39話 魔族領にて
魔族領の主都に当たる都市、シュトルツ。人よりも黒や褐色かかった肌を持ち、角や翼が生えた、いわゆる純粋な魔族が住まう街である。
彼らは強大な魔力を持ち、様々な種族を支配していた。樹人、リザードマン、吸血鬼、ドワーフ、虫人、獣人。今ではそれらの種族も『魔族』と呼ばれ、それぞれが師団として軍務を担っている。
通常はシュトルツに拠点を持つ第一師団。魔王直属の魔族による部隊が各師団に指示を出し、師団はその命令に従って大陸の各地で作戦行動を行っていた。
だが、今日は各師団の師団長やそれに準ずる者たちがこの街のとある一室に集まっている。これは、今まで数えるほどしか発令されたことのない、魔王直々の緊急招集が発せられたためだ
そして、当の魔王、アーデルハイトは室内の最奥。高台となった先にあるカーテンの向こうに座っている。そのため、室内の者たちからはそのシルエットしか伺い知ることができない。
もちろん、この仕切りにも意味がある。
魔族とはこの世界で一、二を争うほど魔法に長けた種族だ。その長である魔王が持つ魔力は、ドラゴンにすら匹敵すると言われている。
その魔力は自身の体だけで押さえきれるものではなく、常にかなりの量が放出されていた。それこそ、周囲にいる魔族が体調を崩すほどに。
そのため、魔王と直接対面することはほとんどない。しかし、その姿が見えずとも、にじみ出る魔力により魔王がそこにいることは誰もが認識できていた。
「全員そろったようですね。それでは会議を始めます」
第一師団の師団長、ツァルト。純粋な魔族であり立派な角と翼をもつ彼女は、眼鏡の奥から冷徹とも感じられる視線を室内に向ける。
今回の議題はもちろん、邪神タコの出現とそれに伴う第七師団による作戦の結果報告だ。
既に第七師団により顛末をまとめた報告書が作成されており、各師団には師団長と他数人に限り内容が伝えられている。
それを見れば、魔王が緊急招集を行った理由を疑問に思う師団長などいるわけもない。
「数百人以上の魔族に人間を、殺害したうえで無傷で復活させる……確かに神の御業としか言いようがありませんね」
第二師団の師団長。クスノキの樹人である彼は、ほとんど無表情に報告書を眺めている。
そもそも樹人自体が長命な代わりに感情表現が乏しい種族であり、その長である彼はほとんど喜怒哀楽を現すことがない。
だが、そんな彼でもこの報告には感情が揺さぶられているようだ。珍しく線のような目を片方開いて真剣な表情を作っている。
「師団長ヴァイス、部隊長のナーゲルが成す術も無く敗北。しかも、相手はつい先日まで人間だったはずのラミア。さて、邪神本人にはどれほどの力があるのだろうな」
第三師団の師団長。リザードマンである彼は、既に報告書の内容がすべて頭の中に入っているようだ。腕を組んで目を閉じているが、むき出しの剣のような緊張感に包まれている。
今も軽装ながらも魔力のこもった鎧をまとい、会議中でありながらもすぐ横に槍を持った副師団長が控えていた。
「邪神の周囲はみな麗しい女性ばかり。しかも、邪神本人が女性に興味あると思われる発言をしていると。ふふ、なかなか気が合いそうね」
第四師団の師団長。吸血鬼である彼女は、穏やかに微笑む口元から鋭い牙をのぞかせながらも、妖艶な魅力をふりまいている
さらに、夜の闇のように黒いドレスは明らかに上質な布が使われおり、長く美しい金髪と合わせて、舞踏会に出ればすぐさま注目の的となりそうだ。
もちろん、それは彼女の正体を知らない者に限られるだろうが。
「部隊が一週間以上もつ食料に、それが入るだけの魔法の袋を簡単にこちらに渡す。これほどのマジックアイテムは、儂も見たことが無いのう」
第五師団の師団長。ドワーフであり既に中年を過ぎている彼は、年齢にふさわしい落ち着いた様子でアイリスが渡した袋を調べている。
彼の手は職人の証であるかのようなごつごつとした厚い皮膚で覆われていた。実際にこの師団は直接戦闘のみならず、各師団が使う装備品の調達や、基地の整備などの任務も請け負っている。
そして、彼は師団長でありながら師団一の職人とも言われていた。そんな彼が見たこともないマジックアイテムに興味が惹かれるのは当然であり、既に脳内ではこれを作るための方法を考え始めている。
「だがよ、結局は任務失敗てことだよな。この責任はどうするんだ?」
第六師団の師団長。カマキリの虫人である彼は、報告書を眺めながらニヤニヤとした視線を隣に座る女性に向けた。
この師団は第七師団と同様に様々な種族が所属するため、どうしても役割が重なることが多い。そのため、互いの師団はあまり仲が良いと言えず、手柄の取り扱いのようなものも発生している。
特に、師団長同士が犬猿の中であることは周知の事実であった。
「それはすべて魔王様がお決めになること。この報告書には今回の任務に関するすべてを記載した」
第七師団の師団長。ユキヒョウの獣人であるヴァイスがこの会議の最重要人物である。
第六師団からの悪意を気にしないかのように静かに目をつぶり、判決に身を委ねる覚悟を表現していた。すでに一度死んだ身である彼女には、生半可な悪意などそよ風のようなものだ。
「一つ、補足させてください」
そして、もう一人の重要人物である第七師団の副師団長。牛の獣人であるホルンが声を上げた。自然と室内の視線が彼に集中する。
「確かに私はアイリスと名乗る者から先代の魔王様並のお力を感じたと報告しました。しかし、私が魔王様のお力を感じたのは10年ほど前の戦場でのこと。皆様もよくご存じでしょう、『惨劇のカルテット』は」
皆の視線が冷たくなっていることをホルンは認識した。この話題を好き好んで選ぶものは少ないが、特に魔族にとっては特大の地雷とも言えるものだ。
なぜなら、彼らのトップである先代の魔王自身が亡くなった原因であるのだから。
「惨劇の中心ともいえる魔王様最後の力をご覧になった方は、ここにもいるはずです。あの時、下士官であった自分がその力にどれほどの恐怖を感じたのか説明するまでもないでしょう」
三大国家すべての精鋭に囲まれた魔王とその直近たちだったが、彼らはただではやられなかった。
魔王は自身と側近の持てるだけの力。そして自分たちに向けられた力すら利用し、全てを破壊することを選択する。
収束した力はまるで地上に太陽が現れたかのような光と、それにふさわしい熱量を放出した。
結果として戦場の中心には底が見ないほどの大穴が出現する。もちろん、そこにいた者すべてを道連れにして。
直接被害を受けなかった者たちもかなりの人数がその身に恐怖を植え付けられ、戦場に復帰することができなくなったことも不思議ではない。
今、この室内にはその恐怖を乗り越えた者たちも多く、最大限の恐怖を表現するのにこれ以上、的確なものはないと言えた。
「……それと同じだけの恐怖を、穏やかに食事をする女性から感じたのです。そこをお間違えないよう、お願いいたします」
四つの勢力が不幸にも協力したことにより発生した惨劇と、同じだけの恐怖を個人から感じるなど普通に考えればありえない話だ。
だが、その言葉を発するホルンの様子は明らかに尋常ではない。彼はアイリスに会った時のことを思い出しており、今も額から汗が噴き出していた。
報告書の内容も合わせれば、それだけの存在いることが不思議ではないことも確かである。誰もホルンのことを馬鹿にすることもできない。
「まずは奴らのことをもっと知らねばならん。この、半魚人千体というのは全勢力なのだろうか」
「奴らの持つ装備やマジックアイテムをもっと手に入れたいの。奴らの技術力はもう少し調べてみたい」
「私はこの娘たちともっと話をしてみたいわね。結局、考え方が合わないことにはどうにもならないでしょ」
師団長たちはそれぞれが気になることを挙げていく。結局、今の時点ではタコたちのことを何も知らないに等しい。何かを判断するにも情報が少なすぎる。
そして、それらの意見が出尽くしたあたりで、仕切りの奥からアーデルハイトの声が発せられた。
「なるほど……結局の所、彼の者たちは我々の常識をはるかに超えた存在ということですね」
魔王という肩書に反して、その声は穏やかで優しさすら感じられる。
しかし、魔力と威厳は十分に込められており、室内の者たちは突然、冷たい北風が吹いたかのように身を引き締めた。
「ナスキアクアからの提案は、すべて受け入れるしかないでしょう。早急に魔王の名で文書を作成します」
「しかし、魔王様。それではあなたの……」
「かまいません。私の『日和見魔王』の名に箔がつくだけですよ」
その声からはさも冗談のような明るさを感じるが、無理をしていることは誰もが認識していた。
そもそも、魔族が魔王に従っている理由は複数あれども、誰もが一番に挙げるのは『魔王には敵わない』というシンプルなものである。
しかし、師団長ともなれば、それだけの理由で魔王に付き従っているわけではない。アーデルハイトに王としての資質があると認めているからだ。
まず、当代の魔王である彼女は、その地位にも関わらず不遜な態度を取ることはない。会う機会の少ない部下に対していつも丁寧に接している。
それは、教育が良かったというのもあるが、彼女が自分自身に対して引け目を感じている所があるからだ。
まず、魔王が戦死することが想定されていなかったとはいえ、本来なら実娘のアーデルハイトが魔王となるには若すぎた。
だが、代々の魔王は秘術により自身の子に魔力を引き継ぐことができ、その強大な魔力を得たアーデルハイトが魔王となるのは決定事項である。
しかし、魔力だけでは魔法を使うことはできない。
彼女には先代ほどの技術も経験も無いため、戦場に出れば力が暴走して敵味方の区別なく破壊してしまうのだ。しかも、その後は体内の魔力を使い切り、動けなくなるおまけつきである。
そのため、魔族としても魔王一人の戦力に頼るわけにも行かず、結局は他国のように魔王の熟練を含めた戦力増強に努めるのも仕方のないことだ。
ところが、そう思わない者も少なからずいる。
――『惨劇のカルテット』により戦力を失った人間たちに対して、魔族にはアーデルハイトという戦力が残っているではないか――
――先代は自ら戦場で戦ったというのに、当代の魔王は臆病だ、日和見だ――
人間を憎み、排除しようとする勢力を中心に、こういった考えがあるのも事実だ。
それに対しアーデルハイトは反論することもできず、自身の力不足により魔族が不利益を被っている事実に心を痛めていた。
もちろん、前線に出るような者ならば、魔王の力が容易く扱えるものではないことは重々承知している。
アーデルハイトが魔族の為にその身を捧げる覚悟で魔王となったのは確かであり。師団長達はそれを理解したうえで、少しでも彼女の力になろうと忠誠を誓っているのだ。
「ヴァイス、新たな命令を下します。あなたはナスキアクアに戻り、邪神タコに関するのことを調べ上げ、本性を見極めなさい。彼女たちが我らと歩めるものなのか。それとも、我らは滅ぶしかないのか」
「魔王様! それでは失敗に対する処罰にならないでしょう!」
アーデルハイトの判断は、第七師団に情報収集を続けさせることだった。戦力の一部を割いてしまうことになるが、元々ナスキアクアに駐留する予定だったのだから特に問題は無い。
しかし、それに対して第六師団長が思わず反対の声を上げる。だが、すぐさま彼に反論が帰ってきた。
「あら。それなら、第六師団が代わりにナスキアクアに行く?」
「ぐっ。いや、それは……」
第四師団長からの言葉に、彼は反論に詰まってしまう。謎の多い邪神の集団に飛び込んで情報収集など、何が起こるか分かったものでない。
さすがの彼も、自分達が火の粉をかぶるのは遠慮したかった。
「魔王様。勅命、確かに承りました」
ヴァイスは恭しく頭を下げる。
室内の者はこれが魔王の恩情であることは理解している。だが、目の前の問題が過去に例を見ない異常事態である以上、第六師団のようにことさら指摘する気はなかった。
「他の師団から邪神タコ、及びナスキアクアへの接触は一切禁止とします……かの者が気まぐれを起こすだけで魔族が滅ぶ可能性がありますからね」
アーデルハイトが各師団にくぎを刺す。この中に独断専行するようなものがいるとは思えないが、末端まで含めればその恐れは十分にある。
それは、冗談でもなく魔族の危機となりかねないのだ。慎重になるのもやむを得ない。
「それでは本日の会議はこれまで。第三師団と第七師団は引き続き話がありますので残ってください」
ツァルトが会議の終了を宣言し、師団長たちは部屋から退出していく。第六師団長はヴァイスのことをひと睨みしていたが、彼女の方は特に気にもせず席に付いていた。
「さて、我らに話とはどういうことでしょうか」
「速報的な話になるが、邪神に新たな動きがあった。ニューワイズ王国と同盟し、さらにかの国は一匹のドラゴンを守護龍としたそうだ」
ツァルトが新たな報告書を出す。これは、ナスキアクアに残っているナーゲルが報告したものだ。
そこには更なる検討が必要な情報も含まれているが、結局は邪神タコに対する対応が決まらない今、有意義な議論を進めることは出来ない。
そのため、まずは確実な情報からできることを考えたのだ。
「第三師団はドラゴンの里に赴き、この情報を伝えてください」
「なるほど、邪神に対してドラゴンをぶつけてみるわけですな」
リザードマンを中心とする第三師団は、『ドラゴンの里』というドラゴンが住まう谷の近隣で生活している。
しかし、ドラゴン自体は他種族と関わろうとしないため、リザードマンと何らかの交流があるわけではない。せいぜい、年に数回会話をする程度だ。
事実、過去に魔族が攻めてきたときにドラゴンは何もせず、リザードマンは魔族に敗北してその勢力に吸収されることとなった。
「ええ。ただし、あくまで情報提供で十分です。対応は向こうに任せなさい」
「承知」
そう言って第三師団長は部屋から出ていく。すると、アーデルハイトはちょっとした魔力をツァルトの方に向けた。
意図を察した彼女は、やれやれと軽くため息をついてから部屋を出ていく。ホルンもそれに付き従った。
部屋の扉が閉じられた一秒後にアーデルハイトは立ち上がると、カーテンをどけて階段を下りる。そして、ヴァイスの横に座るとその顔をつかんで自分の方に向けた。
その瞳には不満に頬を膨らませた、未だ幼さの残る魔族の顔が写る。
「……心配した」
「ごめんなさい、ハイジ。私の力不足でした」
「謝罪はいらない、擬態を解いて」
「……かしこまりました」
ヴァイスが擬態を解くと、その体が二メートル近くまで膨れ上がる。顔はユキヒョウのそれになり、全身が真っ白な毛皮に覆われた。
普通の人間が見ればそれだけも恐怖に震えあがりそうだが、ヴァイスはしゃがみ込むと猫のように体を丸める。
アーデルハイトはその背中に横から抱き着いて、毛皮に顔をうずめた。
「しあわせ」
「……それは何よりです」
ヴァイスは獣人の中でも若い方であるが、高い実力から異例とも言える速さで師団長へ抜擢される。
だが、そこには若さゆえの様々な苦労があったのも事実だ。そして、それはちょうど自身の上司であるアーデルハイトの状況と似ており、いつしか身分を超えた友人関係を築いていた。
「ごめん、あれ以上の手は思いつかなかった」
これは、先ほどの勅命を指している。一度殺された原因にまた近づけなど本来は命令したくなかったが、それではヴァイスに何かしらの処罰を与える必要がある。
魔王権限で無罪放免とすることもできたが、それでは他の者に示しがつかない。もちろん、そんなアーデルハイトの心労はヴァイスも十分に理解している。
「もう、絶対に死んじゃダメ。次はゆるさない」
「あそこにいれば、むしろ死ねないかもしれません。心配ご無用ですよ」
ヴァイスは努めて明るく振る舞う。
だが、一度味わった死の恐怖は簡単に乗り越えられるものではない。その体は無意識に強張っている。
それに気づいたアーデルハイトだが、彼女にできるのはただ優しくヴァイスを撫でることだけだった。
◆
「魔王様は、また例の『発作』ですか?」
「……回答を拒否します」
樹人の質問に対しツァルトは無表情で答える。二人があのような関係であることは師団長の中では周知の事実であるし、それが魔王に必要なものであることも理解していた。
「全く羨ましいわね。魔王様も私に言って下されば、いくらでも慰めて差し上げるのに」
「そう言うな。結局、老人が慰めたところで、気を使わせていると思われるだけだからのう」
「誰が年増よ! この短足ジジイ!」
「うるさいわい! このサキュバスもどきが!」
魔族は寿命の長い種族も多く、若手と言えるのは第六師団長と第七師団長くらいのものだ。
肉体年齢と精神年齢はイコールではないが、魔王に対して親心のようなものも感じている者も多い。
「その点。師団長と同い歳くらいの貴様も、そう言う役目にちょうどいいはずなのだがな」
「わーてるよ。虫人だって、先代様がいなければ人間に滅ぼされてたんだ。その恩は必ずあの人に返す。だがよ、俺にあいつみたいな役目を求めるんじゃねぇ」
ホルンからの言葉はぶっきらぼうに反論された。いくら気の合わない師団同士とはいえ、お互いにきちんと線引きはなされている。魔族に不利益をもたらすようなことをするはずもない。
「……しかし、こんな時に邪神が現れるとは。これは希望なのか絶望なのか」
ツァルトの言葉に皆が押し黙る。ただでさえ問題が多い時期に、とんでもない難問が降りかかってきた。経験の少ない魔王にとっては更なる重圧がかかることだろう。
それでも、ここにいる者の心は決まっていた。
「我らの敵となるなら、打ち倒すのみ。たとえ、この身が朽ち果てようともな」
魔族を、魔王を守るためならば、どんなに強大な邪神が相手でも立ち向かわなければならない。そんな覚悟の無い者が師団長になれる訳も無い。
そして、彼らは自身にできることを果たすため、それぞれの陣地へ戻って行った。
 




