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⑥ 五里霧中

⑥です



 カシャーダは、あっという間に屋敷に馴染んだ。

 気さくながら、無理強いはせず引き際を弁えているため、屋敷の人間はあいつに好意的だ。

 そして、妹も。


「ああ、ミーフレア嬢。またお邪魔してるよ」

「こ、こんにちは……」

 カシャーダの挨拶に、緊張しながらも、柔らかな表情で答えるミーフレア。

 身の回りで起こった事を好き勝手に話すカシャーダに、まだ多く話せないながら楽しそうに相槌を打つ姿が度々見られるようになった。

 穏やかな時間。

 進む妹の背中を見送る寂しさも、妹の楽しそうな姿を見れば我慢するほかない。

 カシャーダのおかげで、屋敷は随分柔らかな雰囲気になったと思う。


 ただ。


 サヤナだけは、どこか沈んだ表情をしているのが気にかかった。



 妹は一歩一歩踏みしめるようにして進んでいる。そんな歩みを支えるのはカシャーダ。僕の役目は、それを見守ること。

 手放すと覚悟を持って決めたが、何もできない自分を自覚するのは、やはり身にこたえる。

 けれど、僕にもう出来ることなどないことは変えようもない事実だ。

 今は僕も妹から自立しなければならない時なのだ。

 そして、ついに自分自身と向き合わねばならない時も、来たのだろう。



 そう考えているうちに目が冴えてしまった。ふらりと、特に何も考えないままにいくつかある部屋に足を向ける。椅子に座ってぼんやりしたまま頬杖をついたところでこの部屋の位置に気付いて、僕は苦笑した。

 ここは、いつもこの時間サヤナが妹の髪飾りを選ぶために使っている部屋の丁度隣だ。

 馬鹿らしい。どんなに深刻に考えたところで、自分の心が示しているものの正体は明らかだ。

 なんだか可笑しくなって一人不気味にニヤついていると、廊下に足音を聞いた。

 明日はどんな髪飾りだろう。彼女は専門職としているだけあってとてもセンスが良い。僕が贈ったもののはずが、つける位置や服との組み合わせ次第で全く違う印象になるから面白い。

 僕は、妹の髪に髪飾りを結うときの、愛情にあふれるあの手つきが好きだ。


 不意に、扉の向こうで足音がやんだ気がして、耳を澄ませる。

 がちゃりと扉の開く音が、思ったより近くに聞こえて少し驚く。中の光が漏れていただろうか。

 しかし僕は、それを上回る驚きに襲われることとなった。

 小さく息を呑む音、次いで、


「アスタリド様?」


 自分を呼ぶその涼やかで柔らかい声に、思っていた以上に動揺する。

 名前を呼ばれたぐらいで、ここまで心が揺れるとは。自分に呆れながら、動揺を悟られないよう殊更ゆっくりと振り返る。

 目を丸くするサヤナが、どこか不安そうな顔でこちらを見ている。


「サヤナ。……ああ、そうか。髪飾りを選んでいるんだったね」

 わざとらしい三文芝居だが、誤魔化されてくれたようだ。サヤナがふっと息を漏らす。

「……こちらにおいで」

 招かれるままに、無防備にこちらに来るサヤナ。

 ここで髪飾りを選ぶように勧めると、彼女は頷いて重そうに抱えていた化粧箱をテーブルに置いた。妹の髪飾りを取り出していく。その手つきはやはりとても優しい。

 髪飾りを並べる姿を、僕は後ろからじっと見つめる。いつもは隙なくまとめられている美しい金の髪が、緩やかにその肩や腕にかかっている。

「坊っちゃまは、どうしてこちらに?」

『坊ちゃま』に戻ってしまったか。残念に思う気持ちに、つい悪戯心が沸き上がる。

「特に深く何かを考えていたわけではないよ。気がついたらここに居た、って感じかな」

 そう言いながら、柔らかそうなその髪に触れる。細い肩が面白いくらいにはねた。


「アスタリド様と、さっきは言ってくれたのにね」

 丁寧に手入れされているのだろう。金の髪は蝋燭のほの明るい光にさらされ、僕の指に絡まることなくきらりと輝いては滑り落ちる。

「……聞こえていたのですか」

 素直な肩の反応とは反対に、その口調は冷静で素っ気ない。少し面白くなくて、僕は先程隠した事実を冗談のように話す。

「もしかしたら、君がいると分かっていたから、ここに来ていたのかもしれない。無意識だったけれど、君の『アスタリド様』を聞けたのだから正解だったな」

「……そうして私をからかっていらっしゃるうちは、私は『坊っちゃま』をやめませんとお伝え致しましたけれど?」

「ふふ、つれないな」

 こうやってからかうのは、いざという時信用を無くしそうで控えたいのだが、憎まれ口を叩きつつほんのり赤くなってしまうその反応が可愛くてなかなかやめられない。

 その手触りの良さに、会話しながらもサヤナの髪から手が離せない。サヤナが何も言わないのを良いことに、僕はその髪を撫で続けた。

 このまま、身を預けてくれれば良いのに。

 なんだか撫でるたびそんな邪な念を塗りつけているような気分だ。実に重たい。僕はまた苦笑した。

 サヤナはそんな僕を咎めないが、やはり居心地が悪いのだろう。不意に妹の話を持ちだした。丁度その手には、妹の気に入りの髪飾りが光っている。

 妹が明るくなった。そうサヤナは言うが、サヤナが来てから兆しは生まれていた。決して眩くはないが、柔らかい暖かな光を灯してくれた。屋敷の人間は、少し悔しく思いつつも心から感謝している。

 ……遠いな。

 どうしたら君に返せるだろうか。どうしたら君に信頼されるような人間になれるだろうか。

 サヤナが人を助ければ助けるほど、どうしても遠く感じてしまう。


「カシャーダ様は」

 そう言うサヤナの頭に視線を落とす。

「カシャーダ様は、とても素晴らしい方ですね。彼がいらっしゃると、屋敷が明るくなったような心地がします」


 ああ、そうかと思った。


 サヤナの光となってくれる人間は、やはり屋敷にはいなかった。

 カシャーダは妹だけでなく、彼女まで救うことが出来る存在だったのだ。


 それから、なんと言葉を発したか、あまり覚えていない。

 ただ、情けない僕にサヤナが言葉をくれたことだけは覚えている。


「坊っちゃまも人を幸せに出来ます」


 そう言うサヤナの笑顔が、いつか見た笑顔と重なる。

 あの時も君はそう言ってくれた。


 ならどうして君は、そんなに辛そうにしているんだ。


 その質問は、舌に乗せられないまま。




 ーーー


 僕はとにかくサヤナを甘やかすことに決めた。


 妹のことはカシャーダに任せることにした。妹への責任云々と語ったところ、「責任はお前だけじゃなく自立しきれなかった妹にもある。お互い様だからお前だけがとるもんじゃない」と一刀両断されてしまった。妹を悪く言われたと少し苛ついてしまったが、カシャーダは苦笑して、

「俺は、踏み出す勇気を出せなかったということは、仕方ないとは思うが決して良いこととは思わない。が、今の一生懸命努力している妹さんは素直に凄いと思う。それに、妹を優先して大事なものを逃しそうだなんて、それでお前が不幸になったら折角立ち直れそうな妹さんも沈むぞ?妹さんのことは任せとけ。お前はお前で行動しろ」

 そう言ってからっと笑うその表情は底抜けに明るい。サヤナが惹かれるのも無理はないと思う。……いや、まだ確定はしていない。

 このままサヤナまでカシャーダに取られてしまうわけにはいかない。

 サヤナに足りないのは頼るべき場所だ。まだ間に合うと信じて行動を始めることにした。



 サヤナは結構分かりやすい。

 からかうと冷たい対応をしながらも赤くなってしまうし、ちょっとした手伝いをすると嬉しそうにする。

 ただ、人一倍気遣い屋なため、あまり手伝い過ぎると逆に心配されてしまう。さり気なく、程よく、そんな塩梅が結構難しい。

 からかいながら荷物を持つなどすると誤魔化されてくれるので、最近ではからかう頻度が上がっている気がする。我ながら子供っぽいが、楽しいから個人的には満足だ。

 ただ、正の感情に関しては分かりやすいサヤナだが、負の感情は分かり辛い。

 気を抜いているともう気分が晴れたのかと錯覚してしまいそうになるが、ふとしたとき、ごく僅かな時間見せる物憂げな表情は刻一刻と深刻そうなものになっている。

 僕は焦っていた。どうにかして甘えさせようと手を尽くすものの、誤魔化した状態でしか仕事を手伝えず、あまり自分のことを話してはくれない。自分から悩みを打ち明けさせる方向に持っていくのが難しい。

 信頼されていないかと言えばそういうわけでもなさそうだが、根本的に頼るという発想自体がないようだった。

 ただ、一つ気付いたことがある。

 カシャーダとミーフレアが二人で話しているとき、じっと何か言いたげに二人を見つめていることが多いこと。

 遠目にカシャーダの馬車が屋敷に向かうのが見えたとき、ふと見せる沈んだ表情。

 僕は、なんとなく彼女の悩みの正体が分かった気がした。



 カシャーダとミーフレアがある冒険譚を楽しそうに話していた。なんとなく、それを扱ったオペラが講演する予定だったことを話すと、なんとそれを二人で観に行くことになったようだ。

 心配になってミーフレアを伺うが、不安より期待が大きいらしい。目を輝かせていた。相当好きなのだろう。冒険譚が。……カシャーダがじゃない。じゃないと思いたい。


 近頃、自分でも混乱することがある。ミーフレアをカシャーダにまだ渡したくない兄としての気持ち。ミーフレアの成長を喜ぶ気持ち。そして……おそらく、カシャーダを想っているだろうサヤナへの、複雑な感情。サヤナを諦めさせたい。そのためには、ミーフレアとカシャーダが仲良くしていてくれることがありがたい。

 そんなことを思う自分に失望する。妹や親友を厄介払いしようとしているだなんて、心底汚い。

 こんな自分に嫌気がさす。自分で自分に嫌気がさすくらいだから、きっとサヤナに知られればあっという間に距離を取られるに違いない。

 何がしたいのか混乱する。けれど結局のところ、サヤナに好かれたいと、ただそれだけのことなのだろう。


 二人がオペラへ出かけるとき。

 屋敷の人間は共に出かけたり休暇を取っていたりと丁度少なくなる。

 そのとき、サヤナに想いを伝えよう。

 僕はそう決めた。




 ―――


 冷静で居られなかった。

 ここまで自分に堪え性がないとは思っていなかった。


 脳裏に、泣きそうなサヤナの顔がこびりついて、心臓の血を搾り取るように締め付ける。

 

 僕なりに愛情を示そうとした。しかし、それをちらつかせた瞬間、サヤナは目に見えて慌てた。必死で見も知らない誰かと結婚する未来について語られ、サヤナがそこに居る可能性は無いと遠回しに告げられた瞬間、自分の中の何かがぷつりと切れた。


 サヤナは気付いていた。僕がサヤナを密かに想っていたことを。

 気付いていて、応えられないどころかその親友に想いを寄せてしまって、きっと苦しんでいたことだろう。悩みも何も、僕の気持ちこそサヤナを苦しめる悩みの一つであったのだ。

 言えないに決まっている。

 サヤナがどこまで気付いていたのかは分からない。ただ、僕はもう何もかもどうでも良くなって、自分の汚い部分を思う様吐き出した。サヤナの気持ちに気付いていたこと。その上でカシャーダとミーフレアの仲を取り持とうとしたこと。二人の仲の良さに傷つくサヤナの、その弱っている心に付け込もうとしたこと。妹を思う兄でも優しい雇い主でもなく、単なるサヤナを欲しがる醜い男に過ぎないことを吐き出した。

 それを聞くサヤナは青ざめて、酷く震えて。あの時の自分の心の奥底にあった嗜虐心を煽った。確かに傷つくサヤナを辛く思っていた筈なのに、同時に、サヤナを自分の言葉で傷つけることが出来たことに満足すらしていたのだ。


 そして、彼女の服から、ひらりと辞職を願う旨の書かれた手紙が出てきた瞬間、僕は完全に我を失った。

 丁寧な字体で書かれたそれを勢いよく破り捨て、彼女の耳に囁いた。

「ミーフレアを捨てるのか」と。

 サヤナにとってそれは、最も心に響く言葉だったことだろう。

 もう自分は彼女にとって屋敷に繫ぎ止める鎖にはなり得ない。だから、僕は妹を使った。あの無垢で不安定な存在を、優しいサヤナは見捨てることなど出来ない。妹のため、屋敷のためと繰り返し繰り返し、決して逃げ出さないようにその耳に毒を流し込んだ。


 僕はその時点で、兄としての資格も失った。



 後悔は絶えない。けれど、もう良い。

 カシャーダとミーフレアが仲睦まじくする様を、じっと見ていれば良い。屋敷に縛り付けられ苦しみながら、僕の側に居れば良い。

 サヤナが幸せになる事は、彼らが幸せである限りあり得ないのだから。


 無意識に握り込んでいた拳を開くと、真っ赤な雫が一筋落ちた。




闇落ちしました

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