第二十九夜 盛夏に銷えざる雪
放課後、掃除を終えたみことは、同じく当番だった純と合流し、連れだって南館の外階段を下りていった。
「文藝部室で何をするの?」
「来てくれれば分かると思います。……あ、でも、みことちゃんはすぐには入らないで、しばらく外で待っててくれませんか」
「うん、いいけど……」
純の意図するところがよく分からぬまま、みことは彼女についていき、クラブハウスの共用廊下に立っていた。純がドアを開けていたので、室内の会話は耳を澄ませば聞き取ることができた。どうやら先客がいるらしい。ていうか、この声は明烏幻ではないか。
会話を聞いている限り、どういうわけか二人は以前からの知り合いらしい。当初は鷲谷直人と純が旧知なのかも、とも思ったが、彼女が途中で「明烏君」と言ったので、その可能性は消えた。
困惑のあまり、みことは制服に汚れがつくのも構わず、壁に身体をぴったり密着させて二人の会話に集中する。時折、フォークソング部員の視線を感じるが、気にしていられない。
その時、不意に会話が途切れ、「みことちゃん」と名前を呼ばれた。このタイミングで入るのか、と思いながらも、みことは一歩踏み出し、戸口に立った。
「え」
明烏幻が驚く。みことは「……どうも」と言うが、これが正しい反応なのか分からぬ。
「……どうして、神子上さんが」
「私が呼んだんです。あ、入ってください」
みことはちゃんと靴をそろえ、部室の入口をくぐった。同時に、かなり重量のある熱気がのしかかる。人間のあらゆる精力を減殺しそうな熱気である。室外の方が涼しいのではないか。
「……あ、暑いね、ここ」
部室の中では、ハンディファンと家庭用の扇風機の中間くらいの規格のものが、頼りない音を立てているが、熱風を運んでいるだけである。
「まだ六月だから要らないと思ってたんですけど、あれ使った方がいいですね」
「あれ?」
純が立ち上がり、文藝部室の隅にある洗濯機大の謎の箱へと歩いていった。箱の上からは太く短いチューブのようなものが一本生えている。
「何それ?」
「業務用のスポットクーラーじゃないかな」
純ではなく明烏幻が答えたので、みことは半瞬、反応に窮した後、「あ、そうなんですか……」と言った。この男との距離感がよく分からない。
しばらく純が箱のスイッチなどを操作していると、不意に唸るような音が鳴り始め、チューブから勢いよく冷風が流れ出てきた。部屋中に沈殿していた空気が一気に動いていく。室内の人間たちは自然とチューブの前に集まった。
「生き返る……」
「倭文川さん、ありがとう」
「いえいえ」
冷風に明烏幻の長髪がなびいて、透き通るような白絹の流れを一層際立たせた。涼しげな光景である。生え際から毛先に至るまで本当に真っ白で、みことは思わず見とれた。明烏幻がその視線に気づく。
「どうかしました?」
「いや、別に」
みことは明烏幻から目を逸らし、そのまま純の方に顔を向けた。
「純ちゃん、どうして今日、私をここに呼んだの?」
「あ、そうですよね。肝心なことを話してませんでした」
室内の暑さもいくぶんかましになったので、三人はテーブルの周りに座り直した。そして純が口を開く。
「まず、明烏君がわざわざ別人の名前を騙ってまで、なぜみことちゃんのことを探っているのか、理由を確かめたかったんです」
「……倭文川さん、気づいてたの?」
「ええ。一昨日、みことちゃんと私が裏門前で話しているところを、監視してましたよね」
明烏幻は「……よく分かったね」と言って頭をかいた。
「最初からみことちゃんが一緒にいたら、明烏君が正直に話してくれないかもしれないので、みことちゃんには外で待ってもらいました」
「ぼ、僕はそんなに信用ないかな……」
「明烏君が信用できないというか……三船さんなら人体実験とかやりかねないじゃないですか」
「ちょ、ちょっと」
聞き捨てならない単語が飛び出したので、みことが慌てて口を挟む。
「人体実験って何?」
「あ、大丈夫です。みことちゃんにそういうことはしないみたいなので」
「……あのさ、純ちゃんも、その……明烏君の仲間なの?」
「はい。陰陽生といって、陰陽師を目指して修行してる身分です。この間なったばかりなんですけどね」
みことは目眩がしそうであった。全く気づかなかった。そういえば、夢で明烏幻が「天蓮寺高校なら、僕が行く必要なくないですか」と言っていたが、あれは天高には既に陰陽生がいるという意味だったのか。
「隠していてごめんなさい。陰陽寮のことは秘密にしないといけないんです」
「いやそんな、謝らなくていいよ。私も、霊感があること言ってなかったし……」
純が「みことちゃんは優しいですね」と言う。そんな大袈裟な。
「あ、でも、私はみことちゃんの監視はしてませんよ。明烏君が天高に入ることも知らされてませんでした」
「うん、それは知ってる。この人の記憶を夢で見せられたし……」
「明烏君、脳のハッキングまでやったんですか?」
純がやや責める口調になる。明烏幻は「必要だったから……」と言い訳がましい。
「……あのさ、秘密にしないといけないのに、ドア開けてていいの? 普通に人とか通ってるけど……」
みことは少し声をひそめて問うた。先程、部屋の外にいた時も室内の会話は聞こえていたし、他の部活動の部員たちも共用廊下を歩いている。
「大丈夫ですよ。外には聞こえません」
「神子上さんにだけは聞こえるんだよね」
明烏幻の言葉に純が頷く。みことは困惑する。
「そんなことできるの?」
「できますよ。みことちゃんは『結界』って知ってますか?」
昨夜、明烏幻との会話で出てきた単語である。バリアみたいな意味だ。
「今、その結界で文藝部室を覆ってるんです」
結界というのは、霊力によって生成されるものらしい。そして、純はこれが得意なのだという。
「でも、私がこの部屋に入る時は何も起きなかったよ?」
「結界の定義は、『ある条件の適用される空間』です。今、この結界には、私と明烏君、そしてみことちゃんだけが入ることができる、という条件が適用されてるんですよ」
「つまり、僕と神子上さんは、倭文川さんからアクセス権を付与されてるということです」
「な、なるほど……」
アクセス権の付与されているみことにとっては、この結界は存在しないも同然だが、一方で付与されていない人間には結界内の会話は聞こえず、立ち入ることもできないという。また純によると、他の文藝部員が今日は来ないことは事前に調べており、誰かが結界に引っかかる恐れは無いらしい。
「……〈神戸の一類〉は、みことちゃんにアクセス権を付与しているんですか?」
「……うん、そうらしい」
純の表情が曇る。
「……明烏君、私も、〈腕〉を捜す任務に参加させてください」
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら、ブクマ、評価、レビューなどで応援いただけると嬉しいです。




