50話 タコさん、脅迫する
魔族領シュトルツ。前線から遠く離れたこの地は、戦時中であっても基本的に平穏を保っている。だが、この議会の場においては多数の怒号が鳴り響いていた。
本日行われているのは師団長による話し合いではなく、貴族や官僚による予算や政策を決める会議である。しかし、戦時という状況ではどうしても話はそちらにも及んでしまう。
「魔王様! この度のナスキアクアにおける作戦の失敗、どのように責任を取るつもりでしょうか!?」
「獣人などに作戦を任せるからこうなるのです! もちろん、彼らの懲罰はなされているのでしょうな!」
「そもそも、人間の国と同盟ですと!? あなたには魔族としての矜持は無いのですか!?」
彼らは皆、純粋な魔族であり、その中でも高位の貴族たちである。そもそも、魔族領で高い地位を持つのはほとんどが純粋な魔族だ。
この場に他の種族がいないわけではないが、彼らのほとんどは純粋な魔族の派閥に属しており、そちらの意向に賛成する者を増やすための人員に過ぎなかった。
「……」
いくらカーテン越しにとはいえ、これだけの悪意にさらされればアーデルハイトの心も傷ついていく。
しかも、彼女は自身を罵る言葉にも一定の理解を示してしまうため、自分の力不足を再認識してさらに傷ついてしまうのだ。
「また日和見ですか!? 先代ならばそんな弱気は……」
「静粛に! 確かにナスキアクアの作戦は、イレギュラーにより失敗した。だが、我が軍に被害は無く、次の作戦に移っている!」
『先代』という言葉は、アーデルハイトにとって禁忌である。偉大な父に敵わないことなど考えるまでもない。それにより彼女の自己嫌悪がさらに進んでゆく。
軍人代表として同席を許されているツァルトは、それを察すると思わず声を上げて話を中断させようとした。
だが、彼らの追及は止まらない。
「手ぬるい。作戦など考えている暇あったら、人間など殲滅してしまえばいいのだ」
「そうだそうだ。聞けば、ナスキアクアに向かった戦力が一部、戻ってきたと言うではないか。奴らは一体何をしている?」
それでも軍人の迫力に押されたのか、勢いは少し弱まったようだ。ツァルトは少しばかり彼らが望むような状況を報告し、場を収めようとする。
「帰還した第7師団は、第6師団と合同でスプレンドル対策を行っている。戦力が増強した分、攻勢に出られるだろう」
その程度では物足りないと、何人かの魔族がさらなる追求の為に立ち上がった。
だがその時、不意に大きな警報が室内に鳴り響く。
ツァルトが通信用のマジックアイテムに手を伸ばせば、すぐに通信兵の大声が聞こえてきた。
「師団長、緊急事態です! ド、ドラゴンです! ドラゴンがこの街に向かっております!」
「何ですって!?」
ドラゴン自体は珍しいものであるが、それだけでここまでの騒ぎになるものではない。
しかし、本日目撃されたのは四体。しかも、確実にこの街を目指して飛行を続けており、既に街の監視塔からはドラゴンが確認できるという。
「ド、ドラゴンだと!? なぜ、奴らがこの街に!?」
「議会は中止だ! 早く逃げるぞ! 退け、貴様ら!」
「第一師団を出動させろ! こんな時のための軍人だろう!?」
魔族たちは声を上げる者、混乱するもの者、逃げ出す者などで大騒ぎだ。
だがそこに、アーデルハイトの静かな声が響く。冷たい魔力のこもったそれは、一瞬、全員の動きを止めて場に静寂をもたらした。
「ツァルト……私が監視塔に向かいます」
「しかし、それでは魔王様に危険が!」
「ドラゴンに対しては軍を派遣しても意味がありません。私が出るしかないでしょう?」
問答している暇はないと、アーデルハイトはカーテンを開ける。魔族たちはその魔力に当てられてはたまらないと、さっと壁際に避けていった。
急ぐアーデルハイトが窓を開けて飛び出せば、ツェルトも慌ててその後ろを追いかける。
空からは既にドラゴンを目視することができた。米粒ほどの小ささがだんだんと大きくなっており、凄まじいスピードで近づいているのが分かる。
監視塔に到着した時にはその姿が細部まで確認できるようになっていた。四体のうち先頭にいる一体は、何度か目撃情報もある漆黒のドラゴンだ。
だが、遠目でも分かるほど、そのドラゴンは禍々しい力を放っていた。よく見れば全身が多数の怪我を負ったかのようにボロボロで、場所によっては骨すらむき出しになっている。
しかし、それは本当の怪我ではないようだ。その動きは少しの陰りも感じられない優雅なものである。
いったいあのドラゴンに何があったのだろうか。アーデルハイトには分かるはずもなく、ただ恐怖を募らせていく。
「あれは……ホルン!?」
その時、視覚強化の魔法を使っていたツァルトが、先頭のドラゴンに何者かが乗っているのに気が付いた。いや、乗っていると言うよりも、しがみついているのだろうか。
見間違いかとも思ったが、ドラゴンが近づけばアーデルハイトの目にもホルンだと確認できる。
一体何があったのかと混乱する二人だが、その間にドラゴンは目の前にまで迫っていた。ドラゴンもアーデルハイトたちに気づいていたのか、わざわざ監視塔に近づいてくる。
そして、先頭にいる漆黒のドラゴンがアーデルハイトに語り掛けた。
「あなたが魔王ですね。邪神タコ様の命により、お届け物です」
「ですー!」
その声は、アーデルハイトが予想していたよりもずいぶんと優しい女性のものだった。後ろにいた赤いドラゴンに至っては、まるで子どものようである。
「はい、魔族さん一丁!」
「確かに渡しました!」
さらに、一緒にいた青いドラゴンが、黒いドラゴンの背にいるホルンをつまむとアーデルハイトの前に置いた。緑のドラゴンはおどけて敬礼のようなポーズをとっている。
あっけにとられているアーデルハイトをよそに、黒いドラゴンが彼女に近づく。そして、顔を近づけて鼻をひくひくと揺らした。
いったい何の意図があるのかと不信に思いながらも、ドラゴンが不快にならないように動かず反応を待つ。
「な、なんの御用でしょうか?」
「む? これはまさか……おっと、失礼しました。我らの用件は以上です、それでは」
怯えながらも疑問の声を上げるアーデルハイトだが、黒いドラゴンは自分の無作法に気が付いたようだ。さっと離れると、頭を下げて翼をはためかせる。
(え? 用件は以上? 送迎にドラゴンを使ったというの!?)
確かにドラゴンは「邪神タコの命」と言った。だが、それがホルンをここに届けることだけだというのだろうか。
あまりのことにアーデルハイトは動けず、飛んでいるドラゴンを見つめている。ひょっとして、油断したすきに戻ってくるのではないかと不安で仕方がなかったのだ。
そんな不安をよそに、ドラゴンたちはやがて見ないほど小さくなってしまった。
「魔王様! この度は大変申し訳ございません!」
同じくこんな状態でも警戒を続けていたホルンだが、その心配が無くなったと分かれば地面に両手をついてアーデルハイトに頭を下げる。
余計な被害が無い様に周囲から兵士を離しておいたので、副師団長のこのような姿が見られる心配は無い。
だが、いつまでもここに居る必要は無いと、ツァルトは兵士を監視に呼び戻し、アーデルハイトたちは場所を移すことにした。
◆
アーデルハイトたちが移動した一室。この部屋は内密な話ができるように、物理的にも魔法的にも盗聴防止策が施されている。ただ、邪神に対して有効かどうかは不安が残るところではあるが。
「あなたが無事で何よりです。一体何があったのですか?」
アーデルハイトは優しくホルンに問う。しかし、彼は顔を真っ青にしており、背も丸まって大きな体がいつもより小さく見えるほどだった。
そして、彼は震える手で懐から一通の便箋を取り出す。
「申し訳ございません。私は邪神タコに拘束され、手紙を渡されるとドラゴンに乗せされました。こちらがその手紙です。魔王様宛と言って封をされましたので、内容は見ておりません」
その便箋にはタコを模した封蝋がなされている。アーデルハイトはツァルトから渡されたナイフでそれを外し、ゆっくりと中身を取り出す。
書かれている内容はシンプルなもの。だが、それはアーデルハイトの息が一瞬止まるには十分なものだった。
『ヴァイスちゃんとナーゲルちゃんは預かりました。返して欲しければ、一人でタコさんの家に来なさい』
「……っ!?」
便箋にはもう一枚、何らかの札が入っていた。どうやらマジックアイテムのようで、これを使えば一瞬でタコのとこまで行けるらしい。
まずは手紙をツァルトとホルンに見せる。二人もその内容に絶句してしまうが、アーデルハイトは静かにその札を見つめていた。
「……ツァルト。私が行きます」
「なっ!? 危険です、そんなことは認められません! 仮に行くとしても、私が代理で行けばいいでしょう!?」
ツァルトは大声でそれに反対する。いくら師団長が捕らえられたとはいえ、魔王をそんな危険な所に送り込むなど論外だ。
しかし、アーデルハイトも考えなくそんなことを主張したわけではない。
「先方の指示に従わず、これ以上、邪神を不快にさせることはできないでしょう? ならば、私が行くしかないのです」
確かにヴァイスを助けたいという気持ちはある。だが、相手は恐ろしい力を持った邪神なのだ。余計なことをして不興を買いたくはない。
それに、わざわざ自分を呼ぶことは何らかの意味があるはず。向こうがその気ならば、無理やりにでも自分を連れ去ることができただろう。
そんな予想を立てるも、ツァルトは引き下がらない。
「私は反対です! そもそも、第七師団は何をしていたのですか!? 師団長が誘拐されるなど、前代未聞ですよ!?」
「っ……! 面目ありません、処罰はいかようにも」
「ツァルト、そこまでにしなさい。そもそも、第七師団を派遣することを決定したのは私。責任と言うならそれは私にあります。それに、これがまたとないチャンスであることも確かです」
「しかし、万が一にでも貴方の身に何かあったら……」
ホルンを責めるツァルトを、アーデルハイトは声を上げて制す。
もう、余計な問答をしている時間は無い。それに、邪神に対して有効な手段など分からない。ならば、正面からぶつかってやる。
それは、アーデルハイトの魔王としての覚悟であり。少しばかりの自暴自棄だった。
「大丈夫。これでも私は魔王ですよ。逃げるくらいはして見せます。ツァルト、不在中の対応はあなたに任せます。ホルンも彼女の指示に従ってください」
それでも、邪神の元へ向かうという恐怖に体は震えている。アーデルハイトは笑顔と勢いでそれをごまかすと、札に魔力を通す。
すると、その姿が一瞬で消え、タコの待つ伏魔殿に向かっていた。
◆
「ここが、邪神の住まうところ……?」
アーデルハイトは、気が付くと花畑の中心に立っていた。見渡すかぎりに多数の花が咲き誇り、少し先には海が広がっている。
間違いなく魔族領ではないが、予想とは正反対の場所に困惑してしまう。まさか、札の魔法が上手く発動しなかったのだろうか。それとも、これは邪神の罠なのだろうか。
混乱してその場にたたずむアーデルハイトだが、しばらくすれば誰かの足音が近づいてくる。
「遅れてすまん、予想よりも早くてな。えーと、いらっしゃいませ、魔王様?」
「……狼の耳に深紅のドレス、あなたはまさか!?」
その正体は何度も話に聞いた存在、人狼のアイリスだった。格闘に関してはそこまで経験のないアーデルハイトだが、なんとなく目の前の存在が異常であることが認識できる。
だが、アイリスはにっこりと微笑むと手を差し出してきた。その笑顔を見れば、大抵の男性なら……いや女性すら喜んで手を握り返すことだろう。
「お、聞いてたか。改めまして、俺は邪神タコの使徒が一人。『歪んだ牙』のアイリスだ、よろしくな」
「挨拶など不要です! そんなことよりも、ヴァイスとナーゲルはどこですか!?」
しかし、相手は敵なのだ。アーデルハイトはその手を振り払うと、大声でアイリスに問いかける。
彼女はやれやれと腕を広げると、『降参』のように手をひらひらと動かした。
「まあ慌てなさんな、一人で来れば返すって手紙にも書いてあっただろ? 俺はタコの所までの案内役だ」
こちらを馬鹿にするような態度に、思わずアーデルハイトは反発しそうになる。だが、相手がヴァイスたちの身を拘束しているのも確かだ。この場は従うしかない。
無言を肯定と受け取ったのか、アイリスは背を向けてどこかに向かおうとする。どうやらついてこいと言いたいようだ。
この場に残るわけにもいかず、アーデルハイトはその後ろを追う。しばらくすれば大きな神殿が目に入ってきた。恐らくあそこが目的地だろう。
入り口の前でアイリスが振り返る。今度は腰に手を当てると、少しかがんでその顔を近づけてきた。
「おいおい、震えてんぞ。手でも握ってやろうか?」
「結構です! 子ども扱いしないでください!」
とっさのことにアーデルハイトは顔を真っ赤にして言い返してしまう。だが、実際に彼女は恐怖に震えていた。
ここには例の邪神のみならず、彼女の配下が多数いるのだろう。そんなところへ自分一人で向かわなければならない。
こんなことは初めての経験であり、額や背中からは汗が噴き出している。手足は小刻みに震え、心臓は今にも爆発しそうだ。
それでも、アイリスが入り口を開ければ何とか足を動かしてそれに続く。神殿の中は明るく、所々に美術品や花を生けた花瓶なども置かれていた。
予想よりもずいぶんと居心地の良い空間だ。しかし、それはアーデルハイトに困惑をもたらすだけである。
「タコー? 魔王さんを連れて来たぞー?」
とある一室の前でアイリスが止まり、ドアをノックした。ついに魔王と対面かと緊張するアーデルハイトだが、中から聞こえたのはヴァイスの叫び声である。
「魔王様!? なぜ来てしまったのですか!?」
「ヴァイス!? そこにいるのね? 今行く……」
思わずドアに駆け寄って開けようとする。しかし、それをヴァイスがさらに声を上げて制止した。
「来ないでください!」
「ヴァ、ヴァイス? 一体どうしたの?」
その声は今まで聞いたことが無いほど真剣なものである。アーデルハイトもドアにを手をかけたところでとっさに動きを止めた。
部屋の中からヴァイスがさらに続ける。
「わ、私は既に邪神の呪いを受けてしまったのです! こんな姿はあなたに見せられません!」
「なっ!? 私が来れば彼女たちを返してくれるのでは!?」
アーデルハイトは横にいるアイリスを睨みつけるが、彼女はそんなことは全く気にしていない。腕を頭の後ろの置いたまま、ふざけたような口調で答える。
「べーつーにー。『返す』とは書いたけど、『無事に』なんて書いてなかったろ?」
「それは詭弁です! 今すぐ彼女たちを返してください!」
しかし、それでもアイリスの態度は変わらなかった。そして、どうぞと言わんばかりにドアの取っ手を示す。
「ま、話は見てからでもいいんじゃねぇか?」
「だ、だめです! 開けないで……」
未だヴァイスは制止してくる。だが、もうアーデルハイトも限界だ。彼女は戸を大きく開け放つ。
そこには、予想だにしない光景が広がっていた。
 




