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男の娘が魔女になって大変な目に遭う話  作者: クエクト1030
1章 魔女社会というもの
15/16

15話「衝動に抗う」

「はぁ……はあ、は、あ」



 ススピロの料理教室から数日。

 僕は自室のベッドの上で蹲っていた。


 それは発熱していたからで、頭がぼうっとしていたからで。




 僕が今、酷く発情していたから。




 発情と言っても股間が爆発するようなとか、射精のことしか考えられないというような、単純な性欲の増長とは少し違っていた。


 ただひたすらに身体が熱く、何かを求めようとする──いや何かなんて分かりきってる。女性を求めようとしている。それが番うことなのか、あるいは魔女らしく、異性の体液を求めているのかは分からない。


 分かるのは、胸がじんじんと切なくて、苦しくて。理性が失われそうな程に女性という存在全てを求めようとする衝動が熱になって暴走していて。


 瞳からは情けなく涙が溢れて、悲しく寂しい気持ちがだけが、空いた心を悪戯に満たして、余計に心の穴を広げていくという事。



「胸、苦し、い……ぐぅぅ……」



 欲求が心の穴を溶かし広げる程に、胸の痛みは針によって突き刺されているかのように鋭く深いものへと変わり、苦痛にさえなっていった。




 苦痛の中で僕は、「私」の存在を想起する。


 強い衝動という観点で見れば。

 欲求と「私」とでは共通していて、そして僕という理性と争う事は珍しくないから。







 「私」は、物心ついた時にはいつの間にかいた、僕の事だ。

 僕にはこいつの意見が声のように聞こえる。


 思うに、この「私」は二重人格等ではなく、僕自身に初めから存在する倫理、価値観で、本能的なものなんだと思う。


 何故なら「私」が発する意見はあまりにも、衝動的だから。

 常に心のブレーキに足をかけていないと、勝手に走り出してしまう。




 「私」は、クソみたいな善性だ。


 自分を省みる事のない利他的な心。

 誰かを助けるために動く、本能的と言えるまでの衝動。

 踏んでいないのに常にアクセルを踏んでいる欠陥構造。


 自動車に轢かれそうな猫がいたとしよう。

 「私」はそれに気が付いた瞬間、考えるよりも先に足が動いて、そのまま車道に飛び込んでその猫を助けるだろうね。


 例えビニール袋と見間違えたとしても、あるいは子供や大人、老人であろうとも関係ない。


 見ず知らずの人間、動物のために自分の命を簡単に投げ打つだろう。

 そして勘違いだったら、勘違いであった事に思わず安堵してしまう。


 そんなの、人としておかしいだろ。




 僕だって昔は私の言葉に強く同意していた。

 他人を助ける事は良い事なのは、今でも間違っていないとは思うよ。


 勿論、自分が良かれと思ってやった事が当人にしてみれば迷惑だってこともある。それは残念だけど、余計な善意だ。自分の気持ちを良くするために行う事。これで怒られたら、それはしょうがない。


 自己責任で、自分のやり方が悪いってだけだから。




 そんなものよりも僕を苦しめたのは。


 僕や、僕以外でも。

 誰か、他人から施された善行を享受しておきながら、それを当然と感じて感謝もクソもない、人間の存在だった。


 そしてそれは、いつだって自分に近しい人間だった。

 どれだけ努力しようが、助けになろうが。愚痴を聞こうが暴言の吐口になろうが。



『どうでもいいからそんな事。いちいち言わないでくれる?』


『私を手伝うのは当たり前でしょ?誰のおかげでご飯食べられてると思ってるの?』




 あの母親は、僕という存在に感謝することは無かった。




 「僕」と「私」との決裂はそこだった。


 「私」は今でも『まだしてあげれる事があるはず。お母さんは可哀想な人だから、しょうがないんだ』とか考えている。


 あぁそうだ。可哀想な人だよ。そんなの僕だって分かるよ。

 僕のせいでシングルマザーになって金を稼ぐにも苦労してんだから、当然だよ。




 でも、でも。




「それでも少しくらい、僕を愛してくれたって良かったじゃないか」



 顔を埋める枕を濡らしながら、弱音が零れる。




 「犠牲なき献身こそが真の奉仕」


 かの有名な看護師のナイチンゲールが言った言葉。

 現実から逃避するようになった僕が、学校の図書館で知識を貪る中で知った言葉。


 今も、今までも。

 僕はこの言葉を基にして「私」に抗って、自分の事を考えるようにしてきた。


 もう、クソみたいな善性のせいで自分が傷つく事に耐えられないから。







「はは……だとしたら、先輩庇ったのは本当に失敗だったなぁ……」

「心配させて、怒られて……ははは。皆を泣かせて」

「はぁ……はぁ、クソ……」



 劣情を誤魔化すように、想起した私との過去を更に振り返って、心の傷をほじくり返したけど。


 結局大した気付け(・・・)にもならず、余計に苦痛が増すだけだった。


 せめてどちらか一つでも収まってくれれば良かったのに。



「ぐす……」



 どうしてこうなったんだろう。




 確かにここ数ヶ月は訓練で処理する時間もなかったけど、何も問題はなかった。


 女性の海の中には相変わらずいたけど、それも慣れたと思った。

 少なくともこんな爆発するほど意識はしないようになってきた。


 他に心当たり、心当たりは……



「もしかしてあれかな」



 ススピロ先生の料理教室。

 リーベ先輩たちが上手くできずに血を浴びせた食材たちを、僕とススピロはあの後、二人で何とかやっつけていた。そして……それは流れ落としても、高熱で調理しても、僅かに残ってしまったのだろう。


 異性の体液──血液の摂取。


 原因と言えば、それしか思い浮かばない。



「バカだなぁ……あはは」



 思い当たってしまった原因と、間抜けにもそれをきちんと平らげた過去の自分を嘲笑う。


 誰かがいて欲しい。一緒にいて欲しい。自分を知って欲しい、受け止めて欲しい、自分の欲と欲と欲という全てをただ優しく受け止めて欲しい。


 欲望が膨れ上がる。



『でもそんな独りよがりは悪だよ』

「それには……同感」



 相変わらず息は荒く、大量に発汗して、欲求が沸き上がるけど。

 たまたま私と意見が合致したから、僕たちは無限に等しい作業で自分の欲求を殺していく。

 頭の中で浮かび上がる欲望の思考を切り刻み、胸中から湧き出る衝動に重石をかける。


 そうして専念する事でやっと冷静さを取り戻してきた頃、扉から来訪者の知らせが鳴った。



「もしもし、ミコちゃん?その、大丈夫?」



 扉越しに聞こえたのは心配そうなリーベ先輩の声だった。


 誰かしらやってくる事自体は自明の理だった。


 朝からこの状態が起きてたから誰にも知らせるわけにもいかず、僕はずっと閉じこもってたからだ。授業や圏域外派のロビーに顔を出していないんだから、いるとすれば自室くらいだしね。



「だいじょうぶです」


「大丈夫じゃなさそう、だね。苦しそう」

「また熱出たの?」


「あ、あはは……そんな感じです。リーベ先輩には全部お見通しですね」



 扉の前まで足が勝手に動く。


 今すぐにでも扉を開けたい。

 リーベ先輩なら僕のことを受け止めてくれるのだろうか。

 それとも、男の魔女であると知って全てが変わってしまうのだろうか。


 案内人をしていた時、男の人が搾取される様を平然と見ていたから、僕も同じように扱われるかもしれない。

 あるいは、女性に扮していた事に対して嫌悪を示すかもしれない。


 僕のことを好きとか結婚したいって言っていたのは、女性の魔女としての僕の事だろうから。


 魔女の社会で生きていくため、より良い未来の可能性を掴むためには、僕は誰からも理解されてはいけない。それは紛れもない事実だ。


 それでもこの手と足が、扉に近づこうとするから。

 爛れ溶けた理性が、彼女に僕という存在を認知させようと迫るから。




 僕は、自分の足にナイフを突き刺した。




「っ"〜〜!!」


「な、なに今の声?」



 痛い。血が溢れ出る。熱い。

 でもその痛みのお陰で理性が少し戻る。


 先輩の声が聞こえた時、サイドテーブルに置いてあった果物ナイフを手にとって置いてよかった。


 性別隠しの香水は臭いと思うほど、原液を大量に作って部屋中にぶちまけていた。

 それは自分を誤魔化すために無茶苦茶になってばら撒いていたものだったけど……


 その上で、絶対に開けてはいけないという強い直感が僕を襲う。

 後れて、自分がこんな状態なのだから、他人も僕の状態に釣られてしまう可能性が高いという理屈が湧いて出る。


 この時はただの予想だったけど、どうやら予想は当たっていた。

 普通の魔女は、異性の状態に当てられてしまうものらしい。

 もし仮にリーベ先輩をそのまま引き入れていたら、リーベ先輩も当てられていた。


 だから、自傷してでも自分を止める行動は正しかった。



「い、づ、う……」



 次は片手を貫く。

 自傷行為に慣れてるわけがない。何なら初めてだし。

 最初に刺した足の痛みと、見下ろす左手が次の傷への恐怖で震える。


 それでも僕は深々とナイフ突き刺す。



「があああっ……!!ぅ〜〜っっ」


「何、何かあったの!?ミコちゃん!?」


「入って、来ないで!!」



 ドアノブをガチャガチャと回す先輩に、大声で返す。

 僕は人間としても魔女としても欠陥のあるゴミだ。


 でも、それでも。




 大切な人たちの前ではせめて、綺麗な人で在りたい。




「──っ」

「ごめん、ミコちゃん」

「《水の主の鍵ヴァッサー・ハウプト・シュリュッセル》」



 カチャリ、と鍵の開く音がした。


 ははは。そうだよね、先輩はこの学園の中でも指折りの魔女なんだから、僕の部屋の鍵くらい簡単に開けられる、か。



「けほっ、何この匂い、すごい甘い……」

「それ、に……血?ミコちゃん!?」


「来ないでください」



 先輩を拒絶する。僕という害悪に近づいてはいけないから。



「え。で、でも怪我、をして、え」


「扉を閉じて、出て、いって。」

「何も見なかったことに、してください」

「痛くないですから……」


「痛くないわけないでしょ!?さっきの声もその血も、痛くないわけ……!?」


「……」



 あぁ優しい。欲しい。あるいはもう、僕を持っていって欲しい。

 『ダメだ』

 あぁ。それはダメだ。



「《杖よ現れよ》……」


「み、ミコ……ちゃん?」


「それ以上は、どうか来ないでください」

「傷つけるしか、無くなる」



 扉が開いたことで空気が動き、リーベ先輩の香りが鼻腔を掠める。


 その度に身体の疼きが強くなる。

 全身が熱くなり、目が血走り、目の前が一瞬真っ白になって理性が吹き飛びかける。


 『ダメだ』

 そして。その度に私の声がかかる。

 この日ほど私に感謝する日はないと思った。

 心底ムカつく野郎からの正論は痛みよりも簡単な気付けになるから。



「魔女の再誕は知ってます。この程度だったら、数日で治ります」

「放っておいても大丈夫。死にたいからやってるわけじゃない。だから……!」

「出て……っ、行って、ください。お願いですから!」



 再び理性が吹き飛びかけるので、今度はもう片方の足をナイフで突き刺す。


 血がどくどくと流れ出る。血液が身体から消えるのと同時に、熱も少しだけ逃げてくれるような気がして理性の綱引きが辛うじて成立する。


 もし仮に僕の理性が途切れても、両脚が動かなければ何も出来ないだろう。


 僕をあの、何の未来もない場所()から救い出してくれたリーベさんを襲うなんて事は、絶対に嫌だから。


 これでいいんだ。



「そんなの、尚更見過ごせるわけないでしょ!?」

「自分を傷つけるのはやめて!何があったの、何でもいいから話してよ!?私に溢して!辛い気持ちを一人で抱えないでよ!!」



 泣きそうな声で、先輩は一歩。僕へと踏み出る。


 あぁそうだろうな。目の前でそんな事を見せられてじっとしている人じゃない。

 そんな事は僕だって知ってる。



「……ごめんなさい」



 僕は先に謝って。


 一発の魔力弾を撃ち放った。



「っ、舐めないで……!」



 けどリーベ先輩は、ただ魔力の壁を前に展開しただけで完全に防いでしまった。


 魔法の介在しない魔力の弾と壁だったけれど、それは圧倒的な戦力の差を物語っていた。


 魔力量、出力、精度……全てにおける格差。


 あぁそうだ。

 先輩ならススピロの攻撃を、確かに僕ごと庇えたんだ。



「強いなぁ、あはは……」


「私が……私がっ!」

「好きな人が傷ついてるのを、黙って見過ごすと思うの!?」

「バカにしないで!私はっ、家族を、大切な人を守るために!黄昏の位階にまで登り詰めたんだぞ!!」

「私に、救わせてよ!!」



 涙が溢れ出てくる。

 『でもダメだ』

 そう、ダメだ。


 先輩を傷つけないように、でも近づかさせないように。

 全力で、阻止しないといけない。




 キイィィィィィィィィィン……。


 あぁ。


 煩い耳鳴りが聞こえる。



「拘束させて貰うよ《麗しい牢屋ウムアルメン・ゲフェングニス》」

「……え?」



 僕が失敗作と言われた所以、再現性の無いというナニか。


 これはずっと幼い頃に、数回だけ経験した不思議な出来事で。

 僕に与えられた役割、誰かの願いを叶えるという奇跡の発露だった。


 この耳鳴りは三度鳴るまで、あらゆる干渉を遮断した。


 今回も同じなのだろう。僕に向けられた膨大な水の牢獄は僕を捉える事が出来ず、それどころか僕から生じる魔力の波によって蒸発する。



 キイィィィィィィィィィン。



「なんで効かない──そもそも届いてない……?」



 追い出す。


 先輩を、僕という害悪から守るために。



「これが僕に出来る精一杯だから……」



 キイィィィィィィィィィン。



「な、にこの音ッ!?」



 先輩は両耳を覆った。三度目の音になって初めて、他人はこの騒音を聞こえるようになる。


 かつて僕を取り囲み拍手を送っていた人達は、この音を聞いて次々と倒れていったのを思い出す。



「今まではこの音でみんな気絶してたんだけどな……先輩すごいや」

「先輩を部屋から出して、扉を閉める。出来れば頑丈に施錠して……」

「それで終わり。明日にはきっと戻るはずだから」

「今日のこれはきっと、ただの悪い夢……」


「なに、その魔力……!?」




 内から膨大な魔力が溢れ返った。

 僕と私は意識の綱引きをする。


 けれど。


 先輩と僕とを引き離すという利害の一致が起きた以上、僕の意識が勝てるはずがなかった。



 『私が支配し、私が汲み上げ、私が費やし、私が満たす。』


 『いと美しき善性の星を。』



「引力反転」


「っ!」

「──っ、近づけ、ない……!」



 私は、僕と先輩とに働く引力を反転させ、有無を言わさずに先輩を部屋から退出させる。


 そうして追い出してからは、扉そのものに近づく者と反発する魔法を与え、侵入を防ぐ。


 この時、僕も私も失血のせいで意識が朦朧としていたけど、それでも他者を害する欲望に負けてはいけないという想いだけは残り続けていた。



「これで……あとは」

「扉を消し、さ……っ……」



 次に扉が絶対に開かないようにと無我夢中になっていた最中。


 どくどくと流れ出る血液が、限界を告げた。

 あるいは、後に聞いた話からすれば。作業の完了を意味していたのかもしれない。


 身体から力が完全に抜けきって床にバタンと倒れ伏し、白く消えていく視界の中に最後に記憶していたのは、加熱した身体が程よく冷えたような感覚だけで。




 ぷつん、と意識が途切れた。

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