第九幕 風の流れ
ふわ~。乗馬って、こんなに疲れるもんなんだね~。
もう膝にも腰にも力が入らない上にあちこち痛いよ。こりゃ乗馬を模したダイエット器具が出るのも当たり前だね。芝生の上の大の字に寝っころがって荒く息をしてる自分が情けなかった。これでも一応バンドのメインボーカルだからそれなりに鍛えてるつもりだったんだけど、中学から今まで帰宅部なのが響いてるのかなあ。
「その日に筋肉痛が来るの、若い証拠」
ついさっきまで私をしごいていた鬼教官はしゃがんで、私の顔を覗き込んだ。
「だって、陽子さん容赦ないんだもん」
「社長が今日中に乗れるようにって」
「そんなの無理だよ~。午前中目一杯かかって、やっと『並足』での『まきのり』じゃん」
あ、「並足」は人で言うと普通に歩くこと。「まきのり」ってのは、乗馬用の丸い馬場を柵に沿って時計回りに回っている途中で、柵から離れて小さく円を描いて回り、又柵沿いに戻って時計回りに乗ること。柵沿いに戻った時に逆に回りするのは、「はんまき」って言うんだって。
「大したものよ。馬に跨るだけで一日かかる人も居る」
「教える人がうまいから」
陽子さんもまんざらでもない顔をしたけど、私の視線から顔を背けてなんだか複雑な表情。顔を傾げて、何を考えていてるのか、うかがってみた。
「言うことが、社長と一緒。やっぱり貴女たち親戚」
照れくさそうに言う陽子さんが可愛かった。
そこへ足元から小菅さんの声が聞こえる。いつの間にか近くまで来てたんだね。
私は慌てて座り直した。
その様子をまるで愛でるかのように後ろ手を組んで見ていた小菅さんの言葉は、私にとってはイタズラ好きな妖精の伝言に聞こえた。
「春日様。桐生様からお電話がございました。日常業務は藤谷様にお任せになるそうで、こちらで十分小鳥遊様の訓練をお願いします、とのことでございます」
「うげぇ~」
な、なんてことを、桐生さん。昼過ぎまでには帰れるかなと思ってたのに、これで晩御飯まで帰れなくなっちゃった。こういうのを「小さな親切、大きなお世話」って言うんだよ。折角牧場に来ているから堪能させてあげようって気持ちはありがたいんだけど。
「じゃあ、今日中に『速足』で、『はんまき』までできるようにがんばろうか」
いや、もう勘弁してください。
陽子さんの何とも言えない嬉しそうな表情が怖かった。この人絶対本質はSだよ。
太陽が一日の勤めを終えて、西の空へ差し掛かる頃。
私も義務とも責任とも言えない「乗馬訓練」を終えて、牧場への道を陽子さんの背中を追いかけながら歩いていた。前を行く背中と横顔夕日を浴びて真っ赤に染まり、左に視線を向けて牧場を眺め降ろす。吹き上げるそよ風に短い髪をなぶらせて歩くその様子は、まるで詩に歌われるどこか遠い国のヒロインのようだった。
でも、ついさっきまではヒロインというより、ヒールだったんだけどね。ホント「訓練」ですよ、「体験」じゃなくて。昼からの陽子さんの懇切丁寧な指導の下、私は「はんまき」までは何とかこなせるようになった。
「速足」、人間で言う「速歩」まではできたけど、お馬さんを制御不能です。あの速さじゃ。むしろ一日で「速足」まで出来るようになったことを褒めてもらいたいんだけど、陽子さんはちょっと不満そう。多分、お兄ちゃんの言った「今日一日で馬に乗れるように」の目標を、相当高いレベルに置いてたのかな。
うーん、桐生さんの言ってた意味がなんとなくわかった気がするなあ。ひょっとしてお兄ちゃんも陽子さんに指導してもらって、一日で「速足」で「はんまき」まで辿り着いたんじゃないだろうか。
「ねえ、陽子さん」
私たちが進む方向に長く伸びつつある二つの影が、ゆっくりと一塊になる。
陽子さんは機嫌良さそうに、私を待って手を差し出してくれた。私は素直に手を繋いでもらったんだ。手を繋ぐっていいよねえ。なんていうか、温かいんだなあ。
「こんなこと聞くのも変ですけど、陽子さんはどうしてお兄ちゃんの牧場に?」
陽子さんは目を細めると、「さっきの続き?」と笑った。
「私の実家も競走馬の牧場してた。北海道じゃなくて、青森で。その手伝いするつもりで、獣医学部のあるこっちの大学に入った。でも、学校行ってる間にお父さん、牧場潰しちゃった」
おっと、いきなり衝撃発言。言ってる本人はさほどでもないんだろうけれど、聞いてる方からするとびっくりするよ。
「別にお父さんが悪い訳じゃない。長引く不況が原因。でも私は行き場を失くした」
あ、お父さんお母さんは青森で元気にやってる。自分たちの食べて行く分くらいの田畑は持ってるから。と陽子さんは補足してくれた。あー、びっくりした。失礼な話だけど、それで一家離散とか、そういう方向に話が転がるのかなって思っちゃったよ。ワイドショーの見すぎかな。
「私はお父さんの紹介と獣医学部出身っていう経歴を買われて、こっちの大手の牧場に一旦は就職。でも実家のゴタゴタのせいもあって肝心の獣医師国家試験は不合格だった。それで期待されてた働きもね。で育成の方に回ったの」
あんまり苦労を表に出さないタイプなんだね、陽子さん。ホント損するタイプだなあ。
「でも私は人より馬の気持ちの方がわかるから、どっちかって言うとその方が楽だった」
「馬の気持ち、ですか」
「うん。これはでもちょっと説明しづらい」
陽子さんの表情は太陽の作る影に隠れてよく見えなかったけど、きっと寂しそうなんじゃないかなあ。
「大きな牧場は常に結果を求められる進学校。出来のいい仔はそのままエリートコース。駄目な仔はそこそこのコース。でも、私は思ってた。どんな仔にも長所と短所がある。その仔毎に合わせた育成、調教ができれば、もっと違う結果が出るんじゃないか」
「それでそれで」
「ある日、勤めてた牧場の場長に呼び出された。『面接を受けてみる気はないか』って。今度新しくできる牧場で、獣医学を専門に学んで、できるだけ馬の生態に詳しくて、しかも若い女性が良いなんてムシのいい条件で求人を出してるところがあるって。その牧場のオーナーが、牧場長の古い知り合いで断れなかったみたい。それと私、この調子だからあんまり勤めてた牧場に馴染んでいたとも言えなかったし、厄介払いの意味もあったのかもしれないって、今なら思う」
私は珍しく長い文章を話す陽子さん言葉に聞き入った。
「で、この牧場に面接に来た。まだこんなに施設も整ってなくて、馬もいなくて、あったのは事務所だけ。ただ、勤めてた牧場以上に広く確保されてる土地にどれだけの夢を描くんだろうって期待感があったのは良く覚えてる」
陽子さんはもう一度牧場を眺め下ろした。そこには、陽子さんが見た夢のとおりの絵が描かれているのかな。
「事務所の入り口をくぐったら、作業服姿の胡散臭い若い男の人が二人いた。二人とも無精髭伸ばして、泥だらけの格好で喧嘩しながら牧場の模型作ってた。三十分程も入り口に立ってたかな。やたらと鉢巻の似合う大柄な男の人が、ようやくこっちに気付いてくれて。初めてその時勤めてた牧場の名前を告げて挨拶した。そしたら、その不精髭の人が鉢巻を取りながら、『ああ、話は聞いてます。春日陽子さんですね。わざわざありがとうございます。私が社長を務めさせていただいてます、村上藤哉です』って。手を差し出して、握手を交わした」
陽子さんはだんだんと青に染まっていく空を見上げて言葉を続けた。
「それから、手近の椅子を集めて、私を社長と場長が面接。履歴書渡して、当たり障りのない質問受けて答えてたら、社長がいきなり『陽子さんはお酒は飲めますか?』って。訳もわからないままに、『はい』って答えたら、場長が奥から一升瓶とコップを三つ持ってきた」
「お酒?」
私の言葉に促され陽子さんは、一言をかみ締めるように続ける。
「社長言った『履歴書は仕事しない。資格も同じ。仕事をするのは人。人を理解するには語り合うのが一番。語り合う潤滑油には酒が一番』って。お昼過ぎにたずねて、そのまま次の日の朝が来るまでずーっと、私が思ってたことを全部、飲みながら話した。私が何か言いかけたら、社長と場長が議論始めて、どっちかを選ぶみたいな感じ。だから私あんまりしゃべらずに済んだ。太陽が顔を出した頃、社長、『採用させていただきます』って」
「言って寝たんですか?」
私は昨日の夜の様子を思い出しながら、陽子さんの戸惑いと期待感が想像できた。
「ううん。そのまま作業続行した。私は二人に一礼して、事務所を出ると、勤めてた牧場に辞表出して次の日からこの牧場で働き出した。自分の『夢』を追いかけるために」
うっわー。いくら実家の牧場がつぶれたって言う背景があったにしても、すっごい行動力。見た目と中身は違うなあ。お兄ちゃんもびっくりしただろうな。
「社長と牧場長は、私の意見を最大限取り入れてくれた。現場は実践。教科書は理想って言うことを理解している人たちだから、私の理想を現実に落として牧場はどんどん形になっていった」
「もし、間違っていたら」
「『その時に直せばいい。夢は終わらない。あきらめない限り』それが社長の方針」
ねえ、お兄ちゃん。
一つの夢を手に入れるために、必要なものって何なんだろう。努力して手に入るものなのかな。偶然に頼るしかないものなのかな。私は必然だと信じたいよ。
同じ夢を追いかける人がたくさん集まれば、その夢を実現できる確率って大きくなるのかな。
私は一人で頑張るより、一緒に頑張ってくれる仲間が居た方がいいなあ。
お兄ちゃん。
私にはまだまだわからないことが一杯あるよ。
「さ。彩夏ちゃん。もうすぐ牧場。今日は楓さん、『とんかつ』って言ってたから、一杯食べて体力回復」
陽子さんの顔は清清しさに満ちていた。私たちは夕日を背中に受けて青く染まっていく道をゆっくりと下っていく。一歩ずつ。
「お。えらい仲良うなって帰ってきたな」
もう食卓について桐生さんと差し向かいで話し込んでたお兄ちゃんが、肩組んで食堂に入った私たちを見て笑顔で言った。
仲良くなったように見えます?情けないことに牧場の入り口くぐった辺りで私が腰砕けて、陽子さんに肩貸してもらってるだけなんだけどね。説明する気力もないや。でも確かに仲良くはなれたと思うなあ。陽子さんは、そのまま私をお兄ちゃんの隣にあつらえられた私の席にまで連れて行ってくれた。
「鬼教官にしごかれて、仲良くなるって彩夏はん、ドMでっか?」
私の前に座ってる藤谷君が、ふざけて言ったんだけども、私は苦笑いを返すのが精一杯。
次の瞬間、乾いた音がみんなの耳に届いた。
「余計なことは言わない」
陽子さんが頭を撫でる藤谷君の後ろを通り過ぎて、自分の席に座る。
その様子を見てた奥の方の高山さん親子、純子さん、サクラさんが大笑い。
「口は災いの元」と桐生さんの口が動いたのを私は見逃さなかったよ。
「ごめんねー。遅かったから先に用意しちゃってたよ」
調理場の奥から楓さんの声がする。
「さあ、今日のとんかつはとんかつでも特製のねぎ塩巻きとんかつさ。さ、みんな配膳を手伝って。今日のご飯は明日の活力。食って寝る人は寝る。仕事する人は仕事する」
楓さんの声にしたがって、みんなが席を立って各々自分の分の食事を取りにいく。
みんなが着席し終わると、お兄ちゃんが、「それではみなさん。手を合わせて、いただきます」だって。まるで小学校の給食みたい。
「いただきます」
みんなもそれが恒例なのか、それを合図に食事が始まった。
「彩夏。今日はどこまでいけた?」
お兄ちゃんが、大き目のとんかつを頬張りながら言う。お行儀悪いんだ。
「えっと、『速足もどき』の『はんまき』まで、かな」
「ほぉ。一日で大したもんやね。十分胸張ってもええと思うよ」
「でも陽子さんはなんか不満げだったけど」私が冗談めかして言うと、お兄ちゃんは口の中で軽く笑い「彼女は完璧主義者だからなあ」。昔を思い出すかのように遠い目をして、お箸を持った手で後ろ頭を掻いた。
「とんかつと言えば」
姿勢を正して、お行儀よく食事していた桐生さんが、唐突に言った。
「学食の二百五十円のカツカレーを思い出さんへんか」
「おぉ。あの普通のカレーが二百円でな。結局、あのカツは何やったのかいまもわからん。五十円のカツってなんやねんな」
「あのカツと楓さんのカツを比べるのは失礼やが、懐かしいな」
「思い出したぞ、おっさん。あの時のこと」
「何が」
「俺が食ってたカツカレーに、唐辛子山ほどぶち込んでくれたよなあ」
「あれはお前。お前が辛い分にはどこまでも平気や言うたからやないか」
「それにしても、どこの世界にカレーに唐辛子一瓶ぶち込むアホがおるよ」
「知ってるか。インドにはカレーは存在せえへんそうやぞ」
「知っとるわい。スパイスを使った料理の総称がカレーで、それをある特定の料理の名前と勘違いした西洋人が間違って世界に広めたんやろ。それとこれとどう関係があんねん」
「せやから。あれをカレーと思わずに、レッドチリペッパーが大量に入ったインドの伝統料理と思えばええやろ」
「横文字に言い換えてごまかすな」
「ならば、南蛮胡椒と言うか」
「そう言えば、日本料理には胡椒を使った料理が余りないな」
「そりゃお前、日本にはヨーロッパと違って肉食の文化が余り発達してなかったから、臭み消しの必要がなかったからだろう」
「しかし、中国には胡椒を使った料理があるぞ」
「日本と中国では広さが違う」
「なるほどなあ。いかん、ごまかされるところやった。あの頃の五十円が、どれほど貴重やったか。なけなしの金はたいて買ったカツカレーを実験に使われた俺の悲しみと怒りがわかるか」
「科学は実験と実証の繰り返しで発展するもんや。お前も自分の限界がわかって良かったやろう」
「そんな時に自分の限界を知りとぉはなかったわ」
「ほう。ならばいつなら良かったんかい」
「永遠に知らんでも良かったわ」
「いやそれはお前の人生のために良くないな。人間限界を知らんと無茶をする。よく大学の新歓コンパで急性アルコール中毒でえらい目に遭う子がおるやろ。あんなことになったら、俺はお前のご両親に顔向けがでけん」
「アルコールと唐辛子は違うやろ」
「いや、どちらも嗜好品という点においては変わらん」
あれれ。お兄ちゃん、うまいこと話をすりかえられていってますよ。しかしこの短い間にどれだけの雑学を織り込んでくるかな。しかも二人とも淡々と食事をしながらだし、だんだん声が大きくなってくるけどみんな気にせずに食事を続けてるし。
「いいのよ、彩夏ちゃん。二人して意味不明の会話をするのはいつものことだから。あれであの二人、ストレス解消してるのよ」
とサクラさんがそっと耳打ちしてくれた。
「あ、そうそう。明日は牧場一日体験に決まったから。案内役は純子ちゃんね」
はい?また予定が埋まっちゃいましたか。
「よろしくね、彩夏ちゃん。明日は五時に厩舎事務所集合でよろしく」
サクラさんを挟んで純子さんが元気よく言った。
「五、五時ですか?」
えー、じゃ何時に起きなきゃいけないのかな。お化粧とかしないといけないし。
「あ。身支度は特にいいよ。化粧とかしても作業してる間に流れちゃうし。それにお馬さんに綺麗な顔見せてももったいないでしょ。でも寝不足で機嫌悪かったりするとお馬さんにそれがうつっちゃうから、今日はゆっくり睡眠とってね。作業着はそうだなあ。私のお下がりで悪いけど後で持って来るね」
圧倒されるなあ。この勢いと元気のよさ。
「あ、そうだ。場長。昼夜間放牧の件ってどうなりました?」
「どうなりました?社長」
間にサクラさんと私を挟んだ純子さんの質問を鸚鵡返しでお兄ちゃんに話を振る桐生さん。
「昼夜間放牧には監視カメラの設置が前提という話で終わってましたよね」
前の議論の内容をよく通る声で純子さんに確認する。純子さんはOKの印を笑顔と指で返す。サインを確認したお兄ちゃんは、みんなにも聞こえるように言葉を繋げた。
「昔の知り合いに頼んで、条件指定して全方位カメラと固定カメラと比較してもらってるんですけど、なんせ条件が厳しすぎて。それに設置できたとした場合、光源をどうするかとか、自家発電で電力をまかないきれるかとかいう課題もありますからねえ」
お箸をくわえたままで答えるお兄ちゃん。ご飯食べるの早いねえ。さっきまで桐生さんと議論してたのに、もうおかず一切れとご飯一口しか残ってないよ。
「夜間放牧をする場所を限定」
「それにしても一頭あたりに必要な放牧場は一ヘクタール。その面積は単純に百メートルの二乗。全方位カメラなら放牧場の中心に設置したとして半径五十メートル以上を見通せるカメラがあるかという話になる。固定カメラの場合なら視野角が最大でも百度程度だから、四隅に設置したとしても、カバー範囲の問題がある」
陽子さんの提案の課題を桐生さんが具体的に指摘する。具体的に数値を持ってきて説得力を出す辺りが理系らしいなあ。
「サラブレッドは財産ですからね。例え馬にとって良いことだとわかっていても、なんの保険もかけずに昼夜間放牧には踏み切れません」
お兄ちゃんが最後の一切れとご飯を盛大に掻き込んで、お味噌汁に手をのばした。ご飯の最後に汁物を頂く癖、昔から変わらないねえ。
「コンビニなんかによくあるように、偽装カメラを設置するってのはどうですか?」
今度はサクラさん。
「外部からの侵入者に対する抑止力にはなるだろうが、牧場内のサラブレッドに起因する事故の場合は対応できない」
桐生さん、今度は心理的な側面からの回答だね。涼しい顔して表情一つ変えてないってことは、多分とっくに検討してたんだろうね。
「誰かが一晩中起きて待機しておくとか」
「毎日一人が徹夜するとしても現状の業務を残りの人数で回せない」
高山さんの発言も軽く一蹴。
なんかありとあらゆる代替手段について検討済みって感じ。この人の頭の中は一体どうなっているんだろう。それにしてもみんな慣れてるから平気なのかもしれないけれど、知らない人が聞いたらこの口調は、ちょっとムッとするだろうなあ。
「何にしても予算との兼ね合いがあるからね」
お兄ちゃんが困ったような笑顔を浮かべて、お箸で空中にお金のマークを描いた。
「社長と場長で裏の湧き水使って自家発電装置作った時みたいに、作っちゃうってのは?」
純子さんが「これならどうだ」みたいな表情で言ったんだけど
「何を?」
と桐生さんに軽く流された。うーん。無意識に敵作っちゃう感じだなあ。もったいない。
「何か機械があって、その動力源をどうするかとかなら得意分野ですけどね。何かを一から考えて作るとなると、開発になっちゃいますからね。それだけで会社が」
お兄ちゃんはごちそうさまをしてから、椅子ごとみんなの方に向き直って言いかけた途中で首を傾げて「ん、ちょっと待てよ」と独り言を言って、考え込みだした。
「社長。なんか思いついたんなら、風呂入ってから相談にのるが」
桐生さんが味噌汁をすすりながら言う。
「ん。ちょっと俺も考えを整理したい。いまは」
「午後七時三十五分」
「じゃ、九時にいつもの部屋で。ちょっと企画を叩いてみる」
「了解」
みんながそのやり取りに注目してる中、二人は同時に食器を片付け席を立ち、肩を並べて食堂から出て行った。
「ホントいいコンビよね、あの二人」
サクラさんが、ご飯を口に運びながら大きなため息をついて言う。
「割り込む余地なしって奴でっか」藤谷君がいやらしい声で言うやいなや、高山さんのデコピンが飛んだ。
「お前はそうだからもてないの」
「デリカシーがないよねえ、藤谷君。人は良いのに」
「KY」
うわ、若手三人から総攻撃だよ。こりゃ流石にかわいそうだけど、でも今の発言は私もちょっといただけなかったから仕方ないかなあ。
「あの二人っていっつもあの調子なんですか?」
ちょっと助け舟がてら、あたしの隣の二人に聞いてみた。
「そうねえ。社長はなんだかんだで出張が多いから二人揃って食事はあんまり見ないけど、二人が居るときは大体いつもあんな感じよ」
「そ。それに場長の愛想なしの回答もね。慣れるまでは時間がかかったけど、慣れたらどうっていうことはないよ。だって、悪気はないし、誰に対してもあんな感じだから。社長に対しては特別だけどね」
そうだよねえ。悪気はないのはわかるんだけど、それにしても言い方がありそうなもんだけど。でも誰に対しても公平だから、反発があんまり出ないんだね。
「彩夏ちゃん。丁寧な口調の場長なんて想像できない。だからあれでいい」
「人間、自然体が一番でっからな」
「お前の場合は自然体過ぎるんだよ」
「ていうか、何にも考えてないだけでしょ」
「自分本位」
うわ、また容赦ない三連弾。サクラさんは面白そうにその様子を見て笑ってる。
「さあさ、無駄話はそれくらいにしな。今はできる範囲でがんばっていくしかないんだからさ。時期が来ればきちんとなるようになってんだよ、なんでもね」
楓さんのその宣言を合図にみんな片付けに入り、三々五々解散していった。さて、私はどうしようかな。お風呂に入ろうか、それとも部屋でのんびりしようか。でも明日五時前起きだから8時間は寝たいもんね。とすると9時前には寝ないと駄目かあ。
仕方ない、お兄ちゃんと桐生さんにお願いして先にお風呂頂こう。
ねえ、お兄ちゃん。彩夏は牧場体験という名の元に労働力に組み入れられた気がするんだけど気のせいかなあ。
ま、適当に風任せで行ってみようか。たまにはそういうのも楽しいよね。きっと。




