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第32話 家族という名の、新しい安定

 俺たちは、愛の暴走が収束した都を後にし、侯爵家の応接室に戻った。


 リ・ユエは、ソファに座る俺と、膝の上で眠りこけている子供を、静かに見つめていた。彼の表情は、安堵と、そして新たな理解に満ちている。


「システム異常、修正完了。君のプロットは、最も非効率的で、最も効果的な方法で達成されました」


 リ・ユエは、デジタルパッドをテーブルに置いた。今回はマシュマロには変わらなかった。


「ああ。愛は、秒や論理で測れない。毎日、書き換えることでしか維持できないってことが分かったな」


 俺は、眠る子供の髪を撫でた。子供の顔は、もう不安や嫉妬の色はなく、穏やかな寝息を立てている。


「シン・ジエン、一つ、私の解析でわかったことがあります」


 リ・ユエは、俺の隣に座り、俺の肩を抱き寄せた。


「この子は、私たちが『愛は永遠でなければならない』と無意識に恐れていたことから生まれました。世界のシステムは、君が私から離れることを防ぐために、『愛の具現化』という形で、この子を送り込んだのです」


「つまり、俺たちの絆が強すぎた結果、世界が『第三の鎖』を必要としたわけか」


「違います」リ・ユエは静かに首を振った。「第三の鎖ではありません。『愛の進化』です。この子が、私たちが『熱烈な恋人』から『家族』という、より安定した次元へ移行するための触媒だった」


 リ・ユエは、子供の小さな手を優しく握った。その瞳には、かつての狂気的な独占欲とは違う、温かい責任感が宿っている。


「愛は、独占から共有へ。そして、無償の守護へと進化する。私は、君という光と、この子という未来を守る、父親という新たな役割を手に入れました」


 俺は、リ・ユエのその成長に、胸がいっぱいになった。最強の異能者が、最強の愛の論理を手に入れたのだ。


「おかえり、リ・ユエ。俺の最高のパートナー」


 俺は、リ・ユエの頬にキスをした。


 数時間後、リ・ユエは、再びデジタルパッドを起動した。


「シン・ジエン。最後の作業です。私は、世界システムに『最終報告』を提出します」


「ああ。俺たちの愛を、正式なプロットとして承認させろ」


 リ・ユエは、深く息を吸い込み、精神的なインターフェースを開いた。


「我、世界の元柱たるリ・ユエ、報告ス。旧システムのエラー、全て修正完了。愛ハ、永遠デハナイ。愛ハ、毎日選択スル『進化ノ証』デアル。」


 彼の言葉が、応接室の空気を通じて、世界システムの深層に響き渡る。


「世界維持ノ最良ノプロットハ、『家族』。悪役令息シン・ジエン、ソシテ私、リ・ユエ、子ヲ愛スル者ノ絆ヲ、永久ノ論理トセヨ――」


 リ・ユエの言葉が終わった瞬間、応接室に温かい、柔らかな光が満ちた。それは、まるで世界全体からの祝福のようだ。


 そして、俺の脳裏に、世界の創造主の残滓から、最後のメッセージが流れ込んできた。


『家族:不具合デハナク、進化ノ証。承認アプルーブ


 愛は、システムに承認された。俺たちの不完全な愛は、この世界を救ったのだ。


 翌朝。侯爵家のダイニングテーブルでは、三人が朝食を囲んでいた。


 子供は、リ・ユエが焼いた少し焦げたパンケーキを、不満そうに見つめている。


「あのね、パパ。これ、美味しくない」


 リ・ユエは顔色一つ変えず、子供の目線まで体を下げた。


「そうですね。焦げは、論理的な失敗です。しかし、失敗を認め、次を学ぶ勇気は、愛の論理の一部です。だから、食べてください」


「嫌だよ! 論理的じゃないもん!」


 子供はそう言い、リ・ユエが淹れたコーヒーに、泥のように見えるココアパウダーを振りかけた。


「リ・ユエのコーヒーが、泥になったぞ!」


 俺は笑いをこらえられない。


 リ・ユエは、その泥のようなコーヒーを静かに見つめ、そして、迷いなく一口飲んだ。


「…解析結果。味は不快です。しかし、君の愛の表現という価値を加味すると、許容範囲です」


 リ・ユエは、そう言って微笑んだ。その笑顔は、かつての完璧な異能者のそれではなく、泥だらけの愛を受け入れた、一人の温かい父親のものだった。


 俺は、子供とリ・ユエのエラーだらけのやり取りを見て、心から幸福を噛み締めた。


「なあ、リ・ユエ。世界のシステムってやつは、俺たちのことをどう見てるんだろうな」


「計算不能でしょう。…しかし、それでいい」


 リ・ユエは、そう言い、俺の肩を抱き寄せた。


 子供は、二人の姿を見て、満足そうに笑った。


「だって、家族って、エラーだらけで楽しいじゃない!」


 俺たちの愛は、論理もシステムも超え、家族という名の、最も強固で美しいプロットとして、永遠に刻まれた。息苦しくも満たされた日常の中で、悪役令息と最強の異能者の物語は、静かに幕を閉じた。

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