終話笑話
それから1カ月程して、米津が覚醒剤取締法違反で逮捕されたと聞いた。
ミユが警察に提供した情報から密売人を突き上げ捜査し、その中で米津がヒットしたようだ。
米津は芸能人と密売人をつないで、そこから少なくない金を得ていたらしい。
中には、米津が直接、覚醒剤を渡すこともあったというが、芸能事務所の広報担当という役職から、信頼されていたのだろう。
米津を「信書開封」とラベリングしたが、実際は「覚醒剤取締法違反」が正しかった。
大田原社長は損害賠償請求どころか、自分のところのモデルが売れっ子芸人のまっちょフィフティーフィフティーを引きずりこんだ形となり、手の平を返して前澤副社長にすり寄った。
その話がどこでどう転んだのか、大田原の秘蔵っ子のモデルと、前澤が猛プッシュするピン芸人が、異色のグループを組み、大人気となっている。らしい。
俺はテレビを観ないのでよくわからないが、準大手のハウスメーカーのCMソングに起用され、妙に頭に残る「Wara-ii-ya Sore-ii-ya」という二人のフレーズが、コンビニやスーパーで毎日流れている。
大田原の高笑いが裏で聞こえる気がする。
そして、遺影に写ったあの社長の朗らかな笑顔が浮かぶ。
俺の笑いで送り出されたあの社長は、口を大きく開けて笑いながら、大和撫子を見守っているに違いない。
ミユは「ダルク」と呼ばれる、薬物依存症からの回復を目指す施設に行った。
薬物依存症からの回復。
はっきり言って簡単なことではない。
施設に行ったから治ることが約束されるというものではない。
だが、ミユは確実に自分で1歩を前に出した。
それが大事なのだ。
この1歩が尊いのだ。
「覚醒剤やめます。」
「もう二度と使いません。」
「誘惑に負けません。」
「使いたくなったら、子どもの顔を思い浮かべます。」
決意の表情でそう言った奴らがまた捕まって、何度俺の前に来たか。
薬物に対して、精神論で立ち向かってはダメだ。
施設に行く、病院に行く、プログラムを受ける。
行動が大事なのだ。
方法はいくつかある。
地に足を付けた方法がある。
まっちょは地方営業を続けている。
テレビ復帰はしばらくはなさそうだ。
いや、パロ亡き今、まっちょ単体でまた売れる日が来るとは思えなかった。
そもそも、パロとの芸が生まれるまでの何十年も、陽の目を浴びてこなかったのだ。
トークが冴えず、見た目もパッとせず、気もきかない。
そんなまっちょフィフティーフィフティーが売れるわけがない。
事務所では、パロに代わる相方として、「インコの次は亀だ」、「蟹だ」、「アリクイとかおもしろくないっスか」など、冗談か本気かわからない提案がされていた。
「笑い屋さん、まっちょとコンビ組みませんか?」
まっちょの元マネージャーの糸井がそんなことまで言い出した。
眼が本気だ。
冗談じゃない。
言葉どおり裸一貫のオッサンと、何が嬉しくて芸人をやらないといけないんだ。
そこで、俺はある人物をまっちょに引き合わせた。
元「ビーフじゃ~き~」のツッコミの谷中だ。
「ビーフじゃ~き~」はその漫才で俺の腹をよじらせる程の実力を持っていたが、ボケのイワシが芸人を辞めたことで解散となった。
俺が「ビーフじゃ~き~」を解散に追い込んだ、とまでは言えないかもしれないが、そのキッカケにはなったのではないかと責任を感じていた。
谷中は元々イワシに誘われて芸人を始めたこともあって、解散後は事務所を辞めてアルバイト暮らしをしていた。
大先輩のまっちょフィフティーフィフティーを前に、谷中は最初こそ緊張していたものの、「不倫ネタってイジっても大丈夫ですか?」と頼もしい発言をしていた。
そして、俺は二人の伝説のギャグが生まれた瞬間に立ち会うことができて、心底感動した。
まっちょフィフティーフィフティーがボテッと出た下腹をさすりながら、「ワタシ、食べても太らない体質なのよね~」と言うと、谷中が「食べる前からコレステロール」とツッコむというものだ。
俺はこのギャグで息ができなくなるほどに笑った。
何回見ても笑える鉄板のギャグだ。
倍程の年齢差のあるコンビだが、この二人が演芸場を笑いでいっぱいにする光景が浮かぶ。
笑い屋。
というのは、誰かを笑わせるというのではない。
俺が笑うから、笑い屋だ。
生きていれば、嫌なことは山ほどある。
本当に山ほどだ。
いや、もう山単体じゃない。
連なっている。
山脈か。
イヤなこと山脈。
寝床から1ミリだって動きたくないときもある。
車にひかれる方が楽だと思うときさえある。
事故れば行かずにすむ。
心がいっぱいで、大事な人に当たってしまうときもある。
そんな自分も嫌で仕方ない。
いっそラクになりたい。
逃げ出したい。
知らない土地に行きたい。
何もかも投げ出したい。
他人は「逃げるな」と言う。
それって「逃げ」なのか。
自分を守ることじゃないのか。
自分を守ることのどこが逃げなのか。
おもしろいことなんて1つもない。
ワクワクなんてしない。
楽しいことなんて全くない。
自分を作りたくなんてない。
誰かにこびへつらうなんていやだ。
なんであいつのために。
でも言えない。
誰も頼れない。
話を聴いてくれた同僚も、わかってはいない。
俺のこの辛さをわかってはいない。
しんどい。
キツイ。
重い。
足が重い。
心が重い。
あいつの顔が浮かぶ。
心臓がグッと握られたように止まる。
血の気が引く。
何のために俺は生まれてきたんだ?
こんなことのために生きているのか?
人のご機嫌をうかがって。
思ってもいないことを言って。
俺はそんなことのために生きているのか?
笑おう。
この地獄のような世界でも、笑おう。
笑ってみよう。
声を出して。
わっはっはは。
あっはっは。
ひーぃ。
ひゃっはー。
・・・むなしい。
はっはっは。
むなしいよ。
なんにもおかしくないのに笑うんだから。
でも、少しだけ。
少しだけ心が軽くなる。
生きてるよ。
俺、生きてるよ。
はっはっは。
生きてるよ。
はい、もしもし。
笑い屋です。
お電話ありがとうございます。
いつでも、どこでも、笑います。
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