62話 タコさん、元聖女を堕とす
「すべての人間から、生命力を奪う……?」
ベロニカから語られた内容。それは、タコにとってすぐには理解できないほど異質なものだった。
確かに以前見たベロニカの記憶では、天使が人間から生命力を奪う魔法を研究していたことがうかがえる。だが、その範囲が人間すべてだとは思ってもみなかった。
天使たちの計画は、はるか昔。それこそ、天使がこの世界に現れたころから始まっていたのだ。
まずは人間と契約し、力を蓄えて画数を増やす。最初の契約者は神の代行者と名乗り、人々をまとめ上げていった。
さらに彼は契約者を増やし宗教を興す。それはいつしか国という形になった。
国は次第に肥大化し、三大国家といわれるほど巨体となる。しかし、敬虔で人間のために戦う国家という表の顔の裏で、非人道的な実験で人工的に契約者を強化していた。
そして、ついに彼らは惨劇カルテットを誘発し、他国から強者を排除することに成功する。自国の強者も同時に亡くなっているが、天使が新たな契約者を見つければすぐに戦力は元通りだ。
あとは、確実に力を持った契約者を増やしていく。ついに4画の契約者を人工的に作り上げたスプレンドルは、この世界を支配するあと一歩のところまで来ていたのだ。
すべては、一つの目的のため。
それは、神の降臨。
神ほどの強大な力を持ったものは、天使や精霊のように簡単には世界の壁を超えることができない。
ならば世界を支配したうえで不要な人間をすべてエネルギーに変換し、神をこの世界に呼び寄せる。
それがすべての天使に刻まれた使命だった。
「天使たちは、自分たちが契約した人間以外、すべてをエネルギーとするつもりです。それはもちろん、私の母も……」
いまだに疲れ切った顔でベロニカは説明する。
残念ながらその情報を知った時の彼女は、既に心が死んでいる状態だった。母を助けたいという気持ちもあったが、無力で非道を働いた自分には無理だという意識もあり、ほかの凄惨な記憶と共に封印してしまう。
だが、今のベロニカには心強い味方がいる。それなら、母を助け出せるのではないか。
さらに、自分がしたいことは何か。そう強く思案した結果、封印された記憶の中で埋もれていたものが蘇ったのだ。
「タコ様。今の私ならはっきりと言えます。母を救うため、天使に対抗するための力を、私に下さい。そのためには、私は悪にだって堕ちます!」
そんなベロニカの答えに、タコは満面の笑みを返す。これこそ、タコが待ち望んだ正しい悪堕ちの姿だ。
タコはすでに、ベロニカの悪堕ちにあたってどの種族にするかは考えがあった。それは堕天使や悪魔。これこそ、天使に復讐する者として相応しいだろう。
だが、ここにきてタコはその考えを少し修正する。それよりもっとベロニカにふさわしく、天使たち対する意趣返しを思いついたのだ。
「よし! よく言ったわねベロニカちゃん! ならば、タコさんはあなたの願いを叶えましょう!」
タコはまず、ベロニカを人間からとある種族に転生させる。それは、黒ヤギの獣人。
転生アイテムはヤギの角であり、それを付ければ髪の毛が黒くもこもこになる。足もヤギのような関節に代わると黒い毛におおわれ、足先には蹄が生えた。
さらにタコはダークプリースト系、ドルイド系のクラスを最上位まで、それにファーマー系のクラスも取得させる。
これは、とある追加種族を得るのに必要な前提条件だ。強力な種族であるぶん、条件もそれだけ厳しくなる。
そして、これが本番だ。
タコは追加種族を得るアイテム、『豊穣の角』を取り出りだしてベロニカの頭にくっつける。すると、彼女から眩い光がほとばしった。
それは、触れるだけで体と心が癒されるような、力強くも優しい光だ。その中心にいるベロニカ自身も、体の内側から溢れるようなエネルギーの奔流にとまどっている。
光が収まれば、そこには特に姿が変わらないヤギの獣人がたたずんでいた。だが、先ほどまでとは違い、邪悪な気配すらある黒い毛が目立ちながらも、神聖な後光が見えるような不思議な雰囲気をまとっている。
「タコ様、いったい彼女にどういった力を与えたのですか?」
オクタヴィアも、ベロニカが転生するならもっと天使に対抗するようなものになると思っていた。今の彼女からは確かにすさまじい力を感じるが、これはまるで……
「ふっふっふー。ベロニカちゃん! あなたは神になりました!」
「……え!?」
確かに力を望んだベロニカだったが、タコの以外な言葉に驚きを隠せない。しかし、完全に把握できたわけではない自分の持つ力が、すさまじいものだという認識もある。
「今のベロニカちゃんは生と死を司る力を持っています。そう、『豊穣の邪神ヤギ』さんと名乗るといいわ!」
タコが与えた追加種族は『地母神』。生命に関して巨大な力を持つ種族だ。一度に広範囲へ行える回復や蘇生。一時的な不死の付与。自然など命ある者の操作などなど、その能力は多岐にわたる。
天使に対抗するものして、その上位である神になればいいというががタコの考えだ。しかも、相手が人の生命を奪う天使なら、こっちは生命を与える神。
この力は、きっとベロニカのためになると確信している。
「私が……神……」
「ええ、この力があれば天使なんかおちゃのこさいさいよ……て、あら? ベロニカちゃん大丈夫?」
ベロニカかじっと自分の手を見つめていた。あまりに強大な力を得たため、これが本当に自分の体なのか戸惑っているのか。それとも、天使と契約していた時を思い出してしまったのだろうか。
さすがにやりすぎたかと思ったタコだったが、ベロニカはタコの触手を両手で掴むとその目を覗き込んできた。
「ありがとうございますタコ様! この『邪神ヤギ』、タコ様のご期待に応えられるよう、一層努力いたします!」
「う、うん、そうですか。まぁ、あんまり無茶しないでいいからね?」
ベロニカも圧力に押されながらも、タコはそのまま装備品を渡していく。ヤギの頭蓋骨を模した仮面や、漆黒の巨大な大鎌、禍々しい雰囲気で巨大な羽のついたローブなどである。
しかも鎌を扱えるように、追加で戦士系のクラスも習得させるほどのこだわりっぷりを発揮していた。
実にダークで邪神っぽい姿になりご満悦のタコだが、そこにオクタヴィアが割り込んでくる。
「お二人ともそれくらいで! まずはベロニカさんのお母様の安全を確保しないといけないでしょう。ほら、はやく村の場所を教えてください」
「は、はい、分かりました。何か地図はあるでしょうか」
それもそうだとタコが地図を取り出すと、ベロニカがその精密さに驚きながらも、何とか村があると思しき場所を示した。
そして、今回に限っては転移と飛行でさっさと行ってこようと結論をだし、タコはレインを呼び出そうとチャット欄を開く。
だが、それを操作しようとするまえに突然、耳をつんざくような大声が部屋に響いた。
「ボス―! 大変なの、クロちゃんが! クロちゃんが!」
ホタルたち、ちびイカトリオが部屋になだれ込んでくる。何事かとタコが話を聞けば、人狼のクロが救急室に運び込まれたという。
魔法でほとんどの怪我が治るタコたちにとって、救急室を使用する自体が異常事態である。
一体、クロの身に何が起きたのか。タコはすぐさま、救急室に向けて転移を行った。
◆
時は少し前。ベロニカが記憶を取り戻そうと決意した頃。
人狼のクロと、妖精のマツリカはスプレンドルの辺境にある村に接近していた。半魚人たちも引き連れているが、彼らは村を制圧した後の治安維持要員だ。そのため、少し離れたところで待機している。
「ふむ、人の気配が集中している……皆が教会に集まっているようですね」
「予定通り集会の時間みたいだね。どうする、クロちゃん?」
「半魚人で村を包囲してることを材料に司祭と交渉します。少しばかり脅しを強めで行きますが、やむを得ないでしょう」
クロはスキルで、マツリカは魔法で姿を隠して村を探索していた。2人はそのまま村の中央にある教会に足を進める。
道中に人の気配はなく、これなら教会を押さえるだけで話は済むだろう。クロは両手に短剣を構えると、教会の扉を蹴り飛ばして声を上げた。
「全員動くな! この村は我らナスキアクアの軍が完全に包囲している! 抵抗しなければ安全は保障しよう!」
クロが全身から闘気を放ちながら威嚇すれば、村人たちは戸惑い縮こまるだけだ。そんな中を肩にマツリカを乗せたクロが奥に進み、司祭の前に立つ。
司祭は1画の契約者のようだが、さすがにクロの威嚇には抵抗できないようだ。ぶるぶると震えて不安な視線を向けている。その後ろでは従者と思しきフードをかぶった少女がぺたんと座り込んでいた。
「あなたがこの村の責任者だな? 返答を聞こう」
「わ、分かった……だからどうか助け……がはっ!?」
「何っ!?」
突然、司祭の胸から剣が生える。それはそのままクロめがけて突き進んできた。とっさに短剣でそれを受け流すと、後ろに跳んで距離を取る。
「ありゃ、ダメだったか。なかなかいい反応してるね」
未だ痙攣してる司祭に突き刺さった剣、その持ち主はつい一瞬前まで司祭の後ろで震えていた少女だった。今は不敵な笑顔をクロに向けている。
そして、少女がその剣を大きく振るえば、大量の血と共に司祭の体が放り投げられた。血は教会中に降り注ぎ、人々は恐怖の叫び声を上げる。
「貴様……一体なに者だ!」
「あはは、知りたい? なら教えてあげよう、ボクはこういう者さ」
油断なく剣を構えるクロに対し、少女が右手の甲を向けた。そこには5画の刻印が輝いている。
「初めまして、ボクは聖女セクス。よろしくね」
クロだけでなく、それを見た村人たちも驚きと隠せない。なぜ、こんなところに5画の聖女がいるのか。なぜ、これほどの聖女が司祭に対してあのようなことをしたのだろうか。
そんな視線に気づいたのか、セクスは何ともなさそうに答えた。
「ああ、こんな獣に従うなんて、神に対する裏切りだよね。だから、ボクが聖女として司祭に裁きを与えたんだ。さて、次は……君の番だね!」
セクスがそう言うと、刻印から眩しいほどの光がほとばしる。すると、その服が神々しいまでに白く輝く修道服に変わり、背中からは光の翼が生えた。
剣も眩い光を放ち、まさに天使にふさわしい姿となっている。
「おお、なんと神々しい……まさに聖女様だ!」
村人たちは、先の惨状など忘れたかのようにセクスの姿に感動していた。
だが、クロとマツリカはそんな場合ではない。セクスから放たれる力が、自分達を上回っていることを理解してしまったのだ。
クロはじりじりとセクスから距離を取る。
「おっとその前にお仕事は終わらせないとね。そら!」
「がはっ! な、なんだ? 体から力が……」
セクスが魔法を放つと、村人から次々に生命力が奪われていく。数秒で教会にいる者は全てミイラと化してしまった。
「キャハハ! 君たちの命は神の降臨に使われるのさ、よかったでしょ? さ、これて邪魔者はいなくなった。始めようか、邪神の眷属!」
どうやらセクスはクロたちの正体に感づいていたようだ。光の剣を振りかぶり、クロに向かって突撃してくる。
クロは短剣を交差させ、何とかその剣を受け止めた。しかし、向こうは余裕の表情に対し、クロはじりじりと後ろに下がっていく。
「ふーん、確かに魔王クラスの力を持ってるんだ。なまいきー」
「くっ! このっ!」
クロが蹴りを放てば、セクスはふわりと翼をはためかせて距離を取る。その隙にマツリカが準備を済ませていた魔法を発動させた。
「クロちゃん! 今のうちに逃げるよ! テレポートアザ……きゃっ!? え? <転移妨害>!?」
だが、魔法が効果を現さなない。確かに転移を妨害する魔法は存在するのだが、この世界でそれを使われるとはマツリカも予想していなかった。
「はは、逃がさないよ。魔法の技術体系は少し違うみたいだけと、妨害するくらいならできるからね」
それでもマツリカはすぐに頭を切り替え、クロに対して補助魔法と、転移妨害への対処を始める。
クロ自身も時間を稼ぐため、スキルで身体能力を強化していた。
「さて、大人しくしてちょうだい? それとも、手足が無くなったが素直になれるかな?」
「それは、貴様のほうです!」
「クロちゃん、やっちゃえ!」
強化を済ませたクロは自らセクスに飛びかかる。その首を切り落とそうと狙うが、セクスは手に持った剣で軽くそれを受け止めた。
そのまま何度も短剣を振るうも、セクスは難なく攻撃をさばいていく。どうやら、4画以上の力を持っているというのは間違いないようだ。
「ならば……《縮地》!」
「あれ? 消え……あ痛っ!」
だが、クロも隙を見てスキルを発動する。《縮地》は短距離を瞬間転移するものであり、一瞬でセクスの背後に回った。
剣の可動範囲も考慮した攻撃は天使の背中を大きく切り裂く。だが、そこからは少しの血が出ることも無く、セクス自身もほとんど痛みを感じていないようだ。
さらに、その傷は一瞬で修復されてしまう。
「なんだ、この奇妙な手ごたえは……? それにこの治癒速度……!?」
「あはは、言ったでしょ。ボクは5画、この世界の存在でありながらも、限りなく天使に近い存在。その程度の攻撃じゃ、ボクには届かないんだ!」
今度はこっちの番だと、セクスがクロを攻め立てる。
どうやらクロの力量を測ろうと、セクスは今まで本気を出していなかったようだ。攻勢に回るとクロは意外なほど力強い攻撃に、防戦一方にならざるを得ない。
しかもそれは、次第にさばき切れなくなってしまい、クロは少しずつその肌を切り裂かれていく。
マツリカは魔法でクロのサポートに回っている。だが、攻撃魔法を当ててもクロの攻撃と同じように効果が薄く、デバフの魔法はセクスにレジストされてしまう。
さらに彼女は同時に魔力を集中させ、転移妨害を突破しようとしていた。だが、セクスもそれに気づいてしまったようだ。
「おっと、させないよ!」
セクスは懐から取り出した何かをマツリカめがけて投げつける。集中している彼女は、それに対して防御することができなった。
とっさにクロがセクスから離れ、投げつけられたものをナイフで弾き飛ばそうとする。しかし、それは存在しないかのようにナイフを通り抜けた。
その瞬間、クロはそれが何か認識する。セクスが投げたのは白い杭。ベロニカの記憶にあった、天使と強制的に契約させる代物だ。
天使自体はこの世界の存在に影響を与えることができない。そのため、この杭もナイフでは止めることできなかったようだ。
しかし、杭は人間の体には反応する。一瞬でクロはそう考えつと、《縮地》で自分自身を杭の射線に投げだした。
「ぐっ!」
「ク、クロちゃん!?」
杭はクロの左腕に深く突き刺さる。心配の声を上げるマツリカだが、それで集中を乱すわけにもいかない。すぐさま転移妨害を解除して転移魔法を発動させると、二人は姿を消した。
「あっ、逃げた!? くっそ! くっそ! くっそー! ……ま、いいか。回収は済んだし、次の村に向かおーと」
セクスは逃げられたことに腹を立てているのか、剣を乱暴に何度も地面へ振り下ろす。だが、すぐに気持ちを切り替えると、光の翼で空に飛びあがった。
どうせ、天使の杭が刺さったあの人狼は終わりなのだ。そう思えばセクスも溜飲を下ろし、鼻歌すら歌いだしていた。




