② 現状打破
②です
アスタリド氏ひとりごつ
近頃、サヤナの様子がおかしい。
時々ふっと物憂げな表情になり、考え事をすることが増えた。時には、溜息すらついている。
僕はそんな様子を見かける度、声をかけたい思いと躊躇う思いに困ることになった。
雇い主が使用人の私的な問題に無闇に踏み込んでも良いものか。それは、自発的なものでなく、命令になってやしないか。
そもそも、ほとんど他人でしかない今の僕にはまだ彼女を気遣うための理由がない。
彼女は僕のからかいにはっきりと言い返す芯の強さを持っているが、同時に心を押し隠すような無用な強さ……いや、弱さを持っている。
彼女のそういうところは、妹とよく似ている。
そう、妹だ。妹の問題がある。
妹の件を解決するまでは、僕は自分の欲のまま行動する訳には行かない。そうしてしまえば、歪にねじれて皆が不幸になってしまう。それだけは避けねばならない。慎重に、慎重に進まなければ。
僕と妹の仲は、他人からすると一種異様なほど良好だ。その自覚はある。妹は僕に心を明け渡している節があるし、僕も妹を支えることで自分を保っていた。
けれど、このままでは駄目だろう。
僕は良い。仮に信用出来る人間が居なかったとしても、要領は良い方だと自負している。妹が居なくとも何とか生きて行けるだろう。
けれど妹は違う。酷く不器用で、人に頼らねば生きていけないのに、人に頼ることがどうしても出来ない。僕がいなくなれば、どうなってしまうか。そんな不安定な状態の妹をこのままでいさせても、幸福は訪れないだろう。
僕は妹に幸福というものを知って欲しい。友人がいる喜び、趣味を楽しむ心の余裕。恋人と過ごす時間の美しさ。そうした周りにごくありふれている幸せというものを、きちんと知って欲しい。
そして、傷ついて欲しい。転んで、思い切り泣いて、そうして立ち直る強さを身につけて欲しい。怖がることを、恐れないで欲しいのだ。
多分、今まで僕が妹に与えて来たものは、優しさでも思い遣りでもなく、単なる鎖なのだろう。僕の為に生きる妹に、どこかで虚ろな満足を覚えていた。
それは、彼女にとってあまりに残酷な行為だ。あまりに無自覚で無責任な罪だ。
僕は自分のして来たことの責任を取らねばならない。僕から彼女を自立させなければならない。
彼女から奪うばかりだった僕の、唯一与えられるプレゼントが彼女に自由を渡すことだろう。いや、それすら与えているわけではないかもしれない。ただ、返すだけだ。
僕は身勝手だ。分かっている。身勝手と知った上で、それでも僕なりに筋を通し、思うがままに生きることにした。考えこんで鬱々としているより行動する方が余程良い。
そうして、もし、受け入れてくれるならば……。
……いや。今考えるべきは、とにかく妹だ。
自分の手を離れると思うと寂しくも思うが、事態が徐々に好転している今、明るくなって来た妹を思うと、僕にはこれが正解のように感じた。
サヤナには感謝してもしきれない。使用人であるが為、妹と侍女の間には主従関係という越えられない壁があった。彼女が誰に仕えるわけでもなく、ただ仕事として働いているということで、使用人と主人とはまた違った形の関係が生まれている。妹は、彼女に段々と笑みを見せるようになっていた。
願わくは、このまま彼女と妹が友人になってくれればと。それを願うのは少し我儘が過ぎるだろうか。サヤナには随分負担をかけていると思う。誰かの大切な存在となることは、同時にその人間の心の一部を背負うということでもある。特に妹はその数が少ない分、一人に捧ぐ想いがとても重たいのだと思う。家族の僕とは違って、彼女には少し辛いかもしれない。
やはり、もっと交友関係を広げさせた方がいいのだろう。
サヤナが頑張ってくれている間に、なるべく早く、妹が信用出来るような人間を探さなければ。
とは言え、僕自身が心から信用している人間も中々少ない。手始めに、数少ない友人を招いて様子を見よう。
「……カシャーダ。確か、妹に会ってみたいと言っていたよね」
僕の言葉に、友人は目を見開いてわざとらしく驚いた。
「なんだ、ついに掌中の珠にお目にかかれる時が来たのか?噂じゃ随分愛らしいようじゃないか」
「やらないよ」
しまった。つい反射的に言ってしまった。いや、しかし、いくら将来的にそういう相手が出来るとは言え、妹にはまだ早い。……僕の心の準備も出来ていない。カシャーダは友人としては良い奴だが、妹の結婚相手としてはどうだろう……辞めよう、あまり考えると精神衛生上良くない。
カシャーダは、そんな僕の葛藤などお構いなしに、だよなぁと頷く。
「なんだったか……シスターコンプレックス?そんだけ過保護でよく嫌われないな。俺なんかもう末の妹に雑に扱われてるぞ」
「妹は天の使いかと思うほど心優しいからね。そういう意味では変わっている子だよ」
「……うん…………。……お前、結婚できるのか?」
酷く心配そうに問われ、僕は少し黙る。その沈黙をどうやら誤解したらしく、カシャーダはさらに心配そうな顔になった。
「少しは女に目を向けろよ。お前顔は良いんだから、妹のことさえ黙っていればお嬢さん方にも随分人気じゃないか。まさか初恋もまだとは言わないよな?あんだけお嬢さんが寄って来るんだ、一人ぐらいは妹を優先しようがお前が好きだと言ってくる人も居るかもしれないぞ?」
初恋。今思えば、あれが初恋だったのかもしれない。
「……僕の顔や雰囲気を目当てに寄ってくる女性たちの中に、僕との結婚を本気で考えている人は多分居ないんじゃないかな。せいぜい火遊びの相手としか思われていないさ」
軽く肩をすくめる。正直、あのご令嬢方にどう思われようが大して気にならない。興味がない。薄情だと言われようがこれが事実だ。火遊びで身を滅ぼす気などさらさら無い。もし遊ぶとしたら、お金を払って完全に後腐れのない関係を結ぶ方が余程堅実だと思う。
「いよいよもって危ないな。そもそも、出来る出来ないじゃなく、結婚する気はあるのか?」
「あるよ」
きっぱりと言う。カシャーダは意外そうに眉をあげた。
「へぇ?なんだ、相手が居るような口ぶりだな」
「まあね、……相手が了承してくれるとは限らないけど」
「お前を断る奴が居るのか。……おい、流石に妹とは言わないよな」
「妹は妹だ」
「まさか、男か」
「僕をどんな目で見てるの。……普通の、……いや、魅力的な女性だよ」
ぱちぱちと数度瞬きして、友人はにやりと笑んだ。
「ほお、妹第一で寄ってくるお嬢さん方に目もくれないお前が、そこまで言う相手か。是非見てみたい」
「まだ駄目。気持ちすら伝えていないからね」
「ほほう、お前も案外奥手なんだな」
「……はいはい、それで良いよもう。とにかく、今週末あたり屋敷に招くから。妹を怖がらせたら二度と会わせないからね」
はいよ、と軽い返事をして未だにやつく友人に、僕は話したことを後悔した。しかし、その笑みにはどこか安堵があって、本当に心配をかけていたようだと少し申し訳なくも、ほんの少し嬉しくもあった。
妹に友人を招くと伝えた瞬間、その表情がぴしりと固まった。
「ミーフレアにも、挨拶だけでもして貰いたいんだ。多く話す必要はない、ただ一言、今日はとだけでも」
「坊っちゃま」
サヤナが慌てたような声を出すが、それを目で止める。普段侍女と接しているぶん侍女であるサヤナへ挨拶をすることはそれ程難しいことではなかった。しかし、僕の友人は男で、初対面。妹の恐怖は計り知れない。
ここが正念場だ。今甘やかしてはいけない。ここを乗り越えることが、妹のその後の人生に関わる大きな進歩となる。
「ミーフレア。大切な友人なんだ。とても良い奴だから、君にも会って貰いたい」
甘やかすような声で、それでもきっぱりと言う僕の意思の硬さは伝わったらしい。妹は震える唇を噛み締め、それでも、微かに頷いた。
僕は知らず詰めていた息をゆっくり吐き出す。まずは一歩。
以前のミーフレアならば、決して首を縦には振らなかっただろう。僕に申し訳なくは思いつつ、勇気を出す勇気が出ないまま追い詰められてしまっていたかもしれない。
ミーフレアは良い方向に変わっている。間違いなく、サヤナのお陰だ。
それが嬉しくもあり、寂しくもあり、せつなくもある。変われることへの喜び、変わってしまうことへの恐れ、自分への、無力感。
一言ではなかなか言い表せない感情が喉元まで迫り上がるのを、ハーブティーで飲み下した。
今日は朝から妹の顔色が悪い。
僕の後ろをついて離れず、小さく僕の服の端を握ったままでいる。
……やっぱり会わせるのはやめようか。こんな妹を見たらカシャーダなんて一目で惚れてしまうだろう。
側で見ているサヤナがその可愛さに密かに悶え震えているのを見た。そうだろうそうだろう。僕の妹は可愛らしいだろう。
それにしても、可愛らしさに耐えるように震える女性というのも、これまた違った愛らしさがあると思う。無性に抱き締めたくなったが、どう取り繕っても言い訳出来ず不審者扱いされそうなので控えておく。
窓を見ると、馬車が近づいて来ていた。家紋からして、カシャーダが着いたのだろう。
「ミーフレア、もう直ぐ着くようだよ」
呼びかけると、僕の服の裾を掴む指に力がこもった。
「……落ち着いて。大丈夫。僕が居る。それに、サヤナも。カシャーダはミーフレアが嫌がることはしない。約束するよ」
頭を撫でると、ミーフレアは小さく頷いた。
ミーフレアも、どこかで変わらなければいけないと分かっているのかもしれない。怯えながらも、また一歩踏み出そうとするその背中を支えながら、僕は一つの別れの時を、ぼんやりと感じていた。
カシャーダとミーフレアの対面は、ごく僅かな時間だった。ミーフレアは震えながらも、確かに挨拶をすることが出来た。カシャーダは察しがいい。それだけで、この挨拶が妹にとってどれだけ勇気がいることだったのか伝わったようだ。軽く僕に視線を投げた後、優しく丁寧に挨拶を返した。ミーフレアは、勇気が報われたことにとても感動したようだった。初対面にも関わらず、カシャーダに柔らかな笑顔を贈ったのだ。
そのことは、僕やサヤナなど、見ていた屋敷の者全てに衝撃を与えた。
その後、サヤナがミーフレアの緊張の糸が切れかかっているのを感じ、倒れそうになるのをそうと気づかれないように支えた。そして、この後の用事について告げ、さりげなくその場を辞してくれた。彼女は侍女の能がないと言っていたが、こういうところを見ると、むしろ人を補助することに向いているのではないかと思う。確かに彼女の言う通り、一つ所に留まり続けることは苦手なのだろうけれど。
サヤナは自由だ。自分の意志で居場所を定め、自分の力で周りの信用を手に入れる。この屋敷でも、初めは孤立しがちだったが今では皆が彼女を信頼している。彼女のそんな面は素直に尊敬出来る。しかし、同時に僕に言いようのない焦燥をもたらす。今はこの屋敷に雇われることを受け入れているが、彼女はここに留まっている必要はないのだ。
サヤナは自立している。と、同時に自立するしかない。頼れる人間は、家族と決別した時点で居なくなってしまった。誰かを頼ることのない彼女は、妹の例にあるように、誰かに頼らせることはとても上手い。それは、もしかするととても歪なことなのではないかと時々酷く不安になる。この屋敷が、彼女の頼れる場所となると良い。そう思うが、今の状況を見る限りそれは無理なのではないかと思う。彼女は心を許しているが、決して心を預けない。
ミーフレアと似ているようで、その姿勢は真逆だ。実のところ僕は、勇気さえ出せれば良い方向へ向かいそうなミーフレア以上に、サヤナを案じていた。少なくとも妹一人を幸せにさえ出来ない今の僕には無理だが、ミーフレアを無事に外の世界へ連れ出せたら、僕は彼女の支えになる努力をしたいと思っていた。
改めて考えて、僕は混乱してきた。ずっと妹のためだと思って行動していたつもりだったが、実はサヤナのための行動だったのかもしれない。そんな自分に、少なからずショックを受ける。
「坊っちゃま……何か、ございました?」
その声に意識を呼び戻され、思考の世界から抜け出した。考えこむ僕を、サヤナが心配そうに見ている。
「ああ、…………いや、何でもないよ」
サヤナの顔を見て、僕は考えを改めた。妹のことを考えてにしろ、サヤナのことを考えてにしろ、結局のところ、行動したのは自分のためだ。自分が妹を、そしてサヤナを幸せにしたいと思ったから。その事実に変わりはない。ならば、僕がすることも変わらない。
決意を隠して笑いかけると、サヤナは更に心配そうな顔になる。この子は、人が何か隠しているのを見抜くのが得意だ。
けれど、まだ、隠す。
妹が明るい外の世界で、柔らかく幸せな笑顔を見せてくれる、その日までは。




