55話 タコさん、聖女を拾う
巨大なクロヒョウの背中には二人の人物が乗っていた。ホルンからは逆光になっており、誰かまでは分からない。
だが、そのうちの一人が背中から飛び降り、ホルンの目の前に着地する。
「おう、おっちゃん。その剣使ってくれたのか。結構いいもんだろ?」
「ア、アイリス殿!? いったいなぜここに?」
その正体はアイリスだ。そして、ヒョウの正体はもちろんアーデルハイトである。
これはタコが彼女に与えた追加種族、『先祖返り』の能力だ。ドラゴンに変身できるドラゴニュートと同じように、巨大なヒョウに変身することができる。
そして、タコたちの魔法では行ったことのない場所に転移することができないため、一番近い所まで転移してからアーデルハイトを走らせてきたのだ。
「ほれ、新生魔王様のご登場だぜ」
アーデルハイトの背には魔王となったヴァイスも乗ってる。さらに、彼女はタコからもらった黒いドレスと白い鎧を身に着けていた。
転生とレベルアップ、クラスを習得したことによりすさまじい力を手に入れたヴァイスだったが、装備による強化も含めれば自分自身の力が恐ろしくなってしまうほどだ。
実際、アイリスの指示により聖女が放つ光線に飛び込んでしまうも、とっさに放った防御魔法には予想よりもはるかに弱い衝撃しか感じられなかった。
「む、無傷だと!? 貴様、一体なに者だ!?」
聖女の方も自身の攻撃が防がれたことに動揺している。肩で息をしながらヴァイスを鋭い視線で睨みつけていた。
それに対し、ヴァイスも同じくらいに力強い視線を向けると、叫ぶように聖女へ答える。
「我は魔王ヴァイス! 聖女よ、私の部下に好き放題をしてくれたな。今度は私が相手になってやろう!」
「馬鹿な! 魔王は純粋な魔族ではなかったのか!? まあいい、まとめて消し飛ばしてくれる!」
聖女はまたしても兵士からエネルギーを集めつつ、魔法の準備を始めた。彼女を中心に兵士がバタバタと倒れていく。このままでは周囲一帯が焦土になるような魔法が放たれるだろう。
しかし、ヴァイスもそれを黙って見ているつもりは無い。
「アイリス殿、ホルンを頼む」
「あいよ」
アイリスはホルンを抱えて後方に下がる。そして、ヴァイスはアーデルハイトの背を蹴って空中に飛び上がった。彼女は光のような速度で聖女に向かっていく。
「ここまでだ! 聖女よ、地に落ちろ!」
「なっ! 早い!?」
とっさに聖女は杖でガードするも、その上からヴァイスの拳が振り下ろされる。拳は簡単に杖を砕くと、そのまま聖女の胸に叩けられ彼女を地面に向けて吹き飛とばした。
「がっ!? ぐふっ!?」
聖女が地面に激突し、爆発のような衝撃が周囲に走る。杖を犠牲にしたことで致命傷は免れたようだが、内臓を傷つけたようで口から血を噴き出していた。
ヴァイスは自身の攻撃による結果に驚きながらも、警戒したまま地面に降り立ち倒れる聖女に視線を向ける。
「このっ、がはっ! 獣ごときがぁ!」
これだけの重傷を負っているにも関わらず、聖女は自身に回復魔法をかけて立ち上がろうとしていた。光線が発射できなかったことによりエネルギーが残っているようで、その傷はすぐに癒える。
さらに、膝立ちになりがらもヴァイスに対して光線を放ってきた。
「獣がっ! 私をっ! 見下すな!」
とっさに放った魔法だが、普通の魔族なら一撃で殺すだけの威力はあるだろう。だが、ヴァイスはその攻撃に対してさしたる脅威を感じなかった。
防御魔法を発動させて攻撃を受ければ、光は音を立てて消えてしまう。ヴァイスは少しの衝撃も感じていないし、肌や鎧には傷も残っていない。
「馬鹿な……馬鹿なっ!?」
立ち上がった聖女はそれでも魔法を連発してくる。ヴァイスはゆっくりと前進を始め、聖女に対して近づいていった。
攻撃が通じない聖女は少しずつ顔が青くなっていく。さらに、必死に連発する魔法は、ヴァイスの足をわずかにも止めることができない。
「来るな! 来るなぁっ!」
恐怖に震える聖女だが、最後の力を振り絞ってヴァイスに巨大な光弾を放つ。それは、着弾すると衝撃で周囲に土煙を巻き起こした。
だが、その土煙の中からヴァイスの手が伸びると、聖女の首を掴んで吊り上げる。
「ぐぐ……うえ……」
「貴様は、同族をここまで犠牲にしても勝利を得たいのか……? まったく度し難いな」
ヴァイスは冷めた視線で聖女を見つめている。スプレンドルの者たちが異常ともいえる精神を持っていることは知っていたが、これほどまでの者を見るのは初めてだった。
それには一種の戦慄のようなものを覚えるが、当の聖女は未だ憎しみのこもった瞳をヴァイスに向けている。
「神の意思は絶対……! いつか、貴様も神が裁く!」
「残念ながら私は神を信じな……いや、とある邪神は信じているか」
ヴァイスの頭に一瞬、タコの姿がよぎった。聖女が信じている神とやらと、あの邪神は何か関係があるのだろうか。
いや、邪神を名乗りながらも分かりやすい性格をしているタコは信頼できる。目に前にいるような理解できない信者を持つ神など、ヴァイスには知ったことではない。
「邪神……だと?」
「貴様には関係ないさ、さらばだ」
彼女はそのままカギ爪で聖女の胸を貫く。それは確実に心臓を破壊して、聖女は口から大量の血を吐き出した。
だが、ヴァイスが腕を引き抜こうとした時、それよりも早く聖女がその腕を掴む。
「我らの命は……魔族になど奪わせん!」
「何を……まさかっ!?」
聖女の体から凄まじい光が放たれる。それは、一瞬で目が眩むような明るさになるとすさまじい爆発を起こした。
またしても土煙が辺り一帯を隠す。しかし、すぐに中心から風が吹き荒れて、土煙を一瞬で吹き飛ばした。
現れたのは無傷のヴァイスのみ。聖女の姿は見えない。恐らく、自身のエネルギーを使い切って自爆したのだろう。
彼女の周りには底が見えないくらいの穴が開いているが、それでも防御魔法と鎧を貫くことはできなかったようだ。
ヴァイスはクレーターの中心から飛び出すと、遠くの方から人間の兵士たちが唖然とした視線を向けていた。彼女はそんな彼らに向かって叫ぶ。
「我は魔王ヴァイス! 貴様らが信じる聖女は死んだ!」
それは、戦場すべてに響き渡るような声だった。さすがの人間たちも体だけではなく魂が揺さぶられ、ふつふつと恐怖が湧き上がってくる。
さらに、ヴァイスの後ろにアーデルハイトが舞い降りた。未だ巨大なヒョウの姿をしている彼女も、ヴァイスに負けないほどの威圧感を魔族に向けてる。
「それでも来るというのなら……貴様らに地獄というものを教えてやろう!」
そして、ヴァイスはインベントリから巨大な剣を取り出し一振りする。それにより発生した突風は遠く離れた人間たちにまで届き、彼らの体を揺らすほどだった。
これにはさすがの狂信者たちも、信心に勝る恐怖を受けたようだ。我先にと撤退を始めている。
すると今度は、ヴァイスの後ろから大きな歓声が挙げられた。それはもちろん、勝利を確信した魔族たちのものだ。
ヴァイスは彼らに応えるため剣を高く掲げると、アーデルハイトと共に巨大な咆哮を上げる。
それは魔族たちにも伝播していき、いつしか勝利の咆哮が戦場を埋め尽くすのだった。
◆
「4画の聖女か……凄まじいものね……」
遅れて戦場にやって来たタコが、ヴァイスと聖女の戦闘の跡を眺めながらつぶやく。
その周囲では魔族たちが生存者の探索などを続けているが、これでは絶望的だろう。聖女の攻撃は人間の体など容易く消失させているし、命を捧げた者たちはミイラとなっており、今にも風化してしまいそうだ。
試しにその辺のミイラに復活魔法をかけてみるも効果は無い。恐らく、ゲーム的には最大HPがゼロになっているような状態なのだろう。これでは生き返らせることなどできはしない。
見渡す限りの死体の山、これまで死者を出さないようにしてきたタコにとっては、目を背けたくなる光景だ。
だがなぜだろう。嫌悪感はあれども、それで済んでしまっている。戦争の経験がある魔族ですら顔を青ざめ、吐き気をこらえているというのに、不思議とそこまでの不調は起きていなかった。
『ああそうだ、あの時に比べればこの程度……』
ふと、頭に何かがよぎる。しかし、それは一瞬の事でありすぐに消えてしまった。首をかしげて思い出そうとするも、どこかに引っかかってしまったかのように戻ってこない。
「おーい、タコ―。ちょっとこっちに来てくれー!」
そこへ、アイリスの声が響いた。何かを見つけたらしくタコに手を振っている。
近づいて行きそれが何か分かった時、タコは思わず変な声を上げてしまった。なぜなら、それは紛れもない人間の死体だったからだ。
「ちょっとアイリス! 何を見つけてるのよ! こんな死体……死体?」
そこでタコは気づく。この周辺には原型をとどめた死体など存在しないはずだ。
ちゃんと確認すれば、左手と下半身がほとんど欠損した女性の死体だと分かる。だが、それよりも分かりやすい特徴がその手に刻まれていた。
「4画の刻印……まさかこれって!?」
「ああ。間違いねえ、こいつが聖女だ。どうやら、自爆の衝撃でここに吹っ飛んだみたいだな。ただ、ちょっと待ってくれ」
アイリスが、聖女の右手を持ち上げてまじまじと眺める。その理由はタコにもなんとなくわかった。
手の甲にある刻印は明らかに光を失っており、刻印と言うよりも薄い刺青のようになっていたのだ。
「やっぱり光が消えてるな。ちっとも力も感じねぇ」
「<魔力感知>……ええ、確かに魔力の反応が無くっているわ」
確かに死ねば精霊との契約は切れると聞いていた。それは、天使も同じなのだろう。つまり、仮にこの聖女を復活させても、すぐさま危険なことにはならないはずだ。
「どうするよ? タコ」
「どうする……って言われてもねぇ……」
アイリスの言いたいことは分かる。
だが、それをする必要があるのか? これほどの事を起こした者でも、復活させる必要はあるのか? タコは悩んでしまう。
既に生存者の探索は終わったのか、周囲に魔族はいない。何かしてもばれることは無いだろう。
少しばかりの不義理を感じたが、タコは自身の直感に従うことにした。
「伏魔殿に連れていきましょう。念のため訓練場にしましょうか」
「あいよ」
アイリスは聖女を担ぐと、タコと一緒に課金アイテムを使用して拠点に帰還する。
そのまま拠点内の転移で訓練場に行くと、レインとオクタヴィアだけを呼んで他の者には出ていくようにお願いした。
「事情は分かったけど……本気なの? 起きて暴れ出したらどうするつもり?」
「その時は、タコさんが対処するわ。二人は拘束だけお願い」
「別に、嫌なら俺がやるぞ?」
「ありがとね。でも、これはタコさんのわがままよ。責任は自分で取るわ」
心配する二人に対し、タコはいつも通りに気軽な感じで答える。
だがその時、ふとオクタヴィアがタコを背中からふわりと抱きしめた。彼女にしてはずいぶんと大胆な行為である。びっくりしたタコにオクタヴィアが語りかけた。
「すみません……なんだか今のタコ様はいつもと違うようでしたので……」
「……そうか……そうね……」
それは、凄惨な戦場を見たせいだろうか。確かにその時からタコは何かしらの引っかかりを心に覚えていた。
それが、オクタヴィアの温もりを感じると共にタコの心から消えていく。
「大丈夫ですよ。タコ様が成さることなら、きっと良い方に動きます。いままでも、ずっとそうだったじゃないですか」
「そうね、今のタコさんのやりたいことは一つ! ならば! やるわよ! <復活>!」
オクタヴィアに感謝しながら、タコは地面に置いた聖女に魔法を放つ。
ゲームでは死亡後にダメージを受けると体が破損し、復活の成功率が下がる仕様があった。
それは現実でも同じようだが、魔法に熟練したタコにとってこの程度は問題にならない。聖女の体が少しずつ修復され、もとの人間の形をとる。
そして、光が収まった。
魔法はきちんと効果を現したようで、聖女が呼吸を始めて胸が上下する。さらに、少しのうめき声を上げると、その瞳が開いた。
「ここは……? ひっ! ああ! ああああああ!」
「え、ちょっ!? ど、どうしたの!?」
だが、聖女は体を起こすと共に、頭を抱えて悲鳴を上げた。それはタコたちを見るよりも早く、状況に混乱しているわけではないようだ。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
さらに、何かに対して大声で謝罪を始める。
タコはアイリスの方に視線を向けるが、彼女は無言で首を振った。
あの場にいたアイリスならはっきりとわかる。今の聖女の様子は、少し前までホルンやヴァイスに攻撃を仕掛けていた者とはまるで別人だ。
「あなた! あなたなら私の所業をご存知でしょう!? どうか、どうか私を殺してください!」
そして、聖女はアイリスに気づいたのか、駆け寄って縋り付いてくる。その姿も声も悲壮感に溢れており、とても演技には見えなかった。
「おいおい、いったいどうしちまったんだ? さっきまでの威勢は何処に行ったんだ?」
「あ、あれは私ではありません! 私は、この身に植え付けられた天使に、体の自由を奪われていたのです!」
思いがけない告白にタコたちも驚きを隠せない。アイリスはタコと視線を合わせると無言で頷いた。
「その話、詳しく聞かせてもらいましょうか」
◆
『猊下、この度の作戦の失敗、大変申し訳ございません』
「構わぬ、ある程度の情報は得られた。それにしても魔王の力……凄まじいものだな」
『4画では攻撃が届きませんでした。計画に修正が必要かと』
「そうだな、さらなる改良を急がせろ。5画の準備は済んでいるか?」
『既に数体の準備は完了しております。量産も間もなく』
「そのうちの1体はお前にやる。体が無くては不便であろう?」
『ありがたき幸せ。これからも更なる献身を捧げます』
「それと、魔王の言った『邪神』という言葉が気になるな」
『かしこまりました。並行して調査を進めます』
「うむ、期待しているぞ。全ては、我らが神の為に」




