19 もう、名を呼ばれることはないだろうと思っていた
もう、名を呼ばれることはないだろうと思っていた。
かつての私を思い起こさせる外見的特徴はどこにもない。
私自身、自分がどんな顔をしていたのか、記憶が曖昧になってきている。
他人が私を判別できるとは思っていなかった。
事実、多くの人たちは、私を人とすら信じていなかったように思う。
いつ、気づいたのですか。
そう言おうとして口を開いた。
漏れ出た音は、慣れ親しんだ自分の声とは似ても似つかない、鳥が無理やり人の言葉を絞り出したような声だった。
親方は、そんな私を見て一瞬顔を歪めただけだった。
「あのダンジョンコア見たときから、おまえがやったもんだとは気づいてたよ。ひとつだけ教えてくれ。おまえのその身体。そいつは、コアの瘴気抜きが原因か」
私は首を横に振った。
私の肉体の変化は、セフィロトの力を行使した結果だった。
原因をたどっていけば、杖の勇者を倒したとき、みずからのアストラル体を再構築して存在進化したことが分岐点だったように思う。
それを可能にしたのは、まだ女神の役職に就いていたメルトによって恩寵を授けられた出来事に繋がる。
さらに遡っていけば、勇者の案内役として王宮から召喚されなければ、メルトに出会うこともなかっただろう。
なにが発端となったのか、いま考えてもわからない。
たしかなことは、この力がなければ、魔王を倒すことはおろか、生き残ることさえできなかっただろうということだ。
悔いることはいくつもあったが、いま、こうしてここにいることを考えれば、自分にできることをやっただけだという思いしかなかった。
街を出てからの経緯を簡単に説明したあと、ダンジョンコアから瘴気を抜くことも、この身体だったからこそ、単独で比較的容易にこなすことができたと伝えた。
親方は俯いたまま、元の身体に戻ることはできるのかと訊いた。
私は、わからないと答えた。
だが、あきらめずに方法は探すつもりだとも。
「探せ。おれが死ぬまでに、元の身体を取り戻せ」
親方こそ、死んでもらっては困る。
私がそう返事をすると、親方はようやく笑みを浮かべた。
「おまえが王都へと呼び出されたあと、王宮はなにひとつ連絡をよこしてきやがらなかった。勇者一行について魔王討伐の旅に出たってのも、風の噂に届いてきただけだ」
大々的な発表とは裏腹に、実際の旅立ちは質素なものだった。
結果などだれも期待していなかったのだ。
行動を起こしたという事実があれば、それでよかったのだろう。
「ゴートのギルドとしてもほうぼうに人をやって情報を集めたが、まともな話はひとつも入ってこなくてな。そうこうしてるうちに、隣領のデルモンド男爵から大規模な掃討依頼が入って、細けえことに関わってるひまがなくなっちまった」
「デルモンド? いまゴートの街を占拠している貴族の方ですか」
メルトが聞き返すと、親方は思わせぶりな視線を投げ返した。
「そのデルモンド男爵だ。戦争中、侵攻してくる魔王軍の矢面に立たされて、領地がひでえありさまだったってのは聞いてるだろう。現当主が陣頭に立って前線で指揮。跡継ぎのせがれは西部方面軍に従軍して出征。領内の統治は、隠居してた先代当主が一時復帰してやってたんだが、元々領地に生息してた魔物どもが凶暴化して、被害が大きくなりはじめたらしくてな。人手が足りねえってんで、ゴートの冒険者ギルドにも応援要請がきたんだ」
魔の森をこえた先にあるデルモンド男爵領は、領地の広さこそアルカード子爵領をこえる面積を持つが、山がちの土地と複雑に入り組む河川や湖沼の多さから畑作に向かず、林業と岩塩や重曹、石灰の採掘を主産業としていた。
大規模な街を作る平地も少なく、山肌を削って造成した農地を耕す村と、各地で採掘などに従事する技術者たちが暮らす回遊性の集落が散在する領地だった。
過酷な環境ゆえか、代々暮らす領民には獣人やドワーフ、沿岸棲のリザードマンなど、頑健な肉体を持つ亜人が多い。
また、古来から独自の民族文化を持ち、排他的な集団生活をしてきたエルフの部族の隠れ里を複数保護しているという噂もあった。
領地の景観と雑多な人口構成から王国内でも秘境と揶揄され、日常を浸食してくるちょっとした魔物程度ならば、住民みずから手にした農具で倒してしまう弱肉強食めいた暮らしも、神秘性を与える要因のひとつになっている。
そういった領地全体の精強さを裏づけるように、デルモンド領には正規の冒険者ギルド支部がない。
出張所という名の連絡用窓口が設けてあるだけで、場所によっては常駐の職員すらおらず、巡回する商人が兼任していたりした。
「おれが冒険者ギルドの責任者になって、五パーティほど引きつれて乗りこんでった。たしかに凶暴化した魔物は多かったが、あれくらいならデルモンドの連中でもじゅうぶん対処できる。なんかおかしいと思いはじめたとき、野営してた森んなかでエルフから接触を受けた。人里に降りたやつじゃねえ。隠れ里で仙人気取ってるハイエルフのやつらだ」
エルフの隠れ里ならば公然の秘密というだけで、だれもが耳にしたことのある話だったが、ハイエルフとなると事情が変わってくる。
不死にも近い長命さから精霊と同一視され、世界の創世にも手を貸したと伝承が残るハイエルフは、巷間では神話上の存在とみなされていた。
地方によっては、信仰の対象にもなっている。
ほかならぬ、デルモンド領だ。
「あいつら、夜明けまえの一番気が緩む時間帯を狙って、魔物の群れをけしかけてきやがってな。全員でずるずる戦ってるうちに、森の奥地に誘いこまれて、気がつきゃおれひとり仲間から切り離されてた。用件があるなら最初からおれひとり呼びだしゃいいものを、まわりくどいまねしておちょくりやがって。ハイだかいいえだか知らねえが、エルフってのはどいつもこいつも陰険だぜ」
舌打ちした親方の姿に、メルトが苦笑をもらした。
「ハイエルフのみなさんは、龍脈の結節点から離れられませんからね。彼らとしても、親方さんに会うのに知恵を絞ったんでしょう」
「どうして、そんなこと知ってる。あんた、ひょっとしてエルフか」
親方がメルトの顔をまじまじと見つめた。
「いや、そんなわきゃねえな。エルフにしちゃ、ツラがまずすぎる」
ひとり納得して、親方はグラスを傾けた。
かつて女神としての威厳をたたえていたときならいざしらず、たしかに、いまのメルトの姿からエルフを想起するものはいないだろう。
彼女の表情の豊かさは、感情の起伏を表出させないエルフの怜悧さとは対極にある。
喜怒哀楽のすべてが表情筋に直結しているので、これまでも機嫌をとるのに苦労したことはなかった。
満腹のまま横になればよだれをたらして眠り、へべれけに酔えばよだれをたらして笑った。
つらく悲しいときは、鼻水をたらしながら嘔吐くほどの勢いで涙を流し、顔じゅうが液体まみれになった。
いまも、白目をむくほどまなじりを吊り上げ、獣のような唸り声をあげながら唾液混じりの吐息を吹き出している。
腕を振りまわすメルトを羽交い締めにしながら、私は親方に話の続きをうながした。
「いま、そのねーちゃんが言ったように、ハイエルフの連中、自分たちを龍脈の守護者だなんて抜かしてやがった。その守護者さまたちが言うには、魔の森ってのは大地を循環してきて濁った龍脈の浄化地点でもあるらしい。溜まった瘴気を排出し続けているから、土壌も含めた生態系がまるごと凶悪に変異しているんだと。正直、だからどうしたって思ったんだが、魔王が出現してからこっち、龍脈に混じる瘴気の濃度が、えらい勢いで上がっていたってことだった」
みずからの腹を切り裂き、流れ出る血を龍脈に注ぎこんでいたドラゴンの姿を思い出した。
どれほどの巨躯を誇ろうと、大地の底を血管のように走る龍脈のすべてを、その血液だけで汚染することなどできはしない。
あの古老の目的は、命を投げ捨てた先にある呪詛そのものにあったのだろう。
「しばらくまえ、デルモンド領内にある龍脈中の瘴気濃度がいきなり激減したらしい。地殻変動で新しい噴出孔でもできればありえることらしいが、そのわりには龍脈自体の流入量は変わらず、瘴気だけが取り除かれてる。どうにもおかしいってんで連中が調べてみたら、魔の森から離れたところで不自然な龍脈の滞留地点を見つけたそうだ。聞きゃ、ゴートの街のどまんなかって話だった。次から次へと運ばれてきた魔族の遺体。貴族と軍が建てた秘密倉庫。極めつけは、どでかいダンジョンコアの絞りかす。関連づけるなってほうが無理がある」
「ダンジョンの人口生成」
沈痛な面持ちで指摘したメルトの言葉に、親方は重々しく頷いた。
「大急ぎで街に帰って、夜中にもぐりこんで調べた。からっぽだった内部にゃ複雑に足場が組まれて、柱の一本一本、天井にまで薄気味わりい魔方陣がびっしり描きこまれてたよ。床は底が見えねえほど深く掘られて、穴をまたぐようなかたちで建てた櫓のうえに、ダンジョンコアが設置されてた」
頭に浮かんだのは、獣人の兄妹が守っていた転移門だった。
複雑な魔方陣が刻みこまれた大理石の石版がそこかしこに設置され、見る角度によっては複数の魔方陣が重なり合うことでいくつもの機能を有する様子が見てとれる場所だった。
「立体投射式の複合魔方陣ですわ。魔力を流すと発光して、空間に魔方陣を描き出す仕組みになっているんです。地下を掘削して直上にダンジョンコアを置いていたということは、コアをビーコンがわりに使って龍脈を誘導しているんでしょう」
「ハイエルフの奴らも同じようなことを言っていた。くりぬいた岩盤に新しく龍脈を引っぱってくるつもりなんだろうってな。最終的にはむきだしの龍脈にダンジョンコアを漬けこめば、コアの回復もできて一石二鳥って筋書きだ」
「論理的には可能ですが、そんな簡単な話ではありませんわ」
「ああ。とくに、デルモンド領とアルカード領のあるここいら一帯は、魔の森やエルフの隠れ里以外にもでかい龍脈が絡まりあってる。そんな場所で循環経路も考えずに龍脈を延ばすのは、自殺行為にも等しいそうだ」
「腫瘤化した龍脈の支道が肥大したのち、太い流れを巻きこんで一気に破裂する。大動脈瘤のようなものですわね。大規模な地盤沈下と、それにともなう地震。なにもないところで、いきなり火山が噴火するのと同様の被害が起きますわ」
地上に吹き出すのは溶岩ではなく、瘴気によって高濃度に汚染された魔素が周辺にまき散らされることになる。
人はおろか、体内に魔核を持った魔物以外、生息できない土地になるだろう。
そう考えたとき、思い出した。
怪我を負った親方に同行していた冒険者が言っていた。
森の奥地で多くの樹木が魔物化していると。
地面の下、ゆっくりと延びてくる龍脈。
滲出する魔素が土壌に堆積すれば、まっさきに影響を受けるのは、地中深くに根を張る巨大な古木にちがいなかった。
トレントの集団発生。
そう呟くと、親方が反応した。
「そうだ。いま魔の森で起きてるのはただのスタンピードじゃねえ。危険を察知した魔物たちの大移動だ」
「地上にまで影響が出ているということは、龍脈はすでに地下を貫通して街にまで到達している可能性が高いですわね。利権争いで貴族同士がいがみあっている場合では――」
私は腕を上げるとメルトの言葉を遮った。
拭い切れなかった違和感。
住民のすべてが逃げ出すほどの攻勢をかけながら、市民に略奪された形跡はなく、追撃の兆候もないこと。
場当たり的な戦闘とは対称的な、手際のいい占領行動。
それらはすべて、強固な結束と意志の貫徹によって統率されたデルモンド領の正規兵であることを意味する。
単なる略奪が目的ではないことは、隊長から話を聞いていたときから気づいていた。
そしていま、親方の口から聞かされたハイエルフの存在。
最初から主従関係が逆転していたのだと思えば、すべてのつじつまが合う。
「おまえが考えてるとおりだ。表向きはデルモンド男爵領ってことになってるが、あそこは実質、ハイエルフが統治する王国だ」
親方は淡々と言った。
「国だの政だのに興味はないが、自分たちが管理している土地を部外者に荒らされるのは困る。それでかたちだけ爵位の低い男爵家をたてて、王国からの干渉を最小限にとどめているってことなんだろうな。ついでにいや、デルモンド男爵家にも、エルフの血が入ってる。記録のうえでは代替わりをしてるが、適当な時期を見計らって一族のもんが交代してるらしい」
「それを知っているのは?」
メルトの問いに、親方は首を振って答えた。
「さあな。おれが知らなかったってことは、少なくとも冒険者ギルドで知ってる奴はひとりもいなかったはずだ。ことはこの国の建国に関わってくる話だ。王家には代々伝わってる真実だろうし、国政を担う宰相クラスになりゃ、極秘の申し送り事項のひとつには入ってるんじゃねえのか」
王家ないしはそれに連なる者だけが知る、秘められた歴史。
そして、現在王家と対立関係にある貴族軍にあって、その差配をふるうノイタンツ公爵は、現王の異母兄にあたるという。
さきほど親方は言った。
関連づけるなというほうが無理がある。
そのとおりだった。
「ハイエルフたちに事情を説明すると、最初こそ事態を静観するかまえを見せていたが、魔王の残したダンジョンコアの存在を知って態度を変えやがった。単体でも、でけえ島をひとつ空に飛ばせるほど魔力を秘めたコアだ。自分たちが利用すれば、いにしえの迷宮王国を復活させることができるだろうってな。すましたツラしてるが、肚んなかにゃ欲が渦巻いてるのはどいつもいっしょだったってことだ」
魔王討伐の成果ともいえるダンジョンコアを横領するには、単なる子爵程度では権限が狭すぎる。
アルカード子爵の背後には、まちがいなくノイタンツ公爵がいるはずだった。
そしてデルモンド男爵領の正体は、王国にとって潜在的敵対勢力ともいえる異文化圏だ。
そのデルモンド領の目と鼻の先にダンジョンコアが持ち込まれ、ハイエルフたちが奪い取ろうと暗躍を開始した。
それが現在の混乱を説明するすべてなのだろうか。
いや、あまりにも偶然の要素が多すぎる。
そもそも、ノイタンツ公爵を首魁とする諸貴族連合軍は、王家直轄の近衛兵隊が主力をなす王軍との緊張状態にあるはずだ。
戦力的には貴族連合側が優位にあるのだろうが、魔王が討伐され、国内の戦争状態が終熄に向かっているいま、王家の正当性は揺るぎのないものになりつつある。
ノイタンツ公爵が王国からの独立でも考えているのならば話は別だが、王家とハイエルフの二正面を相手取って対立する意味がわからない。
ここにいたって気がついた。
そう、二正面だ。
貴族連合を起点として異なる方向へ伸びる二本の直線。
すべての状況を操る位置にありながら、なぜノイタンツ公爵は王家、ハイエルフと個別に対峙するのか。
ダンジョンコアという強力な手札を利用すれば、王家とハイエルフのあいだにもう一本直線を描き、三つ巴の末に双方の力を削ぐことなど、造作もないことだろう。
にもかかわらず、ノイタンツ公爵は戦力をふたつに裂く戦略上の愚を犯している。
さらにいえば、ダンジョンコアを切り札として王家に交渉を臨む手段は、すでに使うことはできない。
隠し手は隠しているからこそ通用するのであり、正体を知られてしまえば、いくらでも対抗手段を講ずることができる。
同じことはハイエルフにもいえた。
彼らが持つ不敗の戦術は、みずからの存在を秘匿し続けることであり、衆目の下に姿を現した時点で、長期的観点からすればすでに負けはじめている。
これらの状況を敷衍すれば、むざむざと手持ちの札を失ったノイタンツ公爵と、領土防衛という泥沼の闘争へと突き進むハイエルフの構図が見えてくる。
変化がないのは王家だけだ。
むしろ、他のふたつの勢力が力を失ったぶん、相対的に地位を向上させるだろう。
なにより、現在の王家には、剣の勇者という最強の対抗手段がある。
単独に近い少数精鋭で魔王を倒した圧倒的な武力と、王国内の治安を回復する途上で獲得した声望。
いま、なんらかの対策を講じなければ、剣の勇者という兵器の持つ効力は、時間とともに増大し続け、いずれは手がつけられなくなるだろう。
敵対しているノイタンツ公爵がそれを考慮しないはずがないし、王家にとっても、剣の勇者を温存している現状は、諸刃の剣をみずから胸中に抱え込む危険性をはらんでいる。
ダンジョンコアをめぐる混乱の渦中にあって、王家の影が見えないのはあきらかにおかしかった。
消滅寸前だったはずのダンジョンコアの存在を察知し、奪取しうるのは、魔王討伐の過程を逐一観察していた諜報部隊以外には考えられない。
王国の諜報部隊は、運営こそ軍務下にあるが、所属は国王直轄だ。
天空城の墜落後、ダンジョンコアを回収したならば、まっさきに王家へと報告されるはずだった。
そしてもうひとつ。
ダンジョンコアは、寄生した宿主を使役することで、はじめてその特性を発揮する。
強大な魔力と森羅万象を操る魔法を兼ね備えた者こそが、もっとも効率よくダンジョンコアを利用することができるのは自明だった。
現在、王国のなかでもっともダンジョンマスターに適した人物。
それは剣の勇者にほかならない。
ダンジョンコアを一度でも見聞きした者ならば、その事実を知らないはずがなかった。
国王も、ノイタンツ公爵もだ。
主従関係が逆転していたのは、デルモンド男爵とハイエルフだけではない。
貴族連合を起点として異なる方向へ伸びる二本の直線。
表面上、反目しあうノイタンツ公爵と王家が、裏では密接な関係にあるとすれば、二本に分かれていた直線は、国王からはじまり、ノイタンツ公爵を経由してハイエルフへといたる一本の直線となる。
すべては机上の空論をもとにした想像にすぎない。
あるいは、本当に単なる偶然が重なっただけなのかもしれない。
だが、私が明確な意思を持って破壊し、隠蔽したはずのダンジョンコアが、いまだ利用されているのはまぎれもない事実だ。
その事実がある以上、王国の中枢部にいる誰かの意図を感じざるを得なかった。
考え込んでいると、親方が酔いをはらんで赤らんだ目を細めて、私を見つめていた。
「そうやって深読みして裏にある繋がりを見つけようとするところは、ギリアムそっくりだな」




