053 帝国の策謀
――いまから約1年前、アルネラ王女誘拐事件から2週間後
――帝国の都ドルドレイ
神聖グラン帝国の宮殿の奥深く、玉座の間には今3人の男がいる。
一人は皇帝ヴァルナード、優れた統治能力を持ちレオニッツ4世の再来と称される男。二人目は帝国の大魔導師ザービアック、先代の皇帝にその魔力と識見をかわれ現在の地位についたまだ若き魔術師。そして三人目は手練の戦士という風格を漂わせた、頬に三日月形の傷を持つ男である。
「任務は無様に失敗したようだな、ベイロン」
ザービアックは冷たい表情を浮かべ、“傷の男”に語りかけた。傷の男は名をベイロンという。帝国の特務機関「黒の手」の隊長であり、帝国の謀略工作を一手に引き受ける闇の存在である。そのため、その存在を知る者は帝国上層部でも極一部に限られている。ザービアックとベイロンは、皇帝ヴァルナードにとって無くてはならない両腕であった。
「黒の手の隊長としては随分な不首尾ではないか」
ザービアックがベイロンを責める。
「面目ないとしか言いようがない。今回の任務は随分と予想外なことが重なってしまったのだ」
「言い訳するつもりか?」
ザービアックが更に詰問しようとした時――
「まあ待て、ザービアック。ベイロンほどの男が失敗したのだ、何か理由があるのだろう。ベイロン、理由を言ってみたまえ」
ヴァルナードが2人の会話に割って入った。他ならぬ主君の言に、ザービアックは控えざるを得ない。
ベイロンはヴァルナードに向き直り、かしこまって説明する。
「アルネラが王都を出る、その機会を狙って近づくまでは順調でした。ところがそこから手違いが生じてしまいました」
「王女の誘拐だな? なぜ誘拐になってしまったのだ。我々の目的は王女を殺すことであったはず。その場で刺し殺してしまえば良かったのだ」
ザービアックは詰るようにベイロンに向かって言い放った。彼は確かにアルネラを「殺せば」良かったと言った。「王女の誘拐」は彼らにとって意図したものではなかったということだ。
「今回の任務は、決して帝国が関わっていることを知られるわけにはいかなかったのだ。だから任務には、“黒の手”の者ではなく、冒険者を使わざわるを得なかった。しかしそれが結局失敗の原因となってしまったのだ。任務の実行の段階で、詳しい事情を知らない冒険者たちが金に目がくらみ、王女を誘拐し身代金を要求しようと図ったらしい。不覚にも私が気づいた時には、シュバルツバルトの近衛騎士団に追いつかれ、王女が逃げ出していた」
ベイロンが淡々と失敗の原因を説明する。そこには自己弁護は感じられず、己の失敗の原因を明らかにしようという誠実さが感じられた。
「協力者の選定に問題があったわけか……。やはり自分の手の者を使った方が良かったのではないか?」
「それだともし敵に捕まった場合、我々の犯行だとバレる可能性がある。今回のような重大な件で、それはまずかろう」
もし王女誘拐、あるいは殺害が帝国の手によって行われたことが明るみに出れば、国際問題となり戦争にまで発展しかねない。ベイロンはそれを恐れ、仮に倒されたり捕まっても良いように、詳しいことは何も教えていない冒険者を使わざるを得なかったのだ。
「ザービアック、もう良い。過ぎたことを追求しても何も生まれん。少なくとも、我々の犯行だということは知られていないのだな?」
ヴァルナードがそうベイロンに助け舟を出した。
「はい、それは確かです。冒険者が何名かやられましたが、絶対に秘密が漏れることはありません」
ベイロンは自信を持ってそう答えた。戦いの中で部下としては唯一副官が一人倒されたが、彼は「黒の手」の掟に従い一切の身元が分からないようにしてある。可哀想なことだが、それだけに信頼できる男だったのだ。
「王国では現在の王が高齢であるため、王位継承問題が起きようとしております。それゆえ、誘拐事件は対立する派閥がやったのではないか、そう考える者もいるでしょう」
ザービアックがベイロンの言を引き継いでそう説明した。確かにゼノビアなど王女派の人間は、心の片隅に王国内の人間がやったことではないかとの疑念を抱いている。そのような疑念によって王国に内部対立が起これば、それはそれで帝国を利することになる。
「しかし、本当に長男のユリウスは廃されるのか?」
ベイロンはそうザービアックに確認した。ザービアックは帝国の「大魔導師」として、あらゆる情報に通じている。ベイロンは彼と必ずしも関係が良いわけではないが、その識見は大いに認めている。
「その可能性は高いな。いまシュバルツバルトの王位継承問題はこのようになっている」
ザービアックは現在の状況をまとめ、紙に書き記した。
長男 ユリウス(22) 強い後ろ盾なし 凡庸
長女 アルネラ(18) ヘルマン伯、近衛騎士など 懸念材料:女子
次男 ルヴィエ(13) 最大派閥のブライスデイル侯など 懸念材料:若年、ブライスデイル侯への反感
現在もっとも有力視されているのは次男のルヴィエである。彼自身の才よりも、大貴族ブライスデイル侯が後見人となっていることが大きい。
ブライスデイル侯の孫娘エリーゼは、すでにルヴィエの妻となることが内々で決まっている。ブライスデイル侯としては外戚として権力を振るうために、婿のルヴィエを強く支持するだろう。彼が支持すれば、彼が押さえている大貴族たちもルヴィエを支持するに違いない。
しかしルヴィエにも泣き所がないわけではない。まず兄弟順が一番低いということ。シュバルツバルトでも、王位の継承はできるだけ長幼の序を考慮した方が良いと考えられている。まだ13才のルヴィエは国王の任にたえないと考える者もいるだろう。
そしてもう一つは、最大派閥のブライスデイル侯には敵も多いということである。反ブライスデイル派の貴族たちが結集すれば、容易ならざる勢力になるかもしれない。
次に有力なのがアルネラである。後ろ盾には王女の従兄にあたるヘルマン伯がつき、国王派の多くの貴族や騎士などもアルネラを支持しているようだ。ただし統制のとれた「ブライスデイル派」に比べ、国王派はまとまりが弱い。それに過去に女王が居なかったわけではないが、やはり女子であるということが最大の弱みであり、国王派の中にもそれを懸念する者は多い。
最後にユリウス。もともと長男として将来が約束されていたはずであるが、能力不足を露呈して古くからの家臣にも見放されている。現在積極的にユリウスを支持しているのは、ユリウスに娘を嫁がせたアルトワ侯の一派、そして幼い時より仕えてきた一部の近臣であるが、ルヴィエやアルネラに比べ支持する貴族は格段に少ない。
「我々にとっては長男ユリウスが王位につくことがベストだったんだがな。そのためにアルネラの暗殺まで試みたわけだが……」
玉座に頬杖をつきながらヴァルナードはそうつぶやいた。




