だった。


 母屋に戻ったカシューは、時間をかけて建物全体を入念に調べた。

 いくつかの諜報魔導具を見つけた。

 玄関や食卓、ベッドに仕掛けられた重量計測器は日常の行動パターンを調べるもの。

 柱の陰に貼りつけられていた黒い帯は、空気の振動に反応して微細な凹凸を刻み、あとから専用の再生機にかけると、記録した声を再現することができるものだった。

 窓にはめ込んでいたガラスの一部がくすんでいたので確かめると、すみに透明な膜が張られていた。

 おそらく、室内の光景を記録するための魔導具だろう。

 カシューが使っていた三十五年前は鏡に偽装させていたが、時代はたしかに変化しているようだった。


 カシューが生まれ持った魔眼は、それらの魔導具をたやすく発見したが、ひとつをのぞいて、すべてはそのままにしておいた。

 この母屋は生活するためだけのもので、隠してあるのは武器くらいのものだった。


 唯一、背嚢のなかにあった魔力発信器だけは処分した。

 いまはまだ、ワイバーンと名乗った諜報員に自分の位置を悟らせるわけにはいかない。


 背嚢を漁っていた時点でなにかしらほどこしただろうと思っていたが、想像以上に巧妙に仕掛けてあったことに、カシューはいささか驚いた。

 ショルダーベルトの付け根、もっとも硬く頑丈に作られた部分に、まち針程度の発信器が押し込まれていた。

 もともとゴツゴツした触感をした生地なので、触った程度では気づかない位置だった。


 ワイバーンの粗雑な態度となんでも盗む手癖の悪さは、任務に対してもおおざっぱな印象を与えたが、この仕事を見るかぎり、腕はたしかなようだった。

 出ていったあとの足さばきをみても、酒に酔っていたのは偽装だったのだろう。

 油断すべきではなかった。


 すべての作業を終わらせると、カシューは椅子に腰掛けた。

 そして静かに酒を飲みはじめた。


 コブが死んだ。

 同じスラムで育った仲間だった。


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