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作家志望の冒険(仮)  作者: 大久保ハウキ▲
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「そうなんだよ。あれはついこの前、風船化して爆死したダッフルコートの魔王級を若くした感じの人だったんだ!」

 それは一体なんの冗談だ? エイプリルフールにはまだ7カ月半はあるぞ?

「冗談ではなく、僕は本当のことを言っているよ。そうか……なにか様子がおかしいと思ったんだ……なんであの瞬間に君に電話しなかったんだろう……」

『お前はそこにいろ。俺はそのことを知事に連絡し、指示を仰いでから、そっちに向かう。おい! 難しい漢字の『齋藤』! そうお前だ。俺の車を署の前に回せ! 今日は土曜だから、知事は公館にいる筈だ! あ? テレビだと!? お前俺をバカにしているのかっ!?』

 後半は署長が部下に発した言葉だが、テレビと聞いて私も部屋のテレビのスイッチを入れる。

『……国を訪問中の高橋知事は、国家主席との食事会の席で……』

 このタイミングで外遊中だとっ!?

『知事ではなく、理事長に連絡……今の映像、そっちでも見たか?』 

 ああ、見た。国家主席とやらと会談している横に、理事長が座っていたな。

『まずい状況だな……彼女はそっちにいるのか?』

「ん? 僕はまだ会っていないけれど?」

 私の顔から血の気が引いただろう。

 天寧は麻友と一緒に外出中で、行き先は『中央区』……詳しい場所までは聞いていないが、札幌にある芸能事務所にオーディションを受けに……行った……

『なんてことだ……ススキノ近辺に退治屋はほとんど配置されていない。おい、簡単な漢字の斉藤、今日の作家先生の護衛班員一覧を持って来い』

「おばさんは? 下にはいなかったけど……」

 今日は朝から『土曜スーパーセール』で卵が安いとか言って、買い物に行ったきりだ。近所の話好きな主婦にでも捕まっていなければ、そろそろ帰ると思う。

 まだなにも起きていないのだが、猛烈に嫌な予感がする。

「とりあえず、天寧ちゃんか麻友に連絡して、こっちに呼び戻そう」

 私は携帯で天寧に連絡しようとしたが、繋がらない。

『電話会社にはもっとクレームが行っているだろうが、こっちにもススキノ周辺の電波がおかしいとの苦情が何件か寄せられている。闇医者はおばさんを捜せ、近所のスーパーか……土曜スーパーセールで卵が安い……』

 署長が朝刊から広告チラシを抜き出して、見比べているような音が聞こえる。

「それはこっちで調べるよ。居間のテーブルにその手のチラシが乗っていたと思うから」

『ああ、頼む。今日の護衛班の中に退治屋系は一人だけだ。外出した彼女の方に回っているようだが、そいつとの連絡も途絶えた』

 対策が後手に回っている。

「あ、花梨とかなみに連絡して、この家の周囲を固めるよ」

 二人の闇看護婦は闇医者よりも戦闘力に関して高い。

『義弟とその友人たち……聞こえるか?』

 !! 義兄さん。

 その音は子機のスピーカーを通して聞こえた。

『困ったことが起きている』

 私は口早に現在判明している状況を説明する。

『それでか……そちらの時間で今日の午前五時頃から、北海道を囲む結界が突然強化され、外部から侵入できないのだ。学園理事長と北海道知事が外遊に出た為の処置かと思ったのだが、俺も妻も傭兵もそちらに入れない。基本的に俺たち魔王級、そちらで言う退治屋関連の者は一人も通れないのだ……かろうじて連絡のついた、釧路在住の退治屋に札幌まで飛んでもらったが、今度は札幌を囲む結界が強過ぎて入れない』

 私たちの顔が蒼白になる。

『この前、義弟が破裂させた風船野郎は、そいつの分身だった可能性が高い。そいつが中から手引きしなければ、北海道に奴が簡単に上陸できる訳がないからだ。半分寝惚けているとは言っても、お前の母の結界は地球最強だからな』

 奴の狙いはなんです? 札幌の制圧ですか?

『ああ、札幌は全ての霊脈の流れ出る源泉みたいなものだから、制圧する価値は高い……しかし、制圧自体はそれほど難しい訳ではないが、籠城するには不向きなんだよな……お前たちを全員殺しても、現在不在の学園理事長や知事、傭兵が後に攻め込めば、取り返すのも簡単だ。霊脈の源を制しているからと言って、魔力霊力の類が飛躍的に伸びる訳でもない』

 じゃあ、奴の狙いは……

『義弟よ。お前じゃないかと俺は思うんだが……』

 私を? 一体どんな理由で?

『前にも言ったかも知れんが、異世界から出た魔王クラスの連中は、その力が大き過ぎて、形を保てない。だから実在人物の姿を借り、借主は殺す』

 奴は私の姿を模しているから、殺す機会を以前から窺っていたということですか?

『ああ、地球最強の能力者であるお前の母が弱り、その弟子たちが北海道を離れる隙を作る為に、芸能事務所専務を囮に使ったのではないかと思う訳だ。奴を本体だと判断したお前は持っている全ての能力を分身に叩き込み、事後の処理に傭兵はブラジルに向かった。ブラジルでの事態鎮静を疑わない学園理事長と知事は外遊に出た』

 その本体という奴は、いつから北海道にいたのです? 母の結界を破れないという意味で、矛盾しているじゃないですか?

『……奴は最初から札幌に住んでいたんだよ。生まれも育ちも札幌だ』

 は?

『俺たちの能力で、札幌250万人の中から一人を検索する能力はない。奴は生まれた時にその能力を隠し、札幌250万市民を隠れ蓑に使い、ずっとススキノで暮らしていたんだよ。風船化した芸能事務所専務は、違法行為の隠れ蓑にススキノの風俗店を使っており、自分の足で何度か訪れてもいたのだろう。その時、奴の本体に出会い、奴の分身を埋め込まれた。東京に帰った専務は、奴の分身の分身をアイドルの卵たちに埋め込み、広げていたという訳だ。この日の為に……』

 私一人を殺す為に、どれだけ苦労しているんだ。

『数年前のお前は退治屋の中でもかなりの実力者で、周囲には傭兵やお前の母、理事長、現知事、公美という強力な能力者が揃っていた。奴はお前の形を模したお陰で、大変な連中を敵に回していた。公美が死に、母にその悲しみを預け能力を下げさせ、理事長の老いを待ち、知事に当選したハルミンが札幌を離れるのを待った。最大級に邪魔な傭兵は地球の裏側で活動中、後手に回った俺と妻は北海道に上陸もできない。そして、お前はその能力を全て失っている。どう考えても、奴が動く最大の好機だろ?』

「魔王先輩、僕のところにいる花梨やかなみでは対抗できませんか?」

 闇医者が知恵を絞って提案したが、その案は却下される。

『二人の合体能力は素晴らしいの一言だが、我が義母の結界を上書きできる能力まで持つ奴に対抗は難しい……それに、花梨はお前の大事なパートナーであり、かなみは傭兵の『妹』だぞ? お前が悲しみにくれる程度であれば、俺や妻でも止められるが、傭兵が暴走した場合、地球が吹き飛ぶくらいは覚悟せねばならん』

 ウチの母では止められないのですか?

『義母殿は現在買い物を終え、近所の主婦と歓談中だが、当然異変には気付いており、喋りながらも結界の再構築と強化を随時行っている……だが、今の義母はそれで精一杯だ』

 そうですか……

なるほど、私の周囲に序盤から強力過ぎる助力者がたくさん出て来たのは、このピンチで誰も手出しできない状況にし『盛り上げる』為の布石か。

私一人で解決出来れば、ハッピーエンド。出来なければバッドエンド。

さて、どんな知恵を使えば、そんな魔王級に太刀打ち出来る?

「とりあえず、僕はここの防御を固めるだけでもした方が良いと判断するので、花梨とかなみを呼ぶよ。それからおばさんにも帰って来てもらおう」

『俺たちは傭兵と理事長、知事と協力し、結界に穴が開けられないか試す』

 先程から発言のない署長はこちらに既に向かっているようだ。

 どうしても、どうあっても、私はススキノで彼との決戦に挑まなくてはならないのか。

 天寧と麻友が無事にここまで逃げて来るなら、一緒に地の果てまでも逃げ続け、先輩か義兄が合流するのを待てば良いが、天寧から連絡はない。

 窓から外の様子を窺うと、我が家の目の前にある地下鉄駅から、大量の人が出てきているのがわかる。通勤ラッシュの時間帯ではないから、その人々は買い物に行こうとした主婦が中心だろうが、普段こんなに人通りが多い地域ではない。つまり、大通駅まで地下鉄が走っていないということだ。ススキノは南北線か東豊線を使わないと行けないが、大通駅から地下通路で結ばれているので、東西線でも行くことは可能だ。その東西線が止まっている。

 見ていたテレビ画像の上方にテロップを確認したが、その後、突然テレビが映らなくなった。

 パソコンの電源を入れ、ネットに繋いでみる。

 繋がらない。

 携帯サイトを開こうとしたが、それも駄目だ。

 先程まで繋がっていた家の電話も通話不能になった。

 まだ、なにも悪いことは起きていないが、確実に悪い方向に向かってなにかが進んでいる。

 タバコに火をつけようとしたが、ライターのオイルが切れている。これは買い置きがあるので問題ない。

 暑いので回していた扇風機が、音もなく止まった。

停電だ。

私の顔を持つあの野郎は、随分色々な嫌がらせをしてくるようだ。

我が家の前に停めている私の車はどうだろう?

エンジンをかけ、クーラーを全開にする。これは問題ないが、カーラジオは無音。

しかし、これで私がばか面で出掛けて行き、奴に殺されたとして、全て戻してもらえるものだろうか。

学園には理事長やハルミンの他にも退治屋稼業をする生徒が数人いるが、どれも先輩やハルミンほどの能力を持ち合わせていない。

卒業生の中にも警察や自衛隊の特殊部隊に名を連ねる奴等や、裏仕事として退治屋をしている者がいるが、これもドングリの背比べという奴だ。

義兄の話に出て来た釧路在住の能力者はかなりの強者だと思うが、その人物でも結界を破ることができない。北海道全周囲、札幌の全周囲、ススキノで大きさを増している結界。その三層を突き破れる能力者は地球上に存在しない。

その中で、最も奴に近い場所にいるのは私と母だが、私にはそんな能力がないし、ウチの母でさえ破るのは無理だろう。

札幌市の広報車が我が家の前を通り過ぎ、避難を勧告し始めている。

勿論嘘だろうが、大規模なテロが発生したそうだ。

 駅で代替えのバスやタクシーを待っていた人々が一斉に動きだし、各々の家路に向かう。

 その人混みをかき分けながら、花梨とかなみ、闇医者と母が帰ってきた。

「あらあら、大変なことになっているわねぇ」

 他人事のように言う癖は、確実に私に遺伝している。

「魔王先輩からの連絡は!?」

 停電と共に途絶えた。テレビもラジオも使用不能で、家電も携帯も通話不能、ネットも繋がらない。

「おい! 難しい漢字の齋藤! お前は市民の誘導に当たれ! 簡単な漢字の方は駅員に情報提供を求めろ!」

 我が家の近くまで車で来た署長が部下に怒鳴りながら、徒歩で向かってくるのが見えた。

「スマン、全署員に市民誘導の命令が下ってしまい、これだけしか人員を割けなかった」

 そうか、では、我が家の前の交通整理をしてくれ。

「おう……って、お前! ススキノまで行く気か!?」

 奴は私に用事があるのだろう? 天寧と麻友がススキノ近辺にいるなら、行かないという選択肢は存在しないさ。こんなややこしいことをせんでも、呼び出されれば行くのにな。どうせなら迎えの車くらい寄越して欲しいものだ。ガソリンだってタダではないんだからな。

「行っても殺されるだけじゃないのかい?」

 それに関しては、思い付いたことがあるんだ。母さん、私の能力をあと半分預かっているよな?

「……ええ、私の頭の中に入っているわよ?」

 どう考えても、私の武器はそれしかない。

 母さんが私に能力を返すと、北海道を覆う結界を維持できなくなったりしないよな?

「それはないわよ。返せば全盛期くらいまで能力が回復するわね」

 そうか……じゃあ、援護してくれ。

 母にはそれで通じたようだ。

 こうして、私は母に預かってもらっていた能力を全て返してもらった。

 人混みを抜け、署長の車まで辿り着く。

「本当に大丈夫なのか?」

 ああ、とりあえず、タダでは死んでやらんし、少なくとも天寧と麻友は必ず連れ帰る。先輩か義兄に連絡ができるようなら、早く来てくれないと死ぬと言ってくれ。

 普段であれば、我が家からススキノまで車で20分というところだろうが、小樽方面に逃げる車の大渋滞とは反対の車線を走る署長の車は15分でススキノに着いた。このパニック状態で車線を守る日本人の律儀さに改めて感服する。

 車を止めた理由は簡単で、それ以上前に進めなくなったからだ。奴の結界能力は車にまで影響を与えるらしい。

 結構な数の人が道端に倒れているが、救出するには数が多過ぎる。奴の霊気にあてられたのだろうから、奴を倒せばもとに戻る程度の軽傷だ。

 私は普段から毒煙を吸い込んで生きているので、この程度の瘴気で参るようにはできていない。それでも、ここでタバコを吸う気にはなれなかった。

 目指す場所はなんとなく理解していた。

 署長が天寧の足跡を調べた際に出て来た、元アイドルの流された風俗店の入居するビルが目標の地点だと推測。違った場合はまた考える。

 しかし……ススキノには久し振りに来たが、相変わらず派手なビルが立ち並んでいるな。

 ビルの二階辺りから五階くらいまでの高さの看板に、派手に着飾った女性たちが写っている。アキハバラがアニメキャラクターの看板天国であるなら、ススキノは負けないくらいコスプレお姉ちゃんの看板天国だ。

 私が入口に立つと、自動ドアが反応した。

札幌全域で停電だというのに、このビルには自家発電施設でもあるのか?

 ただ、ビルの中にいる風俗店の従業員と思しき男性スタッフは、全員ぶっ倒れている。知らない人の為に説明を入れるが、風俗店は夜だけ営業している訳じゃない。ススキノの場合は朝から営業している。だから、従業員がいるのはおかしいことじゃない。

 さて、こういう場合、エレベーターが動くと仮定して、上を目指すか、下に降りるか……日本人であれば、上が本丸だと判断するだろうが、天寧と麻友を人質にしているならば、地下に閉じ込めているとも考えられる。この分だと、奴は味方である部下の意識もぶっ飛ばしているに違いないので、人質の見張りも自分でしているだろう。それを本丸でしているか、それとも地下牢でしているのか。

 一旦外に出て、空を見上げる。

 奴の張った結界は半球形状で、その強さは肉眼で認識できるレベルになっていた。さきほど車で当たった時は見えなかったのだが、私が到着したことを知って強めたようだ。

 奴が球体の真ん中にいるのは明白だ。

 私の目測で、それは地下一階から発生している。

 地下一階であれば、エレベーターなど電力の無駄だ。横にちゃんと階段がある。

 しかし、使っていない椅子や机が並べられ、階段が狭い。

消防法違反で検挙してくれ。

 そう呟いてみたが、署長は我が家の守りに残してきたのだった。

 それに、この椅子を置いたのは奴ではあるまい。

 これでは不当逮捕だし、逮捕できるならとっくに署長がこの場に乗り込んでいるだろう。

 椅子を避けながら進むと、地下はバーだった。

 地下の割に空気がいい。ポケットからタバコを取り出し、口に咥えた。私はこういういい空気を汚したがる悪いオッサンなのだ。

 タバコに火をつけ、ドアを開ける。中は間接照明のみの薄暗いカウンターバーで、カウンター内でバーテンが伸びている。奴は奥の複数人数がけのソファに座っていた。その両脇にぐったりした天寧と麻友を確認。

 たかが私一人を呼び出す為に、随分回りくどい真似をするのだな?

「ああ、私は臆病でね……生憎と私の周囲には、君と違って強力な能力者が存在しないのだよ。だから、これくらいはしないと、君一人を呼び出せないのさ」

 私を殺すつもりであれば、過去にもチャンスはあっただろう?

「いいや。今回が最初で最後のチャンスだ。君の傍にいる能力者がこれほど少なく、弱っている時期は、今を逃せばもうない」

私と同じ顔を持つ男は、不敵に笑ってみせた。こころなし声も似ている。

 そうかい……まあ、私はお前の呼び出しに応じたのだから、二人を解放してはくれないのかな? それと、北海道を覆う結界を緩めて欲しいんだが……

「そういう約束でもしていたかい?」

 いいや。

「では、状況は変わらない。私は結界を緩めて他の魔王級をここに呼び寄せるつもりはないのだよ。件の傭兵などもっての外だ。この二人もここにいてもらおう。ここに彼女たちがいる限り、君は私を攻撃できないだろう? その方が私は楽に君を殺せる」

 そう言いながらも、こいつはその場を動く気配を見せない。私も攻撃できないかも知れないが、どの道、動かなくては私を殺せないだろう。

 私は椅子に腰かけ、灰皿を手元に引き寄せた。

 カウンターの内側にあった空のグラスをひとつもらい、酒も注いでみた。飲めないんだがな。

 そのまま酒瓶の蓋をせずに投げ付ける。

 奴は両脇の二人と肩なんぞ組んでやがったので、首を捻って避けるしかない。

 私ごときの投げ付けた酒瓶だ。簡単にかわされる。

 だが、後ろはコンクリート剥き出しの壁だ。

 酒瓶が粉々に割れ、中身が噴き出す。

「……なんのつもりだ?」

 挑発……かな?

 酒で髪の毛の濡れた奴の表情が少し変わった。

 奴がゆっくり立ち上がる。狙いはそれだ。私はまだ椅子に腰かけている。

 もう一本酒瓶を貰い、火のついたタバコで蓋を作る。

「それは……」

 まあ、火炎瓶かな……このバーはロシアと提携でもしているのかね? 私は酒に詳しくはないが、『ウォッカ』という酒のアルコール度数が高く、火がつくくらいの知識はあるよ。返してもらえないなら、奪い取る。奪い取れないなら、一緒に死んでやれば少しは感謝もされるかな。お前と一緒にいるより、彼女たちは死んだ方がマシだと思っているに違いない。

「なんと身勝手な……人間という生物は生きている限り、死にたくないに決まっている」

 私の父はそういう人だったな。最後の最後まで、生きたいと願っていた。ただ、それが万人に当て嵌まると考えるのは、どうかと思う。

 火のついたタバコを栓にした酒瓶を放る。天井にぶつからず、なるべくゆっくり落ちるように。これはなかなか気を遣った。

 タバコの先端の火が消えては、この作戦は上手く行かないからな。

 ポケットに手を突っ込みながら、椅子からダッシュする。

 奴は一瞬酒瓶に視線が行っただろう。

 酒の飛沫が髪の毛にかかるのだから、こいつに瞬間移動の能力はない。風船男の瞬間移動は、こいつの手引きがあって成立したものだ。現在分身を全て先輩に駆逐されているから、こいつは別の場所に瞬間移動できない。

 火炎瓶で殺すことは不可能かも知れないが、隙を作ることは可能だろう。

 その隙は簡単に出来た。

「む!?」

 私の顔をして、余裕ぶっこいているお前が悪い。私は余裕なんてない表情をしているのが似合っているんだ。

 一気に距離を詰め、落ちて来た酒瓶はソファに向かって弾く。

この店のウォッカは水で薄めてある。最初から火はつかないし、破裂しても炎上はしない。私はタバコの煙には無頓着だが、酒の匂いにはめっぽう強い。グラスに注いだ時に、この酒のアルコール度数が90までないことを確認している。

 更にポケットからターボ式のライターを取り出した。風が吹いていても、火が付けられる。確実に火をつけたい時の必需品だ。

 映画等でオイルライターを油に向かって投げつけるシーンはあるが、オイルライターは風で火が消えるし、大量の油に火をつけるのには向かない。

 腕の勢いで火が消えてはどうにもならないんだ。

 まあ、この場合、大量の油ではなく、少量のアルコールを含んだ髪の毛が狙いなんだがね。

 毛髪は多少濡れていても、火がつく。

奴の余裕の笑みが引き攣ったのを確認した。

 アルコールの飛沫が髪の毛を濡らすということは、火もつくよな?

「や! やめっ!?」

 止める義理がどこにある?

 母の時々する、悪戯っぽい笑顔に挑戦するも、見事に失敗し、変な表情になったかも知れないが、私の作戦は成功だ。

 髪の毛に火をつけ、両脇にいた二人を抱えて走る。

 重い。

 二人合わせて80キロちょっとだろうが、片手で一人ずつは私の腕が悲鳴を上げる。左肩の怪我は完治していないしな。

 自分で火をつけておいてなんだが、火事場のクソ力でなんとかバーの外まで二人を引きずって運んだ。

 エレベーターのボタンを押し、ドアが開くと同時に中に放り込み、一階を指定しドアを閉じ、階段の所にあった椅子をバーのドアの前に積み、階段を駆け上る。

 エレベーターのドアが閉じかけていたので、足を突っ込み、再度開け、二人をまた抱える。

 階下からドアを吹っ飛ばす音が聞こえた。

 外に出ると、タクシーが一台急停車し、後部座席のドアが開く。

「早く乗せてください!」

 運転席は無人に見えたが、それは先輩夫人が運転していた為だ。

 今までどこに行っていたんだ?

「話は後です! 頭下げてください!!」

 助手席に乗り込んだ私が頭を下げると、自動ドアに向けてリンが発砲した。

 振り向けば、スプリンクラーの水をかぶってびしょ濡れになりながら、奴が追いかけてくるところだった。スプリンクラーが設置されていたのは意外だ。

 リン。二人を無事に我が家まで送ってくれ。

 リンがアクセルを踏み込むのと同時に、私は車から飛び降りた。

 歩道に転がり、倒れている通行人にぶつかって止まる。

「貴様……」

 大分顔形も変わったみたいだな。それなら私を殺さなくても、区別できるんじゃないか?

「ふざけるなぁっ!!」

 まったく。私をおびき出して、すぐに殺しておけば良いものを、無駄にお喋りの時間なんて取るからそうなるんだ。

 挑発を更に重ねた理由は、奴が完全に私だけを追って動くように仕向ける為だ。この距離を保っている限り、奴は私を捕まえられない。奴は異能力を有しているが、波動砲もマクロスキャノンも持っていないし、かめはめ波も撃てない。奴が本体であったとしても、分身以上の能力は持っていないと推測した。

 更に、母の結界と縄張り争いしているので、そちらにかなりの魔力なり霊力なりを消費しているし、その結界を破る為に殴っているであろう先輩や義兄にも能力を振り分けている。

 それくらいの援護がなければ、私が一人でこんなところにのこのこやってくる訳がない。

 リンの銃弾は一発も当たっていなかった。自動ドアのガラスを割って動きを止めた程度の攻撃だ。まあ、銃弾で死ぬとも思えないが、少しはダメージになっただろうに。

 しかし、天寧と麻友を引きずったままでの逃走に限界があったので、それは助かった。

 奴にはそんな仲間もいないが、私にはまだ強力な味方が残っていたんだ。

「うおおおっ!!」

 奴が叫び声と共に一時停止の標識を地面から引き抜いた。単純な力勝負で私は劣る。

 先輩が風船男の部下たちを一網打尽にしたように、私も奴をどこかに誘い込まねばならない。

 その場所を思い付く前に、奴が動く。手に持った標識を振り回しながら迫ってくる。

 ん?

 振り回している標識がグニャグニャの飴のようになり、鞭になった。所謂錬金術や形状変形術の類だ。鉄製の標識を鉄の鞭に変えるくらいであれば、少々修行すれば人間にも可能だ。

 ただ、そんな簡単な術でも、当たれば、腕の一本くらい容易にもげる。

 私がその軌道を読んでかわすと、後方に駐車されていた宅急便のトラックに直撃し、荷台が二つに割れ、道路のアスファルトにも亀裂が入った。

 素手で受け止めることは不可能だ。

 私は大通公園方面に走り出し、ススキノから離れる。

 緑豊かだったのは昔のことで、今は工事車両が大量に停まり、その空中に不思議技術を使って建設中の『絶対に壊れない原発』の基礎がある。

 この辺りの市民は退避が間に合ったようで、通行人が倒れていることもない。

 ランダムに選んだ重機に飛び乗り、起動スイッチを探す。こういうものは現場に置きっ放しなので、キーは挿しっ放しのことが多いのだ。ランダムに飛び乗った重機がそれに該当しているということは、まだ私の運も残っている。それでもモニターに4ケタの暗証番号入力画面が表示され、一応セキュリティっぽい機能が働いていた。

 現場の人間がいちいち親方の車のナンバーを覚え、入力する訳もない。こういう場合は初期設定の1234でなければ、平成7年2月1日生まれや、7月21日生まれの方には申し訳ないが、下世話な駄洒落で0721が主流だ。

 現場の名誉の為にどちらを入力したかは言わないが、重機の起動に成功した。

 振り返ると、奴が鉄鞭をふるって建物に大きな傷をつけながら、通りに入ってくるところだ。武力で優位に立ったと判断した途端に、また余裕ぶっこいてやがる。

 とりあえず、ややこしい操作の仕方はわからないから、前進後進と左右への曲がり方だけ確認し、奴に向けて突進させる。

 もちろん、轢き殺す気でやっている。

 ショベル部分は地に着いているので、耳障りな異音と、火花を路面に咲かせ、割と正確に撥ねてやる。

「おおおおっ!!」

 瞬時に鉄鞭を引き、鉄の板に変形させた奴がショルダータックルしてショベルを受け止める。

丈夫な体だな。

すぐに諦め、重機を前進させたまま、運転席から飛び降りる。

お前の相手は私であって、その重機ではあるまい?

「く……き・さ・ま!」

 随分前だが、学園生だった頃、瞬間湯沸かし器というあだ名の女生徒が同級生にいたな。

 そんなことを思い出しながら、私は建設途中の原発の中へ入った。空中へと続く階段を登る時間は重機が稼いでくれた。

 ほら、こっちだ。階段は壊すなよ? 飛び降りるにはちょっと高いからな。

 自分で自分の顔を持つ奴を挑発するのは、あまり気分の良いものではない。

 建設途中なので、中身は空っぽの空間だ。事後に封鎖できるように明りとりの窓がいくつか設置されているので、割と明るい。

「こんなところに逃げ込むとは……正気とは思えないな」

 出入り口はひとつしかないからな。

正論だ。

私の入って来たドアが閉められ、この空間には私と奴だけになった。

逃げ遅れた工事関係者が避難していたりしなくて助かる。

 さて、そろそろ種明かしだよな?

「……そう願いたいものだ」

 私が母に預かってもらっていた能力を返してもらっていることは想定内だろ?

「勿論だ。しかし、その半分で私を殺すことも不可能だ」

 ああ、その通りなんだが、よく勘違いされるんだよな。その半分って言葉。

「な……に……?」

 顔を動かさずに右足を後ろに引き、半身に構えた。奴から私の右腕は見えなくなっただろう。

 公美を失った悲しみと憤りの記憶も一緒に返ってきている。その意味するものはなんだか考えたことがあるか?

「む?」

 私の能力が、お前と似た能力なのは理解しているだろう?

 今度は私が不敵に笑う番なのだが、そんな表情を私はしたことがないので、これも悪戯っぽい笑顔に続いて失敗した。

「人々の発する憤りや怒り、悲しみ……所謂、負のエネルギーを変換して使う。それだけの能力で、それは私にとって一部でしかない」

 一部でしかないから、極めていない訳だ。

「なに?」

母に能力を返してもらってから、一時間まで経っていないだろう。

 私は母と違って、基本的な能力が低い。だが、器は母と同等だ。

「は? なにを言っている?」

 お前は確かに魔王級なんだろうが、私の知っている義兄よりも弱い。だから、異世界での王国を滅ぼされ、地球に逃れてきたのだろう? 地球でお前の天敵になれそうなのは、母と先輩くらいのものだと思った。違うか?

「……貴様に隠された能力でもありそうな口ぶりだな」

 実際ない。

「時間稼ぎはそれまでのようだな。確かに私は異世界でお前の言う王に敗れた。だが、この地球に私以上の能力者は存在しない!」

 ああ、しないだろう。だがな……お前は少々、あちらこちらに能力を分散し過ぎた。

 奴の振りかぶった鉄鞭が私の右横に落ちるが、流石はハルミンが自ら設計した原発の基礎、傷一つつきやしない。

 そして、隠れた能力はないが、私には溜め込む力と、先輩風に言うなら、利息をつける能力があり、私はその力を分散させていない。結界ひとつ満足に張れない未熟な私が、先輩とどうして双璧と呼ばれるか、わかるか?

「……貴様! この短時間で、その器に力を溜めたというのか!?」

 人間の悲しみや憤りというのはな。時間で溜められるものではないんだよ。お前は私を殺すチャンスが今だと判断したようだが、そのチャンスはあのショッピングモールで私が拳銃で撃たれたその瞬間だけだったんだよ。あれは流石に油断し過ぎだと、私自身が反省したくらいだからな。記憶封印を母が解いた理由は、お前を倒す為ではなく、空っぽになった私の記憶に、隙間容量が追加されたからだ。記憶の半分はお前の分身にくれてやったが、全てを忘れる訳がない! そして! 記憶を私に返した母は地球最強の能力者に戻った! 今現在もお前の結界と拮抗しているように見せているのは、母が私を援護しているからだ!!

 考えて見ればすぐにわかりそうなものだが、異世界で現役の王をしている義兄、私のように記憶から憤りを拾って溜めなくとも、常に全力の先輩、リミッターを解除された母が、お前の結界を破れない訳がないんだ。

「で、では、私は……」

 ああ、私の脚本に踊らされた、憐れな道化に過ぎん。自分の能力を過大評価し過ぎだよ。

 本当に憐れに見えてきた。

「しかし、私が貴様との殴り合いで負ける筈がない!!」

 お前……私が半身に構えてから、私の右腕を視界に捉えているか? 特に右拳だが……

 腰の後ろに隠した右拳に、全ての怒りを込めるストレート。それが私の唯一の攻撃能力だ。ちなみに、先輩は左拳に溜めた一撃を繰り出すだけだ。

 ハルミンを差し置いて、私が双璧などと呼ばれた最大の理由。

 ただ、こいつを繰り出すには、周囲に頑丈な壁か結界が必要だ。

「それが……この、空中原発の基礎部分……」

 ああ、ここの基礎には理事長とハルミンの念を入れたコンクリートが使われている。現在の地球の技術で、どんな地震にも耐え、放射能を漏らさない施設など本来は作れん。可能にするのは地球人の一部しか持たない退治屋の力だ。ここでなら、私は全力でパンチをお前にぶち込むことができる。

 ついでにな……

「な……なんだ?」

 私は自分の顔がそれほど好きではなくてな。鏡を見る度に叩き割りたくなる衝動がある。お前が私の姿形を模しているというだけで、実は結構ムカついているんだよな。

「言いがかりだ!」

 ぼったくりバーを棲家にしていた奴の言うことか? そう言えば、お前は他人の負のエネルギーばかりを吸い取って能力に変換しているようだが、自分の怒りを変換する能力はないのか? まあ、今からお前に叩き込む私の怒りを吸い取れば問題ないのか……考えて見れば、随分後手に回る能力なんだな。

「ま……待て……」

 さっきも言ったが、そんな義理人情がどこにある?

 一気に駆け寄り、私の間合いで右拳を突き出す。

 ああ、私を殺すなら、この一発を避けてからにすべきだな。

「避けるだと? どこに避けるというのだ!?」

 やはり、こいつは風船男の本体だ。私の怒りの一撃を本当に受け止められると信じ、両手で防御にきた。私を模していても、私ではないんだ。

 風船男の時より、記憶が戻ってからの時間も長い。あの時は無我夢中で拳を突き出しただけだから、風船男も簡単に受け止めたが、今回の場合は受け止めさせない。

 貫く!

 両腕を弾き飛ばし、奴の顔面に叩き込む。

 奴は吹き飛ばされないようにする為、重心を低くしていた。人間の拳を受け止める気なのだから、それは正しい選択だが、生憎と私の右拳は今、まったくの別物だ。

 奴は膨らむことなく、顔面を吹き飛ばされ、残った体も私の発したエネルギーを吸収しきれず塵になる。

 拳に全神経を集中していた私は、足元が留守になっており、奴の爆発により発生した爆風に足を払われ転倒した。

 先輩と私の違いは、先輩であればこんな無様に転ばないし、多数を相手にしても全力の左拳を連続で撃ち込める。私の場合は一発限りで、複数相手は想定されていない。ここに奴がもう一人分身を連れてきていれば、私は勝てない。

 私の能力は公美の全力サポートがあってこそ成立する。先輩は単独で完璧に能力を発揮する。

 先輩なら、こんなややこしい作戦を立てなくとも、バーで決着をつけられる。ビルを吹き飛ばさずに奴だけを始末できる。しかも、充電の要らない人だ。

 奴が先輩との対戦を避けたいと思った理由はそんなところだろう。ただ、私の能力への認識の甘さがあった。私の周囲から能力者を遠ざけるという作戦は見事だが、それを母と同様の結界能力を有する味方にでもさせるべきであった。

まあ、母と同様の結界能力者なんて、この地球に皆無だと思う。それにこいつは自分で独白したが、分身は作れても、仲間はいなかったし、人間の部下も信用していなかった。

うわ!?

転んだ私の足首に、なにかが刺さった。

床に縫いつけられた形だ。言っておくが、物凄く痛い。

「おのれ……よくも私を……」

 おいおい、生きているのかよ?

 奴が原発の基礎と融合できないのは計算していたが、持っていた元標識が奴になっている。鉄鞭から棒のように細長くなり、固まった状態の槍、私の姿を模していた影も形もない。

 これは、文字通り足止めが目的のようだ。先端はすぐに引き抜かれ、私は自由になったが、床を転げ回ることしかできない。

「覚えておれ! 私は必ずお前を殺すからな!!」

 どこに口があるのかも不明だが、そういう捨て台詞を残し、槍はぴょんぴょん跳ねながら、出口ドアに向かう。その気があるなら、私の胸でも頭でも貫けば、殺すことが可能なのに、奴は逃げた。

 ドアが外から開いた。逆光だが、人のシルエットが見える。

 あのドアを一旦閉めて、開けられるのは、普通の人間ではありえない。

「まったく……封印の壺を『宅急便』で送るバカがどこの世界にいるんですか? トラックの荷台ごと真っ二つにでもなっていたなら、どうする気ですか、大佐」

「まあ、その時は封印せずにぶん殴ればいいだろ? そんなに怒るな。眉間の皺は印象を悪くするぞ」

 ドアの寸前で引き返すこともできず、そのまま奴はリンに素手で捕まえられた。リンの左肩には先輩のバカでかい掌が乗せられている。先輩が他の退治屋に助力能力を使っているところなど、見たことがない。そもそも、リンは超能力者だったのか?

 リンに掴まれた槍はあっと言う間にその姿を縮め、鉄の玉になった。ゴルフボールくらいの大きさだが、そんな質量の鉄から道路標識は作れないよな。

 リンが右手に持った壺に無造作に鉄球を突っ込み、引き抜く際に撫でると、壺の蓋がされていた。

「封印完了です」

「よし、上出来だ」

 先輩が普通の人間を奥さんにする筈もないか。リンはどこかの魔法使いか錬金術師の末裔かなにかだ。鉄棒と化した奴からその魂だけを正確に抜き出し、壺に封印したのだから、間違えない。

「よぉ! 生きているかぁ!?」

 奴の本体を粉砕した際に出た煙が幕になり視界が悪いので、先輩から私は見えないようだ。

 生きていますが……足をやられました! 救助願います!!

 煙にむせながら、叫び返す。

「足? じゃあ、キーボードを打つのに支障はないな……俺たちはこれからこいつを壺ごと消滅させるので忙しい。救助は他を当たってくれ」


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