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「大佐。よろしいのですか?」
「ああ、あいつは毎日、毒煙吸い込んで生きているんだし、これくらいの粉塵で死ぬかよ」
軽い口調だ。あの先輩に救助など求めるのは無意味だったか。
「ああ、そう言えば、外で知事殿がカンカンだぜ? 来年までに稼働予定の一号機を使いものにならなくしたってよ」
ハルミンも戻っているのか。
確かに私が奴をぶん殴った為、この原発基礎内部は汚染された。魔王級の汚染した場所に原発なんて組めない。
私はシャツの袖を引き千切り足首に巻き付け、応急手当てしながら、どんな表情で外に出るべきか考え込まなくてはならなかった。
痛む足を引きずり、出口に立つと、大通公園全域にパトカーと消防車がすし詰め状態で並び、その先頭に腕組みしたハルミンが立っていた。
おいおい、救急車はないのか?
呟いてみたが、ハルミンに聞こえる筈もなく、私は諦め『ケンケン』して階段を降りる。
「10日間で魔王級二体の駆逐には感謝しますよ、先輩」
おう。お前から10日間の間に二回感謝されるなんて、天変地異の前触れじゃなきゃいいがな。
「しかし……」
まあ、そうだよな。しかしだよ。
「……いえ、後にしましょう。ご自宅で母君とあなたを慕う女性二名がお待ちです。手当は闇医者先輩にでもしてもらってください」
そうか、天寧と麻友はリンがちゃんと我が家まで運んでくれたんだな。良かった。
「……良くありません!」
おいおい、後にするんじゃなかったのかよ。
「もぉ……次々に女を『とっかえひっかえ』して……公美先輩がご存命でしたら、5、60発は殴られていますよ!?」
公美はそんな暴力的な女じゃないよ。それに、私はニートだぞ? 養えもしない女性を次々に籠絡しているような色男は闇医者だけで充分だ。まあ、あいつは金だけはたくさん持っているから、私がとやかく言えるものでもないか。
顔を真っ赤にして尚も怒るハルミンに何度か頭を下げ、やっと解放される。
「よ。パトカーをタクシー代わりに使うか?」
署長が迎えに来てくれていた。
ああ、西街までよろしく。車の修理代はあとで必ず払うよ。
「ああ、俺より稼ぐようになったなら、すぐに取り立てに行ってやるよ」
それは一体いつになることやら……だな。
「来年の今頃なっていてくれると、助かるな」
署長は苦笑いしながら、パトカーを発進させた。
「しかし、よくもまあ、あの野郎の倒し方を短時間で思い付いたものだよな」
それについては秘密がある。
「ほぉ?」
パトカーでサイレンを鳴らしながら我が家に戻る。私が運転してススキノまで行った半分の時間で着いた。
玄関から天寧が飛び出して来る。
「先生っ!」
足を引きずって降車したところに、飛び付かれた。
麻友が申し訳なさそうにこちらを見ている。
「あの……先生」
なにも言わなくていいんだ。皆無事ならそれで良い。
それだけ言って、天寧の肩を借り、父の元仕事部屋兼現仏間に入る。天寧を拾った時に寝せたソファに座って、全員の顔を確かめた。
闇医者がすぐに足の手当てを始める。闇看護婦二人は我が家の前で見張り中、母は土鍋でなにかを煮ている。オロオロする麻友に私の部屋に行かせ、ノートパソコンを持ってくるように言った。
奴を倒す方法を思い付いたのは今日の昼ではなく、今日の未明だった。
パソコンを開き、昨晩徹夜で練ったプロットを皆に披露する。
風船男を簡単に倒せすぎたから、ページ数を稼げなかったんだ。奴が本体ではなく、分身だったことにして、再度本体が仕掛けてくるという案を、私は昨日の夜中に思い付き、箇条書きにしていたんだよ。だから、その案を実行しただけなんだ。問題は天寧と麻友が出掛けていて、奴に捕まって人質にされているというシチュエーションを思い付いていなかったってことで、その救助方法は先程車の中で考えた。
「……お前のパソコンは『デ○ノート』か『未□日記』か?」
普段マンガの話などしない署長にしては、わかり易い表現だ。
ススキノの歓楽街から大通公園まで走るとか、私のようなニートにはありえない体力なんだが、上手く実行できた。
「大通の原発内部に誘い込むのは、昨日考えていたのかい?」
ああ、私の思い出した範囲で、私の放出する爆風を受け止められるのは、公美の結界のみだと認識していた。それに匹敵する結界能力を母さんが有しているが、母さんは奴の作った結界の処理に手を取られていると判断し、北海道を離れているハルミンと理事長の念の籠った壁はないかと思っていたんだ。
「お前、知事と理事長が外遊に出ているのを知っていたのか?」
いいや。奴が私を完璧に殺す方法を考えていて、その時、私の周囲の退治屋が全員北海道を離れるというのを思い付いただけだ。まさか今日本当に二人が札幌にいないとは考えていなかったよ。
全員が呆れた表情になった。私が他人から聞いても呆れるだろう。
署長が肩を叩いて笑いながら、部屋を出た。
「おばさーん。俺の車のレッカー費用はどこに回せばいいんだぁ?」
「学園にでも回しておいてぇ」
「まったく……呆れた親子だ……」
玄関先に停まったパトカーに乗り込み、どちらかはわからないが『サイトウ』に運転させ、署に戻っていく。
「麻友ちゃん。ちょっと手伝ってぇ」
「はぁ~い。ただいまぁ……」
「さて、僕も一旦戻るかな……まあ、いつも通り治療費は要らないけれど、僕も夕飯は一緒にさせてもらうよ?」
ああ、それくらいの量は母さんが作っているだろ? 花梨とかなみにも寄ってもらえよ。食費は私の貯金からは出ていないしな。
「たいして残ってないでしょ? これから物書きで稼いでよ?」
ああ、そのつもりだ。
しかし、思った以上に体力も精神力も、異能力も消費してしまった。
「あの……先生」
部屋に残ったのは天寧と父の遺影だけだ。まあ、壁はないから、会話は筒抜けだ。
まあ、私が言うのもどうかと思うが、変なのから解放されたな。
「はい。先生のお陰です」
そう言われると気恥ずかしい。こういう時は照れ隠しに別の話題に持っていくのがベストでベターだろう。
ハルミンは私と専務の気配が似ていたから、天寧が札幌に引き寄せられたと言っていたが、なにか他の理由もあったんじゃないのか?
「私が着いた時には既に亡くなっていましたけれど、友達が札幌で働いていたんです。その子は風俗店に売り飛ばされた元同僚ですが、そこでお金を溜めて、再度上京するのを夢みていました」
そう言えば、署長に死因を聞いていなかったな。
「今回の件とはまったく関係のない、暴力関係の人間の抗争に巻き込まれたそうです。その子の死を知って……どうして良いかわからなくなり、街を彷徨っている時……コンビニから出て来る先生を見たんです」
ああ、あの朝は確かにコンビニに行ったな……タバコ切れは私の脳細胞の動きを鈍らせる。別の小説のプロット作りに徹夜したあとだったから、誰かが後ろにいても気付かなかったかも知れない。
「先生の家の前まで来たのですけれど……一歩踏み出した途端に意識を失ってしまったんです」
母の結界に引っ掛かったんだな。
偶然にしては出来過ぎの出会いだが、これもなにかの縁だろう。天寧が良ければ、ハルミンの言う通り、この家を拠点に活動してくれて問題ないよ。
「あ、ありがとうございます……」
東京とは似ても似つかないが、札幌は一から出直すには良い場所かも知れない。
まあ、私は町内には変人として知れ渡ってはいるが、天寧のことを嗅ぎまわるゴシップライターや記者はいないし、隣近所が全員親戚とか、街中に存在が知られているということもない。落ち着いてやり直すのに向いている土地柄な気がする。
この数日で天寧の落ち窪んだ目も大分良くなり、肌の色艶も改善した。母の一見メチャクチャな料理は彼女の口に合ったようだ。
「あの……先生に質問してもいいですか?」
ん? 私に答えられることならね。私は闇医者や署長と違い、高卒の並み以下の知識しか持っていないので、それを踏まえてくれると嬉しいね。
「その……先生の『一人称』なんですが……」
私? ああ、私が私と言う理由か……
「はい。言い難いことなら結構ですけれど……気になります」
言い難い? ああ、それはかつての私のパートナーで、死なせてしまった公美の一人称が『私』で、私がそれを受け継いでいるのではないかという推測だね? しかし、残念ながら公美の一人称は『あたし』だったよ。
「? じゃあ、どうしてですか?」
凄くくだらない理由だが、聞くかね?
「はい……」
マンガの影響だよ。
「は?」
小学生の頃、父が誰かから大量のマンガを引き取ってきたんだ。古いマンガばかりだったが、どれも面白くてね。その中のひとつが私に多大な影響を与え、一人称もその時決めたものだよ。
ドン引きかと思ったが、天寧は興味を持ったようで目を輝かせた。
「そのマンガは先生の部屋にあるんですか?」
確か……今でも時々読み直すから……私の机の椅子の背側に6段の本棚があるんだが、上から4段目の手前に並べてあると記憶している。ちなみに、古いのはそこだけで、部屋に入ってすぐにある棚三つには最新のものしかない。あとは押入れに詰め込んであるのと、物置に段ボールでしまってあるか……私はどうしても捨てられない人間だからね。
署長や闇医者が部屋を片付けろというのは、ほとんどがマンガのことである。
「それだけ影響されたのに、マンガ家になろうとは思わなかった……?」
それよりも、影響を受けた小説のほうが多かった。私は絵も描けないしね。
基本は小学生のころ読んだ児童文学とファンタジー小説と明治昭和初期の文豪作品。推理小説も嫌いではない。
更に付け足すならば、絵本や図鑑の類、辞書でさえ読み込んだ。
この『捨てられない』家には、父や姉が残したその類の本が数万冊はあり、マンガは一部にすぎない。
「先生はそのすべてを読んだんですか?」
いや、まだ読み終わってはいないね。私が目指すのは『2時間で読み終われる面白い話』を作ることだが、他者の書いた本を読み込むのに、どうしても二日はかかってしまう。一日に数冊読み込める姉や、読まずに触るだけで内容を理解してしまう義兄は羨ましい限りだよ。
「2時間……ですか?」
ああ、私の集中力が2時間だからね。2時間で読み終わらねば、小説も映画も飽きてくる。
「5時間とかある演劇もありますが……」
よほど引き込まれる内容であれば別だが、尻が痛くなるし、トイレにも行きたくなるし、私は劇場で5時間も禁煙できない。
「……そのマンガは、長いですか?」
いや、そんなに長くもない。中学編6冊に高校編20冊……長いか……基本的に読んでも私のことは理解できないとは思うが、主人公の強引な言葉にも言い訳にも聞こえる『個性の尊重』の件が、私に感銘を与えたとだけ言っておくよ。
「内容は……」
シリアスな場面はひとつもない、ギャグ漫画だ。古すぎて内容の掴めないギャグも少々存在するだろうが、私は今でも笑う……昔のギャグ漫画家は天才や奇才揃いだったと思い知らされるね。私の中では文豪作品にも匹敵するが、読み手によって思いはそれぞれだ。天寧がどう思うか私にはわからんよ。ツボが違うんだろうな……ちなみに、最近60冊を超えた国民的マンガとも呼ばれている『泣きマンガ』で、私が本気で泣いたのは一か所だけ……それを話しても、所長も闇医者も肩をすくめる。
天寧はそこまで聞くと、あとは自分で判断すると言って、私の部屋に行った。
麻友が私におかゆの卵とじを持ってきて、その後を追う。
私はそのよくわからないおかゆを食べ、少し眠ったようだ。
気づくと深夜になっている。足の痛みで起きてしまった。
ソファに座ったままの体勢で眠っていたので、腰も痛い。ソファの上で伸びをしながら、近くに置いてあったタバコに手を伸ばす。ライターはススキノのバーに置いてきてしまったので、父の線香用のマッチを拝借した。
母は寝室に引き上げたようで、居間も台所も暗い。この部屋は電気をつけたままだ。
父の作業台に突っ伏して闇医者が寝ている。私が眠っている間に来て、晩飯を食ったのだろう。どう考えても私の治療は二の次だ。
麻友はその横の床に毛布を敷いて寝ていた。これはよく見かける光景だが、麻友に帰る家があるのかは不明だ。両親共に存命のはずだが、我が家にクレームがきたことはない。
闇医者の手当ては完璧だが、痛み止めに関しては今回もケチっている。
「あんまりやりすぎると、癖になってしまうからね……それに、痛いのは生きている証拠だよ」
これが闇医者の口癖だ。
一服終え、ポットにあった麦茶をいただくと、少し痛みがひいた気がした。
さて、ちょっとしたリハビリだ。
自分を痛めつけるようなことを平気で思いつく。
音をさせずに立ち上がり、闇医者と麻友に気付かせず部屋を出て、鴬張りかと思わせるような階段を無音であがり、自分の部屋で寝る。これでさえ、厳しいリハビリになる。
まあ、公美の死の翌日にも似たようなことをした。あの時はほとんど全身の骨が砕けていたが、公美の自宅まで這って行き、ご両親に謝罪した。その時に比べると、足首だけならば余裕だろう。精神的な負担も少ない。
右足に体重を短時間しかかけられない。平らなところを歩くだけならなんとかなるが、階段は結構な難関だ。
しかも今は夏で私の苦手とする暑さの夜。
自室にたどり着くまでにかなりの汗をかいた。痛みによる発汗と暑さによる発汗が合わさると、これほど気持ち悪いとは思わなかった。
私の部屋の電気はついていた。
扇風機のリモコンを探し、机の上に見つけた時には、その姿が視界に入った。
私のベッドで天寧が寝ていた。その枕元には私の指定したマンガが積み上げられている。
驚いたことに、マンガに付箋が大量にはさまれていた。天寧は読み込む時にこういうことをするらしい。
私が『保存用』とか言い出す人間であれば、怒るところなのだろうが、こんな埃とヤニだらけのマンガ本がどうされようと、読めれば問題はない。この短時間でこれだけの付箋を貼りながら、すべて読み終わっていることに感心しただけだ。
ページの角を折り曲げるという癖でなくて助かった。あれをやられると、めくりにくい挙句、気になってしようがない。
椅子に腰かけ、しばらく天寧の寝顔を眺める。あまり良い趣味ではないな。
思い直して、パソコンに向かう。
風船男の件までと想像妄想のその後で終了していたプロットに、今日の出来事を足してみた。
100枚以内で終われば、秋の賞。それ以上なら春の賞に応募だな。
各出来事にページを割り振ってみるが、70枚がよいところか……ここでもうひと波乱起きると、ページは稼げるが、怪我人状態のままでは書き終わることなく死ぬな。
霊獣と化した公美を失い、能力のほとんどすべてを風船男と本体に叩き込んだ私に、残る能力はないに等しい。かといって、このままだらだら終わるのも、話としてどうだろう?
気付くと、また天寧の寝顔を眺めていた。
か弱い天寧を守るというお題目で始めた話だ。私が主人公であるならば、この娘を守らねば恰好がつかない。
ない知恵を絞り、天寧と麻友を救出はしたが、結局最後に先輩とリンの力を借りている。
先輩とリンの力を借りて勝つのはたやすいが、そんな他人任せなエンディングがあってたまるか。
しかし、先輩以上の能力を私が有している訳でもない。
今回は母や義兄の助力もあるし、ハルミンにも迷惑をかけた。今度こそ、私一人で彼女を守らねば、私はただの語り手でしかない。
結局、スズメが鳴き始めたころになって、ようやく答えらしきものを思いついた。
「……しかし、お前も含め、俺の周りはアホばかりだな」
朝になり、徹夜で大通公園の後始末を終えた署長が、我が家で発した言葉だ。
徹夜で機嫌が悪いのもわかるが、アホはないだろう。
「いいや。確実にアホだぜ。考えてもみろ……お前の敵になった風船男とその本体にしても、お前が考え付く程度の攻撃方法しか使ってねぇじゃん。俺が奴なら、俺か闇医者にでも化けて、お前を焼肉屋におびき出す。焼肉屋に結界は張ってあるのかい? おばさん」
「あらあら、それは随分痛いところをつくわねぇ。この家の周囲と札幌外周、北海道外周に張るだけで手いっぱいねぇ」
「ほらな。敵はややこしいことをせずに、それだけやれば、異能力の戻る前のお前を普通に殺せるじゃないか? 風船男にせっかく霊獣を吸い取らせ、無防備になり、人質もいない状態なら、お前は残りの能力をおばさんに返してもらおうとも考えなかった訳だろ?」
天寧と麻友と闇医者の箸が止まった。
「警察署長なのに、君はなんて悪人なんだ?」
「正義の味方ぶっても、防犯には繋がらんし、犯人逮捕にも繋がらん。生き方が下手だという意味では、お前も風船男も本体もアホだ」
「先生はアホではありません!」
天寧が強い口調で非難する。あまり天寧のキャラにないことだ。昨晩読んだマンガから一体なにを読み取ったのだろう?
「そうですよぉ。先生がアホなら、あたしなんてアホアホですからぁ」
麻友は決してアホではない。休学中だが、大学生でもある。
しかし、署長の言い分は正しい。アホ云々ではなく、私を殺す作戦という意味だ。確かにこの二人の片方に化けられ、呼び出されれば、私はなにを疑うでもなく誘いに乗り、なにをされたかも理解できない間に殺されただろう。風船男はともかく、本体でさえそれを思いつかなかったのだろうか。
「く……まあ、これは俺の私見だ。流せよ……昨日おばさんのジンギスカンを食い損ねたから、苛立ちがピークに達しているだけだ」
「……君もアホじゃないか?」
「うるせぇ」
それなら私も寝てしまったから、ジンギスカンは食べていない。母さん、今晩は別の肉を頼むよ。
「はいはい。今日は生姜焼きね。『日曜ハイパーセール』のチラシを見ておくわ……あらあら、いつからいたの?」
「……アホの皆さん、おはようございます」
玄関ホールにリンが立っていた。相変わらず彼女の気配を一切感じられない我々は飛び上がるほど驚く。アホの皆さん扱いを全員が流すほどだ。
「一家団欒の最中に申し訳ないとは思ったのですが、また問題発生です」
「あらあら、封印に失敗したのぉ?」