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40 彷徨する牙


 カシューは生まれながらの魔眼持ちだった。

 目に魔力を込めればどこに誰がいるかが手に取るようにわかったし、視界にうつる生き物を観察すれば、それがどう動こうとしているかをたやすく予想することができた。

 五体から発散される魔力は、かならず動かそうとする部分に集中するからだった。


 唯一感知できない人間が、コブだった。

 先天性魔力不全だったコブは、体内の魔力を一切放出せず、幼い頃に遊んだかくれんぼでも、彼が本気で隠れてしまえば、カシューには探し出すことは不可能だった。


 もっとも、カシューがコブを探すことはほとんどなかった。

 いつも寝込んでいたからだ。

 蓄積された魔力を老廃物としてしか排出できない体質は、つねに内臓を痛め、血が澱み、コブの体力を奪っていた。


 健康な肉体を持たない一方で、コブの頭脳には特異な才能が秘められていた。

 驚異的な記憶力と高い計算能力だった。


 親のいない孤児にもかかわらず、幼くして文字の読み書きを習得し得た理由は、ただ町の看板や立ち札を見るうちにおぼえただけという事実が、その異能の一端をしめしていた。


 スラムでのコブとカシューは、ふたりでひとりだった。

 コブが頭で、カシューが手足だ。

 生きる方法はコブが考え、カシューが実行した。

 コブの言うとおりに動けばカシューは腹いっぱい飯が食え、暖かい寝床で眠ることができた。


 成長とともに、コブの能力はいよいよ研ぎ澄まされていった。

 年齢が十を数える頃には、見たものはいつでも細部まで思い描くことができ、いつどこでなにを聞いたのかは決して忘れず、一度読んだものはなんでも諳んずることができるようになっていた。

 さらには、スラムに流入してくる移民の会話を耳にしていただけでいくつもの言語を使いこなすようになり、道行く人の身体の動きや特徴を見ただけで、その人物がなにをやっていたかを推測して当てる芸当を身につけた。


 だが、コブの肉体の成長は、同時にその衰えをも加速させていった。

 成長による体内魔力の増加が、蓄積する魔力の増加に直結する以上、それは避けることのできない帰結だった。


 コブが一日のほとんどをうなされ、意識のないまま眠って過ごすようになったとき、カシューは自分を売った。

 相手は、かねてよりコブがマフィアよりもたちが悪いと言っていた男だった。


 あの男の下で働けば一生食うに困ることはないだろうけど、死ぬまで暗い目をして生きていかなくちゃいけないだろうね。

 マフィアは早死にするだろうけど、好き勝手に笑って生きていられる。

 僕はどうせ長生きできないだろうから、マフィアになって笑ってるほうがまだいいや。

 スパイになんか、なりたくないよ。


 汗にまみれ、荒い息を吐いて眠るコブを看病しながら、バカを自覚していたカシューは考えたのだった。

 たとえ暗い目をしていようと、食うに困らず長生きできたほうがいいに決まっている。


 カシューは男に自分の持つ魔眼の能力を教え、なんでもやるからコブを助けてくれと頼んだ。


 スラムに潜み、配下の人間を何人も使って国内外に諜報の触手を伸ばしていた男は、スラムにたむろする孤児たちのなかにあって、徒党も組まずに際だった働きをみせるコブとカシューの存在を知っていた。


 彼はすぐにコブを回収すると、貴族が療養に用いる施療院に入院させた。

 そしてカシューは、組織が運営していた工作員養成学校に収容された。


 名前を捨て、意思を持たず、巨大な組織の一個の歯車として行動することを求められる生活は、意外なほどカシューの性に合った。

 ものごころついたときからコブを盲目的に信じ、言われるがままに動いてきたカシューにとっては、命令される相手がコブから組織にかわっただけのことだった。


 めぐまれた身体能力と生来の魔眼、なによりも任務を遂行することに対する愚直なまでの姿勢をそなえたカシューは、諜報活動にめざましい適性をみせた。

 気がつけば三年という月日がたち、成人を迎えたカシューは羊という暗号名を与えられ、特殊工作員として任務につくことになった。


 コブと再会したのは、カシューの働きに目をつけた組織が彼の独自裁量権を拡大し、独立した諜報員として昇進させたときのことだった。

 かりそめの身分を得て市井に潜伏し、一般市民として日常を送りながら命令を待つ。

 組織の監視つきとはいえ、カシューは生まれてはじめてひとりで暮らす自由を得た。


 休日、なにをするでもなく肉体の鍛錬をくりかえしていたカシューは、部屋をノックする音に動きを止めた。


 警戒しながら開けたドアの先に、コブの微笑む顔があった。


「やあ。どうせカシューのことだ。休みの日も暇を持て余しているだろうと思って、遊びに来たよ」


 およそ五年ぶりに会うコブは見ちがえていた。

 病的に痩せていた身体つきも、いつも冷や汗をかいて青白かった顔も、熱に火照(ほて)った虚ろな瞳も、どこにも見いだすことはできなかった。

 コブは別人のように太っていた。


「療養して体調がよくなったせいか、食べるものみんな美味しくてね。きっと、もともと僕はこんな体型だったんだよ」


 屈託なく笑うコブの姿にあぜんとしながら、カシューは本名で呼びかけられるのは五年ぶりだと思った。

 そして、心の底から笑うのも五年ぶりだった。


「この近所に美味い食堂があるんだ。食事をしながら話そう」


 現場配置となったカシューとちがい、コブは文官待遇の本部要員として正式配属されたらしかった。

 住まいもカシューのような下町の長屋ではなく、貴族街にほど近い官僚宿舎だという。


「下っ端役人向けの寮なんだけどね。狭いとはいえ、ひとり部屋なのはありがたいよ。ただ、食事の量が少ないのが不満なんだ。だから暇を見つけては、こうして食べ歩きをしている」


 その言葉どおり、コブはあらゆる飲食店の情報を知悉していた。

 場所や味の善し悪しのみならず、値段の傾向、食材の仕入れ先、店員の出自に常連客の背後関係までをすらすらと並べ立てるさまは、まさしくかつてのコブの面目躍如といえた。


 食後、コブは決まってふところから丸薬をとりだして飲んだ。

 聞けば、自分で調合した先天性魔力不全の治療薬だといった。

 進行を抑える効能しかないが、自分程度の内在魔力ならば、飲んでいるあいだは健康でいられる。

 あたりまえのような顔をして話すコブに、カシューは驚いた。


「療養所で寝込んでいるとき、治癒士が魔石に魔力を込めているのを見て思いついたんだ。魔石が魔力を溜めこむなら、魔石を直接飲んじゃえば体内の魔力を吸収してくれるんじゃないかってね」


 最初は自分の身体を実験台にし、効果が認められるようになってからは、療養院を運営する医務局の協力もとりつけて開発に取り組んだという。


 魔石は人体では消化されないので、いかにして体内に吸収させるか、数えきれないほどの試行錯誤を重ねたとコブはいった。


 高い魔力をもつ魔物の血液を遠心分離にかけて抽出した上澄みの液体に、微細な粒子状になるまで臼でひいた魔石の粉末を溶かし、その溶液を腐敗しないよう保存する。

 含まれている魔力がすべて抜けたことを確認したら、魔物の肝臓を潰したあと裏ごししてつくったペーストに練り込む。

 最後に、一定期間保管できるよう時間をかけて燻製にし、重ねて魔力が抜けたことを確認したら完成となるらしい。


 コブの語る理論や手順は、当時のカシューにはまったく理解できなかったが、とにかくコブがすごいことをやってのけたということはわかった。


「僕ひとりだったら、スラムあがりの平民の先天性魔力不全患者が死ぬのは当然だって、医務局も協力してくれなかっただろうね。でも、同じ療養院にもうひとり、先天性魔力不全で寝たきりだった男爵令嬢がいたんだ。もしかしたらその子もなおるかもしれないってわかったとたん、医務局はなんでも協力してくれたよ」


 驚くべきことに、コブは治療薬をたった半年で完成させたという。


「僕はどうすればいいか頭のなかで考えただけで、実験はみんな医務局がやってくれたからね。一度に何通りもの方法を試せたから、はやく開発できたんだ。ぜんぶひとりでやっていたら、僕の寿命のほうがもたなかったと思う。ただ、薬ができたら成果はみんなとられちゃった。おまけに技術秘匿のために、薬はしばらく貴族専用だって。まあ、あの子が笑って過ごせるようになったからいいんだけどね」


 コブ自身の薬はどうしているのかと訊くと、開発者特権で一定期間ごとに支給されるということだった。


「でも、ある程度の予備はほしいんだよね。もし魔力不全で苦しんでいる人が目のまえにあらわれたら、僕はやっぱりなおしてあげたいんだよ」


「おれが素材を調達するよ。やり方を教えてくれれば、かわりにつくってもいい。おれは普段、冒険者として活動しているが、あまり目立つとまわりがうるさいんだ。採集ばっかりしてるカツカツの冒険者だと思われてたほうが、都合がいい」


 この日以来、カシューの偽装身分は採集専門冒険者になった。

 決まった依頼を受けず、希少価値のある素材ばかりを求めて国のあちこちをふらついている冒険者という設定は、思いのほかカシューの役に立った。


 ある日、いつものように休みをあわせてふたりで飲んでいると、コブがいった。


「出世することになったよ」


「やっとか。おまえならあっというまだと思っていたが」


「お天道様に顔向けできるような稼業でもないからね。えらくなっても肩身が狭いだけだと思ってたんだけど、ちょっといい話がまわってきたものだから」


「筆頭分析官に推薦でもされたか」


「いや、管理官」


 カシューは持ちあげていたグラスを口に運ぶのも忘れて、コブの顔を見た。


 組織の文官は諜報活動を通じて得た情報を分類精査する分析官と現場作業員を統括する管理官にわかれる。


 ひたすら書類整理をやらされる下っ端分析官から、国内外で活動する工作員に指示を出す特殊作戦群管理官まで、すべては一直線の縦構造になっており、能力、実績、経験によって位階の階梯をあがっていくことになっていた。

 建前ではすべての人員に栄達の道が開かれていることになっているが、身分差のある封建社会ではそんな理想が通用するわけもなく、実際には管理官より上の位階はすべて貴族に占められている。


 海千山千の諜報員たちを顎で使うためには、平民には越えられない壁である貴族の威光で強制的にひれ伏させるのがもっとも手っ取り早いという身も蓋もない事情もあったにせよ、事実として管理官の肩書きをもつ平民文官はこれまでひとりもいなかった。


「すごいじゃないか。おれみたいなスラムあがりの作業員は、お貴族様の現場監督にいつも泣かされているんだ。平民出の管理官がいてくれると、仕事がやりやすくなるよ」


 カシューがいうと、コブが意地の悪い笑みを浮かべた。


「なにいってるんだ。この出世は、もとはといえば君が関係してるんだぜ」


「おれが?」


「そうさ。君、自分ではぜんぜん気づいてないみたいだけど、本店内での君の評価はすこぶるいい。命令には忠実、任務は完璧、どんなに厳しい条件でも文句も要求も言ってこない。同期のなかでも君の成績は抜群だ」


 カシューからすれば、下された命令と与えられた任務をこなしているだけのことであり、ことさら評価されている実感はなかった。


「正直、君は有能すぎるんだ。貴族枠で採用されたユルい連中が霞んでしまうくらいにね。管理官をやっている貴族は自分とコネがある工作員たちを優先しなきゃならないけど、失敗できない任務をまかせるなら、やっぱり実力のある人間のほうがいい。ところが、そういう任務は当然、人事考課に関わってくる。さっさと出世したい連中は、なぜ自分をはずしたんだと管理官に文句をいうわけだ」


「つまり、おれががんばればがんばるほど、貴族の派閥に(ひび)が入るってことか」


 カシューはうんざりしたように鼻を鳴らした。


「使えない奴らの言い訳だよ。放っておいてもいずれ脱落していく。ただ、同じ貴族でももっと上にいるお偉いさんたちは、バカの足の引っ張りあいで任務遂行に支障が出るのを嫌ったらしい。平民出の工作員を貴族の管理官が使いこなせないなら、いっそ管理官も平民あがりにして組ませてしまえばいいって判断した」


「というと、それはつまり」


 カシューが自分の胸元とコブを交互に指さした。

 コブが会心の笑みでこたえた。


「管理官になるっていっても、僕が管理するのは、カシュー、君だけなんだ。たいしたことのない、ささやかな出世だよ」


 放心したようにコブを見つめていたカシューが、ゆっくりと笑い出した。


「やれやれ。大人になって、やっとコブから命令されなくなったと、ほっとしていたんだけどな」


「おいおい。僕が頭で君が手足だろ。手足は頭のいうことを聞くもんだよ。じゃなきゃ頭が落っこちちゃうじゃないか」


 彼らはグラスを当てて乾杯すると、そろって杯を重ねた。



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