第31話 否定できない記録
法務卿クラウス・ハイデマンの執務室は、無駄がなかった。
装飾は最低限。
机の上にあるのは、積み上げられた書類と記録簿だけ。
そこに感情の入り込む余地はない。
「――では、確認を始めます」
低く、抑揚のない声が響く。
対象となっているのは、第一王子アルノルト殿下の管轄で行われた、数件の記録修正。
単体で見れば、どれも致命的ではない。
違法と断定するには、弱い。
だが。
「こちらは、修正前の写しです」
書記官リヒャルトが、一枚の紙を差し出す。
「そして、こちらが修正後」
二つの書類が、並べられた。
一見して、大きな差はない。
数値も、表現も、微調整の範囲だ。
第一王子派の官僚の一人が、すぐに口を開く。
「これは整理です。評価を分かりやすくするための――」
「では、質問します」
クラウスが、淡々と遮った。
「なぜ、この修正は“会議開始後”に行われたのですか」
言葉が、止まる。
「継承会議が始まる前には、必要なかった整理が?」
沈黙。
クラウスは、別の資料を取り上げる。
「同様の修正が、三件」
「いずれも、評価に関わる箇所」
「そして、いずれも――第二王子殿下の実績と比較される部分です」
それは、偶然と呼ぶには揃いすぎていた。
第一王子アルノルト殿下は、腕を組んだまま口を開く。
「評価を正確にするためだ」
「曖昧な表現は、誤解を招く」
正論だ。
だが、クラウスは表情を変えない。
「では、なぜ“同様の曖昧さ”を含む他の記録は修正されていない?」
質問は、淡々と、逃げ場なく続く。
「なぜ、比較対象になる部分だけが、整えられている?」
私は、黙ってそのやり取りを見ていた。
ここでは、誰も感情を挟まない。
だからこそ、言葉の重みが違う。
ヴェルナー・シュタインが、静かに呼ばれた。
「あなたは、これらの修正に関与していますか」
彼は、一瞬だけ目を閉じた。
「……はい」
短い答え。
「殿下の指示ですか」
間が、空く。
ほんの数秒。
だが、その沈黙が、すべてを物語る。
「……最終的な判断は、殿下にあります」
それで、十分だった。
クラウスは、静かに頷く。
「記録修正そのものは、違法ではありません」
一同が、息をつく。
だが、続く言葉が、それを切り裂いた。
「しかし」
声は、変わらない。
「継承会議中に、評価に影響する記録を選択的に修正する行為は」
「“評価操作の意図”があったと判断せざるを得ません」
空気が、凍りついた。
断罪ではない。
だが、結論だ。
「これは、記録として残ります」
その一言が、重い。
感情では覆せない。
権威でも消せない。
第一王子は、何も言わなかった。
否定できない記録が、
静かに、積み上がった瞬間だった。
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