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少女たち  作者: 永遠栄作
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お守り

鎌倉と言う街は、夕暮れになるとどこか現実から少しだけ切り離されたような静けさに包まれる。

海から吹き上げてくる風はやわらかく、坂道の上に並ぶ家々の屋根をなぞりながら、ゆっくりと空の色を橙に染めていく。

三浦幸子は、その坂の下に立っていた。買い物帰りのエコバッグを両手に下げ、ゆっくりと顔を上げる。視線の先には、家まで続く長い坂道。毎日見ているはずなのに、その急な傾斜にため息がこぼれた。

——どうして、ここに引っ越して来たんだろう。

そんな愚痴が、今日も頭の中に浮かぶ。坂の下に立つたび、まるで習慣のように繰り返される独り言だった。

それでも、帰らないわけにはいかない。幸子は足を一歩前に出し、ゆっくりと坂を上り始めた。

背後には海が広がっている。夕陽を浴びた水面は、細かな光を無数に反射して、まるで宝石を散りばめたようにきらめいていた。その美しさに気づいて立ち止まる余裕も、今日はなかった。

しばらく歩いたところで、膝に鋭い痛みが走った。

「あっ……」

思わず声が漏れる。幸子は足を止め、三日間分の食材が入ったエコバッグを地面に下ろした。じんわりと熱を帯びる膝を、そっと手で押さえる。年齢には抗えないとわかっていても、こうして急に痛みが出ると心細くなる。

そのとき、後ろから慌ただしい足音が近づいてきた。

「おばあちゃん! 大丈夫?」

振り返ると、息を切らした若い男が立っていた。隣のアパートに住んでいる大学生の優也だ。額にうっすら汗を浮かべ、心配そうにこちらを見ている。

「ああ ゆうちゃん……」

幸子は少し安心したように微笑んだ。

「急にね 膝が痛くなっちゃって……」

「それは大変だ 歩けそう?」

優也はすぐに距離を詰め、様子をうかがう。

「ちょっと……手、貸してくれる?」

「うん」

ためらいなく差し出された手は、若くてあたたかかった。 

幸子はその手を握り、ゆっくりと体を起こす。

「よっこいしょ……」

立ち上がると、少しだけ痛みは和らいだ気がした。

「どう? いけそう?」

「うん、なんとか……。ちょっと腕、つかまっていいかな?」

「もちろん」

優也は微笑んで、エコバッグをひょいと持ち上げた。

「ありがとうね」

「いいよ こんなの」

二人は腕を組むようにして、再び坂道を上り始めた。

さっきまで一人で見上げていた坂道が、今は少しだけ短く感じる。

「学校の帰り?」

幸子が尋ねる。

「うん 四講目が休講になっちゃって」

優也はエコバッグの中をちらりと覗き込んだ。

「でもまた ずいぶん買ったね」

「そうなのよ 行ったついでにあれもこれもって思ってたら この坂道のこと忘れて いつも買いすぎちゃうの」

「おばあちゃん 意外と欲張りだね」

「欲張りは昔からだから」

幸子は少し照れたように笑った。

そのとき、優也の目がバッグに付いている古く擦り切れた小さなお守りに留まった。赤色だろうか、色あせてはいるが、大切に扱われているのが分かる。

「これ、いつも付けてるけど……どこのお守り?」

「ああ……それね」

幸子は少しだけ首をかしげた。

「それがね わからないの」

「え? わからないって?」

「物心ついた頃から ずっと持ってるのよ」

優也は目を丸くする。

「へえ……そうなんだ」

それ以上は聞かなかった。けれど、それが、ただのお守りではないことは、なんとなく伝わってきた。

夕陽はさらに傾き、二人の影を長く伸ばしていく。

ゆっくりと、しかし確かに、坂の上へと進んでいく足取り。

腕を組んだままのその後ろ姿は、過去と現在、知らない記憶、その不思議な時間の重なりを感じさせた。この小さなお守りだけが、彼女を静かに見守っているようだった。




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