西暦二〇三二年 二月十二日 午前十一時:残り四十四時間
ガタン、ダダン。ダタン、ガダン。
規則正しい揺れと音。
ガタン、ダダン。ダタン、ガダン。
それにあわせて、美優の髪が揺れる。
ガタン、ダダン。ダタン、ガダン。
誰もいない車両に、ぽつんと腰掛けた僕ら。
ガタン、ダダン。ダタン、ガダン。
こんなときに出かける人なんていないのか、窓の外を過ぎる景色に人影は見えない。
ガタン、ダダン。ダタン、ガダン。
僕らが向かうのは、僕らの町よりかなり南東の、この辺り唯一の浜辺。夏は海水浴場として賑わいを見せるけど、二月の半ばだと閑古鳥もいいところだろう。
僕らがこんな時期にそんなところに出かけるのは、今朝の思い付きが原因だ。
―――――――――― 午前八時:残り四十七時間 ――――――――――
いつも通り七時半に起床した僕らは、二つ並んだ布団から這い出して朝食を摂る。地球の終わりを宣言した臨時特番以降、テレビは映らない。時折、自動化された天気予報が流れるくらいだ。新聞はおろか、ラジオすら流れることは無い。唯一、暇人たちの集まるインターネットだけは連日盛況のようだけど。
「ねぇ、今日は何して過ごす?」
昨日は結局、本棚から古い本を引っ張り出してきたり、帰り道のレンタルDVD屋さんで失敬してきた(鍵は開いていた上に、きちんとお金を置いてきた)最近の映画を見たりして過ごした。今日は、どうしようか。他に見たい映画はないし、やりたいことも無い。
「……美優は何がしたい?」
問い返してみると、その返答は予想外だったのか、美優が目を丸くして固まる。すぐに、思案顔で箸を止めた。
「そうだねー。うーん、そうだ、死ぬ前にやっておきたいことをやろうか」
「そんなの、あるの?」
僕の問いかけへのいらえは、美優の自慢げな笑顔だった。
「それはもちろん、あるに決まってるよ。今はね、結人と一緒に海に行きたい」
「それって、今思いついたよね」
「あ、ばれた?」
とはいえ、もう二度と行ける事も無い。思い立ったが吉日というわけじゃないけど、行っても損はないかな。
「でもまあ、行ってみようか」
何のためらいも無く言い切った僕に、美優の驚いた視線が突き刺さる。
「ん? どうかした?」
「でも、今二月だよ? しかも、このあたりに海はないし」
「粗浜の方まで行けば、雪は無いんじゃないかな」
「でも、遠くない?」
「日帰りできる距離だよ。泳がないし、あんまり長居すると風邪も引くだろうから」
食べ終わった食器を水につけて、美優に視線で問いかける。行くか、行かないか。
美優の答えは、すぐに決まった。
「じゃあ、十時には出発ね」
―――――――――― 現在:残り四十四時間 ――――――――――
『まもなく、末嶋、末嶋。お降りの際はお忘れ物無いよう……』
アナウンスが流れ、電車が減速する。駅が近づいているのを確認して、美優を揺すった。
「美優、乗り換えだよ」
「ん……あ、うん。分かった」
目を擦って起き上がった美優は一度大きく伸びをすると、大きく揺れたにもかかわらず器用にバランスを取って、扉の方へと歩み寄っていく。それを追って、美優の分も抱えていた鞄を持って立ち上がった。
電車から降りて、別のホームへ移る。開放的な駅の周辺に広がる風景の、雪が占める割合は僕らの町よりも目に見えて少なくなっていて、少しだけ遠くに来たことを改めて実感する。
「あ、ごめん」
「ううん、気にしなくていいよ」
申し訳なさそうな美優に笑いかけて、鞄を手渡す。
「……雪、少ないね」
鞄を肩に掛け直した美優が、周囲を見渡して呟く。その横顔に言い知れぬ何かを感じて、僕は黙り込んだ。
「うらやましいね。私たちの町とは大違い」
「山脈を越えたからだね。僕らの町で雪を降らせて乾いた空気が来てるんだよ」
いらない雑学を披露したところで、電車が来た。停止し、僕らを迎え入れた電車は、寒気と僕らの専用車。遠慮なく誰もいない座席の端に腰掛けて、鞄を抱えた。
海までは、後どのくらいだったっけ。
そんなことを考えていたら、美優はまたしても眠ってしまったらしい。肩に圧し掛かる栗色の髪に苦笑してから、窓の外を流れる景色に目を移した。