64話 タコさん、天使を殺す
「むー、見えてるのに触れない。魔法を使ってもだめ……うがー!」
タコはラピスに向かって触手を振り続けていた。しかし、未だ成果は出ず、触手は空気をかき回すだけである。
「私ですら『ラピスがいる』という感覚しかありませんから、助言のしようがありませんね……」
『そう言えばタコ様。その、天使の杭とやらはどうして触れたの?』
この時のラピスの声は、オクタヴィアでも聞こえない。必要に応じてタコが通訳していた。
そして、タコもその時のことを思いだそうとするも、残念ながらさっぱり覚えていないのだ。
「うーん、あの時はクロちゃんにあんなことをされた怒りもあって、あんまりよく覚えていないのよねー」
「ふむ、我を忘れるほど精神を集中させればできるのかもしれませんね」
「むー、集中……集中……」
アレサンドラの言うことを試してみようとするが、そんな修行僧のような真似がすぐにできるわけもない。結局、触手はプラプラと行き来するだけである。
「うーん、こんな美少女を前にして何もできないなんて……」
タコはラピスのことをじっと見つめた。
何度も見ているその姿だが、力を得たオクタヴィアの影響により、今では女神のごとき美しいものとなっている。
見れば見るほど、これに触れないということが惜しくなってきた。特にこの大きな胸は……
『えっ!? タコ様! ちょっと!』
ふむ、やはり羨ましい。タコは、未だに自身をペタン娘にしたことを後悔している。まあ、ゲームとは違い下着も脱げる世界なので、温泉などで色々な者から眼福を得ているのだが。
それはそれとして、欲しいものは欲しいのだ。
『タ、タコ様! そ、そこは!? んふっ!』
ううむ、この質感。オクトちゃんにも引けを取らないかもしれない。タコさんも頑張れば今からでも大きくなれるかしら。でも、頑張るって何をすればいいのかしらね……
タコがそんなことを考えていると、ついにラピスがその耳元で怒鳴り声を上げる。
『タコ様! タコ様ってば!』
すると、タコは4本の触手がラピスの胸に巻き付いているのに気づいた。そのせいで胸が強調され、なんだかラピス自身もなまめかしく紅潮している。
誰がこんなことを! けしからん! と思っていると、やっとその触手が自分のものであることを理解した。
「ほえ? あ! さ、触れてる! タコさんやったわ! ……て、ご、ごめんなさいラピスちゃん!」
驚きともに触手を離し、ラピスを開放する。未だ息の荒い彼女へ心配そうに触手を向ければ、その肩をつかむこともできた。
「タコ様……いったい何をしていたのですか?」
さすがに今の話を通訳していなかったタコだが、内容を言うわけにもいかないので笑ってごまかす。オクタヴィアも大体は察しているようなので、若干視線が痛い。
そして、どうやらタコは今の流れでコツを掴んでしまったようだ。集中することで能動的にラピスへ触れるようになっている。
しかも、精霊を捕まえることに関して、筋力はあまり関係しないようだ。近接戦闘系のクラスを取得していないタコでもラピスの腕を触手で掴んでしまえば、彼女はそれから逃れることができない。
「ふっふっふー! 良し! これで完璧だわ!」
とりあえずタコはレインに状況報告のチャットを送った。すると、レインから即座に返事が戻ってきる。
だが、その内容を見たタコは、目を見開くとすぐに転移魔法を使える妖精を呼び寄せることになった。
◆
「馬鹿な、5画となった私が、今更あなたごときに……」
「失礼ですね。タコ様より力を賜った私は、『あなたごとき』には負けません」
大鎌を構えながら、ベロニカはヘプタを挑発する。落ち着いているように見えても、その胸の中は復讐と村を襲おうとしたことに対する怒りで燃えているのだ。
それを感じ取ったのか、ヘプタは翼をはためかせて距離を取る。しかし、彼女とてその心は未だ闘志に燃えていた。
「天使が! 邪悪なるものに負けるなどあってはならないのです! ならば、純粋な力であなたを……」
「させないわ。<魔力最強化・電光>」
ヘプタが魔力を集中させるのをレインが妨害する。そして、ベロニカが飛び上がって大鎌を振るえば、後退の間に合わなかったヘプタの胸部を大きく切り裂いた。
体勢を崩した彼女をさらに大鎌が襲い、今度は左腕が切り飛ばされる。
「そんな……こんな……こんなことがぁ!」
恐らく、ヘプタは負けるという事が初めてだ。今まで圧倒的な力で敵を倒すことしか経験が無い。
だから、今の状況が理解できなかった。自身がこれほどの傷を負うことが許せなかった。傷を癒す集中もままならないようで、未だに左腕が生え変わらない。
そして、そんな隙をベロニカは見逃さなかった。ヘプタの動きを見切って大鎌を振るえば、今度はその左足を切断する。
「ありえない! こんな事はありえない!」
何とか手足を修復し、魔法で光の剣を作り攻撃を再開するヘプタだが、今の彼女は怒りにより攻撃の精細さを失っていた。こうなってはベロニカの一方的な蹂躙である。
しかし、ベロニカもヘプタに止めを刺すことはできない。肉体を完全に壊しては天使だけが逃げてしまう。だから、あくまで肉体の修復にエネルギーを無駄遣いさせる必要があった。
だがその時、ヘプタの瞳に怪しい光が灯る。そして、ベロニカの攻撃に合わせて一歩前へ踏み出した。
「なっ!?」
結果、ベロニカの大鎌は斜めの袈裟切りにヘプタの体を両断してしまう。さらに、その体から天使としてのヘプタが飛び出してきた。それは、そのままベロニカの体に飛び込んで行く。
『いくら肉体が強化されたところで、精神は変わらない! ならば今一度、あなたの心を封印してあげましょう!』
ヘプタは完全にベロニカの肉体へ入り込んだ。後は、得意の精神操作魔法でベロニカの精神を封印していしまえばよい。
精神世界のようなものの中をヘプタが突き進むと、すぐにベロニカの姿をしている精神の核と言うべきものを発見した。
『見つけたぞベロニカ! 今度は永遠に拘束してくれる!』
すぐさまヘプタが精神操作魔法を放つ。それは予定通りの効果を現し、茨のようなものでベロニカの精神を拘束した。これで彼女は動くことが出来ないはずだ。
だが、ベロニカが全身に力を込めると、その体から光がほとばしる。それは拘束した茨を焼き払うと灰だけがぼろぼろと崩れ落ちた。
『今の私は、あの頃の、何もできずに縮こまっていた私ではない! あなたごとき天使が、私の心を奪うことなどできやしない!』
ベロニカはお返しとばかりに拳でヘプタの頬を殴りつける。お互いに精神だけの存在であるため、天使であるヘプタにも攻撃が通用したのだ。
精神に強烈な一撃を喰らい、ヘプタは激痛にのたうち回る。そのままベロニカの体から追い出されてしまった。
『ならば、元の体に……何!?』
仕方なくヘプタは元の体に戻ろうとする。だが、彼女は上半身が抜けたあたりで動くことができなくなった。
それは、タコがヘプタの背後に出現してその体を掴んだからだ。
「ふっふっふー! そうは問屋が卸さんわー!」
タコは触手で思いっきりヘプタを抱きしめて、その動きを拘束する。
そのままタコはベロニカの体からヘプタは引っこ抜くと、少しずつ締め付けを強めていった。
「おーほっほっほ! 我は邪神タコ! 愚かな天使よ、神妙にお縄に付けい!」
『馬鹿な! なぜこの私に触れることができる!? それにこの気配……まさか!?』
ヘプタは今まで生きてきた中で、最大の恐怖を感じている。肉体を持たない状況なのに拘束されるという予想外はもちろんだが、一番の理由は自身の背後にいる者の力を認識したからだ。
この気配は、確実に神。『邪神タコ』という名は聞いていたが、まさか本当に自身が信じる神以外に、このような存在がいるとは思っていなかった。
せいぜい、強力な精霊などが神を自称している程度だと考えていたのだ。
「ひっ! 馬鹿な! なぜだ!? 私の信じる神以外のものが、なぜ存在する!?」
「そんなこと、タコさんが知ったことかー! どちらにせよ、これであなたは終わりよ!」
タコの力により、ヘプタの体にひびが入っていく。さすがに杭のように一瞬で砕くことはできないようだが、それも時間の問題だろう。
しかし、ここにきてヘプタはまだ、諦めていなかった。
「はは……はははははは! だがな、天使を……舐めるな!」
ヘプタは左手を自身の胸に叩きつける。すると、そこから亀裂が入っていき、胸は斜めに真っ二つとなった。それによりタコの拘束が緩んでしまう。
「なんと!? え、ちょっとこれ不味くない!?」
驚くタコををよそに、ヘプタの砕けた半分。頭と左腕だけが飛び出して自身の体に戻った。もう半分は残っているエネルギーがあふれ出しており、今にも爆発しそうな雰囲気である。
そして、肉体に戻ったヘプタが左手を懐に潜り込ませると、そこから大量の杭を取り出した。
「天使たちよ! 我の力を一片でも届けるのだ!」
杭の封印が破れて天使が解き放たれる。さらに、ヘプタは最後の力を振り絞り準備していた魔法を発動した。
それは、もちろん自爆。本来なら肉体の枷を無くして撤退するのが目的の魔法だが、既に天使としての肉体が砕けたヘプタにとっては自殺行為でしかない。
だが、彼女の使命は今までの『回収』で得たエネルギーを、少しでも送り届けることだ。
ヘプタの肉体が爆発を起こすと同時に、タコが握っていた体から大量のエネルギーが噴き出す。
それは、既にいくつもの国や街の人間から吸収したものだ。あまりのエネルギーの大きさに、一体は真っ白な光で埋め尽くされる。
杭から解放された天使たちがそれを受け取ると、送り届ける為に地面へ潜り込んでいった。
「タ……<時間停止>!」
タコはとっさに時間を止める。だが、魔法が発動してから自身の判断ミスに気付いた。
停止した時間の中では天使に触れることができない。魔法で地面を掘り起こすこともできない。しかも、大量のエネルギーにより視界が白に染まっており、四方八方に逃げる天使を補足しきることなどできなったのだ。
時間が動き出してエネルギーの拡散が終わる。すぐさまタコは魔法で一体の地面を陥没させるが、そこにはすでにヘプタも天使も、何も残っていなかった。
「レイン様、お願いがあります」
だが、ベロニカは天使のエネルギーが放出される中、一つの転移魔法が発動しているのを感じ取っていた。
◆
一方その頃、村人たちはオクタヴィアや人狼の指示により、全員が教会の中で待機していた。
様々なことが起こり混乱と恐怖におちいる村人たちだが、オクタヴィアは決して暴力をふるう事はせず、むしろ老人や子どもを労るような姿勢を見せる。
そのため、反発することも無く静かに時が過ぎるのを待っていた。
村人たちの様子を確認していたオクタヴィアだが、ふと窓の外から眩い光が入ってくる。外を見てもその正体がわからずどうしたものかと考えていると、レインからチャットが入った。その指示により教会から抜け出す。
監視する者がいなくなったことにより一息つく村人たちだが、入り口のほうから「ボトン」という、何かが落ちたような音が響く。
そちらの方に視線を向ければ、その正体は先ほど村に降臨した天使に似ていた。しかし、体は上半身だけで左腕を欠損しており、右手の刻印は、一画のみがほのかに光っているだけだ。
さらに、その顔は醜く憤怒に染まっているため、誰もがそれが天使だとは認識できなかった。
「はは、やはり監視は光の確認に向かいましたね。賭けは私の勝ちです」
ヘプタは右腕だけでじりじりと床を張って進む。村人たちは悲鳴を上げながらそれから逃げようと教会の奥に進むが、幼い少女が足をもつれさせて転んでしまった。
とっさに中年の女性が少女を助けようと前に出る。その女性は、ベロニカの母親だった。
「そうだ! 貴様だ! まずは貴様の生命力を吸収し、あの娘を絶望の底に落としてくれる!」
狂ったような声と共に、ヘプタが右腕を床に叩きつけて跳躍する。そのままベロニカの母親に手を伸ばした。
彼女は少女を庇うように抱きしめて目をつぶる。すると、その顔に何か水のようなものが振りかかった。
何かと思って目を開ければ、そこにはヤギの様や角を生やした女性が自身の前に立っている。
「馬鹿な……なぜ貴様がここに!?」
ヘプタの爪が、ベロニカの腕に突き刺さっていた。母親に降りかかったのは、その時に流れた血のようだ。
ベロニカが腕を乱暴に振るうと、ヘプタは地面に叩きつけられて転がった。同時に転移していたタコが、それに向かって偉そうに胸を張る。
「おーほっほっほ! あなたの考えなど読めないと思ったかしら! これで終わりよ、天使ヘプタ!」
大量の天使が飛び出した中、ベロニカはヘプタの行動など既に予測していた。いくら他の天使や人間を犠牲にしようとも、自身の保身を図るはず。
そして、自身の傷を癒すための生命力がある場所など、ここしかない。ならばと、すぐにレインに転移魔法をかけてもらっったのだ。
ベロニカは無言のまま、ヘプタに大鎌を向ける。
「くそが! くそがあああ!」
既に正気などないヘプタがベロニカに襲い掛かった。だが、それはすぐに大鎌で両断される。肉体を失って飛び出した天使を、タコが拘束した。
「さよなら、愚かな天使」
タコは触手に力を込める。ヘプタは既にほとんどの力が残っていなかったのか、ガラスのように砕けると塵になって消えた。
やることは終わった。ベロニカはすぐに教会から出ていこうとする。だがその時、後ろから声がかけられた。
「ちょ、ちょっと待っておくれ!」
「……」
それは、今救った自身の母親からだ。ベロニカが返事できない理由をタコも分かっている。だが、あえてタコはその声に応えず、彼女に視線を向けた。
ベロニカは少し低く声を変えて、母親に答える。
「……なんでしょうか?」
「あ、あんたはまさか……」
すでに数年来会っていない娘。タコにより生まれ変わった肉体。しかも、声をごまかしている以上、正体がばれる理由は無いはずだ。それともこれが、母の勘というものだろうか。
ベロニカは努めて平静に言葉を続ける。
「私は、こちらにいる邪神タコ様の手によって生まれた、豊穣の邪神ヤギ。それだけです」
それを聞いた母は困惑するしかない。これで勘違いだと思ってくれるだろうか。そう考えるベロニカだが、それは甘い考えだったようだ。
母はすぐに表情を引き締めると、力強い口調で語りかける。
「……もし、あんたがベロニカって娘に会ったら、伝えてもらえるかい。『いつでも、あなたの事を待っている。私は、あなたの事を愛している』って」
その言葉が限界だった。ベロニカは仮面の下で涙を流す。しかし、それが見えないように顔を背けると、喉の奥から言葉を振り絞った。
「……わ、分かりました。すべてが終わったら、ここに帰ってくるように伝えましょう」
それだけを言うと、足早に教会から出ていく。今すぐ仮面を外して振り返りたい気持ちが背中にのしかかるが、それでも足を止めることはなかった
後からついてきたタコが、そっとベロニカにハンカチを差し出す。
「いいの? ベロニカちゃん」
「天使を倒すまで、この国に平穏は訪れません。今の私は、天使に復讐を誓った邪神。その使命を果たしてから、『ベロニカ』に戻ることにします」
仮にこの村に残りたいと言えば、タコは了承してくれるだろう。この村や近隣を天使から守ることでも、タコたちに貢献することはできるはずだ。
しかしそれでも。まだあえて。自身の心にある復讐の火を消したくない。それは、このまま天使を滅ぼすまで。
全身に新たな力が満ちるのを感じながら、ベロニカはまた一歩、足を踏み出した。
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